第31話「割れる帳尻」
監査干渉疑義が出た翌朝、王都商会宿舎の空気が変わった。
出入りする書記の歩幅が揃わない。
揃わない歩幅は、内部で方針が割れた時の音だ。
私は公開板へ最小限を貼る。
「経路調査継続中、追加資料受付」。
煽らない。
だが退かない。
*
午前、最初の亀裂が形になる。
王都商会側の若手会計士が、匿名提出箱へ票束を入れた。
票束は二系統。
宿舎内部照会票と、修正前見出し草稿。
草稿末尾に、修正指示が二種類ある。
「強硬案」と「収束案」。
同じ日付、同じ案件。
指示者が二人いる。
ミレナが言う。
「内輪で割れてますね」
「はい。強硬派と収束派です」
私は票束を封緘し、差分表を作る。
分裂は事件ではない。
分裂の痕を証拠化して初めて、次に効く。
*
昼、合同監査団へ速報提出。
セレナは草稿を読み、短く問う。
「提出者保護は確保したか」
「匿名経路で受領、筆跡追跡は止めています」
「良い。分裂証拠を使うなら保護が先だ」
彼女は続けて言う。
「ただし、分裂に乗って焦るな。証拠の質が落ちる」
その忠告は痛いほど正しい。
分裂を見ると、人は勝ちを急ぐ。
急いだ瞬間に、穴が空く。
*
午後、現場では逆波及が出る。
旧街区小商の協力便登録が戻り始めた。
だが今度は工房側が警戒を強める。
工房主が言う。
「王都側が割れたなら、今度は報復が来るぞ」
「可能性はあります」
「対策は」
「夜間便の二重受領を入れます。単独受領を止める」
彼は頷き、炉前の手袋を締め直す。
「なら、こっちも受領係を一人増やす」
分裂は希望だけを連れてこない。
恐れも一緒に増える。
その恐れを運用へ落とすのが、いまの仕事だった。
*
夕刻、グレゴルが会計庫へ来る。
今日は疲れた顔をしていた。
「あなたは分裂を喜んでいるでしょう」
「喜んでいません。記録しています」
「記録は、時に刃です」
「はい。だから誰に向けるかを選びます」
グレゴルは笑わずに言う。
「刃の向きは、いつか変わる」
その言葉に、少しだけ背筋が冷える。
王都で私は、同じ刃の返りに倒れた。
だから今は、刃の柄に両手を置く。
片手で振ると、必ず滑る。
*
夜、カイとの短い協議。
「分裂証拠が出ました。強硬案と収束案の二系統」
「どちらを押す」
「収束派を出頭路へ、強硬派は証拠で詰めます」
カイは即断する。
「出頭窓口を明朝開け。保護条件を先に掲示しろ」
「条件は」
「供述先出し、証票原本提出、虚偽時は保護解除」
私は頷く。
甘い保護は崩れる。
厳しすぎる保護も誰も来ない。
この線引きは難しい。
帰り際、カイが扉の前で足を止める。
「契約線の別室聴取、君が入る必要はあるか」
私は一瞬考える。
「必要です。私情論点を外すために、私自身が手順を確認します」
「無理はするな」
「無理はしません。順番を守ります」
彼は短く頷き、去った。
短い会話の後に残る静けさが、妙に落ち着く。
命令だけでなく、撤退線まで示されると呼吸ができる。
*
深夜、私は保護条件掲示文を作る。
最後の行で筆が止まる。
「私的契約関連供述は別室聴取」。
契約線に触れる証言が出れば、私情へ火が回る。
怖い。
それでも別室を用意する。
逃げないための隔離だ。
記録簿へ書く。
第十刻二分、出頭窓口設置準備、完了。
割れた帳尻は、まだ崩れ切っていない。
崩すのではなく、分けて拾う夜が続く。




