第25話「公開照合前夜」
失脚審査の翌日、会計庫は静かな混乱だった。
棚は整っているのに、人の歩幅だけが速い。
皆、次の一手を待っている。
私は黒板へ大きく書く。
「公開照合本番準備」。
幕2の終点へ向けた実務が始まる。
*
午前、監督委員会の初会合。
委員は五名。
会計庫、兵站庫、評議会、配給所、工房。
私は提案する。
「照合対象を三群に分けます。融通枠、便運用、特別裁量」
評議会委員が問う。
「なぜ三群だ」
「一括照合だと、争点が拡散して誰も責任を取れないからです」
兵站長が渋い顔で頷く。
彼も、責任の拡散が一番厄介だと知っている。
*
昼、公開照合の手順リハーサル。
証拠提示順、反論時間、再照合時間。
時計を見ながら一連を回す。
ミレナが止める。
「反論時間が足りません。相手が長文で引き延ばしたら崩れます」
「制限を入れます」
私は規程追補案を即書きする。
反論三分、再反論二分、証拠提示は番号指定。
言葉の長さで押し切らせない設計。
かつての私は、長文で圧されて沈んだ。
同じ沈み方は繰り返さない。
*
午後、王都側から非公式打診が来る。
「公開照合を延期し、非公開協議へ切り替えないか」。
理由は「秩序維持」。
グレゴルがその文面を持ってくる。
「延期すれば傷は浅く済む。あなたにも得がある」
「どんな得ですか」
「失敗の記録が残りにくい」
私は紙を畳み、机へ置く。
「残りにくい記録は、残すべき失敗まで消します」
グレゴルは肩をすくめる。
「理想で領地は回らない」
「理想ではなく会計です。記録がない運用は再建不能です」
彼は何も言わず去る。
扉が閉まる音が、今日はやけに軽かった。
追い詰められている側の軽さだ。
*
夕刻、カイと最終協議。
「延期打診が来ました」
「断る」
「はい。公開照合を予定どおり実施します」
カイは机上の地図を畳み、短く命じる。
「会場の席順を変える。王都側を出口から遠ざけろ」
私は一瞬黙る。
逃げ道を切る配置だ。
「反発が出ます」
「出させる。席順に文句を言う者は、証拠より出口を見ている」
領主の乱暴さは、時々正確だ。
私は席順表を修正し、監督委員へ送る。
*
夜、私は一人で照合台帳を開く。
R-17、R-23、仮勘定末尾、価格外れ値。
数字の線は揃っている。
問題は、揃った線を人前で折られずに通すこと。
台帳の横で、私は短い読み上げ練習をする。
長く説明しない。
番号、時刻、差分、結論。
四拍で切る。
王都で敗れた日の私は、正しさを長文で守ろうとして沈んだ。
明日は違う。
短く、逃がさず、次頁へ進む。
手が止まり、婚約契約の条項写しへ目が行く。
私的利害論点は、明日も投げられる。
怖い。
怖いが、怖さを隠す必要はない。
隠すと判断が速くなりすぎる。
私は記録欄へ書く。
第八刻五十七分、公開照合前夜、本人緊張あり。
机を叩く音がして、顔を上げる。
カイが扉にもたれ、短く言う。
「まだ帰らないのか」
「読み順の最終確認です」
「十分だ。寝ろ」
「寝ると明日の失言が増えます」
カイは少しだけ眉を上げた。
「起きていても増える時は増える。失言より、黙る時間を作れ」
私は苦く笑う。
会計官にとって黙るのは、いつも難しい。
「……三呼吸、入れます」
「それでいい」
彼は去り際に一言だけ残す。
「明日、君一人で立たせない」
扉が閉まった後、私は三呼吸を数える。
一つ、手の震えが少し落ちる。
二つ、喉の渇きが薄くなる。
三つ、頁順が頭の中で真っ直ぐ並ぶ。
記録にしてしまえば、感情も運用対象になる。
明日は、記録で押し切る日だ。




