第2話
カタラーナ王国には語り継がれてきた伝説がある。
初代国王の時代、隣国との諍いが絶えず、カタラーナ王国は滅亡の危機にあった。国王は国教であるラミス教の主神ティアに願う。一代で興したこの国を滅ぼすわけにはいかない。国民が路頭に迷ってしまう。どうかこの国を助けてほしいと……。
しかし、国王に手を差し伸べたのは、主神ティアではなく魔神であった。魔神は国を助けたければ、神女を生贄として捧げよと要求するが、国王は拒否した。神女シルヴィアナ・ラージェリンは国王の婚約者だったからだ。
ところが、神女シルヴィアナは、それで国が助かるのであればと国王の制止を振り切り、自ら魔神に身を捧げたという。魔神の領域にシルヴィアナが入ると、それ以降、不思議な事にカタラーナ王国は隣国からの脅威に晒されることはなくなり、今日まで平和な世の中が続いている。
国王は嘆き悲しんだが、国民は神女の勇気を称えた。
初代神女シルヴィアナ・ラージェリンには額にティアの花のあざがあった。ティアの花とは花弁が五枚ある薄桃色の可憐な花である。シルヴィアナの次の神女には同じくティアの花のあざが現れたという。それ以降、ティアの花のあざが体のどこかに現れた者が、神女になるという習わしができた。
花のあざの色はティアの花のように薄桃色をしている。あざはいつしか『ティアの印』と呼ばれるようになった。
「それで、当代の神女が貴女なのですね? ピア」
シルヴィアナに案内された場所は、こぢんまりとした木造の落ち着く雰囲気の家だった。二人がシルヴィアナを警戒しなかったのは、初代神女ということもあるが、全く害意を感じなかったからだ。
「はい。シルヴィアナ様」
ピアは生まれた時から額に『ティアの印』があった。だが、生まれたばかりのピアはラミス教の教会前に捨てられていたのだ。神女を輩出した家はたとえ平民であろうとも優遇されるというのに。
「私は王宮内の神殿で育てられました。名は育ててくれた先代の神女様が付けてくださったのです」
ピアージュは主神ティアの御使いの名で「ティア・ラミス」というのは代々の神女に付けられる敬称だ。たとえ高位貴族の出であろうと家名は神女になった瞬間、名乗ることは許されない。
「シルヴィアナ様。その……女性に不躾なことを聞いてすまないが、貴女は五百年前の人間のはずで……それで……」
ルーは言いにくそうに口ごもってしまう。その先の「どうして生きているのか?」という言葉が続かないのだ。
シルヴィアナは俯いてしまったルーにくすっと優しく微笑む。
「ルーシェルは紳士ですね。なぜ五百年の歳月を人間であるわたくしが生きていられるのかと問いたいのでしょう? それは……」
言いかけた言葉は乱暴に開かれた扉の音で途切れてしまった。
「シルヴィ! 帰ったぞ。客人をもてなしてきた」
「ジン、扉は静かに開いて。この子たちが怯えているわ」
シルヴィアナはジンと呼ばれた黒髪の男を諫める。ジンは悪びれた様子もなく、サイドにまとめた長い黒髪を後ろに払う。
扉の音に驚いたピアをルーが抱き寄せて庇っているが、ルー自身も震えている。
「客人を連れてきたのはお前たちか? シルヴィが止めなければ、お前らも客人と同じ目に遭わせるところだったぞ」
ジンはどかっと椅子に座ると、金色の瞳をルーとピアに向ける。
「客人とは……俺たちを追ってきた者たちのことか……彼らをどうした?」
「ああ。今頃は森の小川でゲコゲコ鳴いてるだろう」
ジンは二人を追ってきた騎士たちをカエルに変えてしまったのだが、ルーとピアがこの言葉の意味を解するのにはもう少し時間がかかる。
◇◇◇
シルヴィアナが温かいハーブティーを用意してくれたので、二人は一口飲む。心を落ち着かせる作用があるお茶のようだ。
「それで、お前たちはなぜ追われていた?」
不躾にジンが尋ねてくる。シルヴィアナが咎めるような視線をジンに送るが、素知らぬふりをしている。
「それは……」
言いかけたピアをルーは手で制すると「俺が話すよ」とピアに笑みを向ける。
「俺の名前はルーシェル・カタラーナと申します。カタラーナ王国の王太子です。いえ、でした。こちらはピアージュ・ティア・ラミス。主神ティアの神女です」
自己紹介の後に、ルーは自分たちに起きたことを、ジンとシルヴィアナに語り始めた。
時は一ヶ月前に遡る。
◇◇◇
ルーとピアは幼馴染だ。
第三王子でありながら、母が正妃という理由で王太子になったルーは兄姉に疎まれ、実母の王妃はルーに対して関心が薄く、孤独だった。
国教であるラミア教において最高の地位である神女のピアもまた自由がなく、孤独だった。
同じように孤独な二人が王宮内の庭園で偶然出会って、仲良くなったとしてもおかしくはないだろう。
二人の楽しみは庭園内にある庭師の住む家で少しの時間ともに過ごすことだった。庭師は孤独な二人を哀れに思い、こっそりと家を秘密の場所として提供したのだ。
異変はある日、突然に起きた。
いつものようにルーはピアの好きなおとぎ話の本とお菓子を持って、庭師の家に行った。だが、いつも笑顔で迎えてくれるピアが深刻な顔をして待っていたのだ。理由を尋ねると、ピアはストロベリーブロンドの前髪を上にあげ、『ティアの印』を見せる。薄桃色の『ティアの印』が黒く染まっていた。
『ティアの印』が黒く染まるのは不吉だ。数代前の神女がやはり『ティアの印』が黒く染まり、その年から国は大飢饉に見舞われた。国民は飢え、多くの死者が出たのだ。神女は魔女として処刑されたという記録が残っていた。
このままではピアが魔女として処刑されてしまうことを恐れたルーは、黒く染まった『ティアの印』を隠すようにピアに言う。しかし、先代の神女に気づかれたうえに、数日前にピアが浄化の儀式を行った水が黒く染まっていたのだ。
直ちに国の上層部で会議が開かれ、国に被害が出る前にピアは魔女として処刑されることになったのである。
ピアは処刑される日まで、神殿の地下牢に閉じ込めれられた。
ルーはなんとか処刑日までにピアを脱出させようと、とっておきの秘策を使うことにした。神殿の地下には王族専用の脱出通路があることをルーは知っていたのだ。その通路はピアがいる地下牢とつながっている。
ここまで黙って聞いていたジンがルーの言葉を遮る。
「その脱出通路とやらが使えないとは思わなかったのか?」
「確かに長い間、使われてはいませんでしたが、俺は時々その通路を使って市井に出ていましたから」
なるほどとジンは納得すると話を続けるように促す。
今日は22時にもう1話更新します。




