Here am I, sweetie!
完結記念。
前日譚……でしょうか。
クリスティ・マクハヴェストは、溜まった書類を黙々と片付けていた。
イーストエンド州はさほど寒い土地ではないが、夜になるとぐっと冷え込む。暖炉にはまだ火が残っていたが、すでに手はかじかみ始めていた。
指先に息を吹きかけながら、一向に減らない書類を睨みつける。どうして何をやるにも書類を書かなくてはいけないのだろう。大いに不満だ。昔から書きもの読みものの類は大嫌いなのだ。
福祉の充実と孤児の養育を訴えて生家を飛び出してから、すでに数年が立っている。
賛同してくれたフォルテ家の援助を受けて孤児院を設立するところまでは漕ぎ着けたが、クリスティは立ちはだかる問題の数々や諸手続に苦戦させられていた。
特に困っているのが、資金繰りだ。
当初は国からまとまった支援金を受けられる手筈になっていたのに、役人達はクリスティが実家から勘当されたと知るや否や掌を返した。
挙げ句、文句を言ったら「援助を受けたいなら支出の明細を送れ、書類に不備がなくかつ本当に困っているなら援助してやる」である。
子ども達が野菜をどれだけ育てていくら稼いだか、日雇いの仕事でいくらもらったかなんて記録しているはずがない。そもそも報酬が金ではない場合はどう記録しろというのだ。「ジャガイモ麻袋二袋分、成人男性の労働力半日分」とでも書けば良いのか。
「……あの役人ども、絶対に払う気ないわよね」
彼らはクリスティの「王家の分家筋」という肩書きを見て、支援金を出すと言った。その肩書きが無くなってしまった今、クリスティはただのうるさい小娘なのだ。小娘というにはいささか年を取りすぎてしまった気もするが。
フォルテ家の援助はありがたいが、クリスティの夢は各地に孤児院を設立し、一人でも多くの子ども達がお腹一杯ご飯を食べて、穴の空いていない服を着て笑っていられるような環境を作る事だ。このままおんぶにだっこ状態では、何も進めない。
「覚えていなさいよあいつら。いつか絶対に袋叩きにして丸焼きにしてやるわ……パリッパリに炙ったら香ばしそうじゃないの……」
心の中で役人の顔面に何発か拳をぶち込み、クリスティは凶暴な笑みを浮かべた。
彼らからはお金とかお金とかお金の匂いがぷんぷんする。あるところからしぼり取ってやれば孤児院の資金繰りはものすごく楽になりそうだし、フォルテ家の負担も減るではないか。
(あらやだ、すっごい名案じゃない、これ)
よし、この書類が終わったらめぼしい貴族どもをリストアップしよう。サースエンド州あたりには私腹を肥やしている奴らがごろごろいたような気がする。あの脂肪に覆われた体を叩いたら色々出てきそうじゃないか。ついでに弱みやら何やらを握れたらとっても嬉しい。
いつの間にか手が止まっていた事に気づいて、クリスティは肩を竦めた。楽しい妄想も、この書類を片付けてからでなければ現実に移せないのである。
ひとつため息をついて、ペン先をインクに浸す。
孤児院の扉がノックされたのは、気持ちを切り替えて書類に向かった直後だった。
コンコン、と控えめなノックが、夜の風に紛れて聞こえる。
クリスティは顔を上げ、眉をひそめた。
(……こんな時間に、誰よ)
人がせっかくやる気を出したというのに、とんだ邪魔者である。
コンコン、というノックの音は次第に激しさを増し、ダンダンと乱暴に扉を叩く音に変わる。
そして最終的には、ズダダダダダ! と連打するような音になった。
子ども達の部屋から泣き声が上がった瞬間、クリスティの額に青筋が浮かぶ。
「うるさい!」
勢いよく扉を開け放ち、クリスティは扉の前の女――蹴破ろうとでもいうのか足を振り上げていた――に怒鳴った。
「子ども達が起きちゃったじゃないの!」
「え? ……ごめんなさい。聞こえていないのかと思って」
勢いに任せて叱ると、女はきょとんとしたように榛色の瞳をしばたたかせて謝る。
意外とすなおに謝った女を、クリスティはじろじろと眺めた。
簡素な胴衣にスカート、使い古された革靴にエプロン。分厚いショールを体に巻き付けている様は、農民の娘のように見える。
しかし彼女の唇からこぼれ出た言葉には、訛りがなかった。
ここまで「綺麗な」言葉を話すのは、上流階層の中でもごく一部――貴族だけだ。
「……あんた、誰」
クリスティが警戒してしまうのも仕方がないほどに、彼女はうさんくさすぎた。
「警戒しないで」
クリスティの考えている事が分かったのか、女は苦笑して頭巾を外す。
ふわふわとした金茶の髪があふれ、彼女の細い背を覆った。
あ、と声を上げ、呆然と彼女を見上げる。
そこに立っていたのは――
「金蔓……」
「…………え」
絶賛指名手配中の伯爵令嬢だった。
「いやあ、あの時は本当にびっくりしたわねー」
エメリン・カルデローネと出会った時の事を思い出し、クリスティはひとりごちた。
金を腐らせている貴族からしぼり取り――ではなく寄付を募りにサースエンド州に向かう、馬車の中の事である。
あの夜にクリスティを訪ねてきた女、エメリンは、カルデローネ伯爵家の令嬢にして、縁談を蹴っ飛ばして出奔したという、何とも面白い経歴の令嬢だった。
彼女は身を隠す場所として、なぜかクリスティの元を選んだのだ。
『ほら、シルワ領ってフォルテ家の領ですし。カルデローネの娘がそんなところにいるとは、誰も思わないんじゃないかと思って』
にっこりと微笑んで告げたエメリンは、あろうことか身重だった。話を聞けば、腹の子の父親とは死別したという。しかも、話している間につわりに襲われ、クリスティの目の前でぱったりと倒れた。
さすがに放り出す事はできず、クリスティは彼女を匿う事になったのだ。
当初は容態が安定したらカルデローネ家に突き返してやろうと思っていたが、彼女はなかなかに強かだった。
『ねえクリスティ様、戦力、いりません?』
にっこりと笑って、彼女はそう口にしたのだ。
『家事は何もできませんけれど、わたくし、書類仕事のお手伝いができますし、口も達者ですわよ?』
思ってもみない言葉に、クリスティはかなり揺らいだ。
ロンディアならいざ知らず、地方に出てしまうと識字率は一気に下がる。書類仕事にくわえて、駆け引きに長ける人員は、喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。
『矢面に立つ事はできませんけれど、書類の整理とか、……手紙の代筆もできますわね。わたくしの手引きをしてくれた友人を何人か紹介もできますし、それに、ある方々の弱みなんかもちょこっと握っちゃったりしているのですけれど……ねえクリスティ様、わたくし、いりませんか?』
頭が痛くなる書類の整理。
書き損じを大量生産する手紙の代筆。
何より人脈。
クリスティの決断は早かった。
『ようこそ同志よ』
差し出された手を取り、エメリンはにっこりと笑う。
ここに、二人の共同戦線が引かれたのであった。
自分で売り込むだけあって、彼女の活躍はすさまじかった。
エメリンのお陰で、クリスティは半年後には貴族達からの寄付をがっぽりとしぼり取り――もとい得る事ができたのだ。
彼女は人知れず出産し、カルデローネ家の紋が入った釦を身元を証明するものとしてセシリアに預けた。
そして娘を孤児院の子どもの一人に加え――
「クリスティ様!」
いつの間にか馬車が止まっていた事に気づき、クリスティは瞳を瞬かせた。淡いブルーの瞳をさまよわせると、きらきらと輝く榛色の瞳を見つける。
「……セシリー?」
いや、違う。あのやたらと食い意地の張った母親そっくりの少女は、近くの農家まで収穫の手伝いに行っているはずだ。
それに。
「……ここはサースエンドだものね」
淡い笑みを浮かべて、クリスティは馬車から降りた。クリスティが建てた二つ目の孤児院からは、子ども達のさわぐ声が聞こえてくる。
「久しぶりね、エメリ院長」
その言葉に、馬車の横に佇んでいた女がにっこりと笑った。
「ええ、お久しぶりです、クリスティ様。あの子は元気ですか?」
「元気すぎるくらいよ。〈春告げの祭〉の時なんて、はしゃぎすぎて柱を倒して大騒ぎになったんだから」
「まあ、去年のわたくしと全く同じじゃありませんか」
娘の暴走ぶりに、彼女は笑みを弾けさせる。
「あの子が楽しそうなら何よりですわ」
「たまには会いに来なさいよ」
「遠慮しますわ」
「なんで」
「あの子は私が母親だと知りませんもの。元気でいてくれれば、それで十分ですの」
彼女は出奔した令嬢の娘よりも、ただのセシリーでいる方が自由でいられるのだ。
「……まあ、あんたがそう言うなら、それで良いけどさ」
楽しそうな元令嬢を見上げて、クリスティは肩をすくめた。
そのころ、クリスティ孤児院にクラレンス・カルデローネが訪れてひと騒ぎ起きている事を、彼女達はまだ知らない。




