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むっとするような暑さが過ぎると、季節は一気に秋へと移り変わる。
「ちょっとセシリー、動かないでよ!」
眉を吊り上げたリタに怒られ、セシリアは慌てて姿勢を正した。数人がかりで髪を結い上げられ、それが終わると化粧を施される。
(もう半年かあ……)
リタに言われるままに瞳を閉じ、セシリアは目まぐるしく過ぎ去った日々を思い返した。
ギルバートとの仲が認められた後、セシリア達は婚約、そして婚姻の手続きや準備に奔走し、その空き時間を使って徹底的に礼儀作法を叩き込まれた。ヴィヴィアンとパトリシアはこれ以上にないほど生き生きとして、反対にギルバートを含む男性陣は日に日にげっそりとしていった。リタ曰く、面倒な書類や手続きの類を全部押しつけられたらしい。
「セシリー、口を開けて」
頷いて少し口を開くと、紅を乗せた筆が唇をすべっていく。
「よし」
その言葉に、セシリアは瞳を開いた。
化粧台の前に座る少女は、普段よりも大人っぽく見える。繊細な刺繍が施された白いドレスは艶やかな光沢を放ち、何種類もの生地を集めて花が表されたバッスルからは、トレーンが流れるように裾を引いていた。薄手の長手袋にはレースがあしらわれ、白いサテン地の靴にはダイヤモンドのバックルがついている。
首や耳元で輝くのは、やはりダイヤモンドだ。
結い上げられた髪はベールを被る予定なので、何も飾りは付けられていない。
鏡の中の花嫁は、なんだかとても美人に見えた。
「……誰これ」
真顔で呟くと、リタが呆れたような顔をする。
「あんたに決まってるでしょ」
信じられない。女は化ける、というのは本当だったのか。
(恐るべし化粧……!)
別人のようだ。ギルバートがセシリアだと分からなかったらどうしよう。
「どうしようリタ、これじゃ詐欺だよ、ギルバート様が『セシリーはどこ!?』って教会を飛び出しちゃうよ……!」
「……あんたね」
結婚式当日だというのに普段とまったく変わらないセシリアに、リタがため息をつく。
「ところでリタ、何か食べて良い? お腹空いた」
「もう出発の時間だからだめ」
「けち」
「けちで結構。ギルバート様のために我慢して」
「……分かった」
そんなやりとりの後、馬車に乗り込んで教会に向かう。窓から入り込む空気は涼しく、冬に向かっている事を改めて感じさせた。
(……収穫期だ)
食べ物が美味しい季節だ。
ぐうと腹の虫が鳴る。
収穫されたばかりの野菜がごろごろと入ったスープ。丸々と太った鴨肉のステーキ。たっぷりとクリームを乗せて林檎とスパイスをきかせた子羊の毛に洋梨の砂糖煮。黄金色に輝くアーモンドとカルダモンのケーキ、そしてアップルパイ。
式が終わったら絶対に美味しいものをたらふく食べてやると心に誓っていると、いつの間にか馬車が止まっている。
後見役のクラレンスの手を借りて馬車から降り、セシリアは教会へと歩き出した。
「セシリー、おめでとう」
そう言って笑う彼は、本当に嬉しそうだ。
この半年の間、彼はギルバートやアーネッド家と共に今後の「仲良し計画」なるものを練っていた。そのせいで構ってもらえなくなったヴィヴィアンが拗ね、レイラと結託してそれぞれの夫と大げんかを繰り広げたのも、今となっては良い思い出である。
「ありがとうございます」
教会の中に入り、セシリアはクラレンスからエドマンドに引き継がれる。
「こうやって教会を歩く事ができるなんて、不思議な感じだね」
感慨深そうに呟く彼に、セシリアは頷いた。母は出奔してしまったから、彼がこうして花嫁と一緒に歩くのは初めてなのだ。さんざん渋っていたくせに、実は彼が誰よりもこの式を楽しみにしているのだと、パトリシアがこっそりと教えてくれた。
ドレスの裾を踏まないように気をつけて歩いていると、祭壇の前に立つギルバートが振り返る。
「セシリア」
柔らかい笑顔に迎えられ、セシリアもベールの下でにっこりと笑った。
「おはようございます、ギルバート様!」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい!」
セシリアが元気よく頷くと、彼は瞳を細め、手にしたブーケを渡してくる。
「それから、これも」
花冠をベールの上から乗せられ、セシリアはきょとんとした。
セシリアを見下ろして、ギルバートが瞳を細める。
「花冠を捧げる栄誉をいただいたからね。ちゃんと作ってきたよ、僕の〈春の女王〉」
(……覚えていて、くれたんだ)
嬉しくて泣きそうだ。
「うん、とっても似合う。……綺麗だ」
その言葉に胸の奥で明かりが灯り、一気に顔が熱くなる。込み上げる幸せを噛みしめて、セシリアは微笑んだ。
……けれど。
参列席に視線をやる。
そこには一カ所だけ、ぽっかりと空白があった。
セシリアとギルバートの婚姻はカルデローネ家に認められたが、フォルテ家には承認されなかった。
法の上では何も問題が無いからと、ギルバートは実家の反対を押し切って結婚に踏み切ってしまったのだ。
セシリアはもちろん、クラレンスやエドマンドまでもが心配したが、彼は平然としていた。この婚姻によって彼が生家から勘当されたり、爵位を引き継げなくなる事はないから安心して欲しいと言われてしまうと、二人にはもう何も口出しできないようだった。
その辺りの手続きはセシリアにはよく分からなかったが、何も心配しなくても良いというのだから、信じる事にする。
「……気にしないで良いよ、セシリア」
セシリアの視線を追い、ギルバートが苦笑する。
「気にします」
むっとした口調で言い返して、セシリアは唇を噛みしめた。
あの王子様でさえ列席しているのに、花婿であるギルバートの家族がいないなんて変だ。
セシリアとギルバートは、結婚後は、ひとまずシルワ領で過ごす事になっている。これもフォルテ家の面々がセシリアを認めず、家に入れないと宣言したからだった。
「まあ、仕方がないよね。そのうち君を連れて行けたら良いと思うけれど」
ギルバートが方をすくめる。
「本当ですか?」
「もちろん。大切な花嫁と家族の仲が悪いなんて、悲しいからね。僕の家族にも、セシリアを好きになってもらわないと」
それを聞いた途端、沈みかけた心がふわふわと浮き上がってきた。
そうだ。カルデローネ家や王子様を説得できたのだから、きっと、フォルテ家にだって認めてもらえる。やっぱり考える事は苦手だけれど、頭を使って、謀を巡らせて、フォルテ家の人々とも仲良しになれば良いのだ。
「……じゃあ次は、それですね」
「え?」
セシリアの呟きに、ギルバートが首を傾げる。
彼と一緒なら、何でもできるような気がした。
「ギルバート様」
満面の笑みで、セシリアは告げる。
「次はフォルテ家を籠絡です!」
かしましく謀を巡らせる花嫁に、花婿は苦笑する。
祝福の鐘が鳴り響くのは、その少し後のこと。
(終)
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。




