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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之壱 泉と軍隊
7/76

この場所の歴史

「あ、読める」

 どうやら漢字と同系統の象形文字のようだが、私が知る漢字とは全く違う。しかしこれもあの球体……に手足が生えたやつのお陰なのか、すらすらと意味がわかった。

 安堵した私は最初から目を通していく。

『世の始めなる者は、混沌なり。混沌拓けてより後、海を整へ、陸を作し、種々の精霊宿り、生物も亦た栄ゆ』

 いきなり神話からスタートしている。

 この神話がこの世界でどの程度事実と考えられているのか微妙なところだ。また範蔵にでも探りを入れてみないと。

『然れども世、未だ理有らず。人、未だ神を知らず』

 理と神が同列?まあ、神話ならそういうこともあり得るか。

『邪なる者、自ら神為らんと欲し、世を乱すこと三年。圭裳(けいしょう)なる者、其の弟燦葉(さんよう)(とも)狐狼(ころう)及び四方の聖獣を以ゐて之と戰ふ。夏、遂に之に克つ。天帝、邪なる者を罰す』

 なるほど。英雄神話的なものかな。悪いものを倒して世の中平和になりました、というような。

『圭裳、女神為りて世を統べ、燦葉、王為りて人を治む。是に於いてや世始めて定まり、神有り。人の王、神籍を望まず。自ら命あり。居ること五十余年にして崩ず』

 女神圭裳、ね。

 女神って……これもどこまで信じられてるのかが微妙だな。

 姉は神になったのに、自分は人として死ぬことを選んだ弟。何かわかる気がするな。

 永遠に生きるなんて、きっと寂しい。

 そうして女神の弟の燦葉は大陸を統べる王になったわけだけれど、この大陸は元々その王家が治める一つの国家に纏められていたらしい。各王の功績や事件についての記述を適当に流し読みしていくと、唐突に大事件が起こった。

『王暦780年。国王遷赤(せんせき)、女神圭裳の怒りに触れ、狐狼のほふる所となる』

 それだけの簡潔な記述。事件の重大さと記述の少なさの落差が不透明な不気味さを感じさせる。

『女神の怒り甚だしく、加護は失われ国乱る』

 それまで順調だった大陸の歴史が、その短い記述を境に転がり落ちていく。

『狐狼、女神の怒りに応じ王族を悉く屠る』

 狐狼というのは女神の使いだという記述が前にあった。その聖なる獣が王族を皆殺しにするほどの何が起こったのか。歴史書は教えてくれない。

『人を殺めし罪により、天帝より狐狼に子々孫々に渡る罰下されり』

 最悪だ。

 何もかもが狂い、王国は分裂し、小さな国が興亡を繰り返す。

 私は再び読むペースを上げた。

『輯滅び、天下は五分さる。昏、碧、紅、白、橙是なり』

 読み終えた私は、深く溜息を吐いた。

 何だか後味が悪い。500年前の事件が実際にどういうものだったのか、わからないのが気持ち悪かった。


「範蔵」

 外で見張っているのはわかっていたから呼んでみたら、案の定顔を出してくれた。私はひらひらと歴史書を振る。

「わからないことがあるんだが」

「俺で答えられる事なら」

 外に特に警戒する対象は無いのか、範蔵が幕舎に入ってくる。私は地面に敷物を敷いて範蔵を座らせると、歴史書をめくった。

「まず……女神って本当にいるのか?」

 私の問いに、範蔵は眉を寄せた。

「当たり前だろう。今でこそ隠れておられるが、王国時代には人の前に姿を現してくださる事もあったそうだ」

 なるほど。女神の存在は普通に認知されてるわけだ。というか実際にいる可能性が高いな。

「それじゃその転機……歴史書には怒りに触れたとしか書いてないけど、何があったんだ?」

 範蔵はまた眉を寄せたが、今回は困惑の種類が違うと私は感じ取った。

「……わからない」

 範蔵の口からこぼれたのはそんな答え。

「わからないんだ。誰も真相を知らないらしい。ただいきなり狐狼が王家を食い破って、大陸から女神の加護が消えたってことだ」

 歴史書が黙して語らぬ真実を、知る者はいないのだと範蔵は言う。事情もわからないままに、この大陸は大きく傷つき、未だ血を流し続けているのだ。

「酷い話だな……」

 呟いた私は、歴史書のページを見るともなしにぱらぱらめくる。

 酷い話をもう一つ思い出して、私は目を落としたまま言った。

「狐狼……子々孫々に及ぶ罰って何なんだろうな」

 その問いを受けて、範蔵が数度目を瞬く。

「覇姫様に会ったなら見ただろう」

「え?」

 顔を上げた私に、範蔵は少し声を落として言った。

「覇姫様に付き従う狐狼に会っただろう?」

 それを聞いた瞬間、思い浮かんだのは革の枷。鎧の代わりに枷を纏った異様な青年だった。あれが、天の罰。

「……狐狼って人間なのか?」

 聖獣と記されていたから、てっきり狼みたいな動物だと思っていたのだが。そう言った私にしかし、範蔵は首を振って見せた。

「人間じゃないさ。だが、今は元の姿には戻れない。天の罰が解かれない限りはな」

 天の与えた枷がある限り、人間の姿でいるしかない。更に霊力も制限され、本来の力は発揮出来ないのだと、範蔵は続けた。元は女神の使いという聖なる獣だったのに、今はその血を引いて生まれただけで天の罰を負う事になる。

「今生きてる狐狼は何も知らないだろうに……」

 何しろ事の起こりは五百年前なのだ。私の呟きを拾った範蔵が頷く。

「少なくともあの章軌殿は生まれてなかっただろうしな。狐狼の年寄りならまだ当時を知ってるだろうが」

 重すぎる罰に沈痛な思いに打たれていた私は、頷きかけてふと頭を止めた。

「知ってる?五百年前の事を?」

 目を見開く私に、範蔵がひょいと眉を上げる。

「そりゃそうだろ。知らないのか?狐狼の寿命は人間の十倍くらいある」

 十倍!?長生きなら千年近く生きられるって事か!?いや、まぁ女神の使いならあり得ない事じゃないんだろうけど、十倍ねぇ……。

 ぽかんとしている私に、範蔵は呆れたような目を向けた。

「常識だろうが。どんな田舎から来たんだお前は」

 田舎じゃなくて異世界です。

 とはさすがに言えず、私は苦笑で誤魔化した。範蔵が何かを考えるように宙を見つめる。

「章軌殿だって……そうだな、もう二百歳過ぎてんじゃないか?」

 なんと。

 章軌が二百歳……駄目だ、実感できない。なにしろ見た目はどう見ても二十代くらいの青年だ。

 私が衝撃を受けている間に、外から呼ぶ声がして範蔵は出て行った。なかなか衝撃的な情報も得てしまったが、とりあえずこの世界の大まかなところは理解出来たので善しとしよう。

「灯宵」

 頭の整理をつけた私を、再び入り口から顔を覗かせた範蔵が呼んだ。

「覇姫様がお待ちだ」

 そう言われて外に出ると、駐屯地は昨日より大分片づいて、簡易な砦を建造中のようだった。また侵攻された場合に備える為に兵を籠めるんだろう。

「予定が早まった。今日のうちに移動を開始する」

 挨拶も無しに淡々と春覇が言う。

 何だろう、春覇の性格からして期待はしてなかったけど、実際にここまで愛想が無いと軽く凹む。あぁ、今まで私に冷たくあしらわれてた人達ってこんな思いしてたんだろうか。改めて、中津の図太さに感心する。

「早まったって……何かあったのか?」

 さっさと歩き出した春覇を慌てて追いかけながら訊くと、春覇は振り返りもせずに言った。

(こう)に妙な動きがあるようだ。ここで無為な時を過ごしているわけにはいかなくなった」

「覇姫様!」

 駆け寄って来て礼をしたのは、昨日春覇と一緒にいるのを見かけた武将だった。

「斥候より連絡が入りました。紅の都から……」

 戦に関する事なんてあまり興味が無いので、私はくるりと視線を巡らせてあの球体もどき達を観察する事にした。相変わらずそこここにふよふよしているが、誰も気にした様子は無い。

 春覇の側に漂っている奴らを見るともなしに眺めてみた。一つ……一匹?がふわふわと春覇の顔に近づいていく。頬の横辺りまで来たそれは、見えていればそろそろ視界をちらちらして邪魔になる筈だ。

 そう思った時。

「構わん。我々は一度王都へ戻る」

 武将との話がひと段落したらしい春覇が、視線は前を向いたままごく自然に手を動かした。その手は頬の横に持ち上げられて何の躊躇いも無く球体もどきを指で弾く。

 そう、弾いたんだ。

 こう……二本の指で、ぴんっと。

 球体もどきがきゃ~とか言いながら飛んでいく。

「春覇、今……」

 私が思わず声を上げると、当人よりも武将が先に反応した。

「貴様、覇姫様の名を呼び捨てるなど……!」

 怒りを露わに説教を始めそうになった武将を、春覇が制する。

「構わん。それより、何を言おうとした?」

 何かを確信したような口調で問われて、私は誤魔化す事は出来なかった。

 まぁ誤魔化すつもりも無いけれど。

「……お前、これ見えてるのか?」

 近くを漂っていたのを一つ思い切って摘み、問う。武将が盛大に眉を寄せ、春覇は目を瞬かせた。

「お前……いや、まずは問いに答えよう。その通り、私にも見えている」

 春覇が何か言いかけて止め、言葉を切り替える。武将は困惑げに春覇を見た。それに一瞥をくれて、春覇が言う。

「彼には精霊が見えるらしい」

「精霊が?」

 武将が驚くのと同様に、私も驚いた。手に摘んだ球体もどきに目を下ろす。

 目が合った……気がする。

「精霊?これが?」

 思わず呟く。だって、私の中では精霊って何か神聖なイメージが有ったのに、こんな球体もどきとは。しかも私に摘まれたり春覇に指で弾かれたりしてるし。

 精霊を見下ろして衝撃を受けている私に、春覇は困惑を見せた。

「お前の生国には精霊がいないとでも言うのか?万物皆精が宿るというのに……」

 そんな扱いをする奴は初めて見たぞ、と続けられて、慌てて手を離す。春覇だって指で弾いたりしてたわけだが、あれは精霊の方がじゃれつきに行っていたので、酷い扱いってわけでもないんだろう。きゃ~とか言う声が何か楽しそうだったし。

 私の手から離れた精霊は、顔の高さにふわりと浮かんだ。私は恐る恐る訊いてみる。

「怒ってない……よな?」

 精霊がこくこくと頷いて、ほっと息を吐く。見ていた春覇が何か考えるように顎に手を当てた。

「精霊を知らない……だが見えるという事は……」

 何やら呟いて、呆気に取られていた武将に向き直る。

「当分、彼は私の手元に置く。様子を見よう」

「覇姫様。ですが、素性もわからぬ者を……」

 武将が難色を示すと、春覇は口角を上げた。

「怪しむには物を知らなすぎる。それに、方士(ほうし)は私にしか扱えまい」

 一見信用してくれたように見えるけど、後半に春覇の用心深さが見えて私は内心苦笑した。私があまりに物事を知らないからスパイとは思われないと判断したらしいが、万一敵だったなら精霊が見える私を相手に出来る春覇が側で監視していた方がいいという事だろう。

 武将はしぶしぶながら納得して身を引いた。

「行くぞ」

 春覇が私に声をかけて身を翻す。周りは慌ただしい空気が漂って、どうやら出発の準備に取りかかっているらしかった。

「都までってここからどのくらいかかるんだ?」

 何もわからない私は春覇に訊いてみた。春覇は前を歩きながら、相変わらず素っ気なく答える。

「軍を率いていくなら半月ほどだ。馬を飛ばせば七日だな」

 案外遠い。どうやらこの大陸は結構広いようだ。当たり前か。ざっと見渡すと、島国日本では考えられないほど長い地平線が見える。視認可能な範囲に山が無いのだ。目を転じれば鬱蒼とした森があり、果てしなく続いているような錯覚をもたらす。

 ここから王都まで、半月も歩き続けるわけだ。

「気が滅入りそうだな……」

 思わず呟く。私は現代人だ。半月も歩き続けた事なんてない。

 しかしここには車も電車も無いわけで。

 溜息を吐く私の周りから、急に精霊達が離れた。同時に背後に気配を感じる。

「春覇」

 落ち着いた声の持ち主は、振り返らなくてもわかる。私が少し視線をあげると、ちょうど横に並んだ章軌の首枷が目に入った。

「あと二刻程で発てる」

 章軌が報告する。振り返った春覇は頷いて、空を見上げた。太陽が大分高くなっている。

「昼までに箕原(きげん)へ出たい。急がせよ」

 軽く頷いた章軌が立ち去ると、また精霊達が周囲に集まり始めた。何だかその態度に胸の辺りがもやもやする。

 精霊は当然天帝や女神の直接的な影響を受ける存在だから、天の罰を負っている狐狼を避けるのはわからない事もない。だけどいくら何でもここまで露骨に逃げる事はないじゃないか。章軌自身は罪を犯したわけじゃないし、五百年前に何が起こったかさえ知らないのだ。

 私はその辺りでふよふよしていた白いのを捕まえてそう言ってみた。側で春覇が目を見開いているのがわかる。

 確かに私は変な事を言ってるのかも知れない。この世界では常識に属する事だろう。

 それでも何か嫌なんだ。こういうの、何となく不愉快じゃないか。

 私の言葉に、精霊はぷるぷると体を震わせた。

「罪人」

「それはわかってんだけどさ」

 内心をうまく言葉に出来ずに苛立つ私の肩を、春覇が掴む。

「よせ、灯宵」

「でも……」

 振り向いた私は、一瞬言葉を失った。

 表情は平静を装っているが、春覇の方がずっと傷ついた目をしている。それが汲み取れてしまったから。

「しゅ……」

「天から下された罰が解かれぬ限り、精霊にとって狐狼は不浄だ」

 不浄、なんてきっと、本当は言いたくないんだ。

「それにいくら抑えられていると言っても、狐狼の霊力は高い。力の弱い精霊が不用意に触れれば消滅する危険もある」

 淡々と言う春覇は、何の感情も見せない。けれどもこれだけ丁寧に説明しているというその一事だけでも、この件を気にしている事が伺える。

「自我を持たぬ精霊は誰かに使われぬ限り己が身を守るように動く。責めてやるな」

 春覇の言葉を聞いた私は、黙って精霊を手放した。ふわふわと漂っていくのを見ながら、ふと思う。

 この世界は、五百年前の事件から歪んでしまった。人は争い、聖獣が不浄に堕ちた。

 これで、いいのだろうか。

 このまま、私がいた世界みたいに戦争はなくせないと諦める、不毛な世界になっていくのだろうか。

「覇姫様、兵の準備が整いました」

 武将が告げに来る。精霊が再び散った事で、章軌が側に来た事を知った。

「すぐに発つ。馬を」

 春覇は何事も無かったように私の肩から手を離す。

 空が、青い。


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