軍中にて
頷いた春覇は、くるりと踵を返して歩きだした。続こうとした私を手で制する。
「その格好で表に出る気か?章軌、その辺りを適当に漁って衣服を与えてやれ」
そう言い残して、幕舎を出ていった。章軌と呼ばれた例の青い着物の男がメタボ……冒溢、だったか?の荷物を開けて物色を始める。私も側に行って覗き込んだ。さっき漁ったものなわけだが。
「やっぱあの肥満体じゃサイズが違いすぎるよな……」
取り出した服はやはり、どれも胴回りがでかすぎる。溜め息を吐く私に目を向けた章軌も、困惑げに眉を寄せた。
「少し待っていろ」
ひとしきり冒溢の荷物を漁ったが諦めたのか、章軌が立ち上がって幕舎を出ていく。他の幕舎を探すつもりだろう。
手持ち無沙汰な私は、ぼうっと宙を見つめた。何だかんだで無事に立ち回っているが、これからどうなるんだろう。
そんな風に考えて憂鬱になる私の視界に、以前見たあの半透明の球体が映る。
「あ」
しかも今度は二つだ。踊るようにくるくる回りながら私の側に来る。
「咎人」
「罪人」
囁くような声が耳に滑り込んできた。どうやらこいつら、喋るみたいだ。
「罪……?私が?」
問いかけてみると、くるりと反対向きに回って私の頭上に浮かぶ。
「違う」
「違うの」
「咎人の末」
「天帝の罰」
どうやら罪人というのは私ではないらしいが、意味のわからない言葉を延々と連ねる物体にいらいらが募る。
「わけわかんないんだけど」
私が言った時、くるくる回っていたそいつらがぱっと散って飛んでいった。
「あ……」
「どうした?」
声を掛けられて振り返ると、服を手にした章軌がいた。あの球体と入れ違いに戻ってきたらしい。
「いや、何でも……」
釈然としない思いを抱えながらも、私は誤魔化した。章軌も詮索はせず、黙って私に衣服を差し出す。
広げてみると、詰め襟になった長い上着で、白に藍色の刺繍が入っている。脇には腰から下にスリットが入っていて、何ていうかチャイナっぽい。上着だけって事は下はこのままジーンズを穿いてろって事だろう。色も合わない物じゃないし。
こそっと後ろを向いて有り難くその上着を着た私は、すぐに立ち往生した。前は布を重ねて襟と胸元の二カ所を金属の留め具で留め、腰に帯を締めるらしいが、留め具が案外複雑でうまく留まらないのだ。
四苦八苦している私を見かねたのか、章軌が私の手をどけて襟の金具を留めてくれる。元来寡黙な男なのか、終始無言のままだ。胸元の金具を留めると、帯も締めてくれた。少し上半身の布に余裕を持たせて紅い綾を回し、腰の横で結んで余りを垂らす。
初対面の相手に服を着せてもらうなんて何とも居心地の悪い思いがするが、彼があまりに淡々と手を動かすのでなんだか慌てる方がおかしい気がして逆に落ち着いた。
「ありがとう」
私が礼を言うと、彼は少し意外そうにしながらも頷いた。
いや、お礼くらい言うものでしょうが。
そうしてようやく幕舎を出ると、周囲は既に戦の後始末といったムードだった。死傷者は収容され、鹵獲した物を整理している。眺めてみると、兵士だからか大柄な男が多いようだ。
考えてみれば、春覇みたいなのが戦場にいる方がおかしいんだよね。
ふと、何故かやけに視線が集まっている事に気が付いた。見回すとさっと逸らされるが、明らかに見られている。何か服の着方とかおかしいかな?
首を傾げて身だしなみを点検しようとしたが、章軌に促されて仕方なく歩き出す。
「灯宵」
凛とした声に呼ばれて目を向けると、当然だが春覇がいた。一緒にいた武将らしき男が私を見て軽く目を見開く。それを気にも留めず、春覇は私に歩み寄って来た。
「将に話を付けた。私の側にいるがいい」
そう言って背を向ける。付いてこいという意味だと受け取って章軌と共に後ろに続いた。
そうして歩いていると、周りにふわふわと例の球体が集まってくるのに気づく。よく見ると緑や赤、黄色など半透明のそれには数種類の色がいたが、集まっているのは緑や青が比較的多いようだ。特に春覇の周りにはその系統が多い。私の側はいろんなのが混ざっていて、何故か章軌の近くには全くいなかった。
「何だろこれ……」
呟いた私に章軌が視線を向けてくるが、私は近くにいる兵士の頭の上に乗っているそれが気になって仕方なかった。手元にもまとわりついているのに、兵士が気にする様子は無い。
ここでは気にするまでもなくあたりまえに存在するものなんだろうか。私は気になるんだけど。
「あと数日はここに留まる事になる。この幕舎を使え」
そう言って春覇が示したのは、冒溢のよりは小振りな幕舎だった。
私が礼を言って中に入ると、春覇が付け加える。
「兵士を一人付ける。何か有ればこの者に言え」
春覇が立ち去ると、入れ違いに兵士が一人やって来て手を組み合わせて礼をした。
「範蔵と申します」
年齢は三十前だろうか。鎧からして位は高くないようだが有能そうなその目を見て唐突に悟る。
やっぱり春覇は大した人だ。
見るからに怪しい私の話にとりあえず納得しても、完全に信用したわけじゃないんだろう。
つまりこの範蔵は体の良い監視役で、この幕舎は軟禁する檻だ。
そう理解すると、何だか返って肩の力が抜けた。あんな曖昧な話を信じられるより、こうして疑われる方が余程わかりやすい。
「俺は神凪灯宵。別に敬語で話さなくていい」
何か一気にどうでもよくなった私は、だらりと寝台に座った。
今日は一日緊張し過ぎたんだ。
「ですが……」
「俺は何も偉くない。ただのガキだ。それに慣れてない」
私が言うと、範蔵は少し迷う素振りを見せてから、頷いた。
「わかった。灯宵殿は……」
「灯宵でいい」
「……灯宵は変わってるな」
そう言われて私が首を傾げると、範蔵は決まり悪げに頬を掻いた。
「普通の奴は偉くなくても偉く振る舞いたがる。正直、平気で覇姫様と対等に振る舞うなんてどんな偉そうな奴かと身構えてたんだ」
あまり学は無さそうな範蔵が、それでも懸命に言葉にした胸の内を聞いて、私は声を上げて笑った。
「何だそれ。俺ってそんな風に見えてたのか」
一頻り笑った私は、ぱたりと寝台に体を倒した。
「何か疲れた。少し寝る」
「わかった。外にいるから何かあったら呼べよ」
範蔵はそう言って出ていく。性根は悪い奴じゃなさそうだ。むしろ気さくなタイプっぽいし、仲良くなれば色々教えてくれるだろう。
「とにかく、少し休もう…」
思った以上に疲れていたのか、私は目を閉じると同時に眠りに引き込まれていった。
目を覚ますと、周囲は真っ暗で、静まり返っていた。どうやら私が寝付いたのは夕方みたいだったから、夜中まで寝こけていたんだろう。外に出ようかと考えてすんでの所で思い留まる。
私は疑われているんだ。
夜中に外に出たりしたらスパイっぽいじゃないか。
溜め息を吐いて、とりあえず寝台に座ったまま闇を見つめて目を慣らす。
現代日本と違って人工的な明かりが少ないせいか、墨を流したような闇はなかなか薄まらなかった。段々苛ついてきた私の視界に、淡く光るものが映る。あの球体だ。今度のは赤っぽいやつ。
それはふわふわと飛んで一点にぴとっと留まった。するとそこからぽっと小さな炎が起こる。明るくなった視界で見てみると、それは油に紙縒を浸した燭台だった。
「火を起こしてくれたの?」
紅い球体がほよほよと寄ってきたので問いかけてみる。そいつはこくこくと頷いた。
頷……
「……球体じゃなかった」
私は思わず呟く。
近くでよくよく見るとそいつは短い手足を備えていて、首と胴は分明じゃないが手と頭頂部の間の長さが縮むので頷いているのだと判断できる。顔はついていないのか小さすぎて見えないのか定かではない。
「……とりあえず、ありがとう?」
何か褒めて欲しそうな空気を感じてそう言うと、その丸っこい物体は勢いよく飛び跳ねてどこかへ飛んでいった。敢えて台詞を付けるならわぁい、って感じだ。
「……何なんだあれ」
私が呟くのと幕舎の入り口が開くのとほぼ同時だった。
「灯宵、起きたのか?」
範蔵だ。こいつずっと見張ってたのか。
「ああ。今、夜中か?」
「そうだな。あと二刻程で夜明けだ」
いや、わかんないから。私の故郷とは単位が違うみたいだし。
「よく寝てたな。何か食うか?」
「……朝が近いなら朝にする」
私がそう言うと、範蔵はなら朝まで待て、と言った。この国の一刻はそれなりに短いらしい。
「なぁ範蔵」
「何だ?」
この際だから聞いてみよう。
「このくらいの丸いのがふよふよ飛んでるだろ?あれ何だ?」
「……は?」
私の問いに、範蔵は本気でわからないといった顔をした。
その顔の前を、白っぽいやつが平然と横切っていく。くすくすと笑いながら。
え、まさか。
「……見たことない?」
「ないな。何だそれは」
道理で頭に乗られても手にまとわりつかれても兵士が気にしないわけだ。私は何でもないと適当に誤魔化して、溜め息を吐いた。
どうやらあれは他の人には見えないらしい。
害は無さそうだが、一体何なんだあれは。
物思いに耽る私の耳に、鶏の鳴き声が響いた。
駐屯地のあちこちで食糧を炊く煙が立ち始め、私の所にも範蔵が雑穀の粥と少しの野菜を持ってきてくれた。
お前はいつ食うのかと聞いたら後で見張りしながらと答えたので強引に座らせて一緒に食事させる。見張るならその方が都合がいいだろうと言ったら渋々ながら従った。正直な奴だ。
食事しながら色々と質問をし、この世界の常識を身につける事に努める。
まず食事のマナーはそう違わない。日本で通用する食べ方をしていれば特に問題は無いようだ。食器も椀とか箸とかだし。但し、パンの類や果物を立って食べることには寛容だが、椀物を立って食べたり、あとは犬食いが特に嫌われるらしい。
それから時間の単位。一刻はどうやら十五分程のものらしい。刻の上に経という単位があって、四刻が一経。即ち一経は日本で言う一時間と同じ訳だ。
暦は太陽暦とほぼ同じで一年が十二月だが、一ヶ月の日数が微妙に違う。私らの暦は二月が不自然に短いしね。なお、年の数え方はそれぞれの国が元号を用いていたりするが、大陸全体として王暦というのが存在する。因みに今年は王暦1280年、今日は四月の末日だそうだ。
とりあえず範蔵が答えてくれた事を片端から頭に叩き込むが、やはりここで生きていこうと思ったら世界観というか、そういう大きな視点の理解が必要だ。それには歴史を学ぶのが手っとり早い。
そう考えた私は、範蔵に歴史の本を強請った。
「歴史書?何でまた……」
「見てわかるだろ?俺は暇なんだよ」
何しろ軟禁状態だからね。まぁお陰で色々学ぶのには役に立っているけれども。
「……わかった。春覇様にお伺いしてみよう」
「基本的でわかりやすいのを頼む」
あんまり難しいのを持って来られても困るので、念を押しておく。この世界の古典語なんて読めるわけもないし。
……まてよ。
「私、字読めるのかな?」
言葉はわかるが、こっちへ来てから文字を読んだ事は無い。
一抹の不安を覚える私の元に歴史書が届いたのは三日後の事だった。




