第23話 屋台
リリーは右手にはめた自分の指輪と、左手に持ったもう一つの指輪を見比べた。
どちらも飾り気のない金色の指輪だった。
長い間身につけてきた自分のものと、先ほど母のアクセサリーボックスから見つけたもの。並べてみれば、細かな傷や色合いに違いはあるものの、形はほとんど同じに見える。
「少し魔力を流してみるわ」
二つの指輪に、ごくわずかに魔力を送り込む。
すると、指輪の表面に淡く光る術式が浮かんだ。
「……同じだな」
隣から覗き込んでいたシオンが言った。
「ええ。少なくとも、術式の構造はほとんど同じです」
リリーは光の流れを追った。
細部まで見ても、大きな違いは見つけられない。
「私の指輪と同じように使えるんじゃないかと」
「じゃあ、これから試すか?」
ロイの言葉を聞いて、リリーは窓の外を見る。
母の部屋を調べ始めてから、思っていた以上に時間が経っていた。
日はすでに傾き始めているが、まだ暗くなるまでには少しある。
「少しだけなら」
リリーが答えるとロイは立ち上がった。
「そうか。じゃあ俺は帰るから、ほどほどにしろよ」
「え?」
リリーは不意を突かれてロイを見た。
「え?じゃねえよ。俺、朝からずっといるんだぜ。これからちょっと用もあるしな」
確かに今日は、朝から指輪の実験に付き合わせ、そのままマーサの家へ行き、帰ってからは母の部屋まで一緒に探してもらった。リリーが納得して頷くと、ロイは今度はシオンを見る。
「シオン、何かあったらすぐ戻れよ」
「ああ」
シオンはロイに視線を返す。
ロイはリリーを親指で指差した。
「こいつが無茶しそうになったら止めろ」
シオンは当然と言うふうに頷いた。
「分かってる」
完全に蚊帳の外のリリーは抗議した。
「あのね、ロイ。どうして私に言わないの」
ロイは呆れた顔をリリーに向けた。
「言って止まるなら、最初から言ってる」
反論しようとしたが、シオンまで頷いているのが見えて、リリーは口を閉じた。
玄関までロイを見送る。
「じゃあな。明日も仕事だろ。あんまり遅くなるなよ」
なんだかんだと、今日はかなりロイには世話になった。
「分かってる。今日は色々ありがとう」
リリーはロイに笑顔を向けた。
「また来てね……時間あれば、だけど」
ロイは不意を突かれて驚いた顔をした後、嬉しそうに返した。
「おー、まさかお前から誘われるとはな。明日は雨かも」
ロイは軽口をたたいて玄関を出て行った。
扉が閉まると、急に家の中が静かになった。
リリーはしばらく扉を見つめ、それから隣に立つシオンを見上げた。
「では……行きますか?」
リリーは母の指輪をシオンに渡した。
「ああ」
シオンは指輪を、首から外した細い鎖に通した。
鎖を着けてから指輪を首元へ収める。
「どうですか?」
すかさずリリーが問う。
「まだ家の中だぞ」
呆れた顔でシオンが言った。
リリーははっとした顔をして少し顔を赤らめた。
「そうでした……」
シオンが小さく笑った。
玄関を開けると、夕方の涼しい風が家の中へ流れ込んできた。
シオンがゆっくりと外へ出て、リリーも続いた。
門扉の手前のところで声をかける。
「今、結界の外に出ました。大丈夫ですか?」
「ああ、何ともない」
予想通り、結界を出てもシオンの魔力が減ることはなかった。
最初は家の周囲を少しだけ歩くつもりだった。
しかし、あまりにも何の問題もなく歩けたので、二人はいつの間にか住宅の並ぶ道を抜け、店の多い通りへ出ていた。
夕暮れ時の通りには、買い物を楽しむ人々が行き交っていた。軒先には明かりが灯り始め、店を閉める準備をする商人の声と、これから客を呼び込もうとする屋台の声が入り混じっている。
どこかから、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
リリーは隣を歩くシオンを見た。
——よかった、大丈夫そう……
そう思ったところで、シオンが横を向いた。
視線の先には、炭火の上で肉を焼いている屋台がある。
串に刺された肉から脂が落ちるたび、火が小さく爆ぜていた。
「シオン、串焼き食べません?」
リリーが聞くと、シオンは一瞬固まった後、驚いた顔をしてこちらを見る。
「……いいのか?」
遠慮がちに尋ねるシオンに、リリーは満面の笑顔で答えた。
「もちろん、実はお腹がぺこぺこで……」
そんなリリーを見てシオンも笑った。
「俺も。そんな物欲しそうな顔をしてたかと焦った。実験はもういいのか?」
シオンは意外に真面目だ。
「もう大丈夫そうですよね。食事をしてはいけない理由、あります?」
リリーは屋台へ向かい、焼きたての串焼きを二本買う。香辛料と塩を振っただけの簡単なものだったが、焼けた肉の匂いは空腹を刺激した。受け取った一本をシオンへ渡す。近くのベンチに空きを見つけて、二人並んで腰掛けた。
「熱いですよ」
串焼きからは湯気が立っている。
「分かってる」
シオンは一口食べた。
噛みしめてから、もう一口。夢中になって食べている。
「うまい」
それを見てリリーも一口食べた。
表面は香ばしく、中の肉汁が口の中に広がる。
少し強めの塩気が食欲をそそった。
「美味しい……」
屋台の串焼きなんてあまり買ったことがなかった。
リリーはこの美味しさは何だろうと考えた。
「この香辛料、何使ってるんだろうな」
シオンが同じことを考えていて、リリーは思わず吹いてしまった。
「食べながら分析するんですか」
そんなリリーを見てシオンも笑った。
「お前に言われたくない」
ベンチから見える屋台の一つで、冷えたビールを受け取っている客が見えた。塩気の強い串焼きを食べたせいか、客が持っているビールがとても美味しそうに見える。
「シオンも飲みます?」
リリーの中では既に決定事項だった。
「実験中じゃなかったのか?」
シオンは揶揄うように眉を上げた。
「それなら、お酒が指輪の効果に影響するかどうかも調べましょう」
おかしそうに笑うシオンを横目にリリーは立ち上がり、屋台へ足を向けた。
日が傾き、昼間よりも風が涼しくなっている。
屋台で二人分のビールを受け取り、一つをシオンに渡した。そのとき、通りすがりの女性がちらりとシオンを振り返るのが目に入った。一人だけではない。そういえば、街中にこうしてシオンがいるのを見るのは初めてだった。
シオンはいつも通りだ。
けれど夕暮れの風に銀灰の髪を揺らしている姿は、確かに人目を引いた。
「シオン、乾杯しましょう」
リリーは気を取り直して、自分のコップを少し持ち上げた。
「お前、もう本格的に実験は終わらせたんだな」
シオンが笑いながら自分のビールを持ち上げる。
「そんなに言うなら、今、調べます」
リリーは少し不服そうな顔をして一度自分のビールを下ろし、シオンのビールを持つ腕に軽く触れた。
「おい、こぼれる」
「動かないでください、自分で言い出したことでしょう」
リリーは目を閉じて魔力を探る。
シオンの魔力は安定していた。
家からは随分と離れているが、それでも、魔力の流出は起きていない。
——母の指輪にも、自分のものと同じ効果がある。
少なくとも今のところは、そう考えてよさそうだった。
「リリー、そろそろいいか」
シオンの声で目を開けた。
「早く飲みたい」
シオンがお預けをされている子犬のように見えて、リリーは軽く吹き出した。
「はい、魔力は大丈夫です。では……」
リリーはふと通りへ目を向ける。
行き交う人々。屋台の明かり。店先から漏れる声。
どこにでもある夕方の街だった。
「シオンが外に出られるようになったことに感謝して……」
自分のビールを持ち上げる。
二つの器が、軽い音を立てて触れた。
「乾杯」
二人の声が重なった。冷たいビールを飲む。
串焼きとビールの相性は予想通り最高だった。
隣でシオンがごくごくと、勢いよくビールを飲んでいる。
ビールは少し苦くて、串焼きの塩気によく合った。
——よかった。
不意に、そう思った。
指輪が見つかったことでも、実験が成功したことでもない。
シオンがこうして外に座って、串焼きを食べながらビールを飲んでいる。
そのことが、ただ嬉しかった。
「どうした?」
シオンがリリーの嬉しそうな様子を見て聞いた。
「いえ」
リリーはもう一口ビールを飲んだ。
「美味しいですね」
「ああ、最高だ」
串焼きは、追加でもう一本ずつ買った。
シオンは串焼きを食べながら、やはり使われている香辛料が気になるらしく、今度家でも似たものを作ってみると言った。
食べ終わる頃には、通りの明かりがすっかり目立つようになっていた。
ビールで熱った身体に、夕暮れの涼しい風が気持ちよかった。
「そろそろ帰りますか」
「ああ」
二人は立ち上がった。
帰り道、リリーは念のため最後の魔力確認をしたが、シオンの魔力が減ることはなかった。
「……結局、最後まで実験は忘れなかったな」
シオンは半ば呆れた様子で言った。
「長時間の確認も必要でしょう」
リリーは当然のように答えた。
「串焼き食ってビールまで飲んだのに?」
シオンは口角を上げて聞いてくる。
「その上での確認です」
リリーははっきり答えた。
「ありがとな、リリー。感謝してる」
シオンが急に真っ直ぐな視線を向けてきたので、リリーは戸惑った。
「いえ、まだまだこれからです。シオンにかけられた魔術の謎は残ってますから」
「それでも。ここまでしてくれたことは忘れない。いつか必ず返すから」
シオンのその言葉に、リリーは心の中でつぶやいた。
——もう、とっくに返してもらってる。
リリーは、シオンに笑顔を向けた。
「では全てが解決したら、成功報酬、期待してます」
シオンは嬉しそうに目を見開いた。
「言ったな、覚悟しとけよ」
夕焼けの空を背景に、やけにシオンの銀灰の髪が煌めいていた。
——シオンが外に出られるようになった、ということは……。
最初にリリーの家に来た時にシオンと交わした約束。
それを思い出さないわけではなかった。
胸の奥がチクリと痛んだのは気のせいだと考えることにした。
やがて、見慣れた家が見えてきた。
二人は当たり前のようにまた家に帰っていった。




