第1話 軍曹、ドラゴンブレスで吹き飛ばされる
最初に聞こえたのは、怒号だった。
「撃て! 撃ち続けろ! あのクソトカゲを山から出すな!」
黒煙の向こうで、鬼平玄蔵軍曹は片膝をついていた。
手にしているのは、対竜用の大型火器。隣では部下たちが次々と弾倉を交換し、山肌に穿たれた即席陣地から砲弾を撃ち込んでいる。
相手は、全長三十メートルを超える黒竜だった。
黒い鱗。四枚の翼。角の間で赤い光を明滅させる両眼。
山そのものが動いているような巨体を前にして、人間の火器など本来は無力に等しい。
だが、鬼平たちは退かなかった。
「軍曹! 通常弾、残り四発です!」
「対竜弾は!」
「二発!」
「なら、二発撃て! 通常弾は温存だ!」
「温存してどうするんですか!」
「生きて帰ってから考える!」
部下の悲鳴に近い返答を聞き流し、鬼平は照準器を覗き込んだ。
黒竜の胸元。
鱗の隙間から、赤い光が漏れている。
あれが見えた時点で、鬼平には分かっていた。
次に来るのは、ただの咆哮ではない。
「全員、射撃を止めろ!」
「しかし軍曹!」
「止めろと言っている!」
鬼平が叫んだ瞬間、黒竜が大きく息を吸い込んだ。
山の空気が、一気に竜の口へ吸い寄せられる。
木々がなぎ倒され、土砂が舞い上がり、兵士たちの身体が引きずられた。
鬼平は立ち上がった。
「退避しろ! 谷の裏まで走れ!」
部下たちは迷った。
鬼平を置いていくことになるからだ。
「軍曹も一緒に!」
「命令だ!」
その一喝で、部下たちは走り出した。
鬼平は一人、黒竜の正面に残った。
背後には、撤退する部下たち。
目の前には、山を焼き尽くす竜の口。
鬼平は対竜火器を構え、最後の照準を合わせる。
「トカゲ野郎……」
黒竜の口腔が、太陽のように輝いた。
「部下に手ぇ出した借りは、必ず返す」
次の瞬間、世界が白くなった。
黒竜の吐き出した炎が、山を呑み込む。
岩が溶け、木々が燃え、地面が吹き飛ぶ。
鬼平の身体もまた、炎の奔流に巻き込まれた。
「この――――《ピー》がァァァァッ!」
怒鳴り声は、爆炎の中へ消えた。
その直後。
鬼平の姿は、戦場から完全に消失した。
どれほど時間が経ったのか、鬼平には分からなかった。
最初に感じたのは、痛みだった。
全身が焼けている。
内臓まで揺さぶられ、耳鳴りがひどい。右腕は痺れ、左脚には感覚がない。
だが、生きている。
「……クソッタレが」
鬼平は目を開けた。
そこは、暗い石造りの空間だった。
天井は高く、壁には見たことのない文字が刻まれている。床には薄紫色の光を放つ魔法陣が広がっていた。
焦げた戦闘服の袖を確認し、鬼平はゆっくりと起き上がった。
「山じゃねえな」
周囲を見回す。
銃器はない。
無線機も壊れている。
対竜火器は跡形もなく吹き飛んでいた。
鬼平は舌打ちした。
「部下は……」
返事はない。
聞こえるのは、遠くから響く唸り声だけだった。
魔物の声。
鬼平はすぐに腰のナイフを抜いた。
暗闇の向こうから、何かが走ってくる。
一匹。
二匹。
十匹以上。
緑色の小鬼たちが、錆びた剣や棍棒を手にしてこちらへ迫ってきた。
鬼平は壁を背にした。
足元には、奇妙な武器が二挺置かれている。
黒鉄色の巨大な銃。
六本の砲身が束ねられ、銃身の根元には赤と青の魔石が埋め込まれている。
鬼平は一目見ただけで、それが何のための武器か理解した。
「……ガトリング砲か?」
もちろん、形は現代のものとは違う。
だが、多砲身。回転機構。給弾口。そして発射口。
間違いなく、これは弾を吐き出す武器だ。
小鬼の群れが、目前まで迫った。
鬼平は右手で一挺を掴んだ。
重い。
持ち上がらない。
「……は?」
もう一度、力を込める。
床に固定されているのかと思った。
だが、違った。
単純に重いのだ。
鬼平は両手で銃架を掴み、腰を落とした。
「ぬ、ぐ……ッ!」
床の魔法陣が明滅する。
武器本体が、石の台座から引き剥がされた。
持ち上がった。
だが、片手で二百キロを軽く超えている。
腕だけでは支えられない。
肩、背中、腰、脚。
全身を使って、ようやく構えられる重量だった。
それでも鬼平は笑った。
「なるほどな。重てえ」
小鬼の一匹が跳びかかってきた。
「だが、撃てるなら問題ねえ!」
鬼平が引き金らしき突起を握り込む。
魔石が赤く輝いた。
六本の砲身が回転を始める。
ギギギギギギギギ――ッ!
小鬼たちの足が止まった。
彼らは、これから起きることを知らない。
鬼平は右腕だけで一挺を支え、腰と脚で重量を受け止めながら、群れの中央へ銃口を向けた。
「この《ピー》が! オレの《ピー》で《ピー》してやる!」
轟音が遺跡を揺らした。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!
銃口から、赤い魔力弾が噴き出す。
小鬼たちの目前で土埃が爆ぜ、石壁が砕け、床が削れた。
群れは一瞬で崩壊した。
逃げようとした者は、鬼平が銃口を振って撃ち倒す。
照準は荒い。武器は重い。反動は強烈で、腕の骨まで揺さぶられる。
それでも鬼平は撃ち続けた。
「逃げるな! 逃げるなら、せめて敵の方向へ逃げろ! この《ピ――ッ》が!」
銃声と罵声と魔導音が、遺跡の中で混ざり合った。
やがて、最後の一匹が倒れる。
砲身が止まった。
鬼平は肩で息をしながら、巨大な銃を床に下ろした。
ドンッ、と地面が揺れる。
手袋の中で、指が痺れていた。
「弾を使った感覚がねえ」
銃身の横にある魔石が、ゆっくりと青く点滅している。
鬼平が銃を調べると、側面の一部が開いた。
そこには弾丸の代わりに、淡い光の粒が循環している。
「魔力を弾にしてるのか」
理解するには時間が必要だった。
しかし、使い方は分かる。
軍曹にとって、武器は説明書より実戦で覚えるものだった。
その時、遺跡の奥から声がした。
「……誰か、いるのですか?」
女の声だった。
鬼平はすぐに一挺を拾い上げた。
「止まれ」
銃口を声の方向へ向ける。
足音が近づいてくる。
現れたのは、白いローブをまとった少女だった。
長い金髪。首元には青い宝石。手には杖を持っている。
少女は倒れた小鬼たちと、鬼平の手にある巨大な銃を見比べた。
顔が青ざめる。
「あなたが……今の魔法を?」
「魔法じゃねえ。銃だ」
「ジュウ……?」
「それより、ここはどこだ」
少女は答えられなかった。
鬼平は一歩近づく。
床が、彼の体重と武器の重みに耐えきれず、細かくひび割れた。
少女の視線が、鬼平の手元へ落ちる。
「その兵器……まさか、古代魔導文明の《双牙魔石回転砲》……?」
「名前はどうでもいい。使えるから使った」
鬼平は、もう一挺のガトリング砲へ目を向けた。
少女が息を呑む。
「お待ちください! それは一門だけでも、魔導騎士団が十人がかりで運用する兵器です! 重さは二百キロを超えているはずで――」
鬼平は左手で、もう一挺の銃架を掴んだ。
ゆっくりと持ち上げる。
筋肉が盛り上がり、足元の石が沈み込む。
「二百キロなら、持てる」
「持てる持てないの問題ではありません!」
「撃てるかどうかが問題だ」
鬼平が両手に魔石ガトリング砲を構えた。
赤と青の魔石が、同時に輝く。
砲身が回転し始める。
少女は慌てて杖を掲げた。
「待ってください! 撃たないで!」
「敵か?」
「いえ!」
「なら、騒ぐな」
鬼平は銃口を下げた。
その瞬間、遺跡全体が震えた。
壁の奥から、先ほどとは比べものにならない咆哮が響く。
少女の顔から血の気が引いた。
「……まずい」
「何が来る」
「上位種です。さっきの魔物たちを率いていた、オーガロードが……」
遠くで、石壁が崩れた。
巨大な腕が、瓦礫を押しのける。
身長四メートルを超える赤黒い巨人が姿を現した。
右手には大剣。左手には鉄塊のような盾。その身体には、魔力を帯びた鎧が巻き付いている。
オーガロードは鬼平を見て、牙を剥いた。
鬼平は二挺の重量を確かめるように、足を開いた。
両手で二百キロを超える兵器。反動を受け止めるには、腰を落とし、脚を踏ん張らなければならない。
銃口を敵へ向ける。
魔石が赤く輝く。
「おい、嬢ちゃん」
「は、はい!」
「耳を塞いで伏せろ」
「あなたはどうするのですか!」
鬼平は、口元を歪めた。
「軍曹が敵を撃つ」
オーガロードが咆哮し、大剣を振り上げた。
鬼平の怒号が遺跡に響き渡る。
「この《ピー》がァッ! オレの《ピー》で《ピー》してやる!」
二挺の魔石ガトリング砲が、同時に火を噴いた。
轟音。閃光。砕ける石壁。吹き飛ぶ瓦礫。
赤い魔力弾の弾幕が、オーガロードの巨体へ殺到する。
鬼平は足を止めたまま、両腕と全身で反動を受け止めた。
床が陥没する。砲身が高速回転する。
銃声の合間に、《ピー》《ピ――ッ》《ピピピピッ》という魔導音が混ざる。
少女は耳を塞ぎながら叫んだ。
「あなたは、一体何者なのですか!」
鬼平は答えなかった。
ただ、引き金を引き続けた。
オーガロードの盾が砕ける。魔力鎧が弾ける。大剣が半ばから折れる。
そして巨体が、轟音とともに倒れた。
遺跡に、静寂が戻る。
鬼平はゆっくりと銃口を下げた。
腕は痺れ、肩は焼けるように痛い。
だが、敵は倒れた。
それで十分だった。
少女が震える声で尋ねる。
「あなたは……勇者様なのですか?」
鬼平は、魔石ガトリング砲を床へ下ろした。
片方だけで、石床が重く鳴る。
「違う」
彼は焦げた戦闘服の襟を正し、少女を見た。
「オレは軍曹だ」
「軍曹……?」
「鬼平軍曹。元の場所へ帰る方法を知ってる奴を出せ」
少女は、答えに詰まった。
鬼平は遺跡の天井を見上げる。
黒竜に吹き飛ばされる前、彼は確かに山岳地帯にいた。
部下たちは生きているのか。
黒竜はまだあの場所にいるのか。
そもそも、ここはどこなのか。
分からないことばかりだった。
だが、一つだけ確かなことがある。
この世界にも敵はいる。
ならば、やることは変わらない。
武器を持ち、弾を数え、敵を撃つ。
鬼平は二挺の魔石ガトリング砲を見下ろした。
赤い魔石が、まだ熱を帯びている。
「それと、こいつの弾薬を補給できる場所を教えろ」
少女は、巨大な兵器と鬼平を交互に見た。
「……弾薬、ですか?」
「ああ」
鬼平の目が、鋭く細められる。
「弾がある限り、オレは戦える」
遺跡の奥で、さらに遠くから咆哮が響いた。
鬼平は、両手の魔石ガトリング砲を握り直した。
「弾が尽きても、退くつもりはねえがな」
こうして、魔石ガトリング砲を両手に持つ鬼平軍曹の異世界戦記が始まった。




