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竜国に『非竜人族の番を迎え入れる際の決まり事』という法が制定された理由  作者: 重原水鳥
狼国のとある侯爵家で子が亡くなり、夫人は子を忘れた

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3/8

前編

イメージタグ:シリアス/西洋/中世/異類婚姻譚/運命の番/ヒーローはいない


あらすじ


 獣人族は、運命の番というものを感じ取る力がある。番の対象は必ずしも同族の獣人ではなく、ほかの種の獣人、それから多くはないが、稀に、人間から選ばれる事もある。

 ログノフ侯爵夫妻は運命の番だ。稀にある、人間の番。二人の間には子供がおり、絵にかいたような幸せな家族だった。子供が亡くなるまでは。

 狼の特徴を持つ獣人族――通称狼族が暮らす国、狼国。

 狼族は獣人族の中でも団結力が高く、早くから共同体を築いていた。それにより、獣人族の国の中でも、特に大きな国土を誇る国の一つである。


 その国に、とある侯爵家の一家があった。

 長い歴史のある家だ。


 現当主は若くして父から跡を継いだ、眉目秀麗な男。

 同年代の男からは慕われ、女からは結婚相手として大層人気だった。


 その妻は、当主に()()()()だと見いだされ、人の国から嫁いできた奥方。

 祖国では伯爵令嬢だったという彼女は、狼族のような強い体も肉体もないが、花のような美しさを持っていた。狼国において、彼女は多くの獣人たちと、良い関係を築いていた。


 二人が並ぶと、まるで最初から並ぶことが想定されていたように、おさまりが良かった。それぐらい、似合いの夫婦だと、人々は語った。


 そんな二人の間には、それはそれは両親の良い所を取ったような、嫡男がいた。


 当主夫妻(じつのおや)、息子に後を任せた先代夫妻、親族たち、侯爵家で働く人々、そして領民たち、皆から愛された子だった。


 その子が、死んだ。


 川での事故だった。





「あ、ああ、あああ! 嘘だ、嘘だと言ってくれ……!! ジョレス……!」


 侯爵家当主ヴィクトルは、息子ジョレスの亡骸の入った棺桶に縋りつくようにして泣いていた。

 たった一人の息子。自分の跡を継がせるつもりで育てていた子だ。そういう要素を抜いても、ただただ愛していた子が亡くなった事を、受け入れきれない事が伝わって来た。


「どうしてお前が、どうして……!」


 ヴィクトルの両親で前侯爵夫妻も、親族たちも、心痛な面持ちで立っている。


 侯爵家嫡男の葬式は大きなものだった。

 ジョレスはまだ若かった。けれど狼族らしく社交的だった彼を慕う者は多かった。多くの参列者たちが押しかけるせいで、どこもかしこも人に溢れていた。

 誰もが涙を零しながら、悲劇を受け止めるしかなかった。


 狼族は比較的、泳ぐのが得意な者が多い。

 ジョレスもまた、幼いころから水場に親しみ、泳ぎには自信を持っていた。


 その過信と少しの油断が招いた、典型的な水難事故であった。


 友人たちと共に川で遊んでいた所、ジョレスが何度か素潜りをして見せていた。浮かぶ度に、川底で何か見つけてくるのだ。それを仲間たちも囲って、これはなんだろう、と話し合っていた。

 ジョレスは他の友人より長く潜れたから、彼がすぐに上がってこない事を、最初、誰も不審がらなかった。

 それでも時間が流れて、一人の友人が不審に思った。「なあ、あまりに長くないか?」と。


 友人たちが慌てて川に飛び込んだ時には、ジョレスは溺れてしまっていた。川底で、崩れた岩に尻尾が挟まり、浮かべなくなっていたのだ。


 友人たちで慌てて地面の上に助け上げても時既に遅し。

 ジョレスは息を吹き返さなかった。





 いくつものすすり泣きが聞こえる中、数人の夫人が、痛ましげに親族席に目を向けた。


「見て。奥様は、ピクリとも動かれないわ……」

「きっと現実が受け入れられないのでしょう。あれほど可愛らしい子を失ったのだもの……」


 侯爵夫人クリスティーナは、息子の棺にしがみ付く夫とは違い、ずっと席に座したままだ。

 一度も立ち上がらず、ただぼんやりと、泣いている夫のいる方角を見つめ続けている。


 腹を痛めて産んだ子が死んだのだ。


 母親たちは、さぞクリスティーナは辛かろうと、彼女を憐れんだ。



 ――ジョレスの葬式は、多くの狼族たちに見送られて、無事に終了した。



 侯爵として必死に喪主を務めるヴィクトルの横で、相変わらずクリスティーナはどこか遠い所を見つめていた。




 ★ ★ ★




 ――とある侯爵家が、秘密裡に医者を探している。


 その話がテスカーリの元に来たのは、夕方の時間の事だった。

 本日の診療を終えて自室でゆったりとしている所に、見知らぬ狼族の男が一人駆け込んできたのだ。そして「医者テスカーリを出せ!」と騒ぎだした。


 家の管理を任せている使用人が対応しようとしたが、それに「早くテスカーリを出せ!」と騒ぐばかり。湯あみをしていたテスカーリは、遠くから聞こえてくるその音にため息をついた。


 あの命令形は、大方、どこかの貴族の手の物だろう。


 テスカーリは主に平民相手に医学の知識を使っている者だ。普段貴族は見ない。

 しかしたまに、テスカーリの話を聞いた貴族が、隠れるようにして彼の診療を望んでくる。


 来るだけなら良いのだが、大半の場合、今回のように高圧的な態度で来るのが困った事であった。


 普段が平民相手の治療を中心としているから、テスカーリの事も見下しているのだろう。あまりに安易な考えは、強い力を持つ種族にありがちな思考だ。


 使用人の手を借りて尾の先まで、水気をしっかりとふき取る。それから服を身に纏って、テスカーリは未だ喚いている人間がいる玄関に出て行った。


「テスカーリは僕だが」


 そう名乗りながら出て行ったテスカーリに、どこかの貴族の使用人は目を丸くして口をポカンと開け、固まった。

 その反応ですぐに理解する。どうやら今回の使用人は、テスカーリの事をしっかりとは調べていないらしい、と。


「りゅ、りゅ、竜人……!?」


 ようやっと動いたかと思えば、ひっくり返った声を乱入者は上げた。見て分かるような情報しか口にしない事に、テスカーリはため息をつく。


「竜人だが、何か? 正式な手続きを行い、この国に滞在している者だが」


 ここは狼国だが、国民の全てが狼族という訳ではない。

 陸続きで国が存在する以上、主とする種族以外の種族も、当然、暮らしている。

 人族も、そのほかの種族も沢山いるのだ。

 だから竜人がここにいたって良い筈だ。筈なのだが、世間の噂だけを聞いて診療所に駆け込んで来る者はどうにも、テスカーリが竜人だという情報を知らないで来る事が多かった。

 テスカーリは己が竜人である事を隠していない。なのに、こうして駆け込んできて、テスカーリを見て、大層驚くのだ。

 よくある事なので、この使用人の反応に驚く事はない。


 夜だというのに騒いでいた使用人に、テスカーリは、再度問うた。


「それで。何用で」


 先ほどまでの勢いを無くした使用人はテスカーリのものとは違ってフサフサとした毛の生えた尾を足の間にしまい込みながら、言った。


「と、貴き方が、様子がおかしく……」

「なるほど。その方の周りで、何か最近、普段と違う出来事はありましたか?」

「…………御子(おこ)が、亡くなりました」


 テスカーリは使用人を見下ろす。背丈の都合上、そうするしかないだけで、悪意はない。

 制服には、小さく、仕えている家の階級を示すマークが刺繍されていた。


 狼国では、家紋などとは違い、階級を示すマークを使用人の身に纏うものに入れるのが一般的だ。

 その使用人が自分より格上なのか、同格なのか、格下なのか。使用人同士でもそういう情報が分かりやすくなるのだ。


 騒いでいた時より一回りぐらい小さくなったように見える乱入者の制服のマークは、侯爵位を示している。


 そして、最近子供が亡くなった。


 この二つの情報があれば、この乱入者がどこの家から来たのか、簡単に分かる。


(――ログノフ侯爵家か)


 ログノフ侯爵家嫡男ジョレスが水難事故で亡くなった事は、かなり有名だ。


 しかも悲劇はそれでは終わらず、当時ジョレスと遊んでいた友人たちは「友達を助けられなかった」と悔やみ、次々に後を追って亡くなっている。

 中には子供だけでなく一家そろって命を絶ってしまった家も出ているという。


 まるで、悲劇が波のように広がっていると、一部では囁かれている。


「分かりました。準備をしますので、暫くお待ちください」


 テスカーリは「夜遅くてすまないが」と家で働く者たちに声をかけた。

 医術をたしなむ彼が夜中に呼び出される事は少なくなく、使用人たちは心得たとばかりに準備を始めてくれた。今日の分の給金は弾まねばならないなと思いながら、テスカーリは準備を終え、ログノフ侯爵家に向かった。




 ログノフ侯爵家に着いた時は、朝といえるぐらいに、空が明るんでいた。


 侯爵家は、どこか重い空気に包まれていた。

 屋敷の色彩や調度品のセンスによるものか、それとも屋敷を覆う空気のせいだろうか。


(あるいは、こちらが持つ偏見によるイメージか)


 屋敷の廊下を歩いていくと、使用人たちは皆、驚いたように目を丸くし、耳をピンと立てている。皆、「噂のテスカーリ先生」が竜人だとは知らなかったようだ。


 屋敷の中で通されたのは、当主であるヴィクトルの待つ一室だった。


 ヴィクトルは流石に使用人たちから「噂のテスカーリ先生は竜人である」と報告を受けたのか、テスカーリが現れても驚くような様子はなかった。


「平民の治療を行っております、ブルーノ・テスカーリと申します」

「テスカーリ殿。夜分遅くに呼び立ててしまってすまない。実は、妻を見て欲しい」

「まだ仔細聞き及んでおりません。何があったか、お尋ねしても?」


 ヴィクトルはテスカーリの言葉にすぐ頷いた。


「実は……当家では、少し前に息子のジョレスが旅立ってしまった」

「ご愁傷様です」

「ああ。……それで、妻も傷ついてしまったのだが……、……。……その、どうやら、ジョレスの事を、忘れてしまったというか……」

「記憶喪失という事でしょうか?」


 テスカーリの感想は(面倒だな)という事であった。


(僕の専門は外傷であって、別に精神的な事案の専門家じゃないのだが。……狼国だと、その(あた)りはまだ、学問が区別化されていないからな……)


 そう考えているテスカーリに、ヴィクトルは記憶喪失かどうかという質問への答えを呟く。


「……一部的には?」


 要領を得ない回答だった。

 とはいえ、患者が自分の状況を正しく認識している事は稀である。テスカーリはそのまま、問答を続けた。


 そして分かったのは、どうやら侯爵夫人のクリスティーナが、ジョレスを息子として認識していないらしいという事だ。


 ジョレスの事自体は覚えている。

 しかし、ジョレスを自分の息子とは思っていない。


 なるほど、確かに単純な記憶喪失ではない。ジョレスの事そのものを忘れているなら単純な記憶喪失だが、記憶していて、けれど息子とは思っていないとは、随分変わった状態である。


 会話の噛み合わなさからこの事実に気が付いた侯爵家では、「奥様が精神を病んでしまわれた!」と大騒ぎになった、という状態らしい。


「ともかく、一度妻を診て欲しい」

「構いませんが、侯爵家にはお抱えの医師がいる事と存じます。何故、民間の僕に話を?」

「…………」


 テスカーリは確かに、そこそこ名が知られている。

 それなりの腕の医者だという自負はあるが、有名になっているのは「比較的安価で平民相手に治療をしてくれる」からである。

 安価といっても、状況に応じて適正な料金は貰っている為、金銭的には困っていない。ただ、意味もないぼったくりや、相手の足元を見た対応をしていないだけだ。

 貴族の相手をする事もあれど、貴族の間で高名な訳ではない。


 狼族は活発なので、怪我をする者が多い。自然、高位貴族は常駐のお抱え医師を抱えるのだ。

 距離で考えれば、別の所で暮らしているテスカーリよりも、常駐の医者の方が早いに決まっている。

 テスカーリは勿論、最初からその事を疑問に思っていた。そのうえで呼ばれたのならばよほどの緊急案件なのだろうと、やって来ただけだ。


 当然の疑問に、ヴィクトルはすぐには答えなかった。心なしか、その背後にいる右腕だろう使用人の顔色が悪い。


 少し迷ったような時間を置いてから、ヴィクトルが口を開く。


「……実は……」

「ヴィクトル様っ!」

「夜間にこんな所まで呼び立てておいて、伝えない訳にはいかないだろう」


 その言葉に内心、テスカーリは意外な気持ちになった。


(平民相手の仕事をしている僕相手にもそう考えるのか。なるほどな、ログノフ侯爵家は良い噂ばかり聞く訳だ)


 正確な情報を聞けなければ正しい診断を下ろせないと言ってもなお、どういう経緯で怪我をしたのかを誤魔化し続ける人間は本当に多いのだ。

 特に貴族だと体面の問題もあり、こういう場でも誇り(プライド)を優先し、事情を隠したりされる。中にはあからさまに「平民の癖にでしゃばるな!」と怒る者もいる。


 少なくとも、ヴィクトルはそういう反応をするつもりはないようだ。


「……実は、当家のお抱え医師は、クリスティーナがこちらに嫁いできた当初に彼女に嫌な思いをさせてしまったのだ。……狼族では、嫁が間違ってもほかの男の子を孕んでいないかなどを触診したり検診したりするだろう」

「ありますね」


 狼族では一般的な事だと、テスカーリも記憶している。


 狼族では、処女かどうかはあまり重要視されていない。


 しかし、他の男の子を孕んだままで嫁いでくる事は問題とされる。


 妊娠は孕んですぐ発覚する訳ではないので、再婚の夫人の場合、嫁いだ後にしっかりと他所の男の子供を孕んでいないかを確認されるのだ。


 一人だけだと嘘をつかれる可能性もあるので、複数人で確認されるのが一般的だ。

 とはいえ完全な処女だと分かっている初婚とかであれば、この検査はされない事もある。


(検査をしたとすると……)


 ヴィクトルを見る。苦しそうな顔だ。


「クリスティーナ夫人は、再婚だったのですか」

「ああ。彼女の母国で、別の男と結婚していた。しかし私たちは運命の番だったので、その男とは別れて、私の元に嫁いできてくれたのだ」

「成程……分かりました。文化の差の説明もないまま、医者が、突如服をはぎ取って触診したのですね?」

「……ああ」

「なるほど……人族であるクリスティーナ夫人からすれば、さぞ恐怖を感じる事案だった事でしょうね」


 嫁いできた当初のクリスティーナ夫人の苦労を思い、テスカーリは内心でため息をついた。


 種族が違う。


 生まれ育った国が違う。


 つまり文化も常識も違うのだから、せめて、「こちらに合わせろ」という態度を取るにしても、説明などはしっかりとするべきであった。


 クリスティーナがごく一般的な人族の貴族令嬢だった事を考えると、異国で突然複数人に服をはぎ取られ、下腹部周りを触られる訳だ。

 それは貴族令嬢としてはかなり衝撃的で、恐怖を覚える事案だ。

 必要な事と分かっている狼族の女でも、嫌がる者もいるぐらいなのだから。

 その辺りの配慮というものを、侯爵家の医者は出来なかった、という訳だ。


「……クリスティーナは、絶叫し、気絶し、以後、当家の医師とは、ほんの少しの接触も出来なくなってしまった。故にジョレスを産む際も、他所の家から年配の産婆に来てもらい、対応してもらった」


 そこまで説明してから、ヴィクトルは苦しそうに黙り、その後ろにいる使用人たちはテスカーリを睨んできた。

 先ほど、テスカーリが夫人の立場に立って発言したのが気に食わなかったようだ。


(夫人本人ならいざ知らず、突如現れた赤の他人に言われる筋合いはない。……そんな顔だな)


 テスカーリは人族ではなく、竜人なので、尚更だろう。クリスティーナと同族という訳でもないのに――むしろ、人族からすれば狼族と同じ上位者の立場であるにも関わらず――口を挟んだのだから、嫌がられるのも無理はない。


(まあ、空気を読まない発言ではあったな)


 彼らがテスカーリにあきらかな怒りを向けてこないのは、テスカーリが竜人だからだ。


 竜人は数多ある種族の中でもトップクラスの耐久性・攻撃力などを誇る。

 生き物として圧倒的に格上。――だから大人しくしている、だけなのである。


 テスカーリは軍人ではないけれど、それでも、この場でテスカーリが暴れれば、部屋の中にいる人間を殺す事は簡単だ。

 それぐらいに、生物としての力が違う。


 テスカーリはその事を理解している。

 竜人でなければ、生まれ育った国ではない狼国でこうも自由に生きる事も出来なかっただろうと、自覚している。


「失礼いたしました。問診は行いましょう。ただし、僕でお力になれるかはわかりません。原因が分からないからと罰を与えられてもこまります。専門ではないのですから」

「専門……? お前は医者なのだろう?」

「医者ですが、すべての出来事に対応出来る訳ではないのですよ。力になれるかもしれないし、力になれないかもしれない。記憶領域のお話となると、精神的負担が強い可能性もあります。となると、もう、時間をかけて解決する他、術はありません。……全ては、夫人とお話しさせていただいた後でしか判断は出来ないです。よろしいですか?」

「…………分かった。よろしく頼む」

「では、クリスティーナ夫人にお会いさせていただいてもよろしいでしょうか? ああ、夫人が信頼している侍女の方は数名、必ず部屋にいるようにお願いいたします」


 後から何かやったと難癖をつけられては困る。そう思いながら、テスカーリはヴィクトルにそう伝えた。




 ★ ★ ★




 クリスティーナ・ログノフ侯爵夫人は、柔らかい亜麻色の髪の女性であった。

 柔らかい花。そんな印象の女性である。


 美しく凛と咲くイメージではない。簡単に摘み取れそうな花。あるいは、踏みつぶされそうな、はかなげな花。そんな印象である。


 その印象を後押しするのは、骨が見やすいほどにこけた顔や首元のせいだろう。


 顔は頬骨が分かりやすいほどに、肉がない。


 デコルテ部分は既婚者として隠されているけれど、首を全て布で覆い隠している訳ではない。ほんの少し露出している首部分も、随分と細い。


 クリスティーナは、やや強張った表情で、部屋に入って来たテスカーリを見た。テスカーリは竜人風でも狼族風でもない、人族風の礼をした。


「はじめまして。お会いできて光栄です、クリスティーナ・ログノフ夫人。僕は普段、平民に治療を行っております、ブルーノ・テスカーリと申します」

「まぁ……ご丁寧にどうもありがとうございます。クリスティーナ・ログノフでございますわ、テスカーリ様」


 挨拶の後、クリスティーナは丸い瞳を、テスカーリの頭部に向けた。頭部についている角に意識がいっているのは明らかだった。彼女の緊張を解くべく、テスカーリは柔らかな表情を心掛けながら尋ねた。


「竜人に会うのは初めてですか?」

「あ、不躾に失礼な事を」

「構いませんよ。ここは竜国ではありませんから、他国人として視線を浴びる事には慣れておりますので」

「他国人……竜人の方でも、そう思われますのね」

「当然です。ここは故郷ではありませんから」


 この土地は狼国で、この部屋にいるのも、クリスティーナとテスカーリを除くと、狼族しかいない。


 あなたと同じ立場だと示されると、にわかに親近感を持つ人間は多い。クリスティーナもそうだったようで、最初見えていた警戒は薄れていった。


 ちらりと見える窓の外は、もう朝だ。


「本日は朝早くからお時間をいただき、ありがとうございます。少し、お話をお伺いしたいのですが……」

「……ジョレス様の件でしょう?」

「はい」


 クリスティーナは眉根を寄せた。嫌悪感というより、困っている。そんな雰囲気だ。


「もう何度も、お話はしております。これ以上、新しくお話し出来る事などありませんわ……」

「お疲れの事と存じます。ですが、僕はログノフ侯より、今一度、夫人の話について書き記してまとめるように命じられておりまして……」


 困った風に、眉尻を下げた。


「どうか、医者を助けると思って、お話いただけませんか」


 さらりと侯爵を悪者のようにはしたが、事実、立場上、上なのはあちらだ。引き受けてしまったのはテスカーリの判断由来だが、何かあって怒られる事になると思われるのも、事実。


 一応、嘘は言っていない。


 少し困ったような声色で伝えると、クリスティーナはパチパチと長いまつげを揺らした。それから、明らかに同情的な視線をテスカーリに向けた。


「……お仕事ですものね。分かりました。お話ししますわ」

「お気遣いいただきありがとうございます」




 ★ ★ ★




「まず最初に、自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか? できる限り、自分の肩書などにも触れてお教えいただきたいのですが」

「肩書……。クリスティーナ・ログノフ。ログノフ侯爵夫人をしております。三十四歳です。人族で、出身は二つ向こうの国ですの」



「ログノフ侯爵家のご家族について説明をお願いいたします」

「侯爵家の……? 現当主はヴィクトル・ログノフ様。前当主ご夫妻は今はこちらにはすまれておられなくて……」

「ああ、この屋敷で暮らしている・暮らしていた方のみで構いません」

「それでしたら、少し前まではヴィクトル・ログノフ様のご子息である、ジョレス様も暮らしておられましたわね」

「ジョレス様は、ヴィクトル・ログノフ候とクリスティーナ夫人の子とお伺いいたしましたが」

「いいえ、ちがいますわ」



「……夫人から見たジョレス様はどのような立場の人でしょうか?」

「ヴィクトル・ログノフ様の御子様です。それ以上でも以下でもありませんわ」



「ヴィクトル・ログノフ侯は男ですから、子供を作るには相手が必要かと存じます。不躾な質問ではありますが、夫人はジョレス様の実母をご存じでしょうか?」

「いいえ。お会いした事はありませんわ。ですが子を産むのは大変な事ですから……きっと、ジョレス様が亡くなった事で、ひどく悲しみを覚えておられる事と思います。ヴィクトル様に、御生母にお悔やみを出すべきだと申し上げたのですが、ジョレス様の母は私だと仰って、お悔やみを出す事はしないと……。……質問以外の事を話してしまいましたね、申し訳ありません」

「いえ、問題ありません。実子がなくなったのですから、御母堂への配慮は必要でしょう」

「……そうでしょう? 何故、皆、私が実母などと要らぬ嘘をつくのか、分からないのです」



「夫人ご自身のご家族の事をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「……私の? 生まれた家の事、という事でございましょうか」

「はい。故郷の、血の繋がったご家族の事についてお教えください」

「……故国の、伯爵家に生まれましたわ。父と、母と、兄と姉がおりましたわ。…………兄や姉の、細かい家族までお話ししますか?」

「人数のみだけでもお教えいただけますと幸いです」

「兄の所と、姉の所とで合わせて……六人の甥と姪がおりますの。最後に会ったのは十年前ですが、皆可愛い子たちですわ」




 ★ ★ ★




「成程。嫁がれたのが十年前という事でしょうか?」


 テスカーリの質問で、僅かにクリスティーナの顔色が曇る。


「……ええ」

「一度も里帰りはされておられないのですね」

「…………」

「失礼いたしました。竜人は空を飛んで簡単に里帰りが出来ますので、つい口にしてしまいました。陸路で二つ向こうの国は随分と遠い。簡単な移動は出来ませんね」

「……テスカーリ様は、よくお帰りに?」


 クリスティーナの、そして部屋の中にいる使用人の視線が、テスカーリの背中に向けられる。

 現在はたたまれている翼は、広げると結構な大きさになる。


「家族にたまに呼び出されますので、その時には帰ります」

「そう。ご家族とは仲が良いのかしら?」

「どうでしょう。一般的な貴族の家族の関係性ぐらいでしょうか。ただ、母の記憶はありません。幼いころに離縁しておりましたので」

「あら、そうでしたの」

「はい。父が母の怒りを買いまして、母は父を捨てて出て行きました。それ以来、お会いしておりません」

「それは……」

「思った事をそのまま言っていただいて構いませんよ」


 そうはいっても、クリスティーナは不躾な質問はしなかった。


(性格が良いのだろうな)


 そう思いながら、テスカーリは話を少し戻した。


「祖国に帰りたいと思う事はありますか?」


 室内の使用人たちがいきり立ちそうになるのを横目に、テスカーリは目の前の夫人をジッと見つめた。


「ここは貴女の生まれ育った国ではないのだから、一般的に、帰りたいと思う事は多いと思いますが」


 クリスティーナはゆっくりと瞬いた。それから、小さく口元を、ゆがめる。


「帰れませんわ。だって私は――」


 クリスティーナの言葉に、テスカーリは目を細めた。

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