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紅の赤  作者: 青階透
鬼殺し偏東京偏
21/61

1話 とある東京人の一日


少し早めの新章公開。

何気ない日常を描きました。

 

 10月1日


 東京人の朝は早い。


 日が完全に昇りきる前に彼は起床する。使用しているベッドは人間が二人眠るのに丁度いいダブルベッドだ。だが、ここしばらく彼はこのベッドに妻を招いていない。理由は一人娘が小学校三年生になり、そういう事はあまり教育によろしくないと考えているからである。


「よく寝た。今は体内時計で朝の六時四分か。気温は体感十五度。この季節の朝にしては少し高いかな」


 彼は自分の部屋に電子時計は設置していない。子供の頃から親に仕込まれた完璧までな体感能力により、全てを把握することが出来る為、必要ないのだ。

 それに普段からこの時間に必ず起きるようにしているから、おおよそ合っているだろ。


「さぁーて、朝食でも取るか。今日は昨日の昼に琴里(ことり)が買ってきていたベーグルがあるはずだな」


 彼の家では毎朝、彼が朝食を用意する事になっている。その為、妻はもうしばらく夢の中にいるだろう。

 二人を起こさなう様にと、なるべくゆっくりと足音を殺しながら一段一段と階段を軋ませないように降りる。

 この家は都内の中の住宅街にある。だが、この家は事故物件であった為に、安上がりで済んだ。


 彼の亡くなった父親はとある病院にて外科医として働いていたので、実家を出る前にその遺産の半分頂いていて、そのお金でこの家を購入したのだ。とは言えど、流石に高級な家は買えないし、これからのことを考え貯金にも回したかった。だから、この住宅街の中で最も料金の安かった事故物件を購入した。


 一階は居間や台所、風呂、洗面、便所などの生活に欠かせないエリアになっている。

 二階部分は各々の寝室になっており、便所もある。一つだけ空き部屋があるが、そこは現在、妻の衣服などを収納しているクローゼットになっており、もしも二人目が出来た際はその部屋を第二の子供部屋にする予定だ。

 三階には屋上につながる扉と物置部屋があり、天気の良い日にはそこで洗濯物を干している。物置部屋の内部は家具屋で買った収納用のプラスチック製で出来たタンスを沢山並べており、完璧に整理整頓されている。

 

「うぅーん、作りますか」


 台所に着き、棚に置いてある袋に入ったベーグルを取り出す。それをまな板の上で上下に切って、そこにレタス、トマト、ハムなどを乗せていく。最後にベーグルで挟めば、健康的なベーグルサンドの出来上がりである。

 次にお湯をやかんで沸かし珈琲を淹れる。それを彼専用のマグカップに注いだ。彼は珈琲が学生時代からの好物で、その珈琲豆も厳選に厳選を重ねて最も舌に合う苦味を追求した。


「頂きます」


 食事を取るのと同時にテレヴィジョンを点けた。今日の天気などの必要な情報を簡単に入手できる。しかし、放送中の朝のニュース番組はどの放送局もこの数ヶ月間、連日の様に同じ事件について報道している。

 

『無差別連続殺人事件』


 その猟奇的な犯行で、その間隔も不定期。被害者には共通点が一切なく、今までの六件の殺人事件で七人殺されている。

 犯行現場には決まって犯人によるものと思われる他のメッセージがあり、同一犯と考えられる。だが、捜査は難航しているらしく、犯人像すら未だに掴めていないとソーシャルネットワークサービスで言われている。


「うーん!良い香りだ。やっぱり目覚めの一杯は格別だね」


 同じニュースばかりで飽きている為、特にコメントもする事無く。珈琲の味を堪能した。彼よりも妻の方がより美味しく珈琲が淹れられるが、自分で淹れたモノもそれまた別格に美味しく感じる。


「それじゃあ、次は」


 次にベーグルサンドを口に運んだ。あまり重量感のないそれは、口に運びその白い歯で噛むとベーグルのふんわりとした感触からの舌に広がる肉厚なトマトの果肉とそれを包む様なレタスのシャキシャキ感、ハムの甘い油と合わさり口の中に美味が広がった。一口食べ、即座に珈琲を飲む。口の中の甘みと合わせるのがより珈琲の深みを出してくれる。


「実に『優秀』な朝食だ」


 自分で自画自賛するのはあまり『優秀』ではないが、本当にそう思えた。

 その後、三分足らずで完食した後、軽く食器を重ねて、テレヴィジョンの方を向いた。


「今日は一日中快晴か。まぁ、下手に寒いよりはマシかな」


 テレヴィジョンを消して、そのまま食器をまとめて食洗機まで運ぶ。後は機械にお任せするだけだ。本当に最近の機械は『優秀』だな。

 次にする事は、今日の分の弁当作りである。娘は学校で給食が出されるので必要はないが、自分の分は自分で作る必要がある。と言ってもほとんど冷凍食品で済ませるがな。それは昔と異なり、味も栄養バランスも良く調整されていて、主婦達の良き味方となっている。かくいう私もそれに助けられている一人だがな。


「栄養バランスをよく考えてっと。私が作るんだ、『優秀』でなくてはならない。それ以外はあり得ないし、あってはならいからね」


 誰に問いかけるわけでもなく、そう言って弁当箱を詰め終えて、去年家族で行った千葉の浦安にある東京DLで購入したキャラ物の弁当袋に入れた。これで、朝の準備は全て終わった。


「はぁー、おはようアナタ」


 部屋に戻り着替えに行こうとした時、階段から妻が欠伸をしながら降りてきた。

 美しい茶色の髪を肩の方まで伸ばしており、その服装は薄桃色の寝巻きのままであった。


「おはよう琴里」


 こちらの方も挨拶をしっかりと返して、階段に足を掛けた。先程、リビングを出たのが六時半のはずなので、出発までそこまで時間が残されていない。

 現在働いている会社に入社してから、六年近く働いてるが、今まで近くは一度もした事はない。たとえ、電車が止まろうが、台風が来ようが『優秀』な自分は決して一秒の遅刻をしない。


「後で一、二分だけ話しいい?あの子についてなの」


「分かったよ。五分で着替えてくる」


 あの子とは。まだ自室で睡眠している、我が娘の椿芽(つばめ)の事である。

 あまり活発な子で無いが、ひょっとして学校で何か酷いいじめを受けているのだろうか?昨今は学校内でいじめなどが増加傾向にあると聞く。それは、世間が子供達を甘やかしいるからか、はたまた抑圧された感情の捌け口なのかは、そこら辺は現代を生きる子供ではない自分には到底分からない。

 いじめを受けて、どう成長するかは結局は本人次第なのだ。かつて、自分の通っていた高等学校でも、いじめを受けた生徒が居た。そんな彼ですら、風の噂で元気にしていると聞いた。

 だから、いじめだとしてもきっと大丈夫だろう。そう思い、落ち着いた足取りで階段を登り自室に入った。

 ガチャリッ!と鍵をしっかりと掛けて、クローゼットにしまってある黒いスーツとズボンと白いシャツ、そして緑色のネクタイを取り出した。

 クローゼットの奥の方に場違いな小さな金庫が置いてあるが、それに一瞬目配りをしてクローゼットの扉を閉じた。


「ふぅ。やっぱりスーツを着ると気持ちが引き締まるな」


 ネクタイまでビシッと締め、左腕に結婚する前の最後の誕生日に妻から贈られた腕時計を付ける。ぴったり五分で着替えが終わった。

 そのまま、部屋を出て階段を降りてリビングに向かった。そこでは、妻が朝食を取りながら自分の事を待っており、扉の開く音に反応してこちらを振り返った。


「お待たせ。で、椿芽に何があったんだい?」


 そう言いながら、妻の正面の椅子に座った。両手で顎を支えて、微笑んでみせた。


「それが昨日、担任の先生から電話があったの。椿芽が二日前の体育の時間に、昆虫を靴で潰している様子を他の生徒が見たらしくて。その事で、その子の保護者から連絡があったらしいの」


「昆虫を踏み潰す?あの椿芽が?僕はあの子が蚊を潰したところも見た事ないよ。それは本当かい?」


 あの子は心優しい子だと思っている。偶然に踏みつけてしまったのだと信じたいとこだが。


「私も最初はそう思って確認したんだけど、その子曰く椿芽が何度も何度も同じ所を踏んでいるのを見ていたらしくて、椿芽が去った後にそこを見るとぺしゃんこに潰れた昆虫が居たらしいのよ」


「そうか。まぁアレだ。どんな形であれど生き物に興味を持つ事はいい事だ。今度、ペットショップで猫でも買いに行こうか」


 何かに興味を持つという事は将来的に『優秀』になるかもしれない。だから、これは喜ばしい事だな。いじめとかではなくて良かった。


「でも、アナタが考えている以上にあの子は不気味なの。私、少し怖いわ」


 妻は震えた声で訴えかけたきた。しかし、腕時計に視線を落とすと、家を出るまでの残り時間が少ない事が分かった。


「おっと、もう時間だ。髭を剃る時間がなくなってしまう。この話の続きは僕が帰宅してからで良いかい?それと、今日も何かあったのなら連絡してくれればいつでも早退して駆けつけるから」


 そう断って、洗面所へと駆け足気味に向かった。まったく、相変わらず妻の想像力は豊かだ。喧嘩こそした事ないが、頭を抱えることもしばしばある。

 娘が昆虫を踏み潰した事が何だ?出社前の夫に一々報告する事か?せめて、昨日の晩に言ってくれれば良いものを。

 そう考えながら、洗面所に着くとまず鏡を見た。洗面台の縁を力強く掴んである自分の顔は笑っていた。



 ###############


 

 通勤電車の中にて。

 時刻は七時十八分ジャスト。通勤、通学の時間帯ということもあり、沢山の学生や社会人が隙間なく詰まっている。その中に彼も居る。片手で吊革を掴みもう片方で仕事に使うバッグを持つ。いつもと同じ姿勢だ。

 しばらく電車の中での圧迫を堪能したのち、目的地の駅まで到着した。途中、目的の駅で降りれらなかった男が叫んでいたが、自分含め誰も気にしていない様子だった。この駅では降りる人も多く、雪崩の様に人が降りて行く。自分もその流れに任せて、電車を降りた。


「この人ッ!痴漢ですッ!」


 エスカレーターに乗ろうとした直後、後ろの方から若い女性の声が駅のホーム全体に響いた。

 その声の主の方をチラリと見ると、どこぞの女子高校生、それも不真面目そうな髪型と髪色をしているのが、眼鏡を掛けた真面目そうなサラリーマンを手首を掴んで周囲に訴えかけている。


「そんな!私はそんな事してませんよ!それに今日は大事な会議があるのから急いでるんです」


「白々しわッ!穢らわしいわッ!この変態ッ!この麗しき生女子(きじょし)の私の豊満なヒップをしたお尻を、その毛がボーボーの汚らわしい指をした手で鷲掴みにしたのは分かってるんだからねッ!キャァーーーッ誰かーッ警察呼んでよッ、警察をッ!」


 そんなうるさい騒音には目も暮れずにエスカレーターで優雅に上に向かう。そのまま、改札を定期券を利用してくぐり抜けた。先程の捕まった男性は不運だと思うが、同情する気にはなれない。

 仮にあの女子高校生が本当に痴漢にあったとして、それが筋骨隆々の怖男なら先程のサラリーマンと同様に叫んだだろうか?そう、こういうものは叫ばれた方が悪いのだ。つまり『優秀』ではない。逆にそれを理解しているあの女子高校生は『優秀』だと感心できる。

 

 時刻は七時四十二分。


 今日も安定して間に合うな。

 その為、いつも通りに駅の中にある自由の女神をあしらったアメリカ生まれの珈琲店に入る。そして、アイス珈琲のトールを注文して飲みながら会社に向かう事にした。珈琲の店で珈琲を買わないのは邪道だ。それか、自分をお洒落だと勘違いしている愚かな存在だけだ。真にカフェインを愛する者としてそれは認められない。

 歩きながら珈琲を飲んでいると突然、後ろから何者かがぶつかって来た。


「ッ」


 思わず手に持っていた珈琲を地面に落としてしまった。


「ごめんよおっさん。学校に遅刻しそうで急いでいるんで」


 それは髪の毛を不自然に茶色く染めたいかにも頭の悪そうな男子高校生だった。

 そのまま軽く謝罪をして、この場を立ち去ろうとしている。


「そこの君、待ちたまえ」


 だからはがっしりと肩を掴み呼び止めた。

 その男子高校生はその行動に驚いているようだ。


「なんスカ?俺マジで急いでいるんすけど。ほんとッ出席日数ヤバくて」


「目上の人に対する謝罪の仕方が分かっていないようだな?それに君を呼び止めた事で僕も遅刻の可能性が浮上して来た。それはとても『優秀』じゃあない事だ。普段から『優秀』な生活をしていればそうはならないはずだ」


 実際は八時三十分頃に出社すれば良い為、遅刻の可能性など粉微塵程ないが、相手と同じ立場に立つ必要がある。


「ほんっとに次の電車ヤバイんすっよ。要件なんすかおっさん」


「君からの誠意のある謝罪を要求したい。たった今君が僕に衝突した事で僕の買った363円の珈琲を地面が飲んでしまった。その事についての謝罪を要求したい」


 目線で珈琲の後を促して、男子高校生を睨みつけた。


「分かりましたよ。弁償すれば良いんですね。今、金渡すんで勘弁してください。釣りは要らないから400円で」


 そう言って男子高校生は学生バッグの中から財布を取り出した。


「たかだか363円だ。そんなはした金なんて要らない。君がこの場でキチンとした『優秀』な謝罪をすれば行って良いと言っているんだ。何故それが理解出来ない?古白風(ふるはくかぜ)高等学校の生徒とあろう者が」


「ッ!?なんで、俺の高校の名前知ってるいるんですか」


「いや君の胸についてる学章を見れば分かるよ。僕も同じものを当時つけていたからね」


 その言葉を聞いて、男子高校生は何かを理解した様子。


「もしかしてうちの高等学校の卒業生の方ですか?」


「ああ。あと保健体育の教師の阿多岡俳斗(あたおかはいと)先生って居るだろ?彼は僕の学生時代の友人でね。この事、後で連絡させてもらうよ。君のとこの生徒が通行人である僕にぶつかり、謝りもせずにその場を走り去って行ったと。名前を言わずとも君のその特徴を言えばすぐ分かってしまうかもね」


「それだけはご容赦下さい。謝りますから。そんなんされたら俺いや僕、退学になってしまいます」


 急に立場を弁えた様子で媚びて来た。

 たかだか軽い生徒指導を受けるだけだろうにそれなのに退学になるというのは余程普段から『優秀』じゃあないようだな。


「本当にすいませんでした!」


 頭を直角九十度に下げて大きな声でこちらに謝罪をした。


「最初からそうすれば良かったんだよ。次からは気をつけるんだよ」


 そう言って男子高校生の横を通り過ぎた。今ので三分は使ったな。

 この辺から古白風高等学校の最寄駅に通づる駅まで徒歩で五分。走れば二、三分で着くが電車の出発時刻にはどう足掻いても間に合わまい。どっちみち遅刻は免れないのだよ。


「トラブルは『優秀』に対処しなければな。さてと、そこらの自動販売機で不味い珈琲でも買うか」


 それから数分後、時間には余裕で出社した。

 会社のオフィスは全十五階建てのビルの中の十回に位置している。そのまま、社員証を出してエレベーターでその階まで向かった。


 二時間の程デスクワークに励んでいたときの事だ。


「相変わらず凄いスピードで仕事しますね。また残業無しすか、先輩?」


 横から自分が面倒を見ている後輩が話しかけて来た。彼は懐いてからというもの毎日の様に暇を感じれば話しかけてくる。

 彼は入社した当初は新芽の様だったが今ならば、この会社を辞めても通用するくらいに成長した。


「君こそ無駄口を叩いている余裕があるなら目の前の画面に集中したまえ。そうやって残業代を稼ぐ事は健康に良くないぞ」


 しかし、彼は成長性は極めて『優秀』なんだが先輩に対する態度などはそうとは言えない。だが、それはしっかりと矯正出来るから、こうやって教育している。


「はいはい。分かりましたよ」


「はいは一回だ。同じ言葉を繰り返すのも、繰り返させるのも『優秀』じゃあないぞ」


 そう一言を言って、デスクトップに顔を向け直した。


「先輩ぃー。今日こそは一緒に昼飯行きませんか?」


 しばらくして、後輩が顔を覗かせ、再び話しかけて来た。


「行かない。以前、君に導かれて行った昼食のことをを覚えているか?」


「覚えていますよ♪あの店の事、気に入りました?」


「何なんだあの麺の量とにんにくの多さは、更に加えてあの脂濃さと来たものだ。私の認識しているどのラーメンともかけ離れていたぞ。初めてだよ、胃もたれを起こしたのは。君はああいうのをいつも食べているのかい?」


 あの時の事は週一間隔で悪夢として、快眠の阻害をしてくる。食べても食べても減らない野菜と麺にはかなり恐怖を感じた。

 今思い出すだけでも胃もたれしそうだ。


「それは先輩がラーメン食べな過ぎなんですよ!僕なんて学生時代は毎日の様に食べてましたし、社会人になってからも週一回は行ってますよ。先輩はブルジョアジー過ぎですぅ」


「それでよく体型を維持できるな」


 後輩はあのぐらいのラーメンをよく食べていると言っているが、それにしては身体がよく引き締まっている。


「それは、学生時代は部活でサッカーやってましたし、最近はジムにもちょくちょく通ってるので。問題はないですね」


「それはいい事だな。今度君の通ってるジムを教えてくれないか?僕も運動がしたいんだが、いかんせん近場に適した場所が無いんだ」


「良いですよ!後でリンクをメッセージアプリで送っときますね。それよりも、今日昼食行きましょうよぉー」


「すまないが弁当があるのでな」


 それを聞いた瞬間、後輩は少しにやけ顔になった。まるでこちらの惚気を期待するように。


「愛妻弁当ですか?」


「お手製だ。私が朝詰めた。彼女はそういう事をしたがらないからな。面倒くさがりやでな」


「そうなんですか。でも、良いですねー。家に帰ったら愛する家族が迎えてくれる生活。僕も早く彼女欲しいですよ」


「君ならすぐに出来るだろ?顔は悪く無いんだからね。まぁ、所詮は顔とか経済力で寄ってくる女は大した事ないがな」


「それ先輩が言うとマジで嫌味ですよ。先輩ってザ・イケメンって顔じゃないですか。学生時代はさぞかしモテたんですよね?」


「いや確かに言い寄ってくる女の子は多かったけど、直接告白してきたのは人数は少なったし、魅力に欠ける人ばかりだったから、そのほとんどを断らせてもらった。だから、恋愛経験は乏しいんだよ」


 それを聞いた後輩は何かを考え始めた。

 下らない事を考えている時間があれば仕事に集中すれば良い物を。


「ところで先輩のお子さんって今何歳でしたっけ?」


 突然、なんの脈略もない質問をしてきた。


「今年で十歳だが。それがどうした?」


「先輩って今僕より三つ年上の三十一歳ですよね。それでお子さんが今年で十歳。てことは先輩が二十一歳の頃に産まれたって事で、先輩の大学は四年制のはずだから、、、、、、、。普段から優秀、優秀って口癖の様に言っている先輩も意外と不真面目な時代があったんですね」


 まるでこの世の真理を築いた様な顔で、満足そうにそう言った。


「そう言う君は手が止まっているぞ。対して僕は君が話しかけてきてもずっと手を動かしている。この意味が分かるか?さっさと持ち場に戻れ」


 その台詞に苛立ちを逆さ覚えてしまったので、後輩に強めに睨みをつけてしまった。


「はいはい。すいませんでした。デキ婚先輩♪」


「お前はジムに通うよりも先に目上の存在への敬意の払い方を学ぶべきだな。僕じゃあなかったら大問題になるぞ」


 ため息混じりにそう呟いた。


「分かってますって、相手は選んでますよ」


 その言葉を聞いて自分は再びため息を吐いた。


 時間が大分過ぎた頃、ようやく五時になった。自分はいつも通りに今日のノルマを全てこなしたので、定時退社をさせてもらおう。

 

「先輩ぃー、待って下さいよぉ〜。仕事が終わらないんですぅ。てか、手伝って下さい」


「断る。君が真剣に職務に取り組んでいなかった結果だ。まさに身から出た錆だよ。僕はさっさと帰宅させてもらうよ」


 鞄に荷物を詰め込み、さっさと帰ろうとしたが、その腕を後輩にガッチリ掴まれてしまった。


「君今日はしつこいな。僕は急いでいるだよ。このままでは一番空いている時間帯の電車が行ってしまう」


「だって、怖いんですよぉ。例の犯人まだ捕まってないんですから。事件発生現場の地域の子供は皆んな集団下校ですよ。大人もそうしましょうよ」


 例の事件とはあの連続殺人の事だろうが。生憎、それを加味しても、一緒には帰る気にならない。


「一人よりも二人の方が安全ですよ。そうしましょうよ。だから、待ってて下さい〜」


「そうしたいなら、君が定時に帰れる様に仕事を終わらせれば良いじゃあないか。第一、複数人で行動どうすれば安全という説はこの間の事件で崩れたはずだが」


 最後に起きた事件の被害者は高校生のカップルだったらしく、ホテル帰りに襲われ殺されたらしい。なんとも怖い事件だ。


「でも、それカップルだったからですよね?ほら、海外の映画の殺人鬼もカップルから先に殺す見たいな感じで、男同士なら流石に狙われないですよ」


「それは死者を冒涜する言葉だよ、良くない。それに現実に起きた時点で、映画の様にはならない。事実、犯人にが何を基準に殺人を犯しているのかは判明していないからね。まぁ、お互い気をつける事だな」


 そう言って、タイムカードをきりに向かおうとした時、窓の外がピカリと光った。その数秒遅れて大きな音が響いた。外の様子を見ると、どうやら雨が降っている様だ。


「おかしいな。今日は一日中晴れだと聞いていたが。こんな大雨とは、気象予想が大ずれだな。全く、『優秀』じゃあないな」


 近くのコンビニエンスストアでビニール傘でも買うか。今日は余計な出費が多いな。


 最寄駅に降りると、先ほど購入した傘を差して歩き始める。

 ここから自宅までの距離はおおよそ30分。今日は余計な寄り道をしたせいか結構掛かってしまった。


 しばらく歩き、ようやく自宅前に到着した。玄関を開けると妻が出迎えてくれていた。


「おかえりなさい」


 コレは私が駅に着いた時点で連絡しておいたからでもある。

 別に私は亭主関白になったつもりはない。自宅に帰って早々愛する家族が出迎えてくれると思うだけで、仕事にやる気が満ちるのだ。それは実に『優秀』なことだ。


「ただいま。今日の晩御飯はなんだい?」

 

 帰宅して早々、妻にそう尋ねた。

 急な雨で身体が冷え込んだせいで鍋などの温かい食事が食べたいところだが。


「ごめんなさいね。こんなに雨が降ると思ってなくて、冷パスタにしちゃったの?嫌なら、今適当に炒め物とご飯を炊くけど、どうする?」


 妻は手に持ったタオルを私に渡しながら、そう尋ねてくる。それを受け取り頭を拭きながら答えた。


「それは明日で良いよ。今日は冷パスタをもらうことにする。だから先にお風呂に入って良いかな?」


 すでに完成した料理にケチをつけるのは、『優秀』じゃあない。それに無駄な出費はこれ以上必要ないからな。


「あっ、それなら今、椿芽が入ってるから先に部屋でスーツを脱いでからお願い。着替えは置いとくから」


「分かったよ。やれやれ、タイミングが悪いな。靴下は脱いでいくら、それも持っていってくれないか?床が腐ったら嫌だからね」


 そう言って、靴下を脱いで頭を拭いたタオルの上に乗せて妻に渡し、裸足で自室まで戻った。足元は濡れていたが、スーツはそこまで濡れてなくて助かった。まぁ、これも後で洗濯に出すがな。明日が休日で助かった。


 しばらくして風呂で冷めた身体を温めてから、リビングでテレヴィジョンを見ながらくつろいでいた。すると、椿芽がこちらにやって来た。


「パパ。今度、これいっしょに見よ!」


 そう言ってリモコンを取り番組表を見せてきた。


「なになに?『実録、未解決事件 連続女児殺人事件』。こんなのが見たいのか?」


「うん!クラスのみんなも見るって。だからね、わたしもパパと見たいの♪」


「分かったよ。全く、最近の子供はませているな」


 諦めた関心を込めた言葉をこぼすと番組表に向き直った。


「それにしてもだが、随分と懐かしい事件だな、これ。もう十五年ぐらい経ったのか。そういえば未解決だったな」


 今の連続殺人事件の様に、当時は連日の様にニュースで報道していたな。あの頃の事は色々あったから鮮明に覚えている。


「椿芽、明日が休日だからってあまり夜更かしするなよ。今日はパパは疲れたから夜ご飯をとって早めに寝させてもらうからね」


 いつもは休日前の日は椿芽と遊んでいたりするが、今日はいつもよりも疲れた。

 運ばれてきた晩飯を食べて、ぐっすりと眠りについた。


 これが青木渡志(あおきわたし)の一日だ。



 ###############



 同時刻


「ヒィぃぃぃぃーッ!一体何なんだッ!何で俺がこんな目に遭うんだ」


 男はガムシャラに走っていた。全身は突然降り始めた雨によってびしょ濡れになっていたが、それにも構わずただひたすらに何かから逃げていた。

 やがて、足を滑らせて大きく転んでしまった。

 道路のアスファルトに服や皮膚を擦られて、血を流してしまう。そのまま、怯えた男は立ち上がる事も出来ずに後退りをする。


 すると、何もないはずの暗闇から声が聞こえた。


『問おう。お前は誇り高き勇者か逃げるだけの愚者か』


 暗闇からの問いに男は答えられずにいた。そのまま、うずくまり、、、、、やがて男は恐る恐るとゆっくりと顔を上げた。

 その先にある暗闇にはうっすらと角の様なものが見えた。


 直後、その辺り一帯を大きな雷の轟音が響き渡った。男は焼けた様に黒焦げになり死んでいた。



 東京に潜む邪悪との戦いが今始まる。

 

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