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探しもの見つけます  作者: 麗華
第5章 胸を張れる未来へ
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若い母親

「探しものって、すごく大切なものなのでしょう?」

「ええ。その方が、とても大切にしているものです」


「高価なもの?」

「高価なものもあります」


「記念日に贈られるようなもの?」

「そうですね、記念の品もあります」


「長く使っていたもの?」

「ええ、とても長く使っていたのに失くしてしまったものもあります」


「じゃぁ、やっぱり私には探しものなんてない。高価なものも、記念の品も、長く使っていたものも、私は持っていなかったから」

「大切なものは、そればかりではありませんよ?」

「他にもあるの? 例えば?」

「探したいもの、です」

「……なぁに、それ? 意味が分からない」

「そのままの、意味ですよ」


 にっこりと笑う薫に、馬鹿にされたと憤り頬杖をつく女性。気分を害しているのだろうに、帰ろうとする気配はない。


 探しもの屋のカウンターに座っているのは、青木 結衣。大きくあいたVネックのビックTシャツとデニムのショートパンツからは真っ白で細い手足がスラリと伸びている。学生にも見えるようないでたちだが、彼女の胸にはしっかりと赤ん坊が抱かれていた。


「私の探しものは、この子のいない時間かなぁ。友達はみんな遊んでいるのに、私は子供の事ばっかり。それなのに、オバサンたちには、若いからちゃんと子育てできないみたいに言われるし」


 片手でカウンターに頬杖を突き、片手で赤ん坊を抱くその姿は不満でいっぱいだが、腕の中の赤ん坊は、カウンターの隅でじっとこちらを見ているルナに興味津々で、手を伸ばしたり笑いかけたりと大忙しだ。


「ねぇ、その猫、翔太が触っても怒らない? ちょっと触らせてあげたいの」

「ええ、どうぞ。ルナ、良いですよね」


 丸かった黄金色の瞳を半月状にしたルナは、渋々と一歩ずつ赤ん坊に近付いてきた。赤ん坊の手が届くギリギリの所でクルリと背中を向けて座ると、掴まれてたまるかと言わんばかりに尻尾は身体に巻き付け、耳は目立たないようにピッタリと伏せられた。


「背中だけなら、触ってもいいようですね」


 その徹底ぶりに薫がクスクスと笑えば、尻尾の先が不満を隠せずにパタパタと動き出した。

「だからって後ろを向かなくてもいいのに……。ほら、翔太さわってもいいって」


 ルナが赤ん坊の手がギリギリ届く距離に座ったのに、結衣はあっさりと赤ん坊をすぐそばに寄せた。近づけられた赤ん坊は遠慮なくルナの艶やかな被毛を握りしめ、嬉しそうにポンポンと背中を叩き笑っている。ルナの半月状の瞳が吊り上がっていくのを、薫が笑いを堪えながら見ている。


「結衣さん、そろそろ……」

「ああ、もうこんな時間なの? 帰らなくちゃ」


 壁かけ時計は午後四時を過ぎたところだ。結衣が慌てて立ち上がれば、翔太に掴まれていたルナの柔らかな被毛も勢いよく引っ張られた。思わず噛みつこうと身体を反転させたルナの顔の前には薫の細く長い指が伸び寸でのところで赤ん坊の肌を守った。


「ルナ、赤ちゃんですよ?」


 不満そうなルナをよそに、薫は涼しい顔で赤ん坊の指からルナを解放する。猫との遊びを邪魔された赤ん坊は不満げだったが、抱っこ紐に固定されると途端に機嫌を直した。


「ごめんね、猫ちゃん。薫さん、また来るね」

「ええ、いつでもどうぞ」


 百円玉を数枚、カウンターに置いて勢いよくカウベルを鳴らして出ていった結衣に、ルナの背中の毛がふっくらと逆立つ。


「彼女は、探しものを探し中、ですかねぇ」


 薫の言葉に、ルナの尻尾がピシりとカウンターを打った。



 青木 結衣が探しもの屋を訪れるようになったのは、ほんの1カ月ほど前だ。

 勢いよくカウベルを鳴らして入ってきて、薫を見た第一声が『おばあちゃん、いる?』だった。店主が変わった事、今は喫茶店ではないことを説明すると一瞬しょんぼりとしたが、すぐに切り替えたようにどっかとカウンターチェアに座って『コーヒー下さい』と言った。


「そこにコーヒーメーカーがあるんだから、コーヒーはあるんでしょう? もちろんお金は払うから。私はこの店で、はなおばあちゃんとお喋りしながら飲むコーヒーが好きだったの。お店を引き継いだんだから、お客も引き継いでよ」


 当然のことだと言ってのけた結衣は、その日から2日と空けずに探しもの屋を訪れる。探しもの屋に本来の客が居ればさすがに引き下がるが、それでも時間を空けて改めて顔を出す。コーヒーが好きなわけでもなく、何か相談があるわけでもない。昨日見たテレビやSNSで気になった投稿など、とりとめもなく喋って気が済めば帰っていくのだ。若い母親の暇つぶし、と言ったところだろう。



「ただいまぁ」


 翔太を胸に抱き、買い物袋を提げて玄関に入っても部屋の中から返事なんて返ってくるはずはない。わかっているのに、つい呼びかけてしまうのはいつからの癖なのだろう。


「はい、翔太はここで遊んでいてね」


 ベビーベッドに寝かせた翔太の上にベビージムを置き、抱っこ紐を外すと暖かかった胸が急に冷えて心細いような感覚になる。毎日の事なのに、抱っこ紐を外した瞬間のこの気持ちは、なかなかなれることができない。それはベビーベッドに一人で寝かされた翔太も同じなのだろう、ベビージムにぶら下がるオモチャよりも結衣を見つめている。

「早く、歩けるようになればいいのに」

 歩けるようになればかえって大変だとはよく聞くが、動かない翔太連れ歩くことも家で大人しくさせることも想像以上に大変だった。いつも結衣のそばにいたがる翔太は、結衣が離れると大きな泣き声で結衣を呼ぶ。泣き始めるとちょっと抱き上げたぐらいでは泣き止まず、あやしているうちに焦がした鍋は数え切れない。離れて不安なら、自分で結衣の方に来てくれればいいのだ。



 駅から15分ほど離れた2DKのアパートは、破格の家賃だがやはりそれなりだ。日当たりはあまり良くないので夏は涼しいが、冬になればどれだけ暖房を入れても寒さはやわらがないし、壁が薄いので隣の部屋の目覚まし時計の音すらも聞こえてくる。そんな部屋で、赤ん坊と二人で過ごす毎日は息がつまる。


「なんだかなぁ。私、まだ21なのになぁ」


 結衣が高校生の頃、それまで女手一つで結衣を育ててきた母親が再婚した。

 母の夫は悪い人ではなかったが、他人の男性と暮らす事に違和感があり、高校を卒業したら家を出ようと決めたのは高校2年のころだ。独立資金を貯めるために高校3年生の一年間はアルバイトで埋め尽くした。


 バイト仲間だった雄大と付き合うようになったのは卒業する少し前のこと。大学生だった雄大は、親の仕送りで一人暮らしをしていたので転がり込むにはうってつけだったのだ。さすがに雄大の親が借りている部屋で同棲は出来なかったが、自分で借りた部屋にはほとんどいないので、家賃重視のボロボロの安アパートでも不便を感じることはなかった。


 雄大は大学を卒業し、無事に就職を決めたが勤務先は他県。とても通える距離ではないし、週末ごとに会う事すら難しいだろう。結衣は、迷いなく雄大についていきたいと訴えた。地元のスーパーで社員として働いていた結衣だが、給料も低く人間関係も複雑な職場に未練などなく、新しい環境で雄大の庇護の元なら、なにか素晴らしい道が開けるかもしれないと思ったのだ。


「全然、だったなぁ。あのまま、あの場所で頑張っていた方がよかったのかもなぁ」


 そう呟くのは、もう何度目だろう。新しい環境は、思ったよりもずっと寂しい物だった。学生だった雄大には余るほどあった時間が、社会人になった途端になくなり帰宅時間もわからない。結衣も働き始めたため、一緒に暮らしているのに一言も話さない日も少なくなかった。


 もう、駄目なのかも……。


 そう思っていた時に、翔太が出来たのだ。

 

 恐かった。自分の事すら出来ないのに、母親になんてなれるのだろうか。二人の関係すら危ういのに、三人で家族になる事なんてできるのだろうか。

 

 そして、何より、お腹の中の命を握っているのが自分だと言うことが、恐怖でしかなかった。


 雄大に『産んで欲しい』と言われて嬉しかったのは、彼と結婚がしたかったからではない。『雄大が望んだから産んだ』ことにしたかった。自分の意志ではないところで決まってくれたことが何よりも嬉しかったのだ。

 

 逃げ込んだ結婚生活が、楽しいものになるはずなんてないのに。その時の結衣には、わからなかった。

 


 新社会人の雄大に貯金なんて物があるわけがない。彼の実家にお金を借りたうえ、結衣も臨月ギリギリまで仕事を続けてやっと出産費用を捻出し、結衣の失業保険は翔太のために全て消えた。自分の服を買う余裕もないので、出産後もマタニティを着続けて最近やっと以前の服を着れるサイズまで落としたところだ。以前の服は、ママらしいのかと言われればとてもそうとはいえない。


 まだ歩けない翔太を抱いて公園にいけば、女性であることから少し離れたような幸せそうな母親たちが子供と一緒に笑っている。そこにいると、女性としての自分に未練を持っていることがとても浅ましく情けなく、非情にすら感じてしまう。


「ママになったら、もう女としての人生ってないのかなぁ」


 子供は母親の言葉をちゃんと感じ取っていると言う人もいるが、結衣はそんな風には思わない。産んだことを後悔すらしている自分にこれだけ笑いかけるのだ。翔太は、何もわかってなどいない。ただ、自分を抱いてくれる腕と、食事をくれる胸を持つ存在。母親なんて、赤ん坊の奴隷のようだ。


「結婚とか出産とか、育児とか、もっとずっと幸せだと思っていたのになぁ」


 可愛い子供と、愛する旦那。毎日、食事を作ることも掃除をすることにも幸せを感じるような生活を夢見ていたのはいつだろう。籍を入れる頃には、そんなことは幻想だと知っていた。それでも籍を入れたのは翔太のため。でも、それが自分の為に正しかったのかはわからない。


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