第95話『ひねくれ男』
宿屋の前の暗闇には馬車が1台待機していた。荷物を運んだり乗り合いの馬車とは違い、個人用のようで車体が小型にできている。
それでも、馬車を動かす御者という人の姿がない。どうやって馬車を動かすつもりだろう。疑問に思っていたら、御者が座るはずの位置にジュリアさんが華麗な身のこなしで座った。もしかして、ジュリアさんが馬車を動かすの?
「さあ、お乗りください」
綱を手にしたジュリアさんは頼もしい。背筋をぴんとまっすぐに伸ばして、優しくほほえむ。しかも、「お休みになられても構いませんよ」と女神のような言葉をくれた。
「あの、お言葉に甘えさせていただきます」
ちょこっと頭を下げて、馬車に乗りこむ。わたしが座ると、後からやってきたサディアスが馬車の扉を閉じた。少ししたら馬車はゆっくりと動き出していく。馬車のなかに明かりはなく、かろうじて闇に慣れた目がサディアスのりんかくを感じとれた。
「ジュリアさんのこと、勝手に決めちゃってごめんね」
追っ手のこともあって、サディアスの意見を聞く余裕すらなかった。慎重に行動しろとか、人を信用するなとか言われていたんだけど、いざそうなったら無理だった。
何も言わないでついてきた彼は、おそらく怒っているはずだ。説教すらも忘れるくらい怒っているかもしれない。
サディアスは長いため息を吐いた。
「ここまで来て、今更だろう。それに置いていかれる方が心外だ」
「そっか」
サディアスはわたしを仲間と認めてくれた上でなのか。それとも少しは心配してついてきてくれたのか。どちらにしてもサディアスがいてくれて助かっている。慌てていた心も落ち着いていく気がするから。
今までのことを引っくるめて「ありがとう」を口にする。はじめてのありがとうはちょっとだけ言い慣れなくて照れる。
だけど、しっとりとした雰囲気をぶち壊すようにサディアスが鼻で笑った。
「礼はいらん。ありがたいと平伏しても時間の無駄だ。俺はお前のためではない、自分の好奇心のためにこの事件の真相を知りたいだけだ」
「何よ、それ!」
結局は好奇心で事件の真相を調べていただけだったんだ。でも、あんなに体を壊すまで、飲まず食わずで調べていたのもただの好奇心なの? わたしのためじゃなかったの?
考えてみたけど、これまでのサディアスを見てきたわたしには、彼の気持ちが何となくわかった。怒る必要なんてない。彼は「ありがとう」を素直に受け取れなくて、ひねくれたことを言ってしまう男なんだ。
「あんたって性格悪い」
本当は怒ったように言いたかったのに、声が笑うのをやめられない。
「お前には負ける」
サディアスの声も少しだけ楽しそうに聞こえた。
その後、馬車は検問を無事に通り(自警団のおじさんとジュリアさんは知り合いみたいだった)、ゲオルカを後にした。




