第89話『馬車のなかで』
フィンボルンの北門辺りまで進んで、目的地のゲオルカまでは乗り合いの馬車で行くことにした。
いちいち歩かなくていいのは嬉しい。そう思っていたけど、実際に馬車に乗ってみると感想は違う。
街道が整備されているといっても、まっ平らになってはいなかった。道を転がる車輪から送られてくる上下の振動が激しい。ちょっと気を抜くと、舌を噛みそうになってしまう。
わたしの隣にいるサディアスといえば、あぐらをかいて、膝の上に頬杖をつきながら、どこか遠くを見つめている。振動で顎がガクガクしたりしないのだろうか。
改めて横顔を眺めてみると、意外とまつ毛は長いし、黙っていればまあまあイケメンと言ってもいいかもしれない。あとは眉間のしわさえ無くなれば、言うことなしなんだけど、それがないと、サディアスでは無いような気もするし。うん、あったほうがいい。
そんなことを考えていたら、知らない間に視線がこちらに移っていた。正面から見たサディアスに不覚にも動揺したりして、わたしの心のなかは少しおかしい。
「何だ?」
こういうときのサディアスは鋭かったりする。いつもは鈍感でデリカシーもないのに、視線を感じるだけは早いんだ。
「べ、別に。それにしても、ゲオルカにレーコさんはいるのかな? なんて」
うまく話をすり替えられたか不安だったけど、わたしは強引に流れを変えた。周りの人に聞こえないように極力、声をひそめる。そのせいでサディアスに近寄らなくてはならなくなったけど、まあ気にすることじゃない。
サディアスはこめかみに人指し指を当てた。その仕草はちょっと気取っているように見える。
「俺の記憶では、新聞にはゲオルカに侍女のひとりがいると記されていた。彼女も宿屋のおかみと同じく神子の世話係だった」
「じゃあ、もしかしたら、レーコさんもそこにいるかもしれないね」
「どうだかな」
「マージさんを疑ってるの?」
「いや、レーコも長く同じ場所にとどまってはいないはずだ。ただ、何らかの痕跡があれば、道のりをたどることができるだろう」
結局、確かなことはゲオルカに行くまでわからない。でも、フィンボルンでマージさんに出会えたように、ゲオルカでも誰かに会えるかもしれない。そうなれば、また、レーコさんに近づけるのだ。
「会えるといいなぁ」
「ふん、せいぜい祈ってろ」
サディアスは言葉とは違い、なぜか口元をゆるませていた。口元だけじゃない、眉間のしわがやわらいでいる。お城を出るまではまったく見せなかった笑顔を、こんなむさ苦しい馬車のなかで浮かべている。どういう心の変化なんだろう。
信じられなくてじーっと見つめていたら、「おい、アホ面を浮かべるな」とお叱りを受けた。わたしも黙っていられなくて、「どこがアホ面なの!」と応戦したら、言い合いになってしまった。
わたしたちにしてみたら、いつものことなんだけど、馬車のなかにいたお客さんたちには、強くにらまれてしまった。




