第75話『遠い目』
「サディアスったら、何なの。クラウスさんに変なことを言って」
「まあまあ」
わたしはしばらく怒っていたけど、今更になってクラウスさんとふたりきりで残されたことに気づいた。
話題を思い浮かべようとするけど、ふたりきりになると何を話していいのか、わからない。
立ち尽くしていたら、「座りますか」とクラウスさんが椅子を引いてくれる。こういうときにも紳士的な振る舞いなのだ。
わたしの正面の席に座ったクラウスさんと向かい合う。改めて見ても、クラウスさんは格好良すぎる。肘をついて、こちらを見つめてくる黒い瞳に胸がドキドキする。
「フォル?」
「あ、何でもないんです!」
直視とか本当に無理だ。顔をうつむかせるしかできなくて、言葉を出すことも難しい。日差しが当たったように頬が熱い。
「フォル、明日は一緒に出かけませんか?」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、吸いこまれるような黒い瞳が眩しそうに細められるところだった。
「あなたと一緒ならきっと楽しいと思います。行きませんか?」
そんなの、考えなくたって答えは決まっている。
「もちろん、行きます!」
クラウスさんとお出かけなんて想像したこともなかった。騎士の制服でもなく旅人のような軽い装いのクラウスさんとお出かけ。まるで、デートみたい。やだ。また頬が熱くなってくる。頬に手を当てていると、クラウスさんは笑った。
「あなたは本当に可愛らしい方ですね」
「か、かわいいだなんて、そんな。そんなこと、はじめて言われました」
悲しいけど、1度だって言われた経験はない。平凡な顔だと自覚はしているし、これから先も可愛い人生なんて歩めないだろうと思っていた。だから、お世辞に耐性がない。単なるお世辞だと自分に言い聞かせて、落ち着こうと息を吐く。わたしがそうしている間に彼は吐息をこぼした。
「どうか、あなたは変わらないでいてください。この先に何が待っていたとしても」
クラウスさんの瞳を見つめているはずなのに、視線が合わなかった。どこを見ているのだろう。
「クラウスさん?」
クラウスさんがわたしの知らない場所に行ってしまいそうな気がして、呼び止めた。何でそう思ったのか、自分でもわからない。
クラウスさんは首を横に振る。その顔に苦笑を貼りつけて、誰も寄せつけないんだ。わたしじゃ、クラウスさんの心の奥には入れないみたい。
おかみさんの手で温かい食事が運ばれてきた。それでも、わたしの頬の熱はさっと抜けていた。




