第64話『はじめて見た世界』
森って、どこにも道がない。サディアスは臭いを感じ取って走っているみたいだけど、同じところを何度も回っているように思える。しかも、平らじゃない道って、足に負担がかかるんだ。
疲れを紛らわしながら進んでいくと、光の玉が薄くなってきた。何でだろう。疑問に思って顔を上げたら、木々の間隔が開いていた。陽の光が地面に注いでくる。森のなかで朝を迎えちゃったんだ。
出口に近づいたところで、サディアスが足を止める。もしかして、森の外に出るのが怖いんじゃないのかな。外に出たことがないのかもしれないし。
「サディアス、きっと、ここからは異世界なんだよ。わたしがベルホルンにやってきたみたいに。だから、大丈夫。こんなわたしだって無事に1年は過ごせたんだから」
「わん(うるさい)。わわん(そんなことはわかっている)」と言われた感じがする。
こんな可愛くないわんこ、どこを探したっていない。わんこになっても、サディアスはサディアスだ。当たり前のことを確かめて、一瞬でも安心したのはわたしの気のせいだろう。
サディアスはためらう気持ちをなくしたのか、くるっと一回りしてから、出口に向かって駆けていく。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
置いてきぼりにされるのは嫌で、わたしも駆け出した。ずーっと走っていると、森の入り口のほうから迫ってくる感じがする。ハードルのように立ちはだかる茂みを飛び越えると、そこはもう森ではなかった。
空が高い。先までただただ草原が広がっている。すべてが自然でできた世界って、ものすごく広いんだ。人間なんてちっぽけでしかない。
先に森を飛び出したサディアスの姿は、わんこから人に戻っていた。
「異世界か……」
「あ、うまい表現だとか、思っちゃった?」
「思うか、バカ。だが、空気が違う。血の臭いがしない」
バカって何よ! と反論したくなったけど、「血の臭い」という表現が引っかかった。わんこに変わるサディアスだから、鼻が良かったりするのだろうか。
「ベルホルンは血の臭いがした?」
「ああ、城は特にな」
「だから、あんな部屋にこもっていたの?」
「あんなとは何だ? あの部屋は気に入っている。別に血の臭いのせいでこもっていたわけではない。静かな環境が好きなだけだ」
あっそ。やっぱり、サディアスのことはわからないや。
「しかし、外には出たものの、地図がなければ、どこに村があるかもわからん」
「サディアスでも?」
「ああ、はじめて見た世界だからな」
困っているはずなのに、顔にはまったく表れていない。何かむしろ、サディアス、喜んでいる?
いつもより眼差しがやわらかいというか。見つめているとサディアスの横顔がこちらを向く。まずいと思ったけど、どうしても視線を外せなかった。見つかってしまう。
「何だ?」
「べ、別に」
森の方角に顔をそむけても、サディアスは「別にじゃないだろう」と食いついてくる。そのとき、気づいてしまった。
「てか、それどころじゃないよ」
「話を変えるな」
だって、本当にそれどころじゃない。わたしは森の方向に指を示す。サディアスもつられるようにして、そちらに顔を向けた。




