第55話『宿屋の店主』
ひっそりと寝静まった住宅街。宿屋の看板をくぐらないで建物の裏手に回る。何だか、こそこそしてどろぼうみたいだ。
サディアスは木製の扉を叩いた。すぐに出てきたのはいかつい顔をしたおじさん。白いエプロンをかけているから、店主さんかもしれない。店主さんは口の片端を上げた。
「よお、ぼっちゃん。お母さんがお待ちかねだぜ」
「やめろ、ジーモン。俺はぼっちゃんでも、あんな性悪女の息子ではない」
「そのくせ、言いなりになっているじゃねえか」
「うるさい。大きな借りがあるだけだ」
「借りねえ」
ジーモンさんは目を細めて、サディアスを疑っているみたいだった。ふたりはどうやら親しいらしく、軽快に言葉をかわしていく。何だ、サディアスもちゃんと話せる人がいるんじゃない。
ふたりの会話をはたから見ていたら、ジーモンさんの視線がわたしに向けられた。
「おっ、そこのおじょうさんが例の」
「あんまり詮索すると、首が飛ぶぞ」
「それもそうだ。早いところ会っちまってくれ。ここを嗅ぎつけられる前にな」
ジーモンさんがお店のなかに引っこんで行くと、サディアスとわたしもついていく。わたしたちを部屋に入れて、ジーモンさんは扉を閉めると内鍵まで厳重にかけた。
「2階の1番奥の部屋にいる」
「ああ、わかった」
サディアスは素っ気なく、すぐに階段を上ろうとしていたけど、わたしはジーモンさんに頭を下げた。神子も礼儀作法が大事だったから。マリアさんの教え。
「気をつけてな、神子さんよ」
驚いた。わたしの素性を知っていたのだ。頭を上げたときには、ジーモンさんは1階の奥の部屋へと足を向けていた。明かりがもれた部屋から奥さんなのか女性の声が聞こえた。
きっと、このことがバレたらジーモンさんもただじゃ済まないはずだ。それでも協力してくれるジーモンさんに、サディアスを気にしながらも、もう1回だけ頭を下げた。
2階はいくつかの部屋があるらしく、鳩時計の先の扉の前で足を止めた。
サディアスが扉をノックして、相手の応答を待つ間、考え事をする。“お母さん”って誰なんだろう? サディアスはその人に大きな借りがあるって言っていた。借りっていったい何なの?
「は〜い、どうぞ」
肩の力が抜けてしまいそうな間のびした声。部屋のなかはろうそくの明かりで照らされていた。椅子を軋ませながら立ち上がった人物は、かつてわたしも一度は会ったことのある人だった。




