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伊藤あかねは失恋する


「それと、最後に、絶対に朔に言わないといけないことがあるの。」


 目を瞑って、深く深呼吸をする。


 今日は色々余計なことも話しちゃったけど、これから言うことだけは絶対に言うと覚悟を決めていたことだ。


 ……朔の墓参りになかなか行こうと思えなかったのは、この言葉を言う勇気が最後の最後まで出なかったから。


 何度も何度も深呼吸して、言おうとしては口を閉じて、そんなことを何回も繰り返して――ようやく私はその言葉を口にした。


「私、朔のことが好き。」


 返事はない。


 今の私にはきっとそれがありがたかった。きっとまたひどい顔をしている自覚があった。


 こんなことを言った照れで顔は真っ赤になってそうなのに、返事が返ってこないせいで泣きそうだ。

 でもこんなことになっているのはきっと私のせいだ。こんな短い言葉を言うのに私は時間をかけすぎた。

 もしも、あっさりこの言葉を言うことができたら、少なくとも返事はすぐに返してくれたはずなのに。


「どこが好きって言われても、まだうまく言えないの。二年も、ううん、少なくとも十七年はあったのにね。……保育園のころ、転けた私を泣きながら助けてくれたりとか、小学校の時だって、忘れ物をしたらこっそり貸してくれて、自分が忘れたふりしてくれたりとか、昔からずっと朔は優しかったよね。中学の時も、高校の時も、なんだかんだ言ってずっと私のこと助けてくれたよね。……死んだ後にあんなメールまでわざわざ送ってくれてさ。」


 言いながら涙が溢れてくる。朔が私を助けてくれたことなんて、たくさんあるのに、一つ一つのことがまだ鮮明に思い出せる。

 きっと忘れてしまうよりはいいことなんだろう。でも、こんなに色々思い出せるのに、これ以上、この思い出が増えていかないことが嫌だった。


「別に、優しかったから好きってだけじゃないの。昼間よりもさ、夜の方が綺麗な色している目とかさ、無表情なフリとか……まあ表情が変わらないのは昔からだけど、笑う時には下がる目尻と眉毛とか、緩んだ口元隠しきれてないところとかさ。……たまにする嫌そうな顔だって嫌いじゃなかったの。」


 朔のどこが好きなところなんて百個じゃ足りないくらい言える。十七年以上の付き合いで、嫌いなところは増えなかったのに、好きなところだけどんどん増えていった。きっと言葉でうまく言えないこの感情が、私の初恋だった。


「返事は八十、九十年後でいいって言ってたけど、もう言っちゃった。私これ以上、待ちきれなかったの。この感情を終わらせたかったの。だって、すごく辛かった。ごめんね、こんな独りよがりな理由で、こんなことをわざわざ聞かせちゃって。」


 朔の墓参りに踏み切ったもう一つの理由がこれだった。


 朔に最後に応援しているって言われたから、その言葉を言い訳にしてダンスに打ち込んだ。でも、世界一になって、ひとまずの目標を達成してしまったら、逃げてた感情に向き合わないといけなくなった。


 二年前はこの関係を壊すのが怖くて、自分の心から目を逸らし続けて、ようやく向き合ったら勇気が出なくて、何も言えなかった。

 でも今は、逆に、あの時何も言えなかったことと、日を重ねるにつれて薄まるどころか、どんどん濃くなっていく朔への思いを吐き出せないことがだんだん辛くなってきた。

 これ以上しまい込んだままだと、あんなに楽しくて、光り輝いていた青春を一生恨むようになってしまいそうだった。

 朔との大事な思い出を、ドロドロに濁ったものにしたくなかった。恋とは呼べないような醜い感情を、朔に対して持ちたくなかった。


 こんな風に言葉を重ねても、結局、私は自分のために「好き」の一言を言ったり言わなかったりしてしまう最低なやつだ。


 自分がどんなに最低なやつになったとしても、どんな普通の出来事も色鮮やかにしてくれた、澄み切った夏の空みたいに綺麗なのにまるで容赦のないあの初恋を綺麗なままで終わらせたかった。


 なんとなく墓石と顔を合わせているのがしんどくなって、下を向いてしまった。


 ポタポタと私の涙が熱された地面に落ちていく。太陽の光が当たっていないせいか、なかなか乾かなくて、私の顔の真下だけ雨が降ったみたいだ。


 泣いたのは、二年前の朔が死んだ時以来だった。


 卒業式の時だって、瑠璃と喧嘩した後だって、世界一をとった時だって、涙は出てこなかった。てっきりあの時泣きすぎて枯れてしまったのかと思った。


 ふと思い返してみても、ここ数年泣いたのは朔がいる時ばかりだった。また、『俺が泣かせたみたいに見えるだろ!』って焦ってるのか怒ってるのか分からない声が聞こえてきそうだ。そうだったらいいのに。


 死んだ人は声から忘れるーーそう言われているのは本当だった。笑った顔も、怒った顔も、困ったような顔も、些細な仕草だって鮮明に覚えているのに、声だけはそうはいかなかった。顔はなんだかんだ撮った写真があるから忘れることはないけど、きっと二度と聞けない声は別だ。その証拠に、私はたった二年の月日で、朔がどんな声だったのかはっきり思い出せなくなっていた。


 しばらく泣いていると、私の顔の下以外にも水滴がポツポツと落ちてきた。


 とうとう雨が降り出してしまったらしい。ずっと空にあったあの入道雲の仕業だとしたら土砂降りになる可能性だってある。

 もう少し泣いていたい気もするけどびしょ濡れになってしまったら、流石にタオル一枚じゃ足りない。それに、借りたレンタカーの座席を濡らして、余計な追加料金がかかる可能性もあるからずぶ濡れになるわけにいかない。


 なんとか気合いで涙を止めて、鼻を啜りながら、もう一度朔に語りかけた。


「話したかったことはそのぐらいかな。あとね、一つだけ謝りたいことがあるの。」


 そう言いながらカバンから、黒ずんでしまって、もらった時の輝きのない三つのキーホルダーを取り出した。高校生の時、朔からもらった手作りのキーホルダーだ。


「この子達、無くしたりはしなかったんだけど、私の知識不足でこんな状態になっちゃった。大切にするつもりだったのに、ごめんね。」


 このキーホルダーが銀製だったことを知ったのはだいぶ後だった。


 お守りがわりに常に持ち歩いていたキーホルダーは、雨風にさらしてしまったのと、大会前に祈るように握りしめたりしたせいで、気がついた時には黒ずんでしまった。

 重曹を使ったりとか、シルバー用のクロスで磨いたりも定期的にしたけれど、やっぱりもらった時のような輝きは戻らなかった。専門の業者に出して、綺麗にしてもらうという手もあったけれど、それはなんだか嫌だった。朔からもらったものに、他の人の手が入るのが受け入れられなかった。


 これ以上、雨にぬれてさらに黒ずんでしまうのも嫌だから、急いで鞄にしまって、深く深呼吸をした。最後の別れの言葉ぐらい、ちゃんと笑って言いたかった。


 墓石から視線をほんの少しだけ上に向けた。だいたい本物の朔がいたらこの辺だろうって位置に目を合わせた。身長だって、昔は私の方が高かったのに、気がついたら抜かされてたなあ。


「じゃあね。これからもお墓参りに来れるかどうかは正直わからないなあ。でも、頑張って長生きするから八十、九十年後はまた向こうでよろしくね。」


 目を細めると水滴が溢れる。口角だってうまく上がってない。


 あーあ、ちゃんと笑いたかったのに、どうしても下手くそな笑顔になってしまった。それもなんだか照れくさくって、勢いよく墓石に背を向けた。


 そしてそのまま歩き出して、数歩進んだところで何かが倒れるような甲高い音が響き渡った。


 思わず振り向くと、お供えしてそのまま存在を忘れていた缶チューハイが墓石の前に転がっていた。しまった、お供物はちゃんと持って帰らないと、色々と迷惑になるんだった。Uターンして回収しに行った。


 それにしてもそんなに強い風なんて吹いてなかったのに、開けてもない缶チューハイがどうして倒れてしまったのだろう。


 不思議に思いながら拾い上げると異様に缶が軽いことに気がついた。まるで中身が入っていないみたいに。飲み口の方を見ると空いていて、逆さまにしても一滴もこぼれてこなかった。思わず墓石を見上げてしまう。相変わらず黒く光沢のある石は何も言わずに佇んでいた。


「まさか、あんた、まだ未成年のくせに一気飲みしたの!?一滴も残さずに!?この短時間で!?」


 涙なんて当然引っ込んで、思わず今日一番の大きな声が出た。確かに私はこの缶を開けていないし、空いた音も聞こえなかった。それなのに空になってるってことは、私が歩き出して数歩歩くだけの間に誰かが飲み干したことぐらいしか考えられないわけで。地面にこぼれたような跡もないし。流石に度数が低いとはいえ、ラムネの早飲みみたいに飲み干すのはどうかと思う。


 さっきまでのほろ苦い気持ちはどこかに行って、朔への呆れが湧いてくる。


 死んでからも、私の感情をめちゃくちゃにしてくるやつだ。だから好きになったのかもしれないけど。


 なんとなく、アルコールの空き缶を片手に持ったまま車に戻るのはやばい気がして、クーラーボックスに空き缶をぶち込んだ。きっちり飲み干してくれたおかげで、中が汚れることなんてないだろうし、どうせ汚れてもこれは安物だ。


 そして、今度こそ帰ろうとして、黒い墓石のちょうど缶を置いてあったあたりが何か光り輝いているように見えた。近づいて見てみると、銀色に光り輝くU字型のーーなんだっけ、馬の足につけるやつみたいな形のネックレスだった。

 Uの字の大きくへこんだ部分には青色のキラキラ輝く石がある。多分、何かの宝石だろう。そのネックレスの下には少し黄ばんだような紙が置いてある。

 なんとなく、きっと朔からだろうという自信があって、迷わずそのネックレスと置いてあった紙をとる。紙の裏側には何か書いてありそうだったから、ひっくり返した。


『じゃあな。ごめん。幸せを祈る。

 追記、これは銀じゃない。』


 比較的綺麗に書かれた本文と、本当についさっき慌てて書いたかのような追記を見て思わず笑いが漏れてしまう。


 相変わらず言いたいことだけしか書いてない文章に、もはや懐かしさすら込み上げてくる。


 誰からの手紙かなんて見慣れた字を見ればすぐ分かることだ。さっきから不思議なことばかり起きているけれど、私はそれが全く気にならなかった。きっと答え合わせは死んだ後にしてくれるんだろう。


 手に取ったネックレスをそのまま首につける。大学に入ったばかりの時は、ネックレスを一人でつけるのも一苦労だったけど、今ではネイルでちょっと長さを出した指でも簡単につけられるようになっていた。


 二年間は短いようで、色々と成長するには十分な年月だった。


 朔だってきっとそうだろう。高校生の時は少し歪な形をしていたのに、このネックレスは歪なところなんてなかった。なんとなく、今回もきっと手作りなんだろうなって、そう確信が勝った。


「じゃあね!」


 着けたネックレスを見せびらかすように胸を張って、今度こそ心から笑顔になって、別れの言葉を言った。そしてそのまま振り返らずに軽い足取りで歩き出した。


――あーあ、振られちゃったなあ。


 あの手紙のごめんの意味は、きっと告白に対して。


 幸せを祈る――なんてドラマじゃ身を引く男が言うセリフだ。朔のくせに随分気取った言い回しだ。


 まあ、でも、ちゃんと振ってくれて良かったのかもしれない。初恋を綺麗なまま終わらせるという目的は、朔の手によってより綺麗な形で終わることになった。こんな時まで、あいつは優しいやつだ。あの手紙のおかげで、私はついさっき失恋したと言うのに、妙に清々しい気分だった。


 さっきまでパラパラと振っていた雨もいつの間にか止んでいて、また容赦のない日の光が私を照らしてる。そのおかげで胸元の宝石がより一層輝いているような気がする。


 今度大会に出る時はこのネックレスつけて出てみようかな。流石にいきなりちぎれるなんてことはないだろうし。


 そんなことを考えながら空を見上げると、雨上がりのせいか、空に虹が出ていた。


――虹の先は死者の国につながっている。


 そんなことを小説か、ドラマか、はたまたアニメか、何かで見たような気がする。本当にそうなら、きっと途切れたあの先が朔のいる死者の国なんだろう。これでもう向こうに帰ったのかな。ああ、でも、虹の橋を渡るのはペットだっけ。


 こんなことを考えていると、朔に怒られてしまいそうだ。


 いつのまにか止めていたレンタカーまで辿り着いていて、車のドアを開ける。


 そんなに長時間話していたつもりはないけれど、真夏のおかげで車の中は蒸し焼きになりそうなほど暑くなっていた。エンジンをかけて、少し涼しくなるまで窓を開けて、エアコンがしっかり効くのスマホ片手に待った。数分経って、ようやく涼しくなって、スマホをしまい込んでフロントガラスに目を向ける。虹はいつの間にか消えていた。


 これからの人生がどうなるのかなんて分からない。八十、九十年先じゃなくて、あっさり事故とか病気とかで死んじゃうかもしれない。

 初恋の記憶なんて消え去って、好きな人ができたりとか、付き合ったりとか、結婚したりなんてこともあるかもしれない。


 これから先、私の気持ちがどうなるのかなんて、その時にならないときっと分からないだろう。でも、それでも、もしも死んだあとのあの世で、あるいは通り越して来世で朔に会えたなら、その時はもう一回、朔のこと好きになっていいかな?


「……なんてね。」


 お墓の前では結局言わなかった、私の自分勝手な思いを振り切るための独り言が漏れた。こんなずるいことを、ただでさえ自己満足で告白しに来たのに言うわけにはいかなかった。


 気持ちを切り替えて、シフトレバーをドライブに切り替える。そのまま人はいないだろうけど左右をしっかり見て、ブレーキから足を離す。

 ただでさえ運転に慣れてないのに、山道を下っていくんだから切り替えなくっちゃ。事故を起こして、ほんの十分も立たない間に朔と再会するなんて色々な意味で無理だから!


 外では相変わらず容赦ない太陽が私を照らしている。雲はあっという間に引いていった。きっと夏らしい青空がもう一度広がっているんだろう。


 この暑い夏の日に、私の甘酸っぱくて、ほろ苦い青い春が、ようやく終わりを告げた。そして、一年と半年近く遅れて、人生の夏休みがようやく始まりを告げたような気がした。


本作を最後まで読んでいただきありがとうございました!


初投稿のため、至らない点やご迷惑をかけた点も多々あった方、思いますがこれまでお付き合いいただきありがとうございました。


またいつかどこかでお話を書いた際はよろしくお願いします。本当にありがとうございました!

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