第二章 - 犬猿の宣誓(II-6)
狗上の家で見た『鬼頭真澄のテニス』は、お世辞にも気持ちの良いもんじゃなかった。
スポーツマンシップとか、騎士道精神とか、そういった精神論を語るわけじゃない。崇高な想いからくるものではなくて、もっと直感的ななにか。
暴虐と破壊にまみれたあの試合を、肯定したくない気持ちは確かにあった。
でも、真澄は……あいつは悪いやつじゃないはずだ。俺に向ける笑顔に翳りはなかったと勘が囁いている。
あのプレースタイルになったことには、なにか理由があるのかもしれない。
用件が済んだあと、狗上はぷんすか怒って俺を車に放り込んだ。お付きの運転手さんに送ってもらいながら窓の外を見る。
このあたりは俺の住む地区とは逆方向。新鮮な風景だった。
その景色の中、対向車線の奥。歩道上に、ふと知った顔を見つける。
「すみません、ここで停めてもらっていいですか?」
「ここでいいんですか? 教えてもらった住所まで、まだ少しありますが」
「大丈夫です。どうせ今帰っても誰もいませんし、走って帰れる距離ですから」
俺の声を聞くや、器用にハンドルを切って路肩に駐車してくれる。ドアを開いて外へ出ると春の夜風が身にしみた。
そのまま車の中へお辞儀をすると、人の良さそうな運転手さんは首だけこちらを向けながら。
「優姫お嬢様が異性のご友人を自宅に招かれるなんて吃驚しましたよ。お嬢様はああ見えて心優しい方なので、これからもどうか仲良くしてあげてくださいね」
「なんというか……あいつほんとにお嬢様なんですね……こちらこそ、一緒に戦う大切な仲間ですから。狗上によろしく伝えておいてください」
「もちろんですとも。それでは」
静かなエンジン音とともに、でっかい車が小さな影となって風景に溶ける。
俺はそのまま来た道を駆け戻って――見つけた。
「おっす、真尋さん」
「あれ? まさか、こんなところで会うなんて」
線が細く手足の長い、特徴的なシルエット。
部活から帰る途中だったのか、『御仁ヶ島』と文字の入った上下のジャージにラケットバッグを下げている。
やっぱり真尋さんだったか。
「車の中からたまたま見えてな。聞きたいこともあったし、声かけとこうかなと思って」
「車の中……? 街灯の少ないこの一帯で、この夜闇の中、私の姿が見えたのか?」
「昔から動体視力はいいほうなんだ。夜目も利く」
「なるほど。道理で……」
真尋さんはなにかを納得したように頷き、そして続けた。
「きみのことを調べさせてもらった。申渡悠希くん――ソフトテニス全中大会優勝者」
「わざわざ俺のことを知ってもらえたとは光栄だ。春季関東優勝者――鬼頭真尋さん」
ノータイムで返答する。ラリーの基本は緩急だ。隙を与えてはならない。
真尋さんも、大会でぶつかる相手に他ならないのだから――。
「――っていう駆け引きはやめておこうぜ。大会まで時間あるし。こんな時期から気を張ってちゃ精神がすり減っちまうよ。疲れるのはコートの中だけでいい」
そう提案すると、真尋さんもフッと表情筋を緩める。
「私も同じことを言おうと思っていたところだ……実のところ、今日は練習メニューがかなりハードで、もうくたくたでね……」
ぷしゅうう……と湯気でも立ちそうなくらいに身体の力を抜く真尋さん。
「疲れてるところ、声かけてごめんな。迷惑だったろ?」
「いいんだよ。きみは真澄と仲良く接してくれた。私にとっては、それだけできみと交流を持つ理由になる。たとえコートの上では敵同士だろうとも、その気持ちに嘘はない」
「都合が悪いようなら日を改めるけど……?」
「構わないよ。練習でじゅうぶん身体を追い込んだし、これから食事をとって寝るだけだから。――で、聞きたいことというのは?」
真尋さんの問いに、俺は直球勝負を仕掛ける。
「真澄のテニスを見た。それについて色々と聞きたい」
「……そうか。やっぱり、きみは知らなかったんだね」
こくりと首肯して、頭ひとつ高いところに位置する真尋さんの小さな顔を見上げる。
真尋さんはなにかを口にしようとして――。
くぅぅぅぅぅぅぅ――と。
大きな身体に似つかわしくない、たいそう可愛らしい腹の虫の叫びを俺は耳にした。
「――――ッ!? う、ぅぅぅぅ……ッ!」
真尋さんは、暗闇の中でもはっきりと分かるくらいに顔を赤らめ、か細い声で。
「場所を変えよう……お腹が減って死んじゃうよ」




