第一章 - 犬猿の邂逅(I-1)
それは紛れもない福音だった。
「おいおいおい、マジかよ……ッ!」
目を凝らしてスマホの画面にかじりつく。
第1回全日本青少年高天原オープン。そんな名前の大会が新設されるらしい。
出場資格はアマチュアのみ、それでいて、多額の賞金が存在する。
ていうか『高天原』って、あの高天原グループのことだよな。
協賛企業が冠に拝されているってことは、どうやら本当に実施されるようだ。
これは――きっと天の導きだよな。
俺の望みを実現するための、これ以上ないチャンス。
まあ、そのためには越えるべき高いハードルがあるわけだが……。
「……っと、いけねえ」
今日は晴天晴れわたる土曜日。だが、家を出る時間は平日よりも早い。
なにせこれからバイトだ。9時前にはスタンバイを終える必要がある。
玄関先に突っかけたラケットバッグを背負い、自転車の鍵を手に取る。
下駄箱の上に置いてある写真立てへと、無意識に目が吸い寄せられた。
フレームの中には、満面の笑顔で賞状を掲げる中学生の頃の俺がいる。
日に焼けた真っ黒な肌で、ラケットを脇に抱えてピースを決めていた。
今となっては遠い思い出。少しばかりエモーショナルな気分にもなる。
まあ……悲しいことに、身長はまったく変わってねえんだけどな。
「……それじゃ、行ってきます」
自室で眠っているお袋を起こさないように、俺はそっと玄関を後にする。
アパートの駐輪場からマウンテンバイクを駆り出して、いつものように乗り込んだ。
ペダルを回して緑道を行く。ふいに思い起こされるのは、この町に来た当時のこと。
父と母が離婚したのは、今から1年ほど前。
……まあ、ずっと前から両親が不仲だったことは察していたんだけど。
共働きで、なおかつ母は家事のできない人間だ。仕事の都合で朝早くから夜遅くまで働いて帰ってくる父が求める家庭像とはズレが生じていて、俺が小さな頃から喧嘩が絶えなかった。
俺の住んでいた自宅が父の持ち家だった関係上、ごく自然な流れで俺はお袋とともに地元を出て、こうして遠方の町で新生活を送ることになったのだ。
母はふたりきりの家庭のため日夜あくせく働いている。そんな母の姿を見ているから、俺は俺で日々の小遣いくらいは自分で稼ごうと、こうしてアルバイトを続けているわけだ。
以前のような生活に戻りたい、という感情が無いかといえば、それは嘘になってしまう。
俺が初めてソフトテニスに出会った小学校時代。
ゴム球のことだけを考えていられた中学校時代。
父よりも早く家を出て朝練に向かい、夜は補導される寸前までナイターコートで友人とラケットを振るう。冷めきった家庭に居づらかった、なんてのは建前で。
ほんとうに、心の底から、俺はテニスが大好きなのだ。
そして――それは今も変わらない。
マウンテンバイクが風を切る。
すっかり見慣れた早朝の商店街を突っ切って、レンガ敷きの洒落たビル街を抜けて、バイト先のテニススクールが入ったスポーツセンターへ向かう。
1年前まではこんな景色を目にすると、おのぼりさん全開でビルを見上げながら歩いていたなぁ……なんて感慨が押し寄せる。地元は高層建築よりも山のほうが目についたからな。
お袋とふたりで住んでいるアパートも、コンビニまで自転車で20分かかるような立地じゃないし、バスが3時間に1本しか来ない……なんてこともない。終電が遅くまで通っているから母は俺に留守番を任せて残業に打ち込む日々。
地元の友人やチームメイトとは今でもメッセージアプリでやりとりしているし、SNSでも繋がっているので寂しさが湧くことも少ない。
正直、今の暮らしに不自由を感じるようなことはほとんどないのだ。
ただ一点、どうしようもない不満を挙げるならば。
――新しく通うことになった学校に、テニス部が存在しなかったことくらいか。




