こわあい悪魔がいるから
「ニーナって達観しているよね」
英雄のクライヴは人当たりの良い優しい雰囲気の中に爽やかな面を持つ。それを崩したところは見たことがなく、今日も今日とて見慣れた顔だ。名前を教えてからうんざりするぐらいニーナと呼ばれたことも慣れを助長し、私は足をぶらぶらさせて気楽に果実水を飲んでいる。私が自堕落でどこかに出かけにいこうという性格ではないので、妥協点でカフェでお茶としゃれこんでいるのだ。
なんて答えようかな、と考えていると、クライヴが話を続ける。
「年頃の女の子なら色んなことに興味を示してはしゃぐものなのに。別に動じないのが悪いとは思ってはいないからね。何がそんなに達観させているのかなって純粋な疑問。普通ならうんざりするような俺の気持ちも受け止めてくれるし」
「わあお、自覚済みだったんだ」
「客観的にものを見る目は養っているつもりだからね」
クライヴは自身がおかしいことを自覚しているから、人との付き合い方も上手いんだろうな。
取り繕うことが上手いのだ。それは貴族相手にも通じていて、武功持ちという利用価値があるとはいえ出自を明らかにしない不審者でいるのに素晴らしい手管だと思う。
私たち暗部をもってしても、クライヴの出自は分からないでいた。だから年齢についても聞いたし、こうして付き合っている間にも情報を集めている。既に叙勲は済んでいるが、それに見合った働きはこの先も王族は求めているのだ。武功に報いるためもあるが、一番の目的はそれだろう。
「クライヴはなんでもできるからすごいね」
「ニーナにそう言われるなんて思ってもいなかったから嬉しいな」
完全なるおべっかだが、クライヴは本心からそう言っている。私に対する認識が酷いが事実そうで、付き合ってはいるが好意は一方通行と私は好きだよなどと嘘でも言ったこともなかった。
どうせ好意がないことは分かっているだろうし、それならば演技して疲れる必要もないとありのままの姿を見せていた。そのおかげで私は案外居心地よくクライヴと過ごせている。それは直球に情報を集めることにも繋がった。
「何か私がつけこめそうな弱点とかないの?」
「俺が君を愛していることだね。殺しにかかってこられても、俺は手加減することになる」
「手加減でも完璧に対処されそうなのがなあ」
王族とクライヴが違えることになったら暗殺もしにいくだろうが、現段階では素直に従っている。そんな起こらなさそうな未来より、もっと有益な話でもするべきだろう。
「クライヴのあの武器ってどこで手に入れたの?」
「ククリのことかな。湾曲した刃の短剣」
「そう、それ。ククリっていうんだ」
聞いたことはない名称だが、クライヴ以外の使い手がいることは調べがついている。
私はズバリ切り込んだ。
「イェア族出身なんだ」
クライヴが出自を隠しているのは、その部族が王国に住まいながらもその庇護を拒絶しているからだろう。誰かに縛られることなく、好き勝手に動くことができる。その地を収める者にとっては何をしでかすか分からない頭痛の種で、イェア族と名乗れば悪印象を抱かれるには想像に難くない。
「そうだよ。よく調べたね」
クライヴは慌てることなく、笑ってやり過ごす。その笑みを崩すことができないのが不満で、「否定しないんだ」と拗ねた口ぶりになってしまった。
「ニーナに隠すことは何もないから」
私の正体は何も話していないというのに、大した太っ腹だ。
クライヴ・ミル・ディネイファスというフルネームもイェナ族由来なのだろう。『名前・豪傑であった先祖の名前・姓』の順の意味だと教えてもらい、私は気まぐれを起こす。
「私は諦めちゃっているからね」
今日のクライヴは多くの質問に答えてくれたので、私も達観している理由を答えてあげる。
「人生を?」
私の事情を聞かないようにしているクライヴが、今回は聞いた。
暗部に関係ない部分なら教えられないこともない。私は机に身を乗り出す。
「大雑把に言えばね。……こわあい悪魔がいるから」
人の目や耳があるから耳打ちすると、クライヴはくすぐったそうに目を細める。もう話は終わりだと私は席を立って、その場を後にした。
「もうデートは終わりか」
「もっと見たかったの? つまらないだろうに」
「いやいや、そんなことはない。ハラハラドキドキで、今にもどうにかなっちまいそうだ」
大通りから細い横道に入ってしまえば、直ぐ近くにあるはずの喧噪は遠く感じる。日向の当たらない、薄暗くてじめじめとした場所は私たちにとって馴染みの場所だ。普通の人は寄り付かないからいっそう縁がある。
セシルはひょっこりと姿を現す。私も彼もお互い何を話す必要もなく事情を分かっていた。クライヴと付き合っていることは、王子に『英雄の情報もっといりますかー』と言ったからには隠し立てする気はない。
暗部を使って大々的に調べ上げたのだ。私が新たな情報源を発見したと言ったようなもので、迂遠な様から監視されるのは想定内だ。
私は監視を黙って受け入れていたのだが、それなのに監視者たるセシルに接触を果たしたのは理由がある。
「私、どうなると思う?」
「呼び出しは確実。後はあのお方の御心のままに、だな」
私の処遇がどうなるか、誰かの意見を聞いてみたかったのだ。あのお方というのは勿論王子で、王子の愛人やペットをやっている身としては、色仕掛けは避けた方がいいに決まっている。セシルの言い方からして、不興を買っているのは間違いない。
以前から監視しても今日までは自由にやらせていたのは、やはり英雄の情報が欲しいからだろう。だが、それもクライヴがイェア族出身だと認めたことで、その背景を推測できる域まできてしまった。もう情報収集は必要なく、おしおきの時間だ。
私はやっぱりそうだよね、と憂鬱になる。付き合うことを断れれば良かったが、クライヴは何をしでかすか分からない恐さがあった。情報収集のためと理由をつけ、先だって迂遠にも報告を上げて罪を軽くしたが、王子はそれはもう支配欲が強いのだ。
「まあ、頑張れ」
サムズアップしてくるので、面白がっているしか見えなかった。セシルは私の身を案じてくれないらしい。初恋の相手だったからとはいえ恋慕は残っていないが、親愛ぐらいはある。
酷い奴だとぶうたれると、セシルは苦笑に追い込まれる。
「俺にはどうにもできないことだからな。男運がないお前が悪い」
「セシルでもそう思うんだ。クライヴはともかく、不敬罪で処理されちゃうよ」
「おっと。俺はあのお方だとは言っていないからな」
「誤魔化したって無理があるんじゃない?」
「俺が示唆したのは英雄と俺自身のことだから問題なしだ」
「セシル自身が? 確かに変わっているとは思うけど」
惚れた女を監禁とすることはしているが、直接的な被害はない分、王子とクライヴと合わせて男運が悪いと言えるほどではない。
王子のことを悪く言っても咎めやしないこともポイントだ。他の仲間だったら、言ったその場で殺しにかかってきてもおかしくはない。
「俺、彼女の悲鳴聞いて喜ぶたちだろ?」
「そうらしいね」
「で、その性癖になったの、お前が原因なんだよ。ネイサに調教されてるニーナの悲鳴はよく聞こえていてさあ。そのうち興奮してきて、今に至る」
「え゛」
暗部の教育と悪魔の拷問で耐性がある私でも肌が粟立った。悲鳴のような叫びを上げる。
「私、興奮されてたの!? ていうかセシルが変なの、私がきっかけ!?」
「さっきからそう言ってるだろ。だから男運がないって話。分かったか?」
「分かったけど、分かりたくなかったよ! ちゃんとあの女の人に悲鳴以外で惚れてるところあるんだよね!?」
「さあ、どうかなあ」
「はぐらかす時点でやばすぎるっ」
まさか監禁している女を私の代わりにしてるってことはないと思うけど……。
私は肌をさすりつつ身も心も距離を大きくとっていると、セシルは腹を抱えてくつくつと笑い始めた。そこで私は面白がられていたことに気づき、非難を込めてじっと見つめる。
「ったく、そう怒るなよ! 俺は嘘は言ってないからな。これでニーナと会うのも最後かもしれないから、思い出話だ」
「思い出話するにしてももっといい話があるよね? ……最後、かあ」
どういう意味だと、胡乱な目つきで問いただすが、セシルは肩をすくめるだけで終わった。
「俺は王子の方をお勧めしておく。ニーナにとっては英雄様の方が幸せになれそうだけどな」
セシルは監視者の立場から色々な情報を持っていて、言いたいことだけ言って高みの見物だ。私としては全く面白くないが、聞けても覚悟ができるだけだ。なるようになるしかない。
「遊ぶのは楽しかったか」
王子はいつものように気楽にしろと言わなかった。堅苦しい、本来の王族と暗部の立ち位置である。頭を垂れながら正直に「それなりにです」と答える。嘘をつくには王子に私の本性が知れているので、逆に顰蹙を買う。
「ニーナ。脱げ」
「はい」
私は自らの体に価値をつけてはいない。恥じることなく、するすると衣服を床に落としていく。どこまで脱げばいいのだろう。王子の感情の読めぬ目に射抜かれながら、結局身にまとうものは全てなくしてしまった。
ここは王子の寝室で、王子は寝台に腰掛けた。口にしないでも、この場所で裸にされたとあれば及ぶ行為は一つと決まっている。
「こい」
操り人形のように私は王子の指示に従い、王子は目の前まで来た私の腕を引っ張って寝台に押し倒した。一切抵抗しなかったことで、伏せた状態で寝台と抱き合うことになる。不格好で笑えると思えるぐらいには余裕を持っていたが、不意打ちで背を指先一本でつうっとなぞられ、声にならない息が漏れた。
王子は暫くして、私の体を反転させる。
「きれいだな」
これは私の体を褒めたたえていない。声まで冷たさに帯びているし、クライヴに体を委ねていなかったことを言っただけだ。
「健全すぎる付き合いですので」
「英雄は不能だったのか?」
「そこまでは調べていませんでしたね。調べましょうか?」
「いらん。お前は男心というのが分かっていないな」
私の軽口に、王子は声を軽く弾ませて応酬する。ただし私に行う仕打ちは内心の腹立たしさが現れていた。私の首元に顔を寄せられ、歯が当てられて鈍く痛む。
「ん……」
雰囲気を出した方がいいと思ってそれっぽく喘ぐと、次からは多少優しめに口づけされる。まだ肉付きが良くない私の体の各場所に痕をつけて、王子は最後にもう一度首に取り掛かった。
両手できゅっと絞められることで、私は喉の痛みに呼吸ができない苦しさを味わう。だが悪魔に何度も体験させられていたし、それと比べると力が加減されていることからじわじわとくる苦しさとなった。声を上げることはないが生理的な涙が流れたところで、力は緩められる。
呼吸を塞き止められていたため、胸部を上下に大きく動かし体の巡りを整える。殺されるとは思っていなかったけど、首絞めとは。それなりに怒ってたんだろうなあ。
落ち着いたころ合いを見て王子は唸るような低い声を出す。
「お前は俺の物だ」
「その通りです」
「裏切るようなことは考えるなよ」
「しませんよ」
「英雄を暗殺してこいと言ってもか」
「はい。王子は既に分かっておられるでしょうに」
こんなのただの確認だ。悪魔がいるのだから、私は王族に従うしかない。
「はっ。生意気な口だ」
王子は支配欲を満たして、私が予想していた行為に及ぶ。
朝のまだ日が出ていない薄暗いうちに寝台を抜け出した私は、鏡の前に立って嗤う。
体中はキスマークという名の痣だらけで、見えぬ内側も傷ついている。腹部の下を、次に酷い首元も撫でる。口でつけられた痣は、手でつけられた痣に上書きされて見分けがつかなくなっていた。
痣は王子の所有物である証だ。これを服で隠すとしたら肌の出ているところは手と顔だけとなるだろう。動きを阻害する部分をなるべく作らないようにするため、私は普段から肌の露出は多い恰好をしていた。クライヴに会うときには不思議がられるだろうなと思うが、王子にもう会うなと命令されたことを思い出す。気楽にいられる居場所がなくなった、と惜しむべくは自身の保身で寂しさだとかはなかった。




