74話 探偵、魔王の記録を見る 6
レコが書き残した魔王との戦いの記録も、残りページ数から見てそろそろ終わりだろう。
俺はページをめくった。
『キーロックは「オレに良い案があるんだが」と言った。
それは言い換えれば、良い案が必要なほどに、わたしたちは今まずい状況にあることを意味している。
わたしは、キーロックの言葉に返事をする前に、状況を振り返ってみることにした。
たしかに状況は悪い。
何しろキーロックは利き手側の肩をケガしているのだ。
現在、わたしが回復魔法をかけてはいるが、短時間では元通りにするのは難しいだろう。
かといって、長々と回復魔法をかけている時間はない。
なぜなら、わたしたちは今、魔法のバリアの中に立てこもっているが、そのバリアが短い時間しか持たないからだ。
バリアが消えれば、魔王の風の刃が次々と飛んでくる。回復しているヒマなどないだろう。
つまるところ、今回の魔王との戦いの間は、キーロックの肩は回復しないのだ。
回復しなければ、満足に剣が振るえない。魔王の風の刃を防ぐことも難しいだろう。
わたしたちはこれまで2人で固まって逃げながら、2人がかりで何とか魔王の風の刃を防いできた。
しかし、そのうちの1人が十分に働けないとなると……もはや魔王の攻撃を防ぐのは困難である。
要するに、バリアが切れたとたん、我々は風の刃でズタズタにされるのだ。
(……うん、実にまずい状況だな)
このようなまずい状況を何とかするための良い案をキーロックは持っていると言う。
「どんな案だ?」
わたしはたずねた。
キーロックは魔王をにらんだ格好のまま答えた。
「今のオレたちじゃ、普通に戦っても魔王には勝てそうにない。それどころか普通に逃げても死ぬだろう。ならどうするか? 答えはシンプルだ。普通じゃない逃げ方をする。おとり作戦だよ。まず、オレが魔王に突っ込む。その間に、レコは逃げる。これだけだ。簡単だろ?」
しばしの沈黙の後、わたしはこう返答した。
「……お前はバカか?」
キーロックを犠牲にして、わたしだけ助けようという作戦の一体どこが良い案だというのだ。
「まあ聞け。これが一番、2人とも助かる確率が高いんだ」
そう言うと、キーロックは説明をした。
何度も書いているように、魔王の生態は、イカの一種であるリゾックに似ている。
リゾックは獲物が逃げ出すと風の刃を放つ。一度風の刃を放つ状態になったら、獲物が全員死ぬか見えなくなるまで風の刃を放ち続ける。
そして、その風の刃は、自分に近い獲物に対して集中するそうだ。近くの獲物から狩って食べるというわけだ(バラバラになった獲物を吸い込んで吸収するらしい)。
「だから、オレが魔王に突っ込めば、やつの攻撃は近くにいるオレに集中する可能性が高い。そのすきにレコが逃げればいいのさ」
「攻撃が集中したら、キーロックが死んでしまうじゃないか!」
「いや、死なない。理由は2つある」
キーロックは説明をした。
1つ目の理由は、正面から立ち向かえるからである。
「逃げながら剣を振るって風の刃を防ぐより、正面から剣を振るった方が防ぎやすいだろ?」とのことである。
2つ目の理由は、スキルである。
「知っていると思うが、オレには、敵と真っ正面から立ち向かうことでステータスが底上げされるスキルがある。このスキルの力で、魔王の攻撃も防ぐ」とのことである。
「だ、だが、キーロック。お前は右腕を満足に使えないじゃないか。それで魔王の攻撃を防げるのか?」
「まだ左腕がある。ケガをした時に備えて、左腕も右腕に近い動きができるよう日頃から訓練してきたからな。それに、オレは体に異常や異変があっても、すぐに適応することができる。昔からそういうのが得意だったんだ。よく知ってるだろ?」
わたしは、なおも反論をする。
「……なるほど、魔王に正面から向かえば、風の刃も防げるかもしれない。だが、いずれキーロックも背を向けて逃げなければならないだろう?」
キーロックの作戦は、以下の1、2、3を順におこなうものだ。
1.キーロックは魔王に立ち向かう
2.そのすきにわたしが逃げる
3.キーロックも魔王から逃げる
1はいい。
2もいい。
だが、3はどうか?
キーロックは正面から立ち向かうなら、魔王の攻撃を防げると言っている。
言い換えれば、正面から以外なら防げない。
当然、3の段階で……つまり背を向けて逃げる段階で死ぬ。
「いいや、死なない。オレには奥の手がある」
「奥の手?」
「そうだ」
「それはいったい……」
「レコっ! バリアがそろそろ!」
キーロックが叫んだ。
魔法のバリアは消える30秒前から薄くなっていく。これのおかげで消える時間が正確に分かる。
そして今、残り30秒でバリアは消えようとしていた。
「時間がない。オレの言った作戦で頼む」
「だ、だが……」
「レコ!」
「……わかった。なら、これを」
わたしは小さな赤い石をキーロックに渡した。
「これは?」
「魔法のバリアを1回だけ発動させる石だ。発動時間は1分と短いが、それ以外はわたしが今発動させているバリアと同じだ。何かの時にでも使ってくれ」
「っ! ありがたいっ!」
「ポケットに入れておけば、バリアと念じるだけで使える。念じ間違えるなよ?」
「オレがそんなミスするか」
「ああ、そうだな。じゃあ……死ぬなよ?」
「当たり前だ。今までに、一度だってオレが死んだことがあるか?」
そう言うと、キーロックは剣を構えた。
先ほども書いたが、彼はバリアの中に入ってからずっと威嚇のため、直立して、左腕を斜め上に伸ばして、目と口を大きく開け、岩の上に乗るという格好をしていた。
その格好を「やれやれ、やっと動ける」と言わんばかりに崩し、剣を構えたのだ。
同時にバリアが消える。
その瞬間、わたしたちは駆けだした。
キーロックは魔王へ、わたしは出口に向けて、である。
出口まで300メートル弱。
いつもならあっという間の距離だが、今はとてつもなく長く感じる。
わたしはキーロックの視界を取得した。
キーロックが今見ているものを、自分の視界にも映し出したのだ。
先ほどキーロックに渡した赤い石の効果だ。
キーロックには、あの石は魔法のバリアを発動させる石だと説明したし、事実その通りなのだが、あの石には実はもう1つ効果がある。
視界を見ることのできるアイテムとしての効果である。
あの石にはセットになる青い石があり、青い石を持っている人は、赤い石を持っている人の視界を見ることができる。
そして、わたしは青い石を持っている。
おかげで、キーロックの見ているものがわたしにも見えている。
無論、自分の本来の目に映っているものも見えている。自分の視界の片隅にキーロックの見ているものが見えていると言うべきか。
慣れないうちは2つの映像が同時に映って脳が処理しきれずに混乱してしまうが、慣れればどうってことはない。
わたしは出口に向けて走りながら、キーロックが無事であるかも見ていた。
キーロックの予想通り、魔王の攻撃は彼に集中していた。
その集中した攻撃を、彼は左利き用の剣の構えで、器用に防いでいた。
防ぎながら、魔王との距離を詰めていく。
それを何度か繰り返し、魔王を覆う破壊の粒子のすぐ手前(ちょうど、ついさっき、わたしたちが一番魔王に近づいた時にいた場所)までたどり着いた時である。
魔王の風の刃が途中で曲がり、キーロックの足下に襲いかかった。
キーロックは慌てつつも、剣を下から上にすくい上げるように振ることで風の刃を防ぐ。
「うおおっ!」というキーロックの叫び声がここまで聞こえてくるほどの気合である。
が、無理な体勢をとったせいだろう。
バランスを崩して倒れてしまった。
運が悪いことに、そこには魔王が吐いたスミがあった。
バシャッ、と頭から地面にたまったスミに突っ込む。
キーロックの視界が黒くふさがれてしまった。
目つぶしのスミで両目ともに見えなくなってしまったのだ。
「キーロック!」
わたしは思わず叫びながら、後ろを振り返る。
足は止めないが、後ろを凝視する。
数百メートル離れているが、高レベルのわたしは目もいい。
目の見えなくなったキーロックは、じっと立っていた。
魔王も何もしない。勝利を確信して、どうやって殺そうかと考えているのだろうか。
「っ!」
わたしは今すぐに戻りたい衝動に駆られた。
だが、戻ってしまってはキーロックが稼いでくれた時間を無駄にしてしまうことになる。
(だ、大丈夫、キーロックには奥の手がある……。彼自身がそう言っていたじゃないか。そうだろ、キーロック?)
そんな中キーロックが動いた。
一歩一歩ゆっくりと歩いて行く。
(な、何をやっているんだ、キーロック? そっちは破壊の粒子だぞ? 死ぬぞ? お、おい、奥の手はどうした? キーロック!?)
キーロックは破壊の粒子に突っ込んだ。
そしてそのまま、彼の体は砕けた。
比喩でも何でもない。文字通り、肉体が砕け散った。
つまり、死んだのだ。
あまりにもあっけない最期。
わたしは呆然とした。
(な、なぜ……いったいどうして、そんな自殺みたいな真似を……。目が見えなくなったからといって、あきらめて自殺するようなやつじゃなかったはずなのに……ま、まさか……)
そして、わたしは理解した。
理解してしまった。
キーロックに奥の手などなかったのだ。
彼は、はじめから死ぬつもりだった。
まず魔王に近付き、攻撃を自分に集中させる。
そして、目が見えなくなるなどして、これ以上戦えないと判断したらできるだけ魔王に近づいて……つまり破壊の粒子に突っ込んで、死ぬ。
キーロックは、リゾックが獲物を狩って食べている、と言っていた。
目の前に死体があれば、リゾックはそれを食べる。その場で吸い寄せて吸収して食べる。
であれば、リゾックと似た生態を持つ魔王もまた、近くに死体があれば食べる可能性が高い。
それをキーロックは狙ったのだ。
自分が目の前で死ねば、魔王は自分を食べる。その間に、わたしが逃げる時間が稼げる、というわけだ。
(キーロック……キーロック……)
わたしはもう感情がグチャグチャになって、どんな気持ちになればいいのかわからなかった。
ただ、それでも、ほんの数秒間とはいえ、自分が呆然として立ち止まってしまったことに気づき、慌てて駆けようとした。
ここで立ち止まってしまっては、キーロックが稼いでくれた時間がムダになってしまう。
わたしは懸命に足を動かそうとする。
その瞬間、風の刃に切り裂かれた。
「……え?」
左脇腹の少し上あたりを抉る刃。
思わず膝をつきそうになりながら、ここで倒れてはいけないと何とか踏みとどまる。
魔王はキーロックを食べたりなどしなかった。
リゾックは獲物を食べるが、魔王は食べない。何もかもリゾックと同じではない、ということか。
「くっ!」
魔王の生態に文句を言っても仕方がない。
今すべきことは、逃げることである。
わたしは駆け出す。
出口まであと少し。
けれどもその少しが永遠のように長い。
次々と飛んでくる風の刃を、魔法を放って防ぐ。自分でもこれほどの力が出せたのかという勢いで、冗談抜きで生命力が削れるほどに力を振り絞って、魔法を使う。
それでも防ぎきれず、右胸部や左腕に深手を負いながら、逃げる。
逃げる、逃げる、逃げる。
そして、ドームの中に入る。
ここまで来ると、風の刃は飛んでこなかった。
よろよろと魔王の玉までたどり着き、触れる。
一瞬にして見覚えのある地下迷宮の一室に戻った。
ついさっき、この部屋にはわたしとキーロックがいた。
2人して魔王を倒しに向かった。
妹を助けるために向かった。
だが、戻ってきた今、わたしは1人である。
魔導時計を見ると、あれから1時間も経っていなかった。
「うっ……くっ……」
妹は助けられなかった。
それどころか、キーロックまで死なせてしまった。
全てわたしの責任だ。
わたしをかばってキーロックがケガを負わなければ、少なくともキーロックは今も生きていたのではないか。
後悔、悔恨、自責。
そんな気持ちがぐるぐると頭の中をまわり、気持ちをめちゃくちゃにしていく。
だが、それでも、わたしは自分のやるべき仕事をやらなければならない。
魔王の情報を届けることだ。
そのためには、生きて帰ることだ。
今、わたしのグチャグチャになりそうな心を支えているのは、責任感だけである。
そうして、わたしは歩いた。
迷宮内を歩いた。
出口に向けて歩き続けた。
体中のあちこちから血がドクドクと流れている。
魔王の攻撃を防ぐために無茶な魔法の使い方をしたためか、回復魔法を使う力も残っていない。
回復薬もいくつか持ってきているが、まるで効かない。回復薬は、人間の生命力をベースに回復をさせているらしいから、生命力を削るような魔法の使い方をしてしまったことが原因かもしれない。
血と共に体力が削れていく中、わたしは歩き続けた。
運良く誰かに出会えれば助かったかもしれない。
だが、そんな幸運は訪れなかった。
誰とも会うことなく、出口にもたどり着くことなく、力尽きてしまったのだ。
これも、キーロックを死なせてしまった報いか。
そうして、わたしは今、地下迷宮の通路で壁にもたれて座り込みながら、この手記を書いている。
血はまだ止まらない。体からどんどん力が抜けていく。
じきにわたしは死ぬだろう。
キーロックが命を張ってわたしを逃がしてくれたのに、情けない限りである。
あの世でなんと詫びればいいのか……。
詫びると言えば、妹……ローザに対してもだ。
ダメな姉で申し訳ない。
結局何もしてやれなかった。
わたしに何かあったらローザが死ぬまでの間面倒を見てくれるよう、信用できる者に依頼はしてあるのがせめてもの救いか。
どうか、わたしのことは忘れて、残りの人生を心穏やかに過ごして欲しい。
後は何を書けばいいだろう……。
ああ、そうだ、魔眼だ。
わたしはユニークスキルとして、魔物の倒し方がわかる。
で、魔王を倒すには、魔王本体を1時間触り続ければよい。
このことはすでに書いた。
ただ、書き忘れていたことがあって、魔王自身は触られたとしても動かないということだ。
あの魔王は動かない。
腕が10本もあるのだから、その腕で攻撃してきてもよさそうなものだが、動かない。
ただじっとふわふわ浮いているだけである。
ずっと潜み続けてきたおかげで動くのを忘れてしまったのではないか、と思うほど動かない。
魔眼で見抜いたことであるから間違いない。
このことが魔王を倒すヒントになれば幸いである。
最後に、これを読んでいるあなた。
あなたが、どこのどなたかは分からない。一流の冒険者かもしれないし、勇者と呼ばれる存在かもしれないし、あるいはまだ世間に評価されていない未来の英雄かもしれない。
あなたが誰であろうと、この手記が何かの役に立ってくれれば嬉しい。
こんな失敗はしてはいけないという教訓としてでもいいし、何かの研究資料としてでもいいし、ちょっとした話のネタとしてでもいい。
そして、もちろん魔王を倒すヒントとしてでも役に立てれば幸いだ。
この手記が、誰かのためになることを願って。
冒険者レコ・ルードより』
レコの手記は、ここで終わっていた。
(安心してくれ。あんたの手記は俺が役立てる。もちろん魔王を倒すヒントとしてな)
俺は心の内で、そうつぶやいた。
2022/5/13 誤字脱字、細かい表現の修正