第四章 フツーじゃない君
1
最初の電話が入ったのは月曜日の午前九時十七分、翔太が北陸第二に行く日の前日だった。
「長谷川さん、東北第三センターでトラブルが発生しています」
電話の向こうで、高橋の声が少し上ずっていた。
「どうした?」
「積込完了になっている荷物が、実際にはトラックに載っていなかった事案が複数件発生しています」
「何件?」
「今のところ十二件です。ただ、ほかにもあるかもしれません」
僕はパソコンの画面を開いた。東北第三センター。先月、新システムに切り替えたばかりの拠点だった。
「配送先には連絡した?」
「先方で確認中です。あと、北陸第二でも似たような報告が出ています」
僕は一瞬、言葉を失った。北陸第二。葵が以前から気にしていた拠点だ。
「翔太には?」
「もう連絡しました。今、現場の担当者と話しています」
「わかった。状況を整理して、十分後にもう一度連絡して」
電話を切ると、僕はすぐに葵を呼んだ。
「森下さん、ちょっといい?」
葵は席を立った。
「東北第三で、積込完了になっている荷物が実際には載っていなかったらしい」
葵の表情が変わった。「……東北第三ですか」
「うん。北陸第二でも似たようなことが起きてる」
葵は少し考えた。「前に調べたデータと、関係があるかもしれません」
「僕もそう思う」僕は頷いた。
「一緒に確認してくれる?」
「はい」葵はすぐに自分の席へ戻った。
その背中を見ながら、僕は先週のやりとりを思い出していた。以前、翔太は北陸第二センターを訪問し、現場の責任者から作業手順について説明を受けていた。
端末が積込場所から離れていることも、完了登録を先に済ませる慣習があることも、報告を受けていた。しかし、実際の作業が集中する時間帯に、現場の動きを確かめたわけではなかった。
設備改修には時間がかかる。翔太は当面、手順を守るよう現場に依頼していた。
僕の方でも、追加端末の設置費用について先方と相談していたが、正式な回答はまだ得られていなかった。その間にも、新システムの導入は予定どおり進んでいた。僕は時計を見た。九時二十三分。まだ、朝が始まったばかりだった。
2
午前十時半、緊急会議が開かれた。大滝統括部長、翔太、僕、開発担当者、運用担当者。葵も同席した。会議室のモニターには、障害の発生状況が表示されていた。
東北第三、北陸第二、信越第一。
いずれも、古い設備を使っている拠点だった。
「現時点で、積込完了の登録と実際の積み込みに食い違いがあることが確認されています」
高橋が説明した。
「新システムでは、積込完了の登録と同時に配送情報が確定し、後続の処理が自動で進みます」
高橋は画面を切り替えた。
「ところが、一部の拠点では、実際の積み込みが終わる前に完了登録を行っていました。端末が積込場所から離れているため、先に登録を済ませておく方が都合がよかったようです」
「それで?」
大滝が促した。
「旧システムでは、その後に積み残しや荷物の変更があっても、出荷確定前なら修正できました。現場は新システムでも同じように考えていたんです」
高橋は少し間を置いた。
「しかし、新システムでは、完了登録後に変更を入力しても、変更履歴は残りますが、確定済みの配送情報には自動的に反映されません」
「つまり、現場では修正したつもりでも、配送情報は変わっていなかったということか」
「はい。現場では、反映されなかった変更をメモや電話で伝えていたようですが、連絡が行き届かないままトラックが出発したケースがありました」
高橋は画面に表示された一覧を指した。
「実際には積み込まれていない荷物が、システム上では積み込まれたことになっていたんです」
「それは手順違反だろう」
大滝が尋ねた。
「はい」
「研修やマニュアルで周知したのではなかったのか?」
「実施済みです。手順書も配布しています」
大滝は腕を組んだ。「それで、なぜ守られていない?」
翔太が少し間を置いてから発言した。「現場の作業動線に問題があります。端末が離れていて、積み込みが終わるたびに登録しに戻ると、作業が遅れるんです」
「それは事前にわからなかったのか」
翔太は黙った。僕は口を開いた。
「一部の拠点では把握していました。ただ、設備改修の費用負担について先方との調整が必要で、対応が遅れていました」
大滝は僕を見た。「つまり、問題を認識しながら、導入を進めていたということか」
僕は答えに詰まった。「……結果として、そうなります」
会議室が静かになった。
大滝はしばらく資料を見つめていた。
「原因の究明も必要だが、まずは被害を広げないことだ」その声は低かった。
「影響がある拠点の切り替えを一時停止する。すでに導入済みの拠点については、積込完了の登録と実際の出荷を照合する暫定手順を入れてくれ」
翔太が頷いた。「現場には俺から連絡します」
「長谷川、先方との調整を頼む」
「はい」
「開発側は、完了登録後の変更履歴を抽出できるようにしてくれ。誤ったデータを洗い出す」
大滝は一人ひとりを見た。
「責任の話は後だ。今は、できることを全部やろう」
会議が終わり、全員が立ち上がった。葵は最後まで席に残っていた。
僕は声をかけた。「森下さん、大丈夫?」
「はい」彼女は頷いた。「一つ、確認したいことがあります」
「何?」
「今回のトラブル、全部の拠点で起きているわけじゃないですよね」
「そうだね」
「だったら、起きていない拠点と比較したいです」
僕は頷いた。
「いいね。お願いできる?」
「はい」葵は少し考えた。「ただ、現場の人に確認したいこともあるので……」
「わかった。連絡先を調整するよ」
彼女は小さく頭を下げた。以前なら、僕は「無理しなくていいよ」と言っていたかもしれない。今は、そう言わなかった。
3
午後になると、状況はさらに悪化した。東北第三センターで、追加の積み残しが確認された。北陸第二では、出荷したはずの荷物がセンター内に残っていることがわかり、配送先から苦情が入った。
物流会社の本社には、各拠点から問い合わせが殺到していた。僕は先方の担当課長と何度も電話で話した。
「とにかく、現場が混乱しているんです」
課長の声には疲労が滲んでいた。
「わかっています。まず、影響がある拠点については、切り替えを止める方向で調整しています」
「それだけじゃ困るんですよ。もう動いているセンターはどうするんですか」
「暫定的に、積込完了の登録後に実際の出荷確認を行う手順を……」
「その確認をする人間が足りないんです!」
僕は黙った。先方の事情は理解できる。現場はすでに忙しい。そこに新たな確認作業を加えれば、さらに負担が増える。
「何とか、御社の方で対応できませんか」課長が言った。
僕は反射的に答えかけた。「できる限り……」
そのとき、翔太の顔が浮かんだ。向こうの事情ばっかり考えて、うちの連中の事情はどうすんだよ。
僕は一度、息を吸った。
「対応できる部分と、できない部分があります」
課長は黙った。
「データの抽出と照合表の作成は、こちらで対応します。ただ、実際に荷物が積まれているかどうかは、現場で確認していただく必要があります」
「しかし……」
「確認作業を減らせる方法は考えます。全件ではなく、問題が起きやすい条件に絞って確認できるようにします」
電話の向こうで、課長がため息をついた。「……わかりました。こちらでも人員を調整します」
僕は電話を切った。胸が少し苦しかった。断るというのは、思っていたより勇気のいることだった。それでも、今の僕には、すべてを引き受けることが正しいとは思えなかった。
4
翌朝、翔太から電話が入った。「陸、北陸第二に着いた」
「どう?」
「思っていたより厄介だな」 電話の向こうで、機械の音が聞こえた。
「端末が事務所の奥にあるんだよ。積込場所から片道五分くらいかかる」
「前に聞いたとおりだね」
「ああ。でも、実際に歩いてみると、これが結構面倒なんだ」翔太は少し笑った。「トラックが何台も並んでて、荷物を積んで、確認して、それから事務所まで戻って登録する。忙しい時間帯に毎回やるのは、そりゃ大変だわ」
僕は黙って聞いていた。
「現場の人にも話を聞いた。昔から、先に登録しておいて、あとで修正するやり方だったらしい」
「うん」
「前のシステムじゃ、それでも何とかなっていたんだな」
「そうみたいだね」
翔太は少し間を置いた。
「俺、最初に来たとき、ルールを守れって言ったんだよ」
「うん」
「間違っていたとは思わない。積み終わってないのに完了って登録するのは、やっぱりおかしいだろ」
「そうだね」
「でも、守れない理由をちゃんと聞いてなかったんだ」
僕は何も言わなかった。
「現場の人に言われたよ。『わかってますよ。でも、どうすればいいんですか』って」翔太は苦笑した。「そのとおりなんだよな」
「それで、どうする?」
「まず、積込場所に仮設の端末を置けないか確認してる。通信環境と電源が確保できれば、かなり改善するはずだ」
「費用は?」
「そこは相談だな。でも、今は応急対応を優先したい」
僕は頷いた。
「先方には僕から話してみる」
「頼む」
翔太は少し間を置いた。「あとさぁっ」
「何?」
「森下の資料、助かったよ」
「そう」
「あいつが気づいてなかったら、もっと傷が広がってたかもしれない」
僕は小さく笑った。「本人に言ってあげてよ」
「……そうだな」翔太は少し照れたように笑った。
5
その日の午後、葵が作成した比較資料がまとまった。問題が発生した拠点と、発生していない拠点の違いを整理したものだった。端末の設置場所、作業員の人数、トラックの出発間隔、積込完了登録の時刻。数字の並びの中から、いくつかの共通点が浮かび上がっていた。
問題が多いのは、端末が積込場所から離れている拠点だった。さらに、出発便が集中する時間帯ほど、完了登録後の変更が多くなっていた。
「これ、かなりはっきりしてるね」
僕が言うと、葵は頷いた。「はい。ただ、例外もあります」
「例外?」
「最初は、端末が遠いことだけが原因だと思っていました。でも、それだけじゃ説明できない拠点があって……端末が遠くても、問題が起きていない拠点があるんです」葵は別の表を示した。
「そこは、積込完了の確認をする担当者が決まっていて、作業員が端末まで戻らなくてもいいようにしているみたいです」
「なるほど」
「だから、端末を増やす以外にも、方法があるんじゃないかと思うんです」
「例えば?」
「確認する人を決めるとか……。ただ、実際にできるかどうかは、現場の人に聞かないとわからないんですけど」
僕は資料を見つめた。設備の問題だけではない。現場の作業手順や、人員配置の問題でもある。
「これ、翔太にも見せよう」僕が言うと、葵は少し表情を硬くした。
「……はい」
「どうした?」
「いえ」彼女は一度、深く息を吸った。「できれば、私から説明したいです」
「大丈夫なのか?今回はまず僕が……」
「……うまく話せるかわからないですけど……、でも……」
葵は少し考えてから続けた。
「でも、自分で調べたことなので、自分で話してみたいんです」
僕は少し考えた。「じゃあ、事前に説明する順番を整理しようか」
「はい」
「それから、僕も同席する。途中で困ったら、助けるよ」
葵は小さく笑った。「ありがとうございます」
僕は頷いた。
6
翌日の夕方、翔太が現場から戻ってきた。僕たちは小さな会議室に集まった。
翔太、僕、葵の三人だった。葵はパソコンを開き、資料を映した。
「えっと……今回のトラブルについて、拠点ごとのデータを比較してみました」
声は少し震えていた。翔太は黙って聞いていた。
「問題が起きた拠点には、いくつか共通点があります」葵は画面を切り替えた。「一つは、端末が積込場所から離れていることです。もう一つは、出発便が集中する時間帯に、完了登録後の変更が多くなっていることです」
翔太は頷いた。「なるほど」
葵は続けた。「ただ、端末が遠くても、問題が起きていない拠点もあります」
「何が違うの?」
「確認担当者を決めているんです。積み込みが終わったことを確認してから、その人が登録するようにしていて」
翔太は資料を見た。「つまり、端末を増やさなくても、運用で改善できる可能性があるってことか」
「はい。ただ、作業員の人数によっては難しい拠点もあると思います」葵は少し言葉に詰まった。僕は彼女を見た。助け舟を出そうかと思った。しかし、葵は自分で資料を確認し、続きを話し始めた。
「なので、端末の位置だけじゃなくて、作業の分担も関係していると思います」
葵はそこで言葉を切った。
「ただ、どの拠点で、どんな方法が使えるかまでは……」
「そこは現場と相談だな」
翔太が引き取った。
「端末を増やした方が早いところもあれば、人の配置を変えれば済むところもあるだろうし。俺の方で各センターの責任者に確認してみるよ」
「はい」
「陸、費用とスケジュールの調整は頼めるか?」
「もちろん。先方の本社と話してみる」
葵は二人の顔を見て、少しほっとしたように頷いた。
翔太はしばらく黙っていた。そして言った。「いいじゃん」
葵は顔を上げた。「え?」
「これ、すげえわかりやすいよ」翔太は資料を指した。
「現場で見たことと、数字がちゃんとつながってる。これなら、先方にも説明できる。お前、よくこんな細かいところまで気づくな」
翔太は資料から顔を上げた。「端末の位置なんて、フツーは気にしないぞ」
「……人が普段、どういうふうに動いているのか、見るのが好きなんです」
「へえ。変わってんな、お前」
「昔から、よく言われます」
翔太はもう一度資料に目を落とした。
「でも、これに気づかなかったら、原因を見誤るところだったな」
葵は少し頬を赤くした。「ありがとうございます」
翔太は僕を見た。「陸、これ使って、先方に改善案出そうぜ」
「うん」僕は頷いた。
翔太は再び葵を見た。「森下、ありがとう。助かった」
葵は小さく頭を下げた。その表情には、緊張と安堵が入り混じっていた。
7
それからの一週間は、目の回るような忙しさだった。翔太は各センターの現場責任者と協議し、それぞれの事情に応じた作業手順を決めていった。端末の増設が必要な拠点。確認担当者を置けば対応できる拠点。出発便の時間を少し調整すれば、作業の集中を避けられる拠点。
僕は物流会社の本社と調整し、追加費用や導入スケジュールの変更について合意を取りつけた。以前の僕なら、先方の負担を減らそうとして、こちらでできることをすべて引き受けようとしたかもしれない。しかし、今回は違った。必要な作業を整理し、誰が何を担当するのかを明確にした。先方に負担をお願いする場面もあった。それでも、双方が納得できる形を探した。
葵は各拠点のデータを継続して確認し、改善策の効果を検証した。彼女は相変わらず、会議で流暢に話すわけではなかった。質問されると、少し考えてから答える。わからないことは、わからないと言う。必要なら、後で調べて報告する。その姿勢は、以前と変わらなかった。
ただ、以前よりも、自分の考えを言葉にすることをためらわなくなったように見えた。もちろん、すべてがうまくいったわけではない。対策を実施しても、別の問題が見つかることがあった。
翔太が現場で強い口調になり、僕が間に入ることもあった。僕が調整に時間をかけすぎて、翔太に急かされることもあった。葵が会議で言葉に詰まり、結局その場では説明できなかったこともあった。
8
トラブルの発生から二週間ほどたって、ようやく状況は落ち着き始めた。積み残しや誤った配送情報の件数は大幅に減少し、停止していた拠点の導入も、順次再開できる見通しが立った。
大滝は会議で、僕たちに言った。「よくやってくれた」
翔太は少し照れたように笑った。「いや、最初にちゃんとやってれば、こんなことにはならなかったんですけどね」
大滝は頷いた。「そのとおりだ」
翔太の笑顔が消えた。
大滝は続けた。「今回の件は、導入前の確認と、現場の運用設計が不十分だったことが原因だ。そこはきちんと振り返って反省して、東央ロジスティクス側と共同で再発防止策をまとめるようにな」
「はい」
「ただ、問題が起きてからの対応はよかった。現場も、開発も、管理も、それぞれが役割を果たした」
大滝は僕を見た。「長谷川、先方との調整、苦労しただろ」
「いえ。佐伯や森下さんが、必要な情報を揃えてくれたので」
大滝は頷いた。「森下の分析も大きかったな」
葵は驚いたように顔を上げた。「いえ、そんな……」
「いや、事実だよ」大滝は静かに言った。
葵は小さく頭を下げた。「ありがとうございます」
会議が終わった後、翔太が僕に近づいてきた。
「陸」
「何?」
「今回、お前が先方にちゃんと線引きしてくれたの、助かったよ」
僕は笑った。「お前に教わったからね」
「そうか?」
「うん」
翔太は少し得意そうに笑った。「やっぱり俺、いいこと言うだろ」
「たまにはね」
「たまには、かよ」
僕たちは笑った。昔から変わらない、くだらないやり取りだった。ただ、少しだけ、何かが違っていた。
9
プロジェクトの大きな山を越えた金曜日の夜、翔太が声をかけてきた。
「陸、今日、軽く飲みに行かねえ?」
「いいね」僕が答えると、翔太は少し考えてから言った。「森下も誘ってみるか」
僕は頷いた。「本人に聞いてみよう」
葵は最初、少し驚いた顔をした。
「私も……、ですか?」
「うん、もしよかったら」
翔太が言うと、葵は少し考えた。
「……はい、少しだけなら」
僕たちは会社の近くにある、小さな居酒屋に入った。金曜日の夜ということもあり、店内は賑わっていた。翔太はビールを注文し、僕はハイボール、葵はウーロン茶を頼んだ。
「お疲れ!」翔太がグラスを上げた。僕たちもそれに合わせた。
最初は、仕事の話をしていた。北陸第二センターの担当者が、仮設端末の設置を喜んでいたこと。東北第三では、確認担当者を置く運用がうまく回り始めたこと。信越第一では、出発便の時間調整に苦労したこと。葵も、時々小さく笑いながら話に加わった。
しばらくして、翔太がグラスを置いた。
「森下」
「はい」
「ちょっと、いいか」
葵は顔を上げた。翔太は少し真面目な顔になった。
「前のことなんだけどさ」
葵の表情が、わずかに硬くなった。
「俺、お前を鍛えてるつもりだったんだよ」
「はい」
「お前ならできると俺は思ってたし、実際、できることも増えてたからさ」
翔太は少し言葉を探した。
「でもなぁ……お前には合わない部分もあったかもなぁ……」
葵はしばらく黙っていた。
「ご期待に沿えずすみま……」と言いかけたとき、翔太がそれを遮った。
「いや、……いいんだ……俺が……」
僕は二人のぎこちない会話を聞いていて、何か言おうかと思ったが、やめた。これは、二人の話だった。
しばらくして、葵が口を開いた。
「正直、佐伯さんのこと、苦手だった時期もありました」
翔太は顔を上げた。そして、苦笑した。「だろうな」
「会社に来るのが怖かったです」
「……うん」
「でも、佐伯さんに教わって、できるようになったこともあります」
翔太は黙って聞いていた。
「最初の頃、電話ができるようになったときは、嬉しかったです。佐伯さんが、私ならできるって思ってくれたことも……。だから、全部が苦手だったわけじゃないんです」
翔太はグラスに手を伸ばしたが、飲まずに置いた。
「でも、俺のことが苦手だったことは、確かだよな……」
「えぇ、……まあ……、でも、もちろん今は……」
翔太は小さく頷いた。
しばらく沈黙が続いた。店の奥から、誰かの笑い声が聞こえた。翔太はグラスを手に取り、少しだけビールを飲み、呟いた。
「しかし、お前、フツーじゃねえよな!」
葵は少し考えてから答えた。
「佐伯さんも、私から見たら全然フツーじゃないですよ」
「俺は前からフツーだよ」
「私もフツーです」
翔太は一瞬きょとんとした顔をした。それから声を上げて笑った。つられて、僕も笑った。




