第71話:英雄への土下座 〜総理大臣が玄関にいます〜
ピンポーン、ピンポーン。
S区・相葉邸の玄関チャイムが、無慈悲に鳴り響く。
布団を頭から被って震えていた俺、相葉湊は、観念して顔を出した。
「……帰らない、よなぁ」
相手は日本のトップ、内閣総理大臣だ。
居留守を使ったところで、SP(特殊部隊)にドアを爆破されて突入されるのがオチだろう。
昨夜、布団叩きで暴れまわった挙句、「うるせぇ!」と怒鳴り散らした罪は重い。
きっと、騒音防止条例違反とか、公務執行妨害とか、いろんな罪状で逮捕しに来たに違いない。
「アリス、ポチ。俺が捕まったら、あとは頼んだぞ」
俺はフィギュアと愛犬に別れを告げ、重い足取りで玄関へと向かった。
せめて、自首して刑を軽くしてもらうんだ。
ガチャリ。
チェーンロックをかけたまま、ドアを数センチだけ開ける。
「……は、はい。どちら様でしょうか(震え声)」
精一杯のシラ切り。
だが、隙間から見えた光景に、俺は息を呑んだ。
ドアの前に立っていたのは、白髪の紳士——御子柴総理。
そして、その背後には黒服のSPたちがズラリと並んでいる。
目が合った瞬間。
総理大臣が、地面に膝をついた。
「!?」
さらに両手をつき、額をアスファルトに擦り付ける。
美しいまでの、完全なる土下座(DOGEZA)だった。
「……相葉湊様。この度は、政府の対応が遅れ、貴方様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、日本国を代表して深くお詫び申し上げます!!」
「は?」
俺は思考停止した。
謝られた?
俺が? 総理に?
◇ ◇ ◇
——御子柴総理の視点。
(……出てきてくださった!)
御子柴は、冷や汗でシャツを濡らしながら、地面の砂利を見つめていた。
ドアの隙間から覗く、深淵のような瞳(※寝不足)。
そして、部屋の奥から漏れ出る、神話級の魔力の余波(※火龍の心臓と終焉の核の波動)。
報告通りだ。
この青年は、人の姿をした「神」あるいは「天災」だ。
昨夜、世界を滅ぼしかけた巨人を、プラスチックの棒一本で消滅させた実力者。
彼が不機嫌になれば、日本列島など一瞬で沈むだろう。
だからこそ、まずは謝罪。
そして、恭順の意を示さねばならない。
「昨夜の騒動……我々人類の力不足により、貴方様の安眠を妨害し、あまつさえ自らの手(布団叩き)を煩わせてしまったこと、万死に値します!」
御子柴は声を張り上げた。
SPたちも一斉に頭を下げる。
◇ ◇ ◇
——湊の視点。
(……あ、なるほど!)
俺はピンと来た。
総理が言っている「騒動」とは、昨夜の「工事の騒音」のことだ。
家の周りにフェンスを作ったり、ヘリが飛んだりしてうるさかったことへのお詫びに来たんだ。
(なんて丁寧な人なんだ……。一介の市民に対して、総理自ら謝りに来るなんて)
俺は恐縮した。
そして同時に、ホッとした。
逮捕しに来たわけじゃないらしい。
「あ、いやいや! 頭を上げてください総理!」
俺は慌ててチェーンを外し、ドアを全開にした。
「気にしてませんから! 昨夜はちょっとイラッとして大声出しちゃいましたけど、もう解決したんで!」
「か、解決……(あの巨人を『ちょっとしたこと』と言うのか……!)」
総理が顔を上げ、感服したような眼差しを向けてくる。
「それで、今日はどのようなご用件で?」
俺が尋ねると、総理はSPから一枚の書類を受け取り、恭しく差し出した。
「はい。貴方様のような英雄に対し、国として最大限の報奨と、待遇をご用意させていただきました」
書類には『国民栄誉賞』『S級特別顧問への就任』『生涯年金10億円』といった文字が並んでいる。
「うわぁ……」
俺はドン引きした。
重い。重すぎる。
国民栄誉賞って、スポーツ選手とかが貰うやつだろ?
引きこもりが貰ったら、全国ニュースで晒し者にされてしまう。
「受賞者は、S区在住の無職男性(20)」なんてテロップが出たら、俺は社会的に死ぬ。
「……いらないです」
俺は即答した。
「えっ!? し、しかし……!」
「目立つのは嫌なんです。静かに暮らしたいんです」
俺は本音を伝えた。
金は欲しいが、有名税は払いたくない。
それに、顧問とか就任したら、毎日外出して働かなきゃいけないじゃないか。
本末転倒だ。
「そ、そうですか……。無欲であられる……」
総理がハンカチで額の汗を拭う。
交渉決裂か? と焦る空気が流れる。
そこで、俺は提案することにした。
今、俺が本当に求めているもの。
生活を豊かにし、かつ引きこもりを継続するために必要なインフラを。
「あの、賞とかお金はいらないんで……代わりに、いくつかお願いを聞いてもらえませんか?」
「な、なんでしょうか!? 可能な限り、いえ、法を改正してでも叶えます!」
総理が食いついてきた。
よし、チャンスだ。
「まず一つ目。この家の周り、もっと静かにしてください」
俺はフェンスの方を指差した。
「観光客とか、野次馬とかが来ると困るんです。半径……そうだな、1キロくらいは誰も入れないようにしてほしいです」
「承知いたしました! S区全域を『国家聖域』に指定し、自衛隊による常時警備を行います! 鳥一匹通しません!」
「(鳥はいいけど……まあいいか)」
よし、これで防犯は完璧だ。
次、二つ目。これが一番重要だ。
「ネット回線を、もっと速くしてください」
「……は?」
総理がキョトンとした。
「ネット、ですか?」
「はい。ここ、田舎なんでたまにラグいんです。昨日の夜も回線が切れちゃって……」
俺は切実に訴えた。
FPSゲーマーにとって、回線速度は命より重い。
「国が持っている一番太い回線……スーパーコンピューター用のやつとか、引けませんか? あと、電気代もタダにしてくれると助かります」
総理は数秒間呆然としていたが、すぐに「ハッ」として頷いた。
「わ、分かりました! 直ちに光ファイバーの直通工事を行います! 国家機密レベルの専用回線を提供しましょう! 電気、ガス、水道も全て生涯無料とします!」
「本当ですか!? やったぁ!」
俺はガッツポーズをした。
言ってみるもんだな。
これで、固定費ゼロの最強生活が手に入ったぞ。
「あ、最後にもう一つ」
俺は思い出したように付け加えた。
「Amazon……じゃなくて、通販の荷物。あれ、優先的に届けてもらえるように手配できませんか? たまに『配送不可』って言われることがあって」
「……お安い御用です。物流各社に圧力を……いえ、要請を出しておきます。貴方様の荷物は、パトカー先導で最優先配送させます」
「それはやりすぎですけど、まあ助かります」
交渉成立。
俺はホクホク顔で、総理の手を握った。
「ありがとうございます! 話が分かる人でよかった!」
「い、いえ! こちらこそ、日本をお救いいただき……!」
総理は恐縮しきりだった。
こうして、日本政府とS区の魔王(俺)の間に、歴史的な『S区不可侵条約』が締結されたのだった。
その内容は、以下の通りである。
1.相葉湊の半径1km以内への無断立ち入りを禁止する。
2.相葉邸に対し、国家最高レベルのインフラ(ネット・電気・水道)を無償提供する。
3.相葉湊が注文した新作ゲーム及びフィギュアは、発売日に必ず届けること。
世界中が「どんな高度な政治的取引が行われたのか」と憶測を飛ばす中、その実態は「引きこもりの環境整備」でしかなかった。
◇ ◇ ◇
「ふぅ。これで安心だ」
総理たちが帰り、静けさを取り戻したリビングで、俺は伸びをした。
窓の外では、早速ネット回線の工事車両(国家プロジェクトチーム)が作業を始めている。
「アリス、ポチ。今日からうちは『聖域』だぞ」
アリスがパチパチと拍手し、ポチが嬉しそうに吠える。
平和だ。
これ以上ないハッピーエンドだ。
……そう思っていた俺の元に、最後の「厄介事」が舞い込んできたのは、その日の夕方だった。
ピンポーン。
「ん? また総理か?」
俺が玄関を開けると、そこには、大きなボストンバッグを抱えた銀条レイナちゃんが立っていた。
その瞳は、いつになく真剣で、そして潤んでいた。
「し、師匠……! お願いがあります!」
「今度はなに?」
レイナちゃんは、バッグをドサリと置き、その場で土下座した。
「私を……この家で飼ってください!!」
「はい?」
最強の引きこもり生活に、新たな同居人が増える(かもしれない)予感。
俺の平穏は、まだまだ遠いのかもしれない。




