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第23話:騒音トラブル 〜3,000円の恨みは海より深い〜

 S区の離れ、相葉湊の自室。

 そこは、世界で最も安全な場所であり、今まさに、最も神聖な儀式が執り行われようとしていた。


「ふふふ……。見てくれよ、この輝き」


 俺、相葉湊は、ソファの上でスプーンを構え、目の前の黄金色に輝く物体を見つめていた。


 【なめらか極上プリン(税込3,000円)】


 コンビニの店長が「持っていってください!」と袋にねじ込んでくれた、最高級スイーツだ。

 パッケージには『王室御用達』とか書いてある。どこの国の王室かは知らないが、俺はいま、王の気分だ。


「まずは、カラメルソースを絡めずに、カスタード部分だけを……」


 俺はスプーンを慎重に入れた。

 プルンッとした弾力。

 スプーンの先が、吸い込まれるように沈んでいく。


 深夜三時の静寂。

 世界中が騒がしくても、この部屋だけは別世界だ。

 俺はこの瞬間のために生きていると言っても過言ではない。


「いただき——」


 スプーンを口に運ぼうとした、その刹那だった。


 ズドォォォォォォォォォンッ!!!!


「!?」


 突如、家全体が悲鳴を上げるほどの衝撃が走った。

 震度6強クラスの横揺れ。

 部屋の照明が激しく明滅し、棚のフィギュアがガタガタと音を立てる。


「うわっ!?」


 俺の手元が狂った。

 スプーンに乗っていた黄金の塊が、重力に従って宙を舞う。


「あ……」


 俺の視界の中で、時間はスローモーションのように流れた。

 キラキラと輝きながら落下していくプリン。

 俺の手は、虚しく空を切る。


 ベチャッ。


 無慈悲な音がした。

 3,000円の至宝は、カーペットの上に落下し、無惨な黄色いシミとなって飛び散った。


「…………」


 静寂が戻る。

 俺は、床に散らばったプリンの残骸を呆然と見下ろしていた。


 一口も……食べてない。

 まだ、一口も。


 俺の中で、何かがプツンと切れる音がした。


 恐怖? ない。

 驚き? 通り越した。

 今、俺の胸を支配しているのは、マグマのように煮えたぎる——純粋な殺意(イラ立ち)だ。


「……おい」


 俺は立ち上がった。

 スプーンを握りしめたまま、衝撃音がした窓の方へと歩き出す。


「夜中にDIYか? それとも暴走族か?」


 この揺れは、明らかに外部からの衝撃だ。

 誰かが家の壁に車でもぶつけたのか?

 ふざけるな。ここは静かな住宅街(廃墟)だぞ。


「いい加減にしろよ……!!」


 俺は怒りに任せて、カーテンを荒々しく引き開けた。

 そして、鍵を開け、窓を勢いよく開け放つ。


 ガラララッ!!


「うるせぇんだよ近所迷惑だろォォォッ!!」


 俺は深夜の闇に向かって、全力で怒鳴りつけた。


 ◇ ◇ ◇


 ——外の世界、銀条レイナの視点。


(終わった……)


 レイナは、家の壁に背中を預けたまま、死を覚悟していた。

 目の前には、Sランクの怪物『変異種キメラ』。

 その口元には、レイナごと家を消し飛ばすための極大魔力弾が収束している。


 もう、動けない。

 魔力も尽きた。

 師匠の家を守れなかった悔しさに、涙が溢れる。


 その時だった。


 ガラララッ!!


 頭上で、雷鳴のような音がした。

 レイナがハッと見上げると、二階の窓が開け放たれ、そこから一人の男が身を乗り出していた。


 逆光を背負ったその姿。

 手には、銀色に輝く短剣(※スプーン)。

 そして、その全身から噴き出すオーラは、キメラの魔力弾すら霞むほどの、どす黒い漆黒の波動だった。


「ひっ……!」


 レイナの喉が引きつる。

 怒っている。

 あの方が、本気で激怒している。

 その殺気は、キメラに向けられたものではない。

 この場の全員——静寂を乱した全ての存在に向けられた、無差別級の破壊衝動。


「うるせぇんだよ近所迷惑だろォォォッ!!」


 その一喝は、物理的な衝撃波ハウリングとなって大気を震わせた。


『ギ、ギィッ!?』


 キメラが悲鳴を上げ、後ずさる。

 理性を失っているはずの怪物が、本能的な恐怖で口元の魔力弾を霧散させたのだ。


 湊の視線が、眼下の庭を射抜く。

 そこには、ボロボロになったレイナと、醜悪な怪物がいた。


 ——湊の認識。

(あ、またあのコスプレの人だ。また庭で寝てるよ。……で、その前にいるのは……なんだあれ? デカい野良犬? いや、毛が汚いな。タヌキか?)


 ——レイナの認識。

(師匠の眼光が、私とキメラを同時に貫いた……! 『我が庭で騒ぐ羽虫どもめ』と仰っている!)


 湊は、手にしたスプーンを強く握りしめた。

 3,000円の恨み。

 安眠妨害の恨み。

 そして何より、カーペットのシミ抜きの手間を増やされた恨み。


「お前らなぁ……」


 湊は、低くドスの効いた声で言った。


「人の家の壁で、キャッチボールしてんじゃねぇぞ」


 レイナは戦慄した。

 キャッチボール?

 死闘を、命のやり取りを、あの方は「ボール遊び」と表現されたのか。

 つまり、「お前らの全力など、児戯に等しい」と。


『ア゛ア゛……ガァ……』


 キメラが、怯えながらも湊を見上げる。

 その本能が告げていた。

 目の前の人間は、エサではない。

 捕食者だ。

 逃げなければ、喰われる。


 だが、遅かった。

 湊はすでに、攻撃態勢に入っていた。

 スプーンではない。

 もっと手っ取り早く、かつ遠くまで届く「飛び道具」を探して、足元に視線を落とす。


 そこにあったのは、履き古したゴム製の便所サンダル。


「……シッ!」


 湊は右足のサンダルを脱ぎ、手に持った。

 そして、野球のピッチャーのように大きく振りかぶる。


 レイナは悟った。

 これは、処刑だ。

 神の安寧を乱した罪人への、慈悲なき鉄槌が下されるのだ。

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