13.本当の気持ちに気づくまでに
「……ハルのことが、ずっと好きです。もっと、ずっと、一緒にいてくれませんか」
花火が打ち上がる音に紛れそうだった雲雀の声を、俺は間違いなく聞き取った。直後、ばん、と咲く音が響く。
それは紛れもなく、雲雀からの直接的な告白だった。三年前の花火大会の日、俺のことを大事に想っていると言ってくれた、あの告白とは比べ物にならないほどまっすぐに俺の心に届いた。
雲雀に先に告白させてしまった。本当はこれだけ一緒にいたいと思っていて、あの時に告白できなかった俺が、先に思いを打ち明けてしかるべきなのに。雲雀に二度も告白させてしまった。そう思ってしまったがゆえに、俺はまたしても返事ができなかった。
「……すぐには、返事してくれなくてもいいよ。ずっと、待ってる。だってハルは、いつでも私の隣にいてくれるから」
「雲雀……っ」
どうして。こんなにも幸せな状況が目の前に転がっているというのに。少し手を伸ばせば簡単に届いてしまうような距離に、幸せがあるのに。なぜ俺はこの手を伸ばせないんだろう。雲雀はすぐ隣にいるはずなのに。どうしてこんなに遠く感じてしまうのだろう。
俺も、雲雀のことが好きだ。だから、これからもずっと、一緒にいてほしい。
たったそれだけのことを、今言えばいいだけなのに。花火の音に紛れて、他の誰かに聞かれて恥ずかしくなることも、ないはずなのに。俺は何を、恐れているのだろう?
「……!」
ハルのことが、ずっと好きです。
心の中でもう一度、その言葉を繰り返す。それで、俺はようやく自分の気持ちに気づいた。気づくのに三年もかかってしまったという事実に、俺は泣きそうになった。
「雲雀……」
俺は、『本当の意味で』雲雀のことを好きではなかったのだ。雲雀のことが好きだというこの気持ちは、いつの間にか自分の中で偽って出来上がっていた、嘘だった。雲雀の告白で、そのことを自覚させられてしまった。
突然の発病で周りに言い出せず、完全に白黒にしか見えなくなってしまって。すでに手遅れという段階で医者にかかって、その病気自体も聞いたことがなく、治す方法も見当がつかないと言われてしまった。治せないならせめて、できるだけいつも通り生きられるように。この三年間、俺は雲雀が色を失っても不自由なく生きてゆけるように、と思って行動してきた。
「俺は……それだけ考えて、自分のことも分からなくなってたんだ」
雲雀は死ぬまでずっとこのままかもしれない。俺は一生、雲雀のそばにいて、彼女を助けて生きていくつもりでいた。それは雲雀の幼馴染として、親族の次に大事な存在として、当たり前だと思っていた。
その思いが、俺を縛りつけていた。
雲雀を助けるという仕事がある限り、俺は雲雀の隣にずっといられる。色が見えなくなったあの時まで以上に、雲雀のことを知る機会が増える。雲雀も俺に気を遣ったり、俺がなんでもないことで助けても感謝してくれたりする。雲雀の思いがこちらに向いている、という当たり前の話。俺も同じように雲雀にもっと苦しくないように助けてあげなければ、と思いを向ける。それを俺はいつしか、『好き』と勘違いしていたのだ。
「ハル……?」
あまりにも大きな勘違い。それに三年も気づけなかったという事実に、俺は呆然ともしていた。雲雀に何度か呼びかけられ、ようやく我に返ったほどだった。
「雲雀……ごめん」
「何が……?」
「いや……何でもない。忘れてくれ」
俺は雲雀のことを、本当の意味で好きになれていない。そのことに気づいた。だがそれで俺に告白するだけの勇気が出たか。――答えは、否だ。
雲雀のことを、幼馴染とか助けなければいけない存在とか、そういう眼鏡をなくした状態で見たい。もっと普通の女の子として、好きになりたい。
「……ハルは、頑張りすぎだよ」
「え……?」
「ハルが頑張りすぎないで済むように、ありがとう、お疲れさま、って言ってきたつもりだったんだけど……もっと言った方が、よかったのかな」
「雲雀……」
「私たちは……私たちのままで、いいんだよ。私たちが私たちであり続けられるように、変わっていけばいい。昔に戻ろうとする必要もない。それは、ハルが教えてくれたことでしょ?」
まるで俺の思っていることなど、全て分かっているような言い方。雲雀が雲雀のままであるように、俺は俺のままでいい。俺が、改めて雲雀のことを好きになるためにあれこれ考える必要はない、と言われているようだった。
「……俺は。雲雀を、もっと普通の意味で好きになりたい。好きにならないと、いけないんだ」
「ハルは、特別でいいんだよ。だって私にとってのハルが、もう特別だもん。生まれた時からほとんどずっと一緒にいる同年代の子なんて、ハルしかいないんだから。だからハルも、私を特別な意味で、好きになってくれるなら。そんなに嬉しいことはないよ」
それが、幼馴染でしょ?
「……っ」
気づけば俺は、雲雀の手を握って花火を見上げていた。今まで雲雀に散々伝えてきたことを、自分の方が分かっていなかったという事実。それに愕然として、いよいよ俺の視界がにじむ。それを雲雀に見られたくなくて顔を上げたのに、涙がこぼれてくる。雲雀が俺の涙を見たのか見ていないのかは分からなかった。だが、間違いなくこれ以上ない優しさで、俺の手を握り返してくれた。――俺が今までずっと、そうしてきたように。
その時かすんだ視界を何とか元に戻して見た花火は、今まで見たどの年よりもきれいだった。雲雀でさえ、花火を見て幸せそうにしていたのを、俺は一生忘れないだろう。
* * *
「……雲雀。俺……俺にとって雲雀は、特別な存在だ。雲雀には……これからも、俺のそばにいてほしい」
花火の打ち上げが終わった帰り道、俺は雲雀にそう打ち明ける。雲雀は突然の俺の告白にびっくりしたのか目を丸くして、しばらくこっちの方を見た。やがてにっこりと笑って、たまたま近くにあったベンチに一緒に座ろう、と言ってきた。
「……こんなに早く返事もらえるとは、思ってなかったかな」
「本当は、迷ってたんだ。今ここで打ち明けても、雲雀には受け入れてもらえないんじゃないかって思って」
「それはないよ……私はずっと待ってるって言ったでしょ? ホントに、ずっと待つつもりだったよ? それこそ、何か月でも、何年でも」
「それは……そんなに雲雀を待たせたら、たぶん俺は自分が許せなくなると思う」
さっき自分の本当の気持ちに気づいたような奴が、他人に、まして幼馴染に好意を打ち明けるなんて許されるのだろうか。そもそも俺にそうするだけの勇気が、本当にあるのだろうか。直前まで、そんなことを考えていた。だが雲雀は、俺に思いを打ち明けてくれた。それも俺たちにとって思い入れの強い、花火大会という時と場所を選んで。その大きな一歩を雲雀に踏み出させた勇気に、俺はすぐにでも応えなければならないと感じた。
「……私ね。やっぱり薬剤師になりたいなって、思ってる」
「……っ!」
「前に言ったこと、覚えてる? 色が見えない薬剤師さんって、どうなのって話」
「ああ。でもあれ、本心じゃないだろ」
「半分本心だよ。やっぱり、色が見えないと不便なことも多いと思うし。色が見えなくてもできる仕事を探さなきゃなって、思ってた。でもやっぱり、ハルと一緒に昔から薬剤師になりたいって言ってたでしょ? だから、諦められなかった。早く諦めないといけないのに、全然できなかった。そのせいで、すごく苦しかった」
「……でも」
「うん。ハルが、私を変えてくれた。この先やっぱり薬剤師にはなれないって、諦めないといけない時が来るかもしれない。でも今は、ハルと一緒に頑張りたいって、頑張っていいんだって思ってる。……だから、ハルにも変わってほしかった。私が、ハルを少しでも変えられたらなって。それが恩返しになると思って」
「雲雀……ありがとう」
「いえいえ」
俺は、雲雀のことが好きだ。それはもう勘違いではない。こんなに大切に思えて、自分からずっと一緒にいたいと思えるひとは、雲雀以外にいない。俺もようやく、それを言うだけの勇気を手に入れた。雲雀から勇気を授かった。
「……雲雀。こちらこそ、なんだけど。俺も雲雀のことが好きだ。これからも、ずっと一緒にいたい。一緒に、いてほしい」
「お! あそこにいるのは陽道と……今宮だ!」
ようやく俺の思いを打ち明けたところで。俺と雲雀を呼ぶ大きな声がした。
「海……?」
「何だよお前、花火来てたのかよ。ここ何年も行ってねえって話だろ」
「それは……雲雀に、誘われて」
「ほー、今宮が?」
海がじろじろと雲雀を見る。雲雀は苦笑い寄りの笑顔でそれに返していた。
「ってか海、お前は何で綾矢と一緒なんだよ」
「ん? あら、陽道には言ってなかったっけな。オレ、綾矢とデキてるぞ」
「誰が。たまたまいたところを、あんたが無理やり引っ張ってきただけでしょうが」
「好きな女の子がいたら、多少無理やりでもアタックしないとな」
「うわ、そういうのホント無理」
海の隣には綾矢もいた。たまたま出くわした割には、二人ともちゃっかり浴衣を着ていた。
「あ、ちなみに言っとくけど付き合ってるってのはマジだからな」
「え」
「まだ一か月経ってるか経ってないかってとこだけど。な、綾矢」
「……ま、まあ。ただ一緒に花火見に行く予定はなかった。別の用事があったし……でもたまたまその用事がなくなったから来てみたら、海がいて……」
雲雀が俺を花火大会に誘うかもしれないとそわそわしていた時期に、海は綾矢と付き合い始めたということか。牛歩にも満たないような距離の縮め方をした俺とは大違いだ。二人の間にそんな気配は全く感じなかった。
「……で、何かお前ら雰囲気変わったな。もしかしてあれか? マジで付き合い始めたとか?」
「「……っ!」」
「……当たりかよ。いつから?」
「「……さっき」」
「おぉー、やるじゃねえか陽道。ようやくチキン卒業だ」
「チキンじゃねえよ」
少し遠くでまだ花火大会の余韻とばかりに歓声が聞こえるとはいえ、海の声は近所迷惑になりそうなくらいには大きかった。だが、嬉しそうなのはよく伝わってくる。そして俺と雲雀のことに関しては特に口を出さなかったが、綾矢も笑顔だった。二人とも俺のことを応援してくれていたのかもしれない。そう考えると、また自分の情けなさを思い出して涙が出そうだった。視界がかすむ前に、俺は口を開いてごまかす。
「帰るぞ。もう花火大会終わったし」
「お、何か急に仕切り始めたな」
「仕切ってない。早く帰らないと海がいつまでもうるさくしそうだからな」
「何だよ、もうちょい祝ってもいいだろ」
「めんどくさい絡みをするんじゃねえ」
雲雀がいたはずの俺の隣に、いつの間にか海がいた。雲雀はというと綾矢の方に移動して、にこやかに話をしていた。
「で? 今後のご予定は?」
「予定って……あとは家に帰るだけだろ」
「そうじゃねえよ……夏休みに今宮と遊ぶ予定はあるのかって聞いてんだよ。あと、今宮とどこまで進む気なのかも聞きたいけどな」
「やっぱりめんどくせえな、酔っ払いかよ……」
そう返しつつ、俺は海の言葉を案外真剣に受け取っていた。家が隣で、遠出する用事でもない限りいつでも会える距離に雲雀がいる。だから雲雀と一緒にどこかに遊びに行く、という発想自体がなかった。言われてみれば。雲雀とどこかに出かけて一日を過ごすなんてのも、やってみたい。
「……雲雀」
「うん?」
「ちょっと」
綾矢と話していた雲雀を呼ぶ。うっとうしい絡みをしてくる海から逃げたいという目的もあったが。俺が呼んだだけなのに、全てを分かっているとでも言いたげに、俺の隣に来てくれた。そのまま手をつないで、二人で歩き始める。
「あ、ちょっ、お前~」
相変わらずよたよたと寄ってくる海に追いつかれないように、少し早歩きにして二人で歩く。ふと後ろを振り返ると、いい加減にしろとばかりに海の頭をチョップする綾矢が見えた。
「……雲雀」
「うん」
「……これからも、よろしくな」
「……もちろん」
花火大会の余興をやっているのか、会場とは別の方向から市販の花火で遊ぶ人たちの歓声が聞こえてきた。いつもなら迷惑だな、としか思わないそれも、今だけは少しだけ肝要に慣れた。それはきっと、俺にとって特別以外の何物でもない人が、すぐ隣にいるからだろう。
俺は雲雀の手を、ほんの少しの間だけ離す。それから思い切って、同じ彼女の手と組むようにして握った。恋人つなぎと呼ばれるその握り方に、雲雀が驚いてこちらを見る。が、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう」
「……こちらこそ」
―完―
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