難攻不落の騎士をおとす乙女
ロスティの辺境、ハーディル。
かつてはあらゆる植物が育たない不毛の地だったが、辺境伯の努力の甲斐もあり、近年は麦の生産地として有名である。
今し方、辺境伯の住まう城から、馬車が一台出ていった。
馬車には薔薇と馬の刻印があり、それが辺境伯の持ち物だと示している。
「オロバス様ァ! もうすぐ、収穫できそうだァ!」
「奥様! 今年も新麦で作ったパンの試食、お願いしますねェ!」
馬車に乗るのは、ハーディルでも有名なオシドリ夫婦、辺境伯のデューク・オロバスと、その奥方であるレーヴだ。
「それは良かった。収穫は、僕も手伝おう」
「任せて! 王都のパン屋もびっくりな美味しいパンを待っているわ!」
黄金色に染まりつつある麦畑の隣を走りながら、辺境伯夫妻は仲睦まじく身を寄せ合って領民たちへ手を振った。
ここハーディルは、他国との要所とか、そういう地域ではない。
それなのにどうしてこの地に辺境伯が存在するのか。
それは、豪雪地帯で食糧難に陥りやすい国の食料を得るため、この土地の早急な改善が求められたからである。
木属性の魔術を使うデュークは、不毛の地に麦を生やすことが可能だった。
そして、その奥方であるレーヴは、無類のパン好き。
結果、ハーディルはパン屋垂涎の上質な小麦を生産する地へと変わったのであった。
「ねぇ、デューク?」
「なんだい、レーヴ?」
「ジョージから、手紙がきたのよ」
「……へぇ」
レーヴの報告に、デュークは面白くなさそうにムスリと顔をしかめた。
凄みのある美形がそういう顔をすると、余計に凶悪な顔つきになる。
レーヴは「仕方のない人ね」と呟いて、皺の寄った眉間を丁寧に伸ばしてやった。
「あなたに助けて貰いたいんだって」
「僕に?」
「ディンビエでね、新しい獣人が誕生したの。その獣人の恋を応援するのに、あなたの助力が必要みたい」
ここ数年、獣人はあまり見つかっていない。
そもそも、そう簡単に見つかるようなものでもないのだ。
だからこそ、国としてはこの好機を逃したくないのだろう。
(あのジョージが、デュークに助けを求めるなんて……随分頭が柔らかくなったのねぇ)
たった、五年。
されど、人が変わるには十分な期間だったのだろう。
魔獣保護団体に籍を移して、彼は熱心に魔獣や獣人、それからカウンセラーの勉強に勤しんでいると聞いている。
たくさんの縁談を断り続け、今じゃ『難攻不落の騎士様』なんて呼ばれているのだとか。
そんな彼を攻略するのは一体どこの乙女なのか、なんて巷では賭けまで行われている。
軍事大国ロスティは、今日も平和だ。
その乙女の存在を、世界でただ一人、レーヴだけが知っている。
漆黒の髪に黒玉のような目。パッとしない容貌だが、ジョージ好みの顔。
凹凸のない柔らかそうな体躯に、小生意気な喋り方が可愛らしくてたまらない。
ただ今、齢三歳の乙女の名前は、ニューシャ・オロバス。
デュークとレーヴの、愛娘である。
「ついでに、里帰りでもしろって書いてあったわ。ジョージとしては、ニューシャに会いたいのでしょうね」
「……じゃあ、嫌だ」
途端にヘソを曲げるデュークに、レーヴは苦笑いを浮かべた。
普段は威厳のある辺境伯だけれど、どうにも彼女の前では子供っぽくなる。
(そのギャップが可愛くてたまらないのだけれど)
レーヴはよしよしとデュークの頭を撫でた。
それだけで、彼の機嫌はコロリと良くなる。
もっと撫でてと馬のように頭を押し付けてくる単純な旦那様に、レーヴは「やっぱり、可愛い」と笑みを深めた。
デュークは、大好きなレーヴにそっくりな顔をしているニューシャを、レーヴの次に、大事にしている。一番ではないあたり、元獣人の執着心が透けて見えるようだ。
かつてデュークがそうであったように、彼もまた、娘の好いた男を試そうと決闘するのだろうか。
血湧き肉躍る試合を思い出して、レーヴはうっとりとため息を吐いた。
「あの時は、かっこよかったなぁ……」
ついうっかり、声に出ていたらしい。
視線を感じて隣を見れば、ジトリと物言いたげな視線とかち合う。
「デューク……?」
「今は……? 僕はもう、かっこよくない? 僕は今でも、こんなに君が愛しくて仕方がないのに」
デュークの黒い目が、ウルリと潤む。
これは、罠だ。嵌まってはいけない。
そう思うのに、捨てられた子犬のような目に、レーヴは抗えない。
「そういうわけじゃ……」
レーヴが戸惑っていると、デュークの手が彼女の腰に回った。
グッと引き寄せられて、彼女の体はあっという間にデュークの膝の上に乗せられる。
(相変わらず、鮮やかな手腕ね……)
軍事訓練を受けてそれなりに重いレーヴを、デュークは軽々と抱き上げる。
まるで壊れ物を扱うように、デュークの長い指がレーヴの唇を撫でた。
何度こうされただろう。
数え切れないくらいされたことがあるのに、レーヴの心はキュウッとなった。
(きっと、昔を思い出したせいね……)
デュークのスッと通った鼻が、レーヴの小さな鼻にチョンと押し当てられる。
間近で見た彼の黒い目に、トロリとした恥ずかしい自分の顔が写っていた。
「……良い?」
ダメなんて言うわけがない。
だってレーヴは今だって、夫であるデュークを好いていて、そして愛しているのだから。
お互いを求めるように深いキスを繰り返していく。
思い出したように昔話をしながら、時々抱き合ってキスを交わして……。
レーヴはデュークの胸に頰を預けて、目を閉じた。
【お知らせ】
お久しぶりの魔獣の初恋。
こうして新しいお話を更新したのは、皆様にお知らせしたいことがあるからです。
先日、心優しい読者様から「他のカップルの話も読みたい」と感想を頂き、嬉しさのあまり、連載を決めました。
『魔獣の求恋〜美形の熊獣人は愛しの少女を腕の中で愛したい〜』
本日より連載スタートさせております。
是非是非、そちらもよろしくお願いします!