王太子
「殿下、あの娘をどうなさるおつもりです?」
婚約者であるクーリア・サイードから詰問された。
サイード公爵家は現在我が国で最も力のある家の1つで、私とクーリアの婚約は、貴族のパワーバランスを考えての政略的なものだ。
もっとも、クーリアに取り立てて不満があるというわけでもない。
腹の内が読めないのは高位貴族なら当然なのだし、将来の王妃ともなれば、好悪を顕わにするだけで影響が大きいのだから、むしろ感情を外に出さないのはいいことだ。
「どう、とは?」
彼女の言いたいことがわからないわけではないが、敢えてとぼけてみせる。できれば曖昧にしておきたい部分だ。
「はっきり申し上げねばおわかりいただけませんか?
スカーレット・エブリィのことです」
仮にも男爵令嬢を、“嬢”という飾りさえ付けずに言い捨てられた。
クーリアがここまではっきりものを言うのは珍しい。
これは、重要な案件と見做しているということか。
たしかに婚約者のある王子が男爵家の庶子と近しい関係にあるというのは彼女にとって許しがたいことなのかもしれない。
とはいえ、単に傍にいることを許しているというだけで、何かを期待させるような言動を取ったことはない。
卒業すれば、二度と近しく話すこともないだろう。
「彼女とは、後ろ指指されるような関係ではないよ」
一応言ってみると、
「そんなことは承知しております。
問題は、あの娘自身です。
既に賢しらな者達があの娘に注目しておるようです。
さぞかし魅力的な道具に見えていることでしょう」
と返してきた。
「私としては、さほど害のある存在とは思えないけれどね」
彼女は、心地よい空気をまとっている。
庶民育ちだけあって、最初は破天荒な言動が目に付いたけれど、学園や貴族のあり方に少し慣れたらしく、少々図々しい程度の普通の令嬢になってきた。
物怖じしないところは相変わらずだが、周囲との軋轢もなく、うまく学園に溶け込めたように思える。
「うまく立ち回っていることは認めます。
しかし、彼女の存在は危険です」
彼女が危惧するのは、男爵家の庶子という生まれの問題だろう。
確かに厄介な立場ではあるが、急いで排除しなければならないほどではないだろう。
「そんなに急ぐ話かな?」
「あの娘の近くにいると和む、とお感じと思います」
質問でなく、断定してきた。
そんなにわかりやすかっただろうか。
「確かに。
とはいえ、節度は守っているし、卒業までの羽休めのつもりなんだけれどね」
「あの娘に近付いた者は、例外なく好意的になっております。
10日間に3回以上、ある程度の時間、近しく会話した者は、全てです。
異常と思われませんか?」
「…どういうことかな?」
「あの娘には何かある、と申しております。
どんなに嫌っていた者でも、例外なく懐柔しているのです。
頻繁に苦言を呈していた者も、あてこすっていた者も、4回目には好意的になります。
殿下ご自身もです。自覚なされてはいらっしゃらないようですが。
これが異常であることは、ご理解いただけますね?」
言われて、自分がどうだったか思い出してみる。
いつの間にか懐に入れていたと言われれば、そうかもしれない。
「おとぎ話じゃあるまいし、魔法でも使っていると?」
「魔法かどうかはともかく、何かの力が働いていることは間違いありません。
近付いた者は必ず懐柔され、距離を置いた者は影響を受けないのです。
監視させていた者でさえ、3回近付くと変わりました。
しかも、好意的になった者の近くにいるだけなら、影響を受けません。
本人に近付きさえしなければ、影響されないのです。私のように」
既に調査済みか。
だから、こんなにはっきりと言えるのか。
「どうやって?」
「それはわかりません。
魔法などという与太話はともかく、薬物の痕跡も見当たりませんでした。あの家がおかしな者と接触したこともございません。
ですが、複数の者が同じ結果になっている以上は、何かあるのでしょう。
直接会話していなくても、会話の輪に入っているだけで影響を受けるのですから、話術か暗示の類かもしれません。
本来なら、人に好かれやすい娘として、美点となりましたことでしょう。
殿下がお近付けにならなければ、せいぜい子爵家に嫁する程度でしたかと。
ですが、既にあの娘は力を示しました。
その利用価値は計り知れません。
既に危険な状況です。
3回近付かなければ効果を発揮しないということは、配下の者を交代させつつ接触させれば影響を受けずに利用できるということです。
この娘を利用して、殿下を傀儡にしようと考える者も出てきましょう」
クーリアほどの観察力のある者がそうそういるとは思えないけれどね。
「出てくるかな?」
「既に動いている家もあるようです。
元々、男爵家では、側妃もおぼつきません。
庶子ともなれば、侍女として召し上げて愛妾がせいぜい。
けれど、侯爵家の養女であれば…」
側妃にできる、か。
愛妾の子では王位継承権がないが、側妃の子なら継承権がある。
「君の生んだ子を殺すか、そもそも生まれないように画策すれば、玉座が見えてくる、か」
最悪、国が割れかねない。
「彼女の人となりは、好ましいものなんだがね」
「王太子の婚姻は、人となりで結ぶものではございません。
また、その評価は、今の殿下がなされたもの。冷静に下されたものではございません。
ましてや、本人の与り知らぬところでことが動いております。
排除はやむを得ないかと。
このままでは、命を奪うほかなくなります」
あっちから近付いてきたとはいえ、可哀想なことをしたな。
「仕方ない。
死ぬよりは、ね」
その日から私は、エブリィ男爵令嬢を避けるようにした。
急く者が現れないように。
これで彼女が何かを感じて私から離れてくれれば、助かる目もあるだろう。
だが彼女は、それができるほど察しが良くなかった。
そして、表舞台から消えたのだ。
「殿下が不用意に近くに置かなければ、このようなことにはなりませんでした。
以後、自重なさいますよう」
「ああ、すまなかった」
私が不用意に近付くことを許したばかりに、愛らしい令嬢の人生を狂わせてしまった。
せめて、彼女の余生が安らかなものであることを願う。
これにて完結です。
今回は、乙女ゲー転生ヒロインのテンプレを避けていたのに、きっちりざまぁされてしまったヒロインを扱ってみました。
魔法のない世界で、魅了の力を持つヒロインを、状況から判断して排除した公爵令嬢です。