九耀の溺愛
六話連続更新五話目です。
「これは九耀の乙女の『溺愛』だ」
「ハーくん! ちょっとやだ! ボロボロじゃない!」
「ああ、問題ない。見た目ほど大きな怪我では」
「黙って治療を受ける!」
「……分かった」
私は甲斐甲斐しく治癒魔法をかけてくれるサース母さんに素直に従う。他の九耀の乙女はサース母さんの治療を手伝ったり寵愛を騙った男へ迎撃体勢を取るなど様々だ。
本気を出せば世界の支配くらい簡単に出来る母さん達の威圧を受けては男の怒りも空気の抜けた風船のようにしぼんでしまったらしい。
想像を絶する力の差に震える男へ、サース母さんの治療が終えてから近付く。
「うそ、だろ……九耀の乙女の、できあい? 何だよ、それ……」
「名前の通り。赤子の私をここまで育ててくれた九人の母さんの愛情の証だ」
父さんが死んで、一人きりになった私はそれほど愛情に飢えていたのか。
それとも、あの騒がしい双子管理者のおふざけだったのか。
それは分からないが、とにかく赤子のオークとなった私を精霊の森で育ててくれたのは、サース母さんだけでなく、九耀の乙女九人全員だったのだ。
「最強の精霊達からの愛情? ……そんなの、ふつうオークじゃなくて主人公が受けるはずだろ?
それがオークのもの? ……これじゃあ、何の為にチートを貰ったんだよ……」
目玉が落ちそうなほど目を見開き、男は呆然と呟く。
私はしゃがんでへたり込む男と視線を合わせた。
「お前の普通を私に押しつけるな。
お前の物語には、オークが九耀の乙女に愛されることはないんだろう。
だがな、ここはお前の考えた設定じゃないんだ。
はき違えるな。どれだけ力を得ようが、この世界の全てはお前の思い通りに動く人形にはなり得ない。
ここは地球と変わりはしない。自分で考え、懸命に生きる人間しか、いないんだ」
私の言葉に、男はふにゃりと顔を歪める。うつむいた男の顎から雫が伝わり、床を濡らす。
「地球と、おんなじ?
……そんなの、絶望しかないじゃないか。
それじゃあ、僕はいつまで経っても主人公になれないいじめられっ子ってことか?
こうやってチート野郎の踏み台にされるかませ犬ってことなのか?
僕がラノベ主人公みたいな力と顔を貰って、昔の顔を消したのは無駄っ!?」
我慢が出来なかった。私は男の肩を掴み立ち上がらせ、息がかかるほどの距離で言葉を放つ。
「無駄なんかじゃないだろう。その曇った目をしっかりと見開け。
ヒーローになりたかったお前が、得た力で何をなしたのか、心に刻み込め」
男の背を押す。数歩前へ進んだ男は足をもつれさせ、床につんのめる。
転びかけた男を支えたのは、冒険者と思しき女だ。「アイーシャ」と男に名を呼ばれ、女はにっこりと微笑んだ。
「ふんっ!」
「ぐはぁっ!」
そして、アイーシャと呼ばれた女冒険者は男の顔へ見事な右ストレートを食らわせた。
「えーいっ」
「ごふっ!」
続いて魔法使いらしき女が、可愛らしい声を上げ倒れた男の鳩尾を思い切り杖で突く。
そして咳込む男へ三人目の攻撃が加わる。
「ユートさん、失礼しますね?」
「ひゃうんっ!?」
神官の攻撃が一番えげつなかった。まるで神の裁きのように、容赦のない踵が男の股間へ降り下ろされる。
その光景を見ただけで、私の息子も縮み上がった。あれは駄目だ。治癒魔法をかけても痛みが続くのだ。
「いぃ……ひぃいい……」
「これくらいで情けないわね、ユート。
アタシ達は殺されかけたんだから、これくらい我慢しなさいよ」
「そうよー、ユートくん。あそこのオークさんに助けて貰わなきゃ私達死んでたのよー?」
「そうですよ。これくらいでおあいこにするんです。神のお慈悲ですよ?」
股間の痛みに息も出来ない男へ、三人は順に語りかける。言葉を理解した男は、悶え苦しみながら先ほどとは違う涙で濡れた顔を女達へ向ける。
「ゆるして、くれるの? 僕は、お前達にひどいことを」
「したね、めちゃくちゃ傷ついた」
「ずっとあんな風に思ってたんだーって、泣きそうになっちゃったよー?」
「あなたは私達を見ていなかった。とても悲しかったです」
「……ごめん」
女達の言葉に、男は床を見つめ謝る。三人は這いつくばる男へ、しゃがんで視線を合わせた。
「でもさ、アタシ達は知ってるんだよ。アンタはどうしようもない臆病者だけど、バカみたいにお人好しで優しいとこもあるってこと。
じゃなきゃ、借金で奴隷落ちしかけたアタシを有り金はたいて助けたりしないだろ?」
「君がエッチな男の子で下心があって私達に近付いたのはわかってるよー? でもね、君はオークさんには負けちゃったけど国を相手にしたって勝てる力を持ってるのに、私達を無理矢理仲間になんてしなかったよね?
退学になりかけた私を一生懸命知恵を絞って助けてくれた。ちゃーんと正攻法で私達と向き合ってくれたでしょ?」
「物語なら、今のあなたはどうしようもない悪役です。主人公に倒されてしかるべき存在なのかもしれません。
でもここはオークさんの言ったように物語なんかじゃありません。
誰も助けてくれず、絶望していた私達に手を差し伸べてくれたあなたは、私達にとって勇者でした。
あなたがいない物語は、私達にとってハッピーエンドにならないんです」
女達は男へ話し終えると、私や母さん達へ向き直る。
そして、床に膝をつき頭を垂れた。
「ユートを止められなかったのはアタシ達の責任です。全てを許してくれとは言えません。
ですが、彼の命だけは助けてください」
「九耀の乙女の護りを騙ることがどれほどの重罪か分かっています。九耀様方の怒りを買うことがどれほど愚かしいことかも。
でも、お願いです。ユートくんを殺さないで」
「私達で出来ることなら何でもします。彼は私達を助けてくれました。
今度は私達が彼を助けたいんです」
禁忌を犯した男の為に、絶対的な存在の前で無防備な姿をさらす。
それはどれくらいの恐ろしさだろうか。
私は滝のような涙を流す男の頭を掴み、三人の行いを涙で見えないだろう目玉に映させる。
「良く見ろ。これがお前の起こした行動の結果だ。
お前はこの世界にとって主人公じゃない。
だが、この人達にとっては確かに勇者だった。
心に刻め。お前はお前を救おうとする人間を捨てようとした。目に見える弱さを厭い、お前は彼女達の強さを知ろうとしなかった。
お前の罪がどれほど重いか、しっかりと噛みしめろ」
男の頭を離す。男は重力に従い床にへたり込み、震える手で彼女らの肩に触れる。
三人の体もまた、恐怖に震えていた。
「っ! ……ごめん! ごめんっ!
アイーシャ、マオリ、シャロ、悪かった!
殺そうとしてごめん、いらないって言ってごめん。
僕は、ヒーローなんかじゃない。
お前達だって、助けられるから助けただけだ。自分より強い奴となんて、戦ったことない。僕は今だって逃げ出したくてしょうがない、どうしようもないチキン野郎だ。
褒められたくて、悪い奴らを倒してた。正義感なんてない。全部女の子にモテたかっただけだ。その女の子だって、自分を飾るアクセサリーくらいに思ってた。
僕はクソだ。どうしようもないクズ野郎だ。
……だから、もう、僕の為に頭なんて下げるなよぉ……」
男の泣き声の混ざった懇願は三人には届かず、彼女達は頭を垂れ続ける。「九耀様、お慈悲を」と三人は静かに請願する。
しかし、母さん達は誰一人口を開こうとしない。
「九耀、様っ! すいませんでした!
僕が全部悪かったんです! 九耀の寵愛を受けたって嘘を吐いたのは僕だけです! 三人は知らないんです!
全部僕がやったことです! 僕が、あなた達の大事な息子さんに怪我をさせました!
三人は関係ないんです! むしろ、僕に騙されてたんです!
だから、だから、どうか……アイーシャに、マオリに、シャロに何もしないでください……
僕はどうなってもいいから……みんなは許してください……」
男は床に額を擦りつけ、母さん達に訴えた。なりふり構わないそれは、力に酔った彼の奥底に隠されていた本当の彼の姿なのだろう。
母さん達は無言で四人を見下ろしている。代表してサース母さんが口を開くまでが、まるで永遠のように感じた。
「まずは顔を上げなさい。罰を下しましょう」
顔を上げた四人から、血の気は引いている。震える四人へ、母さん達は沙汰を言い渡した。
「まず九耀の寵愛を偽ったあなた。
偽りの九耀の力は当然消去。管理者から渡された願いの力は封印。
封印期間はエルフの国と騎士の国への損害の賠償が済むまで。
他人から与えられた強さではなく、丸裸にされた自分の弱さや強さをまずは知りなさい。
そして残りの三人はその男への一切の手助けを禁じます。
……ただし、会うこと自体は止めはしないわ。
話し合いなさい、本音で。交流なさい、心の底から。
お互いを高め合う絆を作れるよう、努力をなさい」
母さん達の裁きは、国二つを支配をしようとした男に対して、酷く軽い。床に膝をついたままの四人も、予想外の軽い罰に目を瞬かせている。
理解が追いついていないのだろう。
「サース母さん」
「テウ、ラフラ。彼の力の消去と封印を」
「りょーかいっ」
「了解しました」
私の声かけを流し、サース母さんはまず消滅を主る火耀のテウ母さんと秩序を主る羅豪のラフラ母さんに指示を出す。
それが終わってから、サース母さんは私へ顔を向けた。
「これは私達九耀で決めた罰よ。ハーくんには軽く見えたかもしれないけれど、管理者から授けられた力を封印されるのは力に頼りきっていた彼には辛いことだと思うわ。
それにあの偽の相痕……もしあれが私達の想像通りだとすれば……
私達が罰を与えるべき相手は違う所にいるのよ」
「それは……どういう……」
問いかけて、途中で矛盾に気付く。
双子の管理者はシンシンへ向かう前の空間で何と言っていたか。
『願いは一つ。そしてチートは与えない。願いにはそれ相応のデメリットを与える』と、言っていたではないか。
では何故、ユートというこの青年は『顔を捨てた』上に『偽物の九耀の寵愛』を持っていたのか。彼の金髪の美丈夫姿は『デメリット』にはなり得ない。
ならば、ユートは出会ってしまったのではないか。
私が母さん達からこの世界でも類を見ない護りを与えられたように、管理者以外の彼をチートへと変え得る存在に。
それは、一体どんな存在なのか。
お読み頂きありがとうございました。