たかとら、おしりのかわいさに気付く -3-
「っわ、ちょっと、待て」
高虎の手は、すぐに止まった。
「ごめん、痛かった?」
「いや、痛くはない。思ったより手ぇでかいなって」
「そう?」
「そうだよ。俺の尻、片方ほとんど覆ってんじゃん」
高虎は自分の手元を見下ろした。確かに、千尋の身体に対して自分の掌はかなり大きい。
腰へ触れたときにも思ったことだが、こうして手を置いてみると、二人の体格差がよくわかった。
「そうやね。かわいい」
「それはもう聞いた。触ってみてどうなんだよ」
高虎は少し考え、それから、もう一度だけ感触を確かめるように掌を動かした。
「思った以上に柔らかい」
「おっ」
「でも、ちゃんと張りがある」
「ほう?」
「丸みが綺麗だね」
千尋の口元が、少しずつ緩んでいく。
「そうかそうか!」
「うん。いいおしり」
「だろ?」
千尋が得意げに胸を張るものだから、高虎はその反応を見て、また笑いそうになった。
さっきまで尻を触らせることに少し戸惑っていたはずなのに、褒められた途端、すっかり満足そうな顔になっている。
しかも、自分の身体を褒められているというより、何か自慢の品を評価してもらっているような態度だった。
高虎は手を離し、千尋の顔を覗き込んだ。
「こぎさん、嬉しそうやね」
「そりゃ嬉しいだろ。好きなやつに褒められてんだから」
千尋は、平然答えた。高虎はその言葉を聞いて、胸の奥が温かくなるのを感じた。
好きなやつ。
千尋が自分のことをそう呼ぶのは、これが初めてではない。
それでも、聞くたびに嬉しくなる。高虎は千尋の腰から手を離し、調理台のほうへ戻ろうとした。
ところが、千尋はその手を目で追い、何か思いついたように声をかけた。
「なあ、高虎」
「ん?」
「もう片方は?」
高虎が瞬きをする。
「もう片方?」
「いや、片方だけじゃ不公平じゃん」
高虎はしばらく千尋を見つめた。
それから、ゆっくりと笑った。
「そっちもいいの?」
「いい。そのかわりちゃんと褒めろよ」
「わかった」
高虎は千尋の反対側へ手を添えた。
今度は千尋も身構えず、むしろ感想を待つように少し顎を上げている。
高虎は軽く触れ、それから真面目な顔で頷いた。
「こっちもかわいい」
「よし」
「左右でそんなに違わないね」
「そりゃそうだろ」
千尋が笑うと、高虎も口元を緩めた。
それから、少しだけ首を傾げる。
「でも、こっちのほうがちょっと柔らかいかもしれん」
「え、マジで?」
「たぶん」
「へえ。自分じゃわかんねえな」
千尋は自分の尻を振り返ろうとして、当然ながら上手く見えず、身体を捻ったまま首を傾げた。
高虎はその様子を見て、とうとう堪えきれずに笑い始めた。
「ふ、ははっ」
「おい、何笑ってんだよ」
「いや、かわいいなって」
「尻が?」
「違う、こぎさんが」
千尋の動きが止まった。
高虎は笑いながら、千尋の腰から手を離した。
「褒められると、すごい嬉しそう」
「そりゃあ、まあ。好きなやつに褒められたら、嬉しいだろ」
千尋は少し頬を染め、視線を逸らした。
高虎はその顔を見つめ、それから、ゆっくりと手を伸ばした。
今度は尻ではなく、千尋の頬へ。
「こぎさん」
「ん?」
「ほんと、かわいいね」
千尋は一瞬だけ目を見開き、それから、照れくさそうに笑った。
「へへ」
高虎はその笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。好きだと思うところは、いくつもある。
よく笑うところ。
何でも楽しそうに話してくれるところ。
疲れていても、こちらのことを気にかけてくれるところ。
そして、褒めるとこんなにも嬉しそうな顔をするところ。
高虎は千尋の頬を、愛おしそうに軽く撫でた。
「おしりだけやないよ」
「ん?」
「こぎさん、全部かわいい」
千尋はぴたりと動きを止めた。
それから、みるみる顔を赤くする。
「お前、そういうの不意打ちで言うなよ」
「本当のことだし」
「まったく、もう」
千尋は照れ隠しのように高虎の胸を軽く叩いたが、その手を引っ込めることはせず、むしろTシャツの布地を掴んで、少し引き寄せた。
「高虎」
「ん?」
「ちゅーしろ」
ずいぶん偉そうなその物言いに、高虎は目を細めた。だが結局、ふっと表情を緩めて応じる。
「いいよ」
千尋が顎を上げると、高虎は腰を折り、ゆっくりと顔を近づけた。
触れ合った唇は温かく、高虎が顔を離すと、千尋は満足げに笑った。
「へへ」
「嬉しい?」
「うん」
千尋があまりに素直に頷いたので、高虎はその顔を見つめ、軽く千尋を抱きしめた。それから、いつもの癖で下唇を軽く舐めた。
千尋の目が、すっと細くなる。
「お前さあそれ、わざとやってねえ?」
「何を?」
「唇!」
「ああ」
高虎は、案外長い睫毛をぱちくりとさせて、少し考えた。
「でもさ、仕方ないやん。癖なんだって」
「ほんとかよ」
「ほんと」
千尋は疑わしそうに見上げた。
高虎はその視線を受け止め、少しだけ笑った。
「もう一回する?」
「だからなんでそうなるんだよ」
千尋は呆れたように言った。
けれど、今度は自分から高虎の首へ腕を回し、その大きな身体を引き寄せる。
「するけど」
「うん」
高虎はすり寄ってくる千尋を見つめ、嬉しそうに目を細めた。
夕飯の支度は、まだ途中だった。調理台には切り終えた野菜が並び、コンロの上では鍋の湯が小さな音を立てている。それでも二人とも、もう少しだけこのままでいたかった。
千尋は高虎の首に回した腕へ力を込めて身体を寄せ、もう一度、唇を重ねた。高虎がその身体をそっと支え、千尋の背中へ手を回す。
さっきまで尻を触らせてもらっていた手だったが、今は、恋人を抱きしめるために使われている。
それが嬉しくて、千尋はキスのあとも、すぐには離れなかった。
「なあ、高虎」
「ん?」
「俺のこと、そんなかわいい?」
「うん」
「そっか」
千尋は満足げに笑った。
高虎はその背中を撫でながら、ふと思い出したように言った。
「おしりは特にかわいい」
「お前、まだ言うか!」
千尋は呆れたように言ったが、恋人の腕の中から離れようとはしなかった。
なお、この日を境に、高虎は千尋の尻をたいそう気に入るようになった。
そして千尋は、褒められれば褒められるほど、ますます調子に乗るようになった。
その結果、二人のあいだには、やがてひとつの暗黙の了解が生まれることになる。
触るなら、褒める。褒めれば、触っていい。
もっとも、そのうち高虎は、褒める前に触るようになるのだが。
それはまた、別の話である。




