第1話「あなたの『ゼロ』は、たぶん無限大です」
わたし、雪城澪の魔力はゼロだ。
少なくとも、七年間そう言われてきた。
小学三年のとき、みんなと一緒に魔法省公認の計測器に手をかざした。数値は綺麗な「0」を示した。窓口の係の人が不思議そうな顔をして、もう一度手をかざすよう言ってくれた。それでもゼロ。三回目でも、四回目でも、変わらなかった。
「おかしいわね」
係の人はそう言いながら、紙に数字を書き込んだ。手つきは丁寧だった。でもどこか、申し訳なさそうだった。
「でも、結果は結果だから」
十歳のわたしはその紙を受け取って、ありがとうございます、と答えた。
なんで謝られているのかよくわからなかった。だって、別に困っていなかったから。
空を飛べなくても、荷物は自分で持てばいい。火を出せなくても、ライターで点けられる。学校でみんながキラキラした光の玉を作っているとき、わたしは読みかけの本を読んでいた。
魔力がなくても、それなりに生きていける。
それが七年前からずっと、わたしの基本スタンスだ。
高校二年の春、朝のホームルームの前の話をする。
うちの高校——立花高校には、魔法科と普通科がある。魔力を持つ生徒は魔法科に進み、わたしみたいなのは普通科だ。校舎は同じだけど、授業は別。放課後の実習も別。文化祭のステージ発表も、なんとなくそれぞれの空気がある。
でも、わたしは別に気にしていない。
本当に、気にしていない。
「澪ー、おはよー」
教室に入ってきた幼馴染の花ちゃん——花岡千春が、机に広げた本の上にどすんと荷物を乗せた。
「ちょ、本が」
「あ、ごめん」
「……まあいいけど」
わたしは本を引っ張り出して、折れたページを丁寧に伸ばした。花ちゃんはそれを見ながら椅子を引いて、なんでもないふうに言った。
「今日ね、転校生来るらしいよ」
「へえ」
「しかも魔法科から」
それは珍しい。普通、魔法科から普通科に来ることなんてない。逆はたまにある——入学後に魔力が覚醒する子もいるから——でも魔法科から普通科への転籍はほぼ聞かない話だった。
「なんで普通科に?」
「知らない。でも見た? 朝、校門のところにいた人。背が高くてすごく格好よかった。私の独断と偏見によるランキングで、今学期のナンバーワン確定」
花ちゃんのランキングは毎週変わるので参考にしていない。
「ふーん」
「興味なさそう」
「そうでもないよ」
本当にそうでもなかった。転校生には普通に興味があった。でも今はそれより、本の続きの方が気になっていた。さっき花ちゃんが乗っかったせいで、ちょうど核心の場面がよれてしまって。
そのとき、窓の外から声がした。
「——あ、スズメ」
誰かが気づいて言った。
思わず顔を上げる。
廊下側の窓、その桟の上に、一羽の雀が止まっていた。羽の一部が不自然に曲がっている。どこかにぶつかったのか、それとも何かに噛まれたのか。黒くて丸い目が、ちらちらと教室の中を見ていた。
「先生呼ぼうか。捕まえてもらって」
花ちゃんが言った。
「いいよ、わたし見ておく」
立ち上がって、ゆっくりと窓に近づいた。逃げるかと思ったけど、雀はそこから動かなかった。じっとこちらを見ていた。
「大丈夫?」
声をかけながら、そっと手を差し出した。
雀がためらうように首を傾けた。それから——まるで当たり前のように、わたしの手の平に乗ってきた。
あたたかかった。ちゃんと生きているものの温度。
指の中に、小さな鼓動を感じた。特に何かをしようと思ったわけじゃない。ただ、傷んでいるところが治ったらいいなと、それだけぼんやり思っていた。
三十秒くらい経ったとき。
雀が、ぱっと飛び立った。
さっきまで折れていた羽が、きれいに広がっていた。
「……え、治った?」
花ちゃんの声が、どこか遠くに聞こえた。
「治ったね」
「澪、それって」
「なんか、よかった」
ただそれだけが、正直な感想だった。
転校生がやってきたのは、三時間目が始まる直前のことだった。
担任の村田先生が教室の戸を開けて、「はい、入って」と言った。それだけで教室がざわめいた。
わたしもつられて顔を上げた。
最初に思ったのは、背が高い、ということだった。
次に思ったのは、目が鋭い、ということ。
廊下から入ってきたその人は——同い年くらいだと思う、男の子だということはわかった——一歩踏み込みながら、まるで地形を確認するみたいにさっと教室を見渡した。何かを探しているような目だった。職業的な、とでも言えばいいのか、そういう冷たい精密さがあった。
そして着ている制服が、黒かった。立花高校の制服は紺だ。だからそれは、魔法科のものだとすぐにわかった。
「魔法科から来た、御堂律です」
静かな声だった。でも、よく通る声だった。
「よろしく」
それだけ言って、愛想のいいわけでも律儀なわけでもなく、淡々と黒板に名前を書いた。
御堂律。
飾りのない文字だった。
「御堂くんは事情があって、しばらく普通科の授業を受けてもらいます」
先生がそう言った。それ以上の説明はなかった。教室はまだざわついていたけど、御堂くんは特に気にした様子もなかった。視線が痛いくらい集まっているのに、表情一つ変えない。
「席は……そう、雪城の隣」
先生に指示された方向を向いたとき、御堂くんの目がわたしと合った。
ほんの一瞬だった。
でも、なんだか——変な感じがした。
彼の目が、わたしのあたりで止まった。じろじろ見る、というのとは違う。もっと精密な、何かを計算するような目だった。数値を読むような。あるいは、何かを確認するような。
(……なんだろう)
わたしは目をそらして、手元の本に視線を落とした。
となりに椅子を引く音がした。
「隣、失礼します」
「どうぞ」
顔は上げず、答えた。
しばらく沈黙があった。授業が始まった。先生が黒板に数式を書いた。わたしはノートを開いた。
そのかすかな間隙に。
「——あなた、今朝の鳥を治したの?」
という声が聞こえた。
思わず顔を上げた。
御堂くんが、まっすぐこちらを見ていた。
声は静かだった。でもその目には、確信めいたものが宿っていた。観察しているのとも、疑っているのとも違う。何かを、すでにわかってしまっている人の目だった。
「見てたんですか」
「校門から入るとき、たまたま窓が見えた」
そうか、と思った。外から見えていたんだ。
「怪我してたから、元気になれたらいいなって思っただけです」
「……そう」
御堂くんは少しだけ瞳を細めた。
「名前は?」
「雪城澪です」
「魔力は?」
「ゼロです」
即答した。慣れているから。この質問をされるたびにそう答えてきた七年間だった。
でも御堂くんは、わたしの答えを聞いたあと——ほんの少しだけ、何かを噛みしめるみたいに、口を閉じた。
「……そうですか」
「はい」
わたしは普通に答えた。
先生の声が遠くから聞こえた。教科書何ページを開いて、という指示だったと思う。
御堂くんはそれきり口を閉じて、教科書を開いた。
わたしもノートに視線を戻した。
聞こえなかっただろうけれど、たぶん彼がそのとき内心で思ったことは、こんな感じだったんだろうと、あとで知った。
——そんなわけがない。
まあ、なんにせよ、授業は始まった。
わたしは今日も、何も変わらない一日を過ごすつもりだった。
放課後のことだ。
図書室で本を借りて、帰ろうと廊下に出たとき、御堂くんが壁に背を預けて立っていた。
待っていたのだと、すぐにわかった。
「雪城さん」
名前を呼ばれたので立ち止まった。振り返ると、御堂くんが——少しだけ、本当に少しだけ、困ったような顔をしていた。
すごく珍しいものを見た気がした。
「聞いてもいいですか」
「なんですか」
「本当に、自分には魔力がないと思っているの?」
思っている、ではなく「思っているの?」という聞き方だった。
「思っているというか、計測したらゼロだったので」
「……計測器、壊れていたかもしれない」
「え」
わたしは少し考えた。
「壊れていたとして、それが何ですか」
御堂くんがわたしを見た。
何かを言いかけて、でも言葉にならなかったみたいに、一度口を閉じた。それからまた開いた。
「あなたの魔力が——おそらく、計測不能な量だということです。今日の授業中、隣で計測器を近づけたら、振り切れた」
「……はあ」
「驚かないの?」
「急に言われても、実感がないので」
正直な答えだった。
御堂くんはまた、少し困ったような顔をした。わたしはそれが、なんとなくおかしかった。こんなに整った顔をした人が「困った」という表情をすると、かえって印象に残る。
「信じていないんですか」
「信じていないというより……本当に、よくわからないんです。わたしが強くても弱くても、今日の授業の内容は変わらないし、明日の朝に食べるトーストも変わらないし」
御堂くんが、ゆっくりと瞬きした。
「…………」
「迷惑でしたか、変なこと言って」
「いいえ」
短い答えだった。
廊下の窓から、夕方の光が斜めに差し込んでいた。それが御堂くんの横顔に当たっていて、わたしはなんとなく、目をそらした。
「また話しかけてもいいですか」
という言葉が来た。
わたしは少し考えた。
「別に、構いませんけど」
御堂くんは何も言わなかった。でも、うなずいた。
それがわたしと御堂律の、最初の会話だった。
彼がなぜここに来たのか、魔法省の依頼で「規格外の魔力反応」を発した人物を探していたことを、わたしが知るのはもう少しあとの話だ。
そしてその「規格外の魔力反応」がわたしだったということも。
——でも、それを知ったからって、明日の朝のトーストの焼き加減が変わるわけじゃない。
わたしは本を抱えて、帰り道を歩きはじめた。
この作品より、コメディ要素を加えた作品を「魔力ゼロと言われてきた私が、計測器を壊していただけと知っても、別に驚かない理由 〜国家予算級の測定器を素手で粉砕した規格外ですが、明日のトーストの方が大事なので監視役のエリートは他を当たってください〜」で掲載しています。
そちらもお時間があれば、よろしくおねがいします。




