第六百二十四話 にゃあ介
「にゃあ介?」
わたしはまた呼びかける。だが返事はない。
「お前の世界に送り込んだ際に、ミルヒシュトラーセは、ショックで一時的に記憶を失ったようだな」
神が言う。
「だが神域に入ったのなら、徐々に記憶は戻っているはずだ」
「あんなのデタラメ! そうなんでしょ?」
わたしはもう一度呼びかける。
「にゃあ介。にゃあ介、何とか言って」
すると、ようやくにゃあ介の声が頭に響いた。
(……ワガハイは……)
「にゃあ介!」
(ミオン……ワガハイは、ミオンにあやまらなければならニャい)
「うそ」
わたしは首を振る。
「うそだよ。うそだ!」
にゃあ介が神の手下だなんて。
にゃあ介が……にゃあ介が黒衣の男と同じ存在だったなんて。
そんなの、うそに決まってる。
「ずっと、一緒に戦ってきた」
握る手が震える。
「ずっと、一緒に旅してきた」
わたしは言う。
「ずっと、ずっと、一緒に喧嘩して、一緒に笑い合って……」
ぽろり、と涙がこぼれる。
「にゃあ介、うそよね?」
しばらくの沈黙ののち、にゃあ介から、一言だけ、返ってきた。
(……すまニャい)
◆
わたしは立ち尽くしている。
頭の中が、真っ白だった。
「よく務めを果たしてくれたな、ミルヒシュトラーセ。もう、戻ってよいぞ」
神のその言葉も耳に入らない。
「ミルヒシュトラーセ。戻ってこんか。この神殿でなら、元の姿に戻るのはたやすいはず」
「ミルが、神のしもべ?」
「…………」
セレーナとリーゼロッテも呆然としている。
「どうしたミルヒシュトラーセ。……まさか人間ごときに情が移ったとでも言うのか」
神が言うと、
「ミ、ミルは私たちの味方だ!」
リーゼロッテが叫ぶ。
「そうよ! ミルはあなたのしもべなんかじゃない!」
セレーナも叫ぶ。
神は不適な笑みを浮かべたままだ。
「ミル! 私はあなたを信じてる」
「ミル、私もだ。ミオンもそうだろう?」
「わたし、わたしは……」
わたしはまだ頭の整理がつかないでいる。
神はまた笑う。
「まあ、どちらでもよい。……さて」
神は言った。
「では魔法の講義でもはじめようか」
◆
足元がぐらぐらする。
にゃあ介。
今まで何度もわたしのピンチを助けてくれた。
前の世界で、わたしが孤独でひとりぼっちだったときも、ずっと一緒にいてくれた。
わたしがまだ小さいとき、庭にふらりと現れて……。
「講義内容は、旧極魔法について」
「な、なにを……」
戸惑うセレーナとリーゼロッテを尻目に、神は話しはじめる。
「まあ力を抜いて。リラックスして聞いてくれたまえ。魔法学校に通っていた君たちだ。慣れてるだろう?」
神は続ける。
「旧極魔法、門は、他の魔法とは一線を画す魔法じゃ」
神はゆったりとした調子で話す。
「簡単に言うと、あれは、外宇宙の一部をここへ持ってくる魔法なのだよ」
その話しぶりは、まるで本当に講義でもしてるみたいだ。
「いや、ここから持っていく、と言った方が正しいか」
神は微笑む。
「空間に開いた門からね。何もかも持ち去られる。水も、火も、岩も、空気でさえも。逃れるすべはない」
そして、
「それでは、ちょっと実演してみせよう」
そう言うと、両手を広げる。
「ここ神域内でも、使うことはできる。その威力は限定的ではあるが……」
「!」
「じょ、冗談を……」
セレーナとリーゼロッテは後じさりする。
「ほ、本当にここで使う気なの?」
神はすでに何か唱え始めている。
旧極魔法。
……わたしを使って、世界を滅亡させようとした、その魔法。
そう、わたしの元へにゃあ介を送り込んで――
わたしは、家の庭に、にゃあ介が現れたときのことを思い出す。
ガリガリだったにゃあ介。わたしのやったミルクを美味しそうに飲んでいたにゃあ介を。
あのときから、神の計画は始まっていたの?
わたしとにゃあ介がトラックに轢かれるのも計画ずく?
パリパリと空気が音を立てる。
「おい、まさか……」
リーゼロッテが警戒の声を上げる。
オゾンの匂いが鼻をつく。
セレーナが叫んだ。
「私たちを狙ってる!」




