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劇場版 第一部 『エピソードゼロ〜女神は、退屈な箱庭で愛を夢見る〜』

【プロローグ:零次元の観測者】


 世界は、白紙に戻ったわけではなかった。

 黒く塗りつぶされたのでもない。ただ、「なくなった」のだ。

 上も下も、時間も空間もない。俺、桜川ハルの意識だけが、薄皮一枚で繋ぎ止められた「無」の海を漂っていた。


「……母さん?」


 声は出ない。空気がないからだ。


 空気も魔力も、法則も――あの世界で“当たり前”だったものは、全部彼女の体温だった。

 だが、意識の奥底に、誰かの「記憶モノローグ」が流れ込んできた。


 それは、あのふざけたハイテンションな女神の声ではない。もっと幼く、冷たく、そして果てしなく孤独な、ある少女の声。


 ――これは、世界が生まれる前。

 「桜川モモネ」という人格が形成される前の、原初の記憶。


 ◇

【過去編:全能という名の牢獄】


 場所は、神界。あるいは、高次元領域。

 そこに、一人の「存在」がいた。形はない。光でもあり、闇でもある。

 彼女は、無数に浮かぶ「シャボン玉」のような多元宇宙を、ただ無表情に眺めていた。


『退屈』


 彼女の思考は、その一言に尽きた。


 彼女は全能だった。指先一つで宇宙を創り、瞬き一つで銀河を消せる。


 だが、全能とは即ち、「未知がない」ということだ。どんな物語も、結末が分かってしまう。どんな英雄も、彼女が書き記した物理法則と運命のシナリオ通りに動くだけ。


『愛? 勇気? 友情? ……くだらない。すべてはただの化学反応データ


 彼女は「感情」というバグを理解できなかった。

 計算外の行動をする者がいない世界で、心が動くはずもない。彼女を観測できる上位存在はおらず、彼女に対等に語りかける者もいない。

 彼女は、永遠の孤独の中にいた。自分以外の「他者」が存在しない、絶対的な個室。


 そんなある日。


 彼女は、数あるシャボン玉の一つ――『地球』と呼ばれる、魔力を持たない灰色の星に目を留めた。


 ◇

【過去編:灰色の世界と、桃色の花】


 そこには、一人の青年がいた。名前は、桜川ハル(前世)。


 特別な才能はない。英雄でもない。ブラック企業で働き、毎日終電で帰り、コンビニ弁当を食べて寝るだけの、平々凡々な人生。


『なぜ、生きているの?』


 女神は疑問に思った。

 彼の人生には、劇的な希望がない。明日も明後日も、同じ苦痛と疲労が続くだけ。合理的に考えれば、自らリセットボタンを押すか、狂ってしまうべき人生だ。


 だが、彼は違った。


 ある春の夜。


 冷たい雨の中、疲れ果てて帰宅する途中。彼はアパートの裏路地に、不法投棄された小さな植木鉢を見つけた。


 枯れかけていたが、そこにはたった一輪、鮮やかなピンク色の花――『桃の花』が咲いていた。


「……へえ。こんな灰色のトコで、お前、頑張って咲いてるなぁ」


 彼はしゃがみ込み、自分の差していたビニール傘を、その小さな桃の花の上に固定した。


「やらずに後悔するより、やって後悔だ」


そう呟いて、彼は照れくさそうに濡れた髪をいじって。自分はずぶ濡れになりながら、少しだけ、本当に嬉しそうに笑ったのだ。


 その笑顔。


 休日に新作スイーツを食べた時の、小さなガッツポーズ。

 読みかけの漫画の続きを楽しみにする、ワクワクした顔。

 灰色の世界で、誰に賞賛されるわけでもないのに、彼の魂だけが、微かに、しかし確かに「色彩」を放っていた。


『……綺麗』


 女神は初めて、観測を止めて「凝視」した。

 彼は全能ではない。無力だ。だからこそ、小さな幸せを全力で噛みしめることができる。予測不能な「喜び」を生み出すことができる。


 彼女は、彼に恋をしたわけではない。ただ、羨ましかったのだ。


 不完全な彼が持つ、「日常を愛する才能」が。


 ◇

【過去編:神格の解体と、名前の由来】


 だが、人間の命は脆い。

 ある日、彼は死んだ。居眠り運転のトラックに跳ねられ、あっけなく。


 ドラマチックな最期ですらなかった。

 未来は見えていた。だが、彼女は“介入”を選ばなかった。


 それでも――その結末だけは、耐えられなかった。


『……嘘』


 女神の全能の心に、初めて「ノイズ(悲痛)」が走った。


 彼の物語は、まだ終わっていない。あの新作スイーツも食べていない。あの桃の花に水もやっていない。

 こんな理不尽な「THE・END」など、私は認めない。


 彼女は禁忌を犯した。

 輪廻の輪から外れ、消滅しかけていた彼の魂を、その手で掴み取ったのだ。


『私が、あげる』


 彼女は決めた。この退屈な全能の力を、彼のために使おう。


 彼が望むなら、剣も魔法もある世界を。彼が笑うなら、ドタバタなコメディを。彼が生きるなら、最高のハッピーエンドを。


 彼女は自らの「存在(神格)」を解体した。

 自らを「世界」そのものへと作り変えたのだ。空も、大地も、空気も、魔力も。すべては彼女の体であり、彼女の愛だ。


 そして、彼女自身もまた、一つの人格として世界に降り立った。観測者ではなく、参加者として。彼の一番近くで、その人生を見守るために。


 『母親』という、絶対に切れない絆を名乗って。


『名前は……そうね。あなたの名字をもらうわ。……桜川』


 女神は、彼の記憶の中で最も美しく輝いていた、あの雨の日の小さな花を思い浮かべた。


『そして、あなたが愛した花の名前。……桜川、モモネ。今日から私が、あなたのママよ』


 ◇

【現在:解けた魔法と、神殺しの決意】


 ハルの意識の中で、記憶のフラッシュバックが終わる。


 ――理解した。


 俺の『桃の花が好き』という感覚は、前世の魂に刻まれた記憶だったんだ。


 そして、俺がいたあの世界は、ただの異世界じゃなかった。あれは、モモネ(母さん)の「命」そのものだったんだ。


 俺たちが魔法を使い、暴れ、笑うたびに、世界モモネの魂は削られていた。俺たちの「楽しい日常」は、彼女の命を燃料にして燃えていたんだ。

 そして今、燃料が尽きた。夢が覚めた。


 彼女は、またあの退屈な、たった一人の「無」に戻ってしまった。


「……ふざけんな」


 俺の魂が、熱を帯びる。

 平々凡々? 無難な人生? そんなもの、もうどうでもいい。


 俺は思い出す。


 ヒヅキの重い愛を。ヒマワリの熱い炎を。アオイの安らかな眠りを。

 ミサキとサヤカの不器用な優しさを。シズクのポンコツな推理を。

 そして、いつも傍で笑っていた、あのピンク色の髪の女性を。


「勝手に終わらせてんじゃねーよ、クソ女神」


 俺は、何もない暗闇に向かって手を伸ばした。

 魔法なんてない。体さえない。あるのは、前世から持ち越した「全力で日常を楽しむ根性(魂)」だけ。


「俺はまだ、お前の作った料理ゲテモノを食い足りないんだよ!!」


 バチンッ!


 暗闇に、亀裂が走った。

 俺の意志に呼応するように、どこか遠くで、5つの光(ヒロインたちの魂)が輝き出す。


 劇場版。

 それは、失われた世界を取り戻すだけの物語ではない。


 自らを犠牲にして世界を創った「彼女」を、全能の神という牢獄から引きずり下ろし、ただの一人の『家族ヒロイン』として救い出す物語だ。


 『待ってろ、母さん。……今度は俺が、お前を創り直してやる』


 ――暗転。

 そして、スクリーンにタイトルロゴが浮かび上がる。


 『劇場版 これが女神のやることか ~Re:Home~』


 第2部 「神殺しのバースデーケーキ(ビッグバン)」へ続く――

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