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揺夏

ーーーーー


「今年もかい?こんな暑い中、随分だね」


苦笑いを浮かべた住職が不思議そうに言う。

この2年間ちょくちょく会うというのに、いまだに珍奇の目で見られる。

当然といえば当然だ。僕は先輩の家族でも、恋人でも、友人でもない——正確に言えば「死んだ時の先輩にとって」——、言ってしまえば他人なのだから。

理由はそれだけじゃない。先輩は、その生き方も死に方も、到底人に好かれるようなものではなかった。わざわざ毎年墓参りにくる人間なんてのは、僕くらいしかいない。


「今年も、です。修了の報告ついでに」


僕も苦笑いをして返す。

住職は少し気まずそうに、「仏さんを悪く言うつもりはないけどさ」と加えた。

それから、


「はいよ、そこの水場で洗って返してね。わかってるとは思うけど」


注釈と共に、草刈り鎌と柄杓の入った桶を渡してくれる。いつも通りそこそこ重い。今からこれを持って炎天下に繰り出すと考えると、とても憂鬱になる。貸してくれるだけありがたいが、そもそも一体何故こんなことをしているのか、自分でも不思議でならない。


「それじゃ、失礼します」


寺の事務所の玄関に立って、僕は軽くお辞儀をした。


「暑いから、気をつけて」


「はい。ありがとうございます」


ぴしゃりと扉を閉めた後、本殿のさらに奥にある墓地へと向かう。

これといって先輩には恩も義理も無い。なんなら貸した金をトンズラされている。死なんて都合の良い理由をつけて。それなのに、やっぱり何故だか、毎年墓参りに赴いてしまっている。



ジークジークジークジーク



蝉の鳴き声があたり一面に響いている。頭上を見上げれば、影の掛かった入道雲が胡座をかいていた。

できれば雨はやめてほしい。早めに終わらせて、自分の部屋の整理をしなければ。


我ながら律儀なもので、どんなに暑かろうが、わざわざ毎年命日には必ず足を運んでいる。どうせ死ぬなら、真夏の盛りじゃなく秋の中頃にして欲しかった。じゃあ来なければ良いじゃないかと言われれば、そうとしか言えないけれど。


「もうちょい手前にあれば良かったんだけどな……」


先輩の墓は嫌味なことに奥の方にある。正確には先輩の家のお墓、なのだろうが。

田舎の墓地はどこもやけに広い。ここも例外では無く、奥の区画に行くには4、5分は歩かなければならない。今朝の天気予報曰く、11時現在の気温は32度。少しでも動けば額に汗が染みてくる。

墓でまで人をイラつかせるとは、全くあの人らしい。



ジークジークジークジークジーク



漸く着いたころには、汗でシャツが濡れていた。

それだけでももううんざりするのに、


「あー……クソっ」


墓の状態を見て追い討ちを喰らった。

他の墓は親族たちが整備しているらしく、目立って雑草は生えていないし、墓石にコケも付いていない。先輩の墓は真逆だ。草はボーボー、コケは生え放題。

僕が知り合った頃には、既に先輩は天涯孤独の身だったから、こうなるのも当然ではある。とはいえども、今年はいっそう酷い。

嫌々ながら、僕は掃除を始める。



ジークジークジークジークジークジーク



比喩でもなんでもなく、茹だってしまいそうな熱気が地面から逆巻いている。

滝のように汗が流れる。目に入ると染みて、痺れる。いくら拭おうとも止めどなく、滴る。

鬱陶しく思いながらも、黙々と草を刈り続けていく。いくつか掴んでまとめて、根本を刈り取って、投げる。また掴んで、刈って、投げる。その繰り返し。

唇を伝っていった汗と投げた拍子に飛び散った土が口の中で混ざって、僕をより一層せき立てていく。



ジークジークジークジークジークジークジークジークジークジークジークジークジーク



漸く、果てしなくとさえ思えた作業が終わる。落としていた腰を上げて、うんと背伸びをする。背筋に張り付いたシャツはひんやり冷たい。

気分がいいことではないが、まだマシな心地になる。


「やっーと終わった」


綺麗になった墓石を一瞥する。

我ながら、あの状態からよくここまでやったものだ。刈った草はどうしようか。住職に渡しても迷惑だろうし、このままというわけにもいかないだろう。いつもはそのまま放置しているが、この量を捨てておくのは流石に見栄えが悪い。


(あぁ、そう言えば。)


ふと思い出して、僕はポケットから線香とジェットライターを取り出す。何分暑いし、いつもは使わないのだが、今日くらいは。


「新聞紙と蝋燭なんて、あんたにゃ勿体ないですよ。文句言わないでくださいね」


早速、集めた雑草にジェットライターで火をつけて、線香を焚けるくらいの加減にする。周りに燃え移るようなものは無いし、多分大丈夫だろう。

その試みは思いのほか上手くいって、それほどの時間は掛からなかった。


「よいしょっと」


線香に火を移す。特徴的な香りの白煙が上がり、蜃気楼みたいに揺れる。


「ほら、先輩。初めてのお線香ですよ」


線香を先輩の墓標の下に供えて、少し俯いて手を合わせてみる。

暫くそうしていたけれど、


「……あなたに手を合わせても無駄ですかね」


馬鹿らしくなってやめた。天国も地獄も信じてないが、あるとすると先輩は地獄行きだろうから、仏様ではない。生まれ変わったとしても良くて畜生だろう。いや、あの人のことだから、猫なんてこともあるかもしれない。


……いや待て、そもそもこんな暑い中で自分は何をしているのだろうか。

一つ大きなため息を吐いて顔を上げると、目の前に先輩の名前の半分が見えた。


『平坂家』


先輩の代で途絶えたであろう家の名前だ。

———いや、先輩のことだし分からない。隠し子なんてのを産んでいたのかもしれない。


「……流石に隠し子の面倒は見ませんからね」


特に何の意味もなく呟いてみる。聞こえていたとしたら、彼女は笑っているだろうか。

そしてまた、特に何の意味もなく、先輩の名前のもう半分が思い浮かんだ。


『晴』


平坂、晴。

全く似合わない名前だな、と思った。


「帰るか、そろそろ僕まで死にそうだ」


帰りの支度を始めようと腰を上げたとき、不意に、まるで思い出したかのように強い風が吹いた。

蝉の声が止み、びゅうと轟音が響く。

青臭い炎がたちまちに消えて、遠くから僅かに風鈴の音が鳴る。その中に混じって、


「人の名前に文句言うなよ、ガキンチョ」


どこまでも軽薄で、果てしなく甘ったるい聞き慣れた声が聞こえた。懐かしいという表現は使いたくない、そんな声が。確かに鼓膜を打ったのだ。僕には聞こえた。


声は泣いていた。怒っていた。そして笑っていた。


吹き続ける風のなかで、僕は静かに、


「僕、もう貴女より年上ですよ。先輩。」


と一言だけ吐き捨てて墓を後にする。

遠く風鈴の高笑いを耳にしながら。

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