58 ユリエルside
「……それは?」
「これは我が国の機密事項に触れますので、この場では簡単な説明のみで、詳細な仕組みなどは控えさせていただきます」
これを受けて、エクリシエス殿下方アルベリート王国の面々が思わずとばかりに驚愕の視線を魔法紙に注いだ。そんな重要なものをあっさり見せてよかったのかと、その凝視する表情が如実に物語っている。
「軽く触れた程度では解読できるものではありませんので、発動させないかぎりは機密漏洩に該当しないと判断しました」
ちらりと向けた視線ひとつで、それが所長の判断だと言外に告げていた。
一同の目が一斉に向けられたことに気圧された様子もなく、大公殿下はただにこりと微笑むだけだ。
さすがの胆力、と思っていることが透けて見える一部の者たちの感服した顔に、呆れてつい嘆息しそうになった。純粋すぎやしないか?
違うぞ。叔父上のあの顔は、義叔母上に流し目されて喜んでいるだけだからな?
「この魔法陣は、大まかに説明すれば水流をコントロールするためのものです」
「水流?」
「はい。印墨の入った深鍋を中心に置き、螺旋状に細い水流を起こします。ここでもうひと手間工程が入り、熱交換を行わせ、深鍋を冷却します」
「れ、冷却?」
驚くのは当然だろう。単体で冷却冷凍できる物など魔導具でさえ実現できていないのだから。
一応冷却する魔導具はある。希少な魔石を使うので、王族や上位貴族が所有する高価なものばかりだが、まあ、あるにはある。
調理場や貯蔵庫だけでなく、夏場は王宮の各部署にも設置される。国王陛下や私の執務室もそうだし、国王陛下の私室や王妃宮、王太子宮にも配備されている。真冬は真逆の効果がある魔石が使われるが、用途によって使う魔石を交換するだけで冷暖房どちらにも兼用できる魔導具はとても貴重で、その恩恵を十二分に受けている身としては、発明した者の非凡さに頭が上がらない。
その魔石、氷属性とは厳密には違うらしいが、それに該当するようなものは標高の高い寒冷地に生息する、威氷鹿という鹿に似た魔物からしか取れない。希少価値が高い理由は、魔物の生息地が限定的であることに加えて、そこに到達するまでがとても過酷で、尚且つ討伐方法がかなり特殊だというのだ。
水魔法以外で討伐すると採取した魔石が変色し、脆くなるそうだ。冷却能力も著しく低下し、また使用限度も高品質なものと比べて格段に落ちる。
水属性に適性がある者は他の属性持ちより少ないため、その時点で人員不足は否めない。さらに地形や環境に拒絶されるような過酷さに耐性があり、かつ討伐に向かえる水魔法を行使できる者となれば、なおさら人員確保は厳しくなる。そうした諸々の事情で討伐報酬も割高になり、採取できた魔石がより高額で取引される。
その上魔石の加工技術料が加算され、市場に流れる頃にはとんでもない金額がつけられている、という寸法だ。
限定的とはいえそれが不要になる魔法陣なのだから、エクリシエス殿下の驚きは至極当然だろう。
「その深鍋の印墨を冷やすことに、どんな意味があるのでしょうか」
思わず聞き返してしまったことに咳払いひとつで誤魔化したエクリシエス殿下は、どうやって冷却するのかと詰問したい感情を飲み込んで、機密漏洩に該当しそうなそれに触れることなく軌道修正に努めたご様子だ。
詳細は語らないと事前に言われているのだから、冷却の仕組みに関する質問はできない。
「細かく砕いた鉱石の結晶を冷やして沈殿させた溶液が、我が国の特殊インクなのです」
「え? 冷やすのですか? 印墨を?」
何のために冷やすのかと、アルベリート王国の面々から困惑した空気が漂ってくる。
「冷やす工程はヴェスタース王国特有のやり方なので、戸惑われたことでしょう。さて理由ですが、冷やすことで光沢度が増し、魔法陣の精度も割増しに仕上がるのです」
「割増し!? 本当ですか!?」
「はい。配合にもよりますが、特殊インクは概ね冷却との相性が良いですね」
「冷やす……へぇ、なるほど」
エクリシエス殿下はそう呟くと、何事かを考えるそぶりを見せた。
恐らくは、深鍋ごと水に浸けてしまえば近い効果が得られるのではないか、と代替案を考えているのではないだろうか。
「大変興味深いお話をありがとうございました」
エクリシエス殿下と義叔母上が辞去の挨拶を交わしている横で、終始関心なさげだった妃殿下は、もう何度目か数えるのも面倒な媚びる視線をちらちらとこちらへ向けてくる。
「んー、あれはあまりよろしくないねぇ」
ずっと隣に立っていた叔父上が、妃殿下を眺めながら碧眼を細めて微笑んだ。
「もしかしなくても、到着からずっとああなのかい?」
「ええ」
「親善交流の何たるかを、彼女はきちんと理解できているのか訝しむレベルだね。教育されていてあれなのだとしたら、火種を持ち込んだアルベリートの真意を問い質さなくてはならないけど」
「仰る通りかと」
私に婚約者がおらず、妃殿下がまだメル・デイン聖王国の王女であった場合ならばある程度許容されることだろう。実際は私には最愛の婚約者がいて、妃殿下自身も他国の王弟に嫁いでいる身だ。平民や下級貴族じゃあるまいし、王女で、しかも正妃であるならば教育を受けていないなどあり得ない。
例え話であってもエメラインと婚約していなかったら、などと考えるのも嫌だ。
「まあ何かあるにせよ、対処するのは王妃陛下か君の婚約者殿だ。義姉上は何て?」
「エメラインに一任すると」
「ほう? 彼女は何とかできそうかい?」
「それが――」
どこまでも慈悲深く、自身の配慮不足を真摯に受け止めるエメラインを想いながら経緯を話すと、叔父上は可笑しそうに、くくっと喉の奥で呻くように笑った。
「ああ、面白いね。あからさまなアレを、よもや歯牙にもかけないとは。さすがは義姉上の秘蔵っ子。実に楽しみだ」
「互いの侍女を伴うとしても、二人きりで茶会なんて。私は心配です」
「ふふ。君も大概面白いよねぇ」
何も面白いことなどひとつもないが?
スンと真顔で叔父上を見遣れば、再びふふっと笑った。
「ああそうだ、ユリエル。テオドールが近々時間を作って欲しいそうだよ」
「わかりました。調整して連絡すると伝えてください」
「うん。すまないね」
テオドールとは大公家の嫡男で、私の従弟だ。カトリーナ嬢の言うところの、攻略対象者のひとりでもある。大公殿下譲りの碧眼と大公夫人に似た金髪で私とは何ひとつ被る色がないが、顔立ちは似ていると昔から言われてきた。
一つ年下のテオドールは今年で学園を卒業するが、そういえば今年は一度も会っていないな。




