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「氷の魔力?」
神妙な面持ちで是と答えるアーミテイジ卿に、私は目を通していた書類から視線を上げた。
「分かっているとは思うが、氷の魔力は水の魔力の上位魔法に当たる。そんな希少魔力を、ダニング男爵令嬢が保有していると?」
「間違いございません。孤児院に侵入した魔物を一瞬で氷結させました」
「待て。孤児院に魔物だと? 魔物避けの結界が張られている王都に、魔物が侵入した?」
「あっ、申し訳ございません! 氷の魔力の衝撃が強過ぎて、報告を失念しておりました!」
王都を覆う結界は、過去一度も魔物の侵入を許していない。タリスマンと呼ばれる結界石が王城に存在しているかぎり、如何なる魔をも寄せ付けない鉄壁の護りを誇ってきた。
王家の役目は、このタリスマンに魔力を注ぐこと。常人より圧倒的に多い魔力量を持つ王家は、代々そうして王都を守護してきた。
各地方都市には臣下に下った王族が住まい、王城の物には劣るが、同じくタリスマンで都市を守護している。故に、魔物による被害届が出されるのは僻邑ばかりのはずだ。
「エゼキエル」
「直ちに手配致します」
古参貴族であるグリフィス侯爵家の者は、皆が一様に僅かな魔力の残滓さえ読み取れる能力を持つ。緻密な作業を得意とするグリフィス侯爵家は、その性質から必然的に王太子の側近候補とされてきた。
グリフィス侯爵家正嫡であるエゼキエルもまた、残された僅かな魔力を辿れるほどの敏感な感覚を持っている。侵入など出来ないはずの王都に突如として魔物が現れたというならば、誰かが結界内部で召喚術を行使したということだ。ならばグリフィス侯爵家の出番だろう。
「ダニング男爵令嬢はどうしている?」
「本人も驚愕していた様子から、自身に氷の魔力が備わっていたとは知らなかったのでしょう。青褪めていたので、そのまま孤児院で休ませました」
「では今も孤児院か?」
「はい。数日は宿泊すると子供たちに告げていましたので」
「なるほど……。アーミテイジ卿」
「はっ」
「引き続きダニング男爵令嬢の護衛を任ずる」
「は……」
何で自分が、とでも言いたそうな顔だ。
快く思っていない相手に張り付いていろと言っているのだから、アーミテイジ卿にしてみたら面白くない命令だ。だが彼も騎士のひとり。護衛対象が好ましい相手ばかりではないことくらい百も承知だろう。選り好みが許される立場でもない。
それに、彼でなければならない理由はちゃんとある。
「……しかし、私にはエメライン様の護衛の任がございます」
「ああ、わかっている。エメラインをずっと守ってきた貴殿にとって、今更その任から外れろと言われるのは納得いかないだろう」
「……」
「だが、ダニング男爵令嬢が魔物を氷結させた場に居合わせたのが貴殿だけであれば、彼女の護衛もまた貴殿で在らねばならない」
そう、氷の魔力は希少だ。
可能な範囲にはなるが、出来るかぎり情報は秘匿しておきたい。
「……………それは、カトリーナ・ダニング男爵令嬢の監視を兼ねている、ということでしょうか」
「そういうことだ」
僅かに寄った眉間の皺をそのままに、アーミテイジ卿は騎士礼を執る。
「仰せのままに」
「頼んだよ、アーミテイジ卿」
「御意」
退出するアーミテイジ卿を見送った私は、手を止めていた仕事に戻った。
裁可待ちの案文を目で追い、署名に捺印する。印影は、強さと不死を象徴する双頭の鷲だ。国王陛下の御璽に次ぐ効力を持った、王太子の紋章である。
側近の一人であるフランクリン公爵家正嫡のサディアスに裁可済みの書類を手渡しながら、私はひっそりと嘆息した。
(さて。少々面倒なことになった)
聖女と認定されたダニング男爵令嬢が、更に希少な氷の魔力持ちだったと判明したとなれば、表向き静観していた貴族共が好機とばかりに騒ぎ立てるだろう。
聖女とは、それだけの効力を持つ。その存在価値は計り知れない。故に厄介なのだ。
「アークライト嬢のお耳には、まだ入れるべきではないかと」
「わかっている」
当然だ。要らぬ不安など抱かせたくない。
エメラインに特殊な固有魔力があれば下手な横槍など入れようもないのだが、そんなものなど無くとも私の妃はエメライン以外にあり得ない。
早々に孕めばいいと本能のまま縛りつけてきたが、〝聖女〟の称号を持つダニング男爵令嬢とその周囲を警戒していた結果でもあった。警備強化されている王族居住区から出さなかったのも、その場なら何処よりも彼女を護れるからだ。
閉じ込めておきたかったのも本音だが。
ただ溺れるように溺愛していると周知させてきたが、半分は打算だ。エメラインしか見ていないと、激しい執着心に呆れてくれれば御の字である。
エメラインが、それに気づく必要はない。裏の事情など知らなくていい。
彼女はひたすら私に愛され、ただ一人の王太子妃として心穏やかに過ごしてくれたらそれでいい。耳障りで不穏なものなど知ることもなく、健やかに私の深い愛だけを感じていてほしい。
牽制の意味もあって、衆人環視の中では確かに演技も入っていたが、エメラインをぐずぐずに蕩けさせた二人きりの時間は、正真正銘私の真心と本能だ。
王太子ゆえに、打算的であるのは仕方がない。そのように教育されてきたし、損得抜きの仲良し小好しで国が治められる訳がないのだから。
総務部所管予算案に署名しながら、私は愛しいエメラインを想った。
多忙過ぎて圧倒的に癒しが少ないと。
◆◆◆
「それではユリエル様。そろそろ出発致しますね」
お忙しい中わざわざお見送りにいらしてくださったユリエル王太子殿下に、わたくしはドレスを摘んでカーテシーでご挨拶申し上げます。
本日は、ユリエル様より一時帰宅を許されました。実に四週間ぶりの我が家です。二週間後に控えたお兄様の挙式を前に、お二人に御祝いのお言葉を直接申せますこと、大変嬉しく思います。
それも偏に御心の広いユリエル様のお心遣いがあればこそ。わたくしだけでなくお兄様やアークライト家のことまで細やかにお考えくださるとは、なんと高尚な御方でしょうか。
「うん。道中気をつけて」
「ありがとうございます」
「今夜は貴女がいないのだと思うと、もう寂しさを感じてしまうけどね」
「まあ。ふふっ。たった一晩ですわ」
「夜が更けてから朝日を迎えるまでに、何時間空白があるか分かってる?」
少し拗ねたご様子で、そんな小さな子供のようなことを仰る。
眠ってしまえばあっという間に朝ですのに、なんてお可愛らしいのかしら。
「ねえ、エメライン。私を独りにしないでね」
「お一人に?」
「そう。一人寝なんて寂しくて虚しい時間は嫌なんだ。貴女の温もりが失われた寝具など、棺で眠るようなものだ」
「まあ……」
「だからね、エメライン。私にとっては、〝たった一晩〟じゃないんだよ。でも約束したから、今日はアークライト公爵家へ帰してあげる。ご家族と楽しんでおいで」
ああ、寂しいと仰りながら、わたくしの我儘を許してくださる。儚げな微笑みに後ろ髪を引かれますわ。
「今夜は早めに就寝するんだよ。夜更しは駄目だ」
「ふふ。ええ」
「朝一で迎えに行くから」
「……え、朝一?」
「そう。日の出と共に」
「日の出と共に」
え? そんなに早く?
まあ、どうしましょう。屋敷のメイドもまだお世話の準備が出来ていない時間帯ではないかしら。朝食は食べられませんわね。それともユリエル様もご一緒なさるのかしら? それならば両親と執事長、それから料理長にも準備しておくよう言付けなくては。
「夜衣のままでいいよ。私の外套に包んで抱えて戻るから」
「え? 包む?」
「そのまま私の部屋で寝直そう。朝食は寝室に運ばせるから、明日は少し遅い時間まで微睡んでいようね」
ええと、それはどういう……?
理解の追いつかないわたくしに畳み掛けるように、ユリエル様は続けて仰います。
「ああ、大丈夫だよ。仕事は今日中に前倒しで終わらせておくから」
まあ……それならば問題ない、のかしら。後々ユリエル様が溜まったお仕事に忙殺されないのならば、大きな問題はございません――わよね? あら? どこか根本的な間違いを見逃しているような気がしますけれど……。問題点のすり替えと申しますか……。
「貴女を迎えに行く褒美があるなら、この後の執務も張り切って頑張れるな」
「……………」
満面の笑みでそう仰ったユリエル様を見つめていましたら、見過ごした何かなど些細なことだと思えます。
ユリエル様の背後でフランクリン様が遠い目をされていますが、どうなさったのかしら。
一晩落ち着くまで待ちました。
展開に行き詰まっていて、途中で筆が止まってしまっていたのです。
完結まで執筆し終えてから、一気に投稿する予定でした。つまり、先駆けて投稿する予定はまったくなかったということです。
では何故1話だけ投稿したかと申しますと。
活動報告ではすでにご報告しておりますが、猫じゃらし様が描いてくださったエメラインとユリエル殿下が素敵すぎて、一晩経っても興奮がまったく治まらなかったからです( ー`дー´)キリッ
はい、ドドーン!!
美しいです! 尊いです!!
ありがとうございます!!
ありがとうございます!!
我慢出来ませんでした。皆様にも見て頂きたかった。
私のこの燃えるようなハイテンション。伝わって欲しい。
最大の、心からの感謝と愛を猫じゃらし様に(๑˙❥˙๑)




