魔王の頼みごと
のんびりアラインを待つ気にもなれず、ベルクは見知らぬ誰かの思念によって形成された街並みをしらみ潰しに歩き回った。あまりにも殺気立っていたためかオーバストもなかなか声をかけてこない。それでも彼もウェヌスが心配でならないらしく、「大丈夫でしょうか……」と時折呟いた。
「現世に嫌気が差してずっとここに居座ろうとする魂が時々いると聞いたことがあります。さっきのリユーゲという青年、そういうのじゃないかと思うんですけれど」
あの調子でこちらの食べ物をどんどん与えられたら二度と地上に戻れなくなるかもなどと不穏なことを言われ、キリキリ胃が締めつけられる。
自分が瀕死の重傷を負うことに関してはなんとも思わない。だがウェヌスが大怪我をしたり生死の境を彷徨ったりするのはもう勘弁してほしかった。
「くっそ、今度あいつら見つけたら絶対……」
そのときまたキインキインと神具が高い音を鳴らした。アラインからの交信だった。
『あ、ベルク? 近くまで来たと思うんだけど、ちょっと剣を掲げてくれないか?』
「おお、早かったんだな!」
言われるがままベルクは神鳥の剣を抜き天に突き出す。七色の光が一筋に集まってアラインのいると思しき方角を指し示した。
すげえなあと素直に感心する。アラインは勇者らしく神具を使いこなしているというのに自分ときたら。得意な人間が得意分野を極めればいいとは思っているが、神鳥の剣の持ち主としては反省すべき点もある。
光を辿ってアラインはすぐベルクたちを見つけ出してくれた。昼間も一緒だったのに再会の喜びはひとしおだ。
「わああ、本当にオーバストさんだ! あれっ分け目変わった!?」
きゃいきゃいとはしゃぐアラインにオーバストはにこやかに微笑み返す。
「お会いできて嬉しいです、アライン殿。ですが今はゆっくりお話ししている時間が……」
残念がるオーバストにアラインは「そうだね、早くウェヌスたちを見つけないとね」と頷いた。そうして頭脳派の一角らしく「そう言えば来る途中に思ったんだけど」と帰還方法についての推測を語り出した。
「魔王城から入ったってことは、僕たち勇者の都から出ていくことになるんじゃないかな? ヒルンヒルトが生命も魔力と同じように循環してるって言ってたし、そうなると都に五つ目の神具があってもおかしくないかなって」
「おお……!」
「それは大いに有り得ますよ……!!」
アラインの考えをまとめるとこうだ。ツエントルムが天変地異の魔法陣の核としたのは三つの塔と魔王城、勇者の都。だからそれぞれに力ある魔道具を配置したのではないか。更に魔王城の神具だけが玉座という固定されたものだったのは、黄泉への入り口に栓するというもうひとつの役割があったから。だとすれば都にはそれと対を成す神具があるはずだ――と。
「……成程な。調べてみる価値はある」
アライン・エーデル間の神具通信を耳にした賢者は興味深げに頷いた。それをちらりと横目に見ながらノーティッツは「アラインって賢いなあ」と感心する。いや、賢いとは微妙に違うか。勇者と賢者双方のセンスを有しているがゆえに、ここぞというときで敏感なのだ。思えばベルクは神具を持っているから大丈夫、と言ったのも彼だった。信用していなかったわけではないがこうして幼馴染の元気な声を聞いているとアラインが頼りに思えて仕方ない。ベルクの嗅覚とはまた違う鋭さがある。
「だったら……ぼくの屋敷の……地下が怪しいかも……」
「ほう……君の家のか……」
アラインの推測に旧勇者が人差し指を立てた。もぐもぐと暢気な咀嚼音を響かせながら。それを受けた大賢者もアップルパイを鷲掴みもしゃもしゃ貪り出す。
『……なあ、お前らもしかしてメシ食ってねえ?』
あ、向こうにも聞こえてたかとノーティッツは苦笑した。
実はさっきからノンストップで食べ続けているのだ、アンザーツもヒルンヒルトもゲシュタルトも。
「いや、エーデルが焼き立てパンを差し入れてくれてな」
「ぼくたち普段水くらいしか飲めないから美味しくってつい……、ごめんね?」
「ちょっとヒルンヒルト、それ私のクロワッサンよ」
「何を言う、これは私のクロワッサンだ」
「わかったわかった、俺のクロワッサンをやるから……!!」
ヒルンヒルトとゲシュタルトに挟まれて疲弊しきったマハトの声が室内に響く。
自由すぎる旧勇者たちに幼馴染は頭を抱えたようだった。通信に映像は付属していないがベルクが蹲ったのがノーティッツにはよくわかる。きっと「こいつらちょっと前まで悲愴感漂いまくってたのに、なんでパンの取り合いなんつーガキみたいな理由で争ってんだ? アホか? アホなのか?」とか考えているのだろう。
『と、ともかくアンザーツの見立てでは僕の屋敷に神具がありそうなんだよね?』
場を取り繕うようアラインが尋ねてきた。旧勇者は自分がフォローを入れてもらっているのも気づかずぽやんとした声音で答える。
「うん、地下の倉が土蔵なのに板張りだったと思うんだ。お城の方も怪しいと言えば怪しいけど、神具があるならやっぱり勇者の側だろうし…………もぐ」
『最後まで緊張感を保てよオオオオオオオオオオ!!!!!!』
幼馴染の絶叫が轟いた。オチを予測していたノーティッツは両耳を塞いで鼓膜の死亡を免れたが、エーデルとディアマントは直撃を食らい絶命寸前だ。
『ベルク殿、落ち着いてください!!』
『ベルク! 気持ちはわかる! 気持ちはわかるから!!』
オーバストには羽交い絞めにされ、横からアラインに宥められ、ベルクはゼエゼエと息を切らしていた。アンザーツはきょとんとするだけで自分が怒鳴られた理由をあまり理解していない。前から薄々そうではないかと思っていたが、この勇者は相当天然だ。おそらくウェヌス以上の天然だ。
「んじゃアライン様、俺がその地下を見てきますよ。もし神具を見つけたらどうすりゃいいんです?」
『あ、そうだな。多分そこが出口になると思うから、動かすなりずらすなりしてもらわないとかも……』
「でしたらわたしも屋敷へ戻ります。神具の形を変えるのは強い祈りの力なのでしょう? わたしが一番適任です」
クラウディアの申し出にアラインがありがとうと礼を述べる。これ以上ベルクを刺激しないようにか二度目の通信はそこで途切れた。
「……んじゃ悪いけど都まで乗せてくれるか?」
「勿論や! クラウディアはラウダに乗せてもらいな!」
「ええ、そのつもりです」
「あ……っ」
恋人が都へ引き返すことになりエーデルも同行したがったが、それはクラウディア本人に止められた。アラインとの連絡役として天界に残るよう窘められ、少女はしゅんと肩を落とす。毎日一緒の屋敷で暮らしてまだ離れたくないというのかこのリア充どもは。
「すぐに戻ってきますよ。あなたに寂しい思いはさせません」
さらりとエーデルの黒髪を指で梳き、そのひと束に口づけて、クラウディアは颯爽と神殿を後にした。あまりに気障な仕草に生気を奪われノーティッツとマハトはぽかんとしてしまう。ディアマントは静かに沸点に達して目を見開いたまま気絶していた。
「ねえヒルンヒルト、あなたが私の前でしてることってああいうことよ。わかる?」
「いやすまない。なんのことだかまったくわからない」
「だからアンザーツにベタベタ触らないでって言ってるでしょ!?」
「頬にジャムがついていたのだから仕方なかろう。君はアンザーツがジャムまみれでもいいと言うのか?」
「マハト、ぼく久しぶりに炙りイカが食べたいなあ。こっちに来るとき買ってきてくれない?」
意味不明な方向へ突き進んでいる天界組の会話は可能な限り聞き流す。
ディアマントは今ので灰になってしまったし、エーデルは桃色に染まってしまっているし、ここで留守番するの嫌だなあ。本気で嫌だなあ。
――アラインが加わってから事態はすぐに急展開を見せた。やはり神具への呼びかけができるか否かは大いに命運を分けたらしい。
「おお、あれだあれ! あの青っぽいちんまいのがオリハルコン引き摺ってんだよ!」
「額に角がある。小鬼みたいだね」
「さっき見かけたときはイデアールの名前を呼んでましたよ。何者なんでしょう?」
こそこそと様子を窺いながらベルクたちは魔物の少女の後をつけた。三方向から一気に襲いかかり捕獲すべきか、まずは紳士的に話しかけるべきか決めかねていたのだ。
「声かけて逃げたらとっ捕まえようぜ。正直あのガキよりウェヌスを先に見つけてーくれえなんだ」
「うんそうだね……って待って!!!」
前へ進み出たベルクをアラインが抑えつける。一体なんだと思ったら前方の小鬼が知人を発見したらしく、駆け寄って行くところだった。
「あ、あいつは……!!!」
雑踏の中に見覚えのある黒リーゼントが混ざっていた。蝶結びの棒タイに黒いベストとズボン。あれは確かハルムロースが連れていたチンピラ魔族のリッペである。
「リッペ!! リッペ、イデアールさま見なかった!?」
「ああーん?」
不良そのものといった声と表情でリッペが少女を振り返る。威嚇するような眉間の皺やいかり肩もまさにテンプレ通りだった。
「うわ、うぜぇ、おチビユーニじゃねえか。つーかお前浮いてねえじゃん。死んでもないのになんでこんなとこいんだ?」
「ひゃ、やめて! リッペ!! いたい!!」
「背負ってるそのデッカイ鍵はなんだよォ? イイモノ持ってるなら俺によこせよー」
クズ丸出しの態度でリッペが少女を蹴り転がしたので思わず剣に腕を伸ばす。魔物同士と言えど弱い者いじめなど見ていて気持ち良いものではない。
「あんにゃろ……!」
だが少女を助け出す前にひやりと冷たい腕がベルクを捕まえた。
「おやおや、勇者がふたりも雁首揃えてこんなところでどうしました?」
ねっとり粘着質な声に弾かれ、剣を抜きつつ背後を振り返る。
神鳥の剣に斬られた男はアハハと楽しげに上空へ飛んだ。引き裂かれた身体は魂であるためかすぐにくっつく。
「ハルムロース!!!」
まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。それは向こうも同じだったようで、「冥界に落ちてなお復讐の機会があろうとは!!!」と氷魔法を放ってくる。
「くっ!! やめるんだハルムロース!!!!」
アラインの防御結界に氷の刃は弾かれ消えたがハルムロースに手を止める気は皆無だった。
あちらはもうこれ以上死ぬ心配がないので笑いながら向かってくる。なんて迷惑な男なのだ。
「ほんっと悪霊家系だなー!!!」
ベルクはジャンプしハルムロースに再度斬りかかった。こま切れにしてやるつもりでオリハルコンを振り回す。
だが魂が元通り結合するのは一瞬だった。アラインが魔法を撃っても同じ結果にしかならない。
「ははははは! どうやら私に分があるようで」
「えいっ!!!」
いつの間にかハルムロースの背後にはオーバストが回り込んでいた。霊体同士ならダメージを与えられるのか、思い切り頭をどつかれたハルムロースは涙目だ。
「き、貴様ッ……!!」
だが悪の賢者はめげない。魔力を解き放ち、その勢いでオーバストを吹き飛ばす。
「お前も何か魔法を使って対抗しろよ!」
そう要求するとオーバストは首を振って俯いた。どうやら旅の間見せていた力はすべてツエントルムのものだったらしい。
「俺らが戦っても死なねえ効かねえじゃ意味ねえし……!」
「うーん、闇魔法なら通じるのかなあ」
ここは癪だが逃げるしかないか?とアラインと顔を見合わせたときだった。ハルムロースの魔法など比較にならないほど強い力が悪徳賢者に襲いかかった。
ドゴオオオンと派手な爆発音がこだまする。充満する煙の中から現れたのは意外すぎる男だった。
「まったくお前たちは悪さばっかりしおって……。まだ己の死を受け入れられんのか?」
褐色の肌に垂れるのは長い白銀の髪。漆黒のマントに身を包み、深淵まで見通すかのような瞳をしている。アラインは男の姿を見たことがあるらしかった。ベルクは初めて邂逅する相手だったが、その威容、その佇まいにひと目で彼が何者かわかった。胸に迫る緊張はアンザーツと出会ったときのそれと似ている。
小鬼の少女が目を潤ませて男に飛びついた。男は少女を抱き上げて「おおユーニ、久しぶりだのう」と頬を擦り寄せた。
「ファルシュ! ファルシュ――!!」
紛れもない魔王の名にベルクはあんぐり口を開いた。ハルムロースとリッペは既に何度か制裁を加えられているらしく、すごすごとその場から逃げ出していく。
「うわあああんファルシュー!! イデアールさまがいなくなっちゃったのー!! わあああああん」
「おお、そうかそうか、もう泣かなくていい。こんなところまで探しに来て、お前は偉いなあ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられユーニはぽろぽろ涙を零した。なんだか不思議な光景だった。魔王が子供をあやしているなんて。
「よしよし、きっと疲れただろう? お前は少しお休み」
魔王が少女の背中を叩くとユーニは安心しきって瞼を閉じてしまう。いつの間にか誰もいなくなった通りにすやすや規則正しい寝息が響いた。
魔王という言葉からイメージするものとあまりにも実態が異なる。ベルクたちは固まったままでいた。
「お前たち、この子に用事があるんじゃないのか?」
「えっ」
「あ、いや」
「用事はあります……けど……」
唐突に話しかけられベルクたちはどもって舌を噛んだ。ファルシュはにこにこと近所のおじさんのような温かい笑みを浮かべて「そう警戒せんでもいい」と手招きする。
「お前たちのことはよく知っているよ。アンザーツと融合していたときに覗かせてもらったからな」
「そ、その節は……!」
アラインが異常に恐縮し出したので「まさかこいつが魔王にトドメ刺したのか?」と思ったら本当にそうだった。だがファルシュは非常に気さくに「良い良い」と笑い飛ばす。
「もっと胸を張ればいい。あれ以上の決着はなかった。……この子には少し可哀想なことになったがね」
魔王の眼差しは眠る少女に注がれる。
少し座って話そうと誘われ足は自然とファルシュの元へ進んでいた。
しばらく歩くと街が途切れていきなり森になっていた。更に進むと朽ち果てかけた神殿がぽつんと佇んでいる。白い祭壇に腰を下ろし、ファルシュはユーニを膝に寝かせた。ベルクたちもその周りを囲むよう胡坐をかいた。
「……この子は魔王城に棲みついている小鬼でね、イデアールにとてもよく懐いていたんだ。ここへ来たのもあれに会いたいあまりだろう、大目に見てやってくれ」
優しげな手つきで魔王はユーニの頬を撫でる。
確かに「イデアールさま、どこぉ」と泣いていたなと思い返してベルクは小さく息を吐いた。
辺境の都を襲い、人間と共存などできないと言い切ったイデアール。そんな男にこんな仲間がいたなど考えもしなかった。
「当人たちは知らないが、ふたりは母子なんだよ」
「えっ!?」
「えええ!?」
「ちょっと待てどう見てもこっちのが娘――」
しー、という魔王のジェスチャーにハッとして慌てて声のボリュームを下げる。
アラインとオーバストも愕然と目を瞠っていた。いくらなんでも見た目に無理がありすぎる。
「魔王の息子など産ませたから、ユーニは出産のとき魔力の大半を使い果たして死にかけたんだ。元はグラマラスな美人鬼だったんだぞ? 胸なんかGカップでな……まあこの話はいい。彼女の命を守るには小さな子供の姿にするしかなかったんだ。記憶もほとんどなくなってしまって……それでも愛着は残ったんだなあ。よくイデアールを愛してくれた」
アラインの「G……」という呟きは聞かなかったことにして、ベルクはファルシュに視線を向けた。
「俺たちがイデアールを倒しちまったから、この子ひとりぼっちになっちまったってことか?」
「ああそうだ。寂しくて神具に呼びかけるうちにオリハルコンが反応してしまったんだろう。悪いがお前たち、この子がイデアールに会えるよう手伝ってやってもらえんか? 私が手を貸してもいいんだが、できるならお前たちに頼みたい。魔物と人間が争わず生きる道を模索してもらいたいからな」
ファルシュの依頼にベルクとアラインは顔を見合わせた。断る理由なんかないよなと目と目で通じ合う。
「いいぜ、任された」
「僕たちもイデアールのこともっと知ろうとすれば良かったね。彼には彼で守りたいものがあっただろうに」
胸を締めつけるのは少しの罪悪感。
何かがもう少し違っていれば、もしかしたらわかり合えたかもという後悔。
「思い詰める必要はない。イデアールは少しばかり魔物の本能が強すぎた。それにお前たちとて己の正しいと思うことのため戦ったのだろう? ならそれでいいんだ」
己の命も息子の命も失ったのに、ファルシュの声はどこまでも穏やかだ。
思えばアンザーツもそうだ。世界だとか人類だとか、そういう大きなもののために自ら犠牲になることを厭わない。魔王もきっと同じなのだ。同時代にたまたまこのふたりが揃ったから、ツエントルムにも抵抗することができたんだろう。
(こいつ、いい魔王だなあ)
変な言葉だがそうとしか言えない。アンザーツもいい勇者だ。今はまだパンに噛り付いているかもしれないけれど。
(でも多分、ふたりとも俺たちに自分と同じことは求めねえ)
この先の未来はこれまでとは違う。神様はもういない。どんな世界にしていくかは自分次第だ。誰かが大きな代償を差し出さなくても平和に過ごせるように、きっと――。
「あの、ツエントルムを恨んでいますか……?」
意を決したようオーバストがファルシュに尋ねた。
問われることをわかっていたのか魔王は静かに首を振る。
「恨んでなどいないさ。なるようになった今、そんな感情は手放して生まれ変わった方が良かろう?」
アンザーツもきっとそう言うとファルシュは笑った。ホッとしたオーバストを見てベルクも少しホッとした。
眠るユーニが魔王の腕に抱き上げられる。少女はまだ目覚めない。
ベルクとアラインにかつての妻の身を預けるとファルシュは今来た道を引き返して行った。




