冥界あっちこっち
何の因果か知らないが、自分とウェヌスは生者でありながら死者の国へと迷い込んでしまったらしい。
事情のわかる男に会えたのだけが不幸中の幸いだ。分け目が以前と逆になったオーバストにベルクは尋ねた。「落っこちた穴から出れば帰れんのか?」と。
オーバストは困ったように首を振る。
「多分一方通行ですよ。こういう道は入ったところから出られるとは限らないんです。それにベルク殿は空から落ちてきたわけですし、飛んで戻るのは無理でないかと……」
「そうか、それもそうだな……」
頭を悩ますベルクにオーバストはわかる範囲で色々説明してくれた。魔王の間に黄泉への扉を開いた何者かがいるだろうこと、その何者かもおそらく穴に飲み込まれこちらに転落しているだろうこと、早急に神具で穴を塞がねば、いずれもっと多くの生者が吸い込まれるだろうこと――。
「え、普通にやべーじゃん」
「そうですよ。もしベルク殿の言う通り本当に玉座が消失していたなら大変なことです」
オーバストの推定ではその何者かが魔王の玉座を有しているに違いないとのことだった。椅子引き摺ってほっつき歩いてるなら案外早く見つかるかもと周囲を見回す。そうしたら「神具は形を変えているかと思いますが」と苦笑いされた。
「でも大丈夫ですよ。ベルク殿が神鳥の剣を通じて神具に呼びかければいいんです。何百万という魂が彷徨っていようと、呼びかけに応じられるのは神具を持った者だけですからね!」
爽やかなオーバストの光る歯にベルクはエッと後ずさる。何かさらりと難しいことを言われた気がする。
「呼びかけるってどうすればいいんだ? おーい聞こえるかーとか言えばいいのか?」
「違います。呼ぶというよりお祈りに近いですね。魔法陣を作るイメージで相手に信号を発信するんですよ」
お、お祈り?魔法陣?
苦手な単語がドンと並んでベルクの口元が引き攣った。
「俺そういうスピリチュアル担当じゃねえんだけど……」
魔力の魔の字もない自分に魔法陣のイメージなんかはなから無理だ。大体兵士の国には祈るという習慣がない。
「え、でも天界では神具と通じ合って形状変化させてましたよね?」
「いや、あのときは俺も必死だったし」
「一度できたんですから大丈夫です! 私も応援しています! フレー、フレー、ベルク殿!!」
「そういう運動会の保護者みたいなノリはよせ!! 余計できなくなる!!!」
ぎゃあぎゃあと騒がしいベルクたちを一列に並ぶたくさんの魂がじろじろ眺めてくる。
早歩きで進みながら「えー、神具さん神具さん応答ください」と試しに呼びかけてみたが一切何の反応もなかった。
というか剣に話しかけるなど恥ずかしい以外の何者でもない。故人から貰った剣に故人の名をつける風習はなくもないが、その名を呼んで可愛がる剣士にはお目にかかったことがなかった。無機物にこんな懸命に話しかけて、お人形遊びの女の子か俺は。
「うーん、もっと心から呼びかけないと届かないのではないですか?」
「これが俺の精一杯だ!! つうか相手が誰かも知らないで呼びかけもくそもあるか!!!」
「あ、ではアライン殿に呼びかけるのはいかがです? ご心配なさっているでしょうし」
「へ? あ、アラインに?」
そうか、神具同士が結びついているならそういうこともできるんだなと納得する。
あいつに向かって念じるくらいならまだいけるかも。そう思ってベルクは真剣にオリハルコンと向かい合う。前へと進む歩も止めて、その場にドンと腰を下ろした。
(アライン、アライン、アライン返事くれ。おーいアライン俺だー。おーいベルクだー)
「…………」
同じセリフを脳内で三周したところでじわじわ正気に返り始めた。
神具は相変わらず反応なし。ベルクの羞恥心だけがマックスだ。
「ベルク殿、ほら、声に出してください」
「あ、あ、アラインくーん? 助けてー?」
真っ赤になりながら神具を小突くがオリハルコンにはスルーされ続けた。せめて少しくらい輝きを増すとか光を放つとかしてくれればいいのに。これでは希望すら湧いてこない。
オーバストに宥めすかされ十五分は粘ったが、無理なものは無理だった。
そもそも自分が神鳥の剣などというアイテムを装備している時点で奇跡なのだ。神聖とか清廉とかそういったものにこれまでずっと無縁で生きてきたのだから。
「だー! もう無理!! ウェヌスも神具持ってるヤローも自力で探す!!!」
「べ、ベルク殿……」
呼びかけを投げ出し立ち上がったベルクにオーバストはまた苦笑いだ。意外に広い湿原を隅から隅まで見渡して、すたすたと歩き出す。ちょっと途方に暮れそうである。
ああ、せめて参謀役のノーティッツがいてくれれば。何故あのとき俺はあいつに来るなと言ってしまったんだ。
『――ク……ベルク! 聞こえる?』
そのときだった。腰元のオリハルコンがぱあっと白い光を覆った。
確かに響いたアラインの声にベルクは「おお!!」と感嘆の声を漏らす。
『あ、良かった! やっぱり無事だったんだね!』
どうやら時間差でアラインの方からもベルクに呼びかけてくれたようだ。
俺がやったときはできなかったのに……と遠い目をしていると、慰めるようオーバストが優しく肩を叩いてくれた。
驚いたことにアラインたちは今天界にいるらしい。そしてその天界にはアンザーツやヒルンヒルト、ゲシュタルトが霊体として生き残っているらしかった。神具への呼びかけを提案してくれたのは旧勇者パーティの面々だそうだ。
「んじゃあ大体こっちと見解は一致してんだな?」
天界組の協力で、魔王の玉座が死者への国の穴を開けたこと、その実行犯がいることはアラインたちも掴んでいた。こちらもオーバストと行動を共にしていることを告げる。神具を持たないウェヌスの安否だけまだわからないと伝えるとアラインの後ろで低い声が唸るのが聞こえた。
「あれ? ディアマントもそこにいんの?」
『ああうん、そうだよ。天界まで連れて来てくれたんだ』
「ディ、ディアマントさまあああああああーーーー!!!!!!!!!!!?」
名前に反応してオーバストが神鳥の剣を揺さぶる。
「うわ! あぶねえ!! 刃ァ出てんだぞわかってんのか!?」
「ディアマントさばあああ!!!お、お、お元気ですかあああああ!!!!?」
『ええい死んでからも暑苦しいな貴様は!!!!!!』
ベルクの耳まで届いたツッコミは呆れ返っている割にどこか嬉しそうだった。オーバストはぐしゅぐしゅ鼻水を啜りながら「そのうち生まれ変わってまた会いに行きますからね、絶対ですからね」と泣く。ウェヌスのことならまだ冷静に聞けているのにディアマントが絡むと性格が崩れるのは何故なのだろう。が、今はそんなことに構っている場合ではなかった。
「悪ィんだけど、要領掴めなくて俺からそっちに連絡取るのができねーんだわ。できたらアラインもこっち来てくんねえ? 穴開けた奴に関してはそれで見つけられると思う」
『僕が? いいけどそしたらエーデルも呼ばなきゃいけないな。神具でやりとりできるのはわかったし、通信役は必要だよね。ちょっと都に寄ってから転移魔法ですぐ行くよ、待ってて』
てきぱきとその後の段取りを決めてしまうとアラインは交信を終了させる。
改めて勇者が自分のような肉体派ばかりでなく良かったと安堵した。
一時間後、神殿は焼き立てパンの良い匂いに包まれた。
バイト先の商品を腕いっぱいに抱えたエーデル、呼んでもないのにくっついてきたクラウディア、ちょうど職務を終えたばかりのマハトがアラインの案内でぞろぞろ神殿に集まってくる。三人ともアンザーツたちの無事を心から喜んだ。
「わあい腹ペコだったんだー」
エーデルの持ってきた食糧を見てノーティッツが万歳した。ひとまずベルクの生存がわかり、日常感覚が戻ってきたようだ。アラインも腹ごなしにクリームパンをひとつ拝借した。
「……何故貴様まで来る必要がある。いつももっと遅くまで教会にいるのではないのか?」
「エーデルがアラインさんたちと天界へ行くと聞いて、居ても立ってもいられず。何かお役に立てそうなことがあればと来てしまいました」
ぶすくれたディアマントとにこにこ笑顔のクラウディア。この応酬もそろそろ見慣れてきたなとアラインは嘆息する。ゲシュタルトがぼそりと「あの長髪の子の気持ちわかるわぁ……」と呟いているのが怖い。多少形は違っているが新生天界チームも三角関係みたいなものだ。そして取り合われている当人はその事実に同じく無頓着である。
「ねえヒルト、このパンぼくらも食べれられるのかな?」
「普通に消化されるとすると厄介だな。神殿に厠を作らねばならん」
「どうしてあなた食べる前にそういう話するの?」
「精神体のときも味覚はあったけど、こうして食事なんかしてると本当に身体があるみたいだねえ」
「……アンザーツは物ともせずに食べ始めたが?」
「あああああ!!!! もおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「ちょ、ゲシュタルト落ち着けよ! お前らすぐ喧嘩すんのなんでなんだ!?」
「なんでと言われてもな……」
「ヒルトとゲシュタルト、いつも仲が良いよね」
「誰と誰がなのアンザーツううううううう!!!!!!!!」
「こら!! だから落ち着けって!!!」
とりあえず彼らの口論が激化する前に退散しよう。そう決めてアラインは「じゃあ僕、また魔王城に行ってくるね」と踵を返した。仲裁はきっとマハトがしてくれるだろうと信じて。
アラインが来てくれるまではとりあえずゆっくりすることにして、ベルクは足を休めるところがないか探した。お祈りなどという慣れない真似をしようとしたせいで妙に疲れてしまった。
さっきまで足元には短い草が生えていたが、今はやや舗装された砂利道になっていた。死の国とは言えただの暗闇ばかりではないようだ。
「あそこがいいのではないですか?」
そうオーバストが指差したのは噴水のある公園だった。「誰がこんなところにこんなもん建てたんだろうな」と素朴な疑問を口にすれば、オーバストは律義に「きっと誰かの思念が残って形になっているんですよ」と答えてくれた。
「ふーん、じゃああの噴水、誰かの思い出のデートスポットだったかもしれねえってこと?」
「その可能性は否定はできませんね。いや、ロマンチックです」
ロマンチックか、また俺には縁のない横文字だ。ベルクはふっと溜め息をついた。ついでにメランコリックとかセンチメンタルなどという言葉ともご縁はない。もっと儚げな顔立ちに生まれてきていれば違ったのかもしれないが。
そんなことを考えていたら信じ難いものを発見して噴き出した。ちょうどベルクが腰かけようとしていた噴水の縁に仲睦まじげな男女が座っていたのだ。
一方はワンレンの長い髪をスカした様子で掻き上げる男。そしてもう一方は――。
「な、何やってんだウェヌス!!!!」
無意識に声が荒ぶってしまったのは男の腕がウェヌスの肩に回されていたからに他ならない。ウェヌスはウェヌスでまるで男に寄りかかるよう上半身をぴったりくっつけていた。
これまで感じたことのない動揺がベルクの心臓をもてあそぶ。あたかも拮抗する綱引きのように心は冷静とブチ切れの間を行ったり来たりした。
「おま、なんなんだその男は!!!」
自分で言った自分の台詞にベルクは頭を抱えそうになった。主婦層が好む愛憎渦巻くドラマティカルミュージカル、それに出演する間男に嫁を寝取られた夫じゃあるまいし、なんだって俺がこんな発言をしなければならないのだ。
「あなたこそいきなり現れてなんなんです。彼女はボクの恋人ですが、何か?」
「……は?」
ワンレン長髪のイケメンはむっとベルクを睨みつけた。意味がわからずウェヌスを見やれば怪訝な顔で見つめ返される。
「あなた私のことをご存知ですの?」
「お前……何言って……」
「ベルク殿、もしやウェヌス様は記憶が……」
「――」
冥界の力の影響。最初に思い出したのはそれだった。神具の守りがなかったせいで記憶喪失になってしまったというのか?展開としてベタすぎるだろうそれは。
「ウェヌス……」
とにかくこのままじゃいけないと細い手首をぎゅっと掴む。思ったより力が入ってしまってウェヌスが「きゃ!」と痛がった。
「あ、わ、悪い」
思わず手を離した隙にワンレン男がウェヌスを自分の背に庇う。その影から涙目で顔を出し、元女神は「あなたは一体何なのです!?」と尋ねてきた。
なんだこれはとベルクは焦った。酷く焦った。ウェヌスはいつだって鬱陶しいくらいキラキラした眼差しをベルクに向けてきたのだ。こんな風に見つめられたことは一度もない。
「思い出せよ、俺はベルクだ。一緒に旅してきただろ!?」
妙に胸がドキドキする。嫌な感じのドキドキだ。
不審なものを見るようなウェヌスの目つきに変化はない。二の句さえ継げないベルクの代わりにオーバストが進み出て「最近何か食べ物や飲み物を口にされましたか?」と聞いた。
「ええ、リユーゲさんにお紅茶をいただいて。とっても美味しかったですわ!」
にこりと笑顔でウェヌスはワンレン男と腕を絡める。「油断してると他の男に……」という幼馴染みの脅し文句を思い出してうんざりした。
まださほど時間が経っていないなら吐かせられるかもしれない。こうなったら多少手荒になっても構うものか。ベルクは再度ウェヌスを捕まえようとした。泣かれようが喚かれようが口にしたものだけは出してもらわねば。
「ウェヌス、悪いがお前の飲んじまった紅茶――」
リユーゲという名前らしいワンレン男がベルクに拳を突き出してきたが、簡単にその腕を捻り上げ地面に叩きつける。ぬっと反対側の手をウェヌスに伸ばせば元女神はヒッと息を飲み後ずさりした。おそらくこの女の目にはベルクが極悪人にしか映っていないだろう。もし自分がイケメンだったなら、イケメン補正によって印象が上方修正されていたはずなのに。ちくしょうめ。
「吐いてもら……」
もらうぜと細い肩を掴みかけたそのとき、腰元でキイイイイインと耳鳴りのような高音が響いた。
一体なんだと神具を見ればオリハルコンが七色に輝き反応している。
「な、なんだこれ!?」
わけがわからずオーバストに解釈を求めるも、彼とて首を振るばかりだ。そのうち音と光はどんどん大きくなっていく。
「ふえええん、イデアールさまどこぉ……」
声とともに同じ色の光が辺りに振り撒かれた。光の源を辿れば泣きべそをかきながら歩く幼い少女が目に映る。オリハルコンと思しき大きな鍵を引き摺って、魔物の少女は向こうの方へ消えて行った。
(あいつが魔王城に穴開けた犯人だってのか!? あんなちっせえガキが!?)
「あ、ベルク殿!! ウェヌス様が!!」
慌てたオーバストの声に気づいて振り向くとワンレン男とウェヌスがいなくなっていた。残っているのは美しい噴水だけである。
「しまった! どこ行きやがったあいつら!!」
「わああベルク殿すみません、神具を持った女の子もーーーー!!!!」
オーバストが更に慌てふためく。
いつの間にか神鳥の剣は元の色合いに戻っていた。もう小さな音さえ発していない。
ちょっと目を離した隙に捕獲しなければいけない対象をふたつも見失い、ベルクはがっくり項垂れた。
真面目なオーバストはすみませんすみませんと謝罪してくれたがどう考えても平静を欠いた己のミスである。ノーティッツが聞いたらお前馬鹿すぎと罵ってくるところだ。
「~~ッだあああああ!!!!神具のガキは後だ後!!!!!!」
ともかく捕捉の難しそうな方が先だとベルクはそこら中駆け回ってウェヌスたちを探した。しかし連れの男にこの辺りの土地勘でもあるのか影も形もまったく見当たらない。
(あんのクソ男、恋人だのなんだの好き勝手な設定盛りやがって……!!!!)
ウェヌスは単純なのだ。そのうえ一直線なのだ。
早く迎えに行ってやらねば本当に何があるかわからない。
「……」
ゴクリと飲み込んだ唾は苦い味がした。
こんな気持ちにさせられるのは本当にあの女くらいのものだ。




