拒絶反応
ノーティッツが戦場へ戻るとハルムロースの次なる魔法攻撃に皆攻めあぐねているところだった。一帯の重力値が操られており、飛ぼうと思っても飛べないし、魔法もまったく届かないのだそうだ。
クラウディアの手にオーバストの長剣を握らせながらノーティッツは「どう? 使えそう?」と尋ねた。
「これはオーバストさんの?」
「うん。君なら次元を切り裂けるかもって」
「……わかりました。やってみましょう」
会話する間もハルムロースの攻撃の手は止まない。自分を傷つけられる者がいないとわかってからは、じわじわなぶるような手段に切り替えてきていて反吐が出た。
エーデルとディアマントのおもりは時間が経つにつれ質量を増しているようだ。ベルクも腕や足を光線に貫かれ鎧が血まみれになっている。ウェヌスが欠けているのが痛い。クラウディアひとりでは回復するにも限度があるのだ。
と、僧侶が構えた剣を見てハルムロースが怪訝に眉根を寄せた。
「おやおや、何か新しい策でも講じましたか?」
どうせ余裕を見せるなら一撃くらい試し切りをさせてくれればいいのだが、こちらには僅かな希望の芽も与えるまいと賢者は超速の光線を撃ってくる。
「クラウディア!!」
エーデルが叫び、クラウディアを庇おうとしたが重力に囚われ間に合わなかった。ノーティッツも魔法防御をかけようとしたがこれも遅い。
速さを超越していたのは守られようとしていた当のクラウディアだった。僧侶はするりと地面に鞘を落とすと、一瞬の躊躇も見せずハルムロースのいる上空に向かい剣を振り上げる。
「……!?」
瞠目する賢者の前で、直線だった光線は曲がりくねって消滅した。ノーティッツもベルクもぽかんと口を開く。天界の剣なので何か特殊な魔法がかかっているのかもしれないが、それにしたってあの細腕であんな重い剣を軽々と……。
「いけそうです。次は結界を破ります」
クラウディアの宣言にノーティッツはベルクと目を見合わせた。互いにこくりと頷き合う。
「ノーティッツ、風魔法で俺をあの野郎の近くまで……」
「いや、ベルクお前はディアマントの肩に掴まらせてもらえ。その間にもっと戦いやすくしてやる」
きっぱり言い切りノーティッツは幼馴染の背を押した。
「一発殴るくらいじゃ足りないだろ?」
ぼくもお前もな、とは言わずとも通じ合っていた。ベルクはこちらの肩に軽く拳をぶつけると腕から血を流したままディアマントの元へ向かった。
長剣を手にしたクラウディアのスピードは寧ろいつもより速いくらいだった。旗かリボンでも振るように軽やかに左から右から斜めに刃を滑らせて、剣圧で生まれた風をハルムロースにぶつけていく。さっきまで重力のせいで攻撃が一切届かないと言っていたのが嘘のようだ。あまりに呆気なく賢者を包む次元の結界が弾け飛んだので、ハルムロースだけでなくこちらも目を丸くしたくらいだった。
本当に何者なんだろうか、この子。
ノーティッツはまだまだ頭の回転を緩める気はないようだ。ベルクも剣を持つ手に力をこめる。
クラウディアの持つ剣が厄介この上ないと断じたらしいハルムロースは一旦僧侶だけに的を絞って攻撃し始めた。だが先程まで自身がそうしていたのと同じよう、今度はクラウディアの切り裂いた次元に魔法弾のすべてを遮断される。
「ちっ……!!」
身を翻し、ハルムロースは上空へ飛んだ。エーデルとふたりディアマントの背中に掴まりながら、ベルクは反撃のチャンスを待った。迂闊に跳びかかっても相手には羽がある。あっさりかわされておしまいだ。
「私が魔法で撹乱してやる。腕と貴様らが重すぎてまともに剣が振れんからな、仕方なくだ」
「あんた難儀な性格してるよなあ。だが恩に着るぜ、頼んだ」
「あたしも足は重いけどやるわ。ベルクの次に、できればあいつより上であたしを放してちょうだい」
短い作戦会議が終わるとディアマントは体勢を立て直そうとするハルムロースにかまいたちを放った。五指の端から順番に炸裂した刃は梟の羽根を空に散らばせる。致命傷ではないにせよ、傷つけられた怒りに賢者は唇を歪めた。
「まだ左手の分もあるぞ!」
今度は背後から襲いかかるよう、また五つのかまいたちがハルムロースに向かっていく。賢者がちらりと背中を確認した隙にベルクは宙へ飛んだ。右手にはウングリュクに貰った宝剣ではなく神鳥の剣があった。
ハルムロースは風を起こしてこちらを押し戻そうとしたが、それよりベルクが剣を振り下ろす方が速かった。憎たらしい顔にではなく足元へ叩きつけるよう鞘を振れば、その反動で僅か身体が浮き上がる。やはりこの剣の剣圧は凄まじい。ハルムロースの風魔法はその間に足元を抜けていった。
「覚悟しろよてめえ」
自分でも驚くくらい冷たい声だった。あっさりと神鳥の剣を投げ捨てベルクはもう一本の剣に持ち替える。ハルムロースが呪文を唱えようとしたので本能的に右足を突き出し顎を砕いた。半人半魔だからだろうか、イデアールより断然脆いと確信する。
「……ッ!!」
それでもまだ魔法を発動させるには魔法陣という手がある。身を反らしてこちらに向けられた炎を避けると到底剣技を繰り出す姿勢ではなくなったが、墜落しながらベルクは右手を振り上げた。
手応えはあった。血を噴き出してハルムロースが仰け反るのを半笑いで眺めつつ落下する。ハルムロースはすぐさまベルクに追撃の魔法を向けようとした。だがそこに上空から降ってきたエーデルが襲いかかる。重みを増した彼女の足は的確に賢者の背中を蹴りつけた。身軽さを生かし、エーデルは更に羽に取りつきハルムロースと格闘を始める。
「ベルク!!」
湿原に叩きつけられる寸前、ノーティッツの声がしてふわりと柔らかい風に包まれた。
準備できたぞと幼馴染は極悪人の顔で笑った。
――なんなんだあの僧侶のあの剣は。水門の街で会った天界人のひとりが同じ剣を扱っていたように思うが、何故それをクラウディアが使っている?アラインたちと同行していたとき、彼にそこまで特殊な力はないと断じていたのに。
防御結界を切り裂かれ、直接攻撃を許したことにハルムロースは怒りを燃やした。ベルクに蹴り飛ばされた顎は既に癒し終えていたが、傷つけられたプライドは到底治癒などできそうにない。
ヒルンヒルトに無理矢理自我を眠らされて以来度し難い屈辱ばかりだ。全員苦しめて苦しめて殺してやらなければ怒りは冷めそうもない。
「離れろ小娘!!!」
翼を引き千切ろうと掴まるエーデルを振り落とすべく、ハルムロースは体内の魔力を放出させた。狙い通り悲鳴を上げて娘の身体が吹き飛ばされる。だが連続して古代魔法を用いたこともあり、今のでかなり消耗してしまった。
ともかくまずはクラウディアを殺さねばとハルムロースは敢えて低空飛行を試みた。剣さえ奪えばまた防御の結界を生み出せる。僧侶なら接近戦には向いていまい。
刃のごとく羽を研ぎ澄ませ、旋回しながらクラウディアを狙う。僧侶は剣から杖に武器を変え、四方八方から襲い来る羽根を竜巻で退けた。
(おやおや、調子に乗って剣を使いすぎましたかね?)
魔力が足りねば魔道具を操れはしない。無尽蔵に力を持つわけでもないのに天界の剣など振るうからだ。だがこれで戦いやすくなった。
念のため術者の息の根は止めておこうと両翼に残った魔力を掻き集める。リッペのところへさえ行けば回復は容易だ。今このチャンスを逃したくはない。
しかしとどめを刺そうと腕を振り上げた直後、さっきまではなかった大きな黒い影の存在に気がついた。
進路方向を変えるふりをして一瞬空を確認する。おそらくノーティッツの仕業だろう、大量の土砂が上空に運ばれていた。
(成程、土の重みで私を地面に引きずり降ろすつもりでしたか)
ニヤリとハルムロースは頬を歪めた。実行前に悟られるとは不運なことだ。
となればクラウディアが杖に持ち替えたのもこちらを誘うための罠だろう。頭に血が昇っているはずのベルクが攻撃してこないのも頷ける。深追いは禁物だ。
「皆、気をつけろよ!」
ノーティッツの号令とともにハルムロースは横方向の飛行を止め、降りかかってきた土砂を風で払い続けた。もくもくと立ち上がる砂煙、これが収まったとき己の無事を確認した彼らの表情を見るのが楽しみでならない。
「っおいノーティッツ! 全部かわされてんじゃねえか!!」
いち早く失敗に気づいたのはベルクだった。彼の隣で苦々しげにディアマントとエーデルも顔をしかめている。
「残念でしたねえ、翼を封じることはできなかったようですよ!」
ははははは、とハルムロースは高笑いした。こんな子供騙しの戦略でこの自分を倒そうなどと百年早いのだ。立案者である少年を嘲笑ってやろうとしてハルムロースはノーティッツに目をやった。だが少年は口角を上げ薄笑いを浮かべるだけだった。
「誰が一度で終わりだって言った?」
ハッと気づいて見上げると土砂に覆い隠され見えなくなっていた上空から水の塊が落ちてくる。否、池の塊と言った方が適切だろう。土を被るより水を被る方が遥かに速度は落ちる。あれはかわさなければならない。
(土魔法? 水魔法? まさか同時に準備していたのか?)
ハルムロースは咄嗟に防御の膜を張った。属性違いの魔法なら自分に第二波を悟れぬはずなかったのに。否、そもそも賢者でもないこの少年に異なる魔法を並行して扱う才があるわけない。辺境の都で得た臨時の魔力とてイデアールとの一戦で使い込んでいたはずだ。一体どうして――。
「どっちもただの風魔法だよ? やっぱり人間ある物使って戦わないとね」
土も水も、湿原と湖のそれを利用しただけだとノーティッツが笑う。降り注ぐ滝が結界を打ちつけ侵入しようとしてくるが、何とか我が身は守り抜いた。取り囲まれている今の状況を思うとスピードダウンは即座に命取りとなる。
「……っ!」
空中の水がすべて湿原に落ちてきたのを確認し、ハルムロースは急ぎ空へ舞った。少し息が切れている。さっさと魔力を補充せねばならない。
「逃がすわけないだろ腐れハム……!」
ぼこぼこと足元で泡立つような音が響いた。ノーティッツが魔法陣を編み浮かべているのは土と水が混ざり合ってできたもっと厄介な副産物――泥だった。
ハルムロースの退路を塞ぐようディアマントが立ちはだかる。たった一瞬虚を突かれた隙に、梟の羽にはどろどろとした粘着物が付着した。一気に羽が重くなる。
ベルクの剣とディアマントの剣、エーデルの蹴り、クラウディアの魔法が四方向から向かってくる。
残った魔力を振り絞り、ハルムロースは退却のための転移呪文を諳んじた。
ぜえ、ぜえ、と浅い息を吐く主人の姿にリッペはごくりと唾を飲む。大丈夫ですかと問う前にハルムロースは四肢を投げ出し這いつくばった。
ここまで疲れ切ったこの男を見るのは初めてだ。早く回復してやらねば相当危ないに違いない。
「リッペ君……、魔法陣まで……連れて行って下さ…………」
長年こき使われてきたが、肩を貸せなどという殊勝な命令も初めてだ。ここで恩を売っておけば後々少しくらいは優しくなってくれるだろうか。
だがそんなことはどうでも良かった。もうどうだって。
「お断りですよ、ハルムロース様」
そう言ってリッペは目を瞠る主人に彼手製の呪符を解き放つ。力尽きんとしていた男にはとどめの一撃同然だったろう。光に焼かれ、ハルムロースは地にのたうった。苦悶の悲鳴が耳に心地良い。
「貴様ッ何を……!!」
思った通りハルムロースは反撃すらできない有り様だった。不味そうな眼鏡だけポイと投げ捨てリッペはじゅるりと舌なめずりする。変化の魔法で口の大きな魔獣に姿を変えながら。
「なんで俺が今まであんたの小間使いしてたかわかります? ――ハハッ、こんな上等なエサ初めてだ」
強い魔物を殺せば殺すほど得られる力は大きい。地道に一匹一匹屠るより、デカいのを一匹釣り上げた方が余程魔力は向上する。
何の旨味もなしに人間にへいこらするわけがないだろう。怒りに我など忘れるからだ。魔物が人間に従うわけないんだよ。
ヴォルフの牙でハルムロースに噛みつくと、リッペはそれを胃袋の中に飲み込んだ。抵抗など微弱で可愛らしいものだった。
「ははは、はははは!!!」
溢れる力、漲る力にリッペの笑いは止まらない。
すごい、すごいぞ。やはり見込んだ通りハルムロースは極上の一品だった。これであの回復の魔法陣に触れたらどうなるだろう?己の力は魔王ファルシュなど越えてしまうのではないか?
アンザーツの肉体を後ろ足で蹴り飛ばすとリッペは古代魔法の陣の中心に寝そべった。胃の中から海のように魔力が溢れ、溢れ、溢れ、留まるところを知らない。内臓が破裂せんばかりの量だった。
「……んあ?」
ちくちくした痛みに気づいてリッペが起き上がろうとしたとき、変質を押し留めるのは既に不可能になっていた。
満ちすぎた魔力のせいで身体が歪み始めている。変化が変化の形を保てなくなっているのだ。
「なんだ!? 腹がいてえ! いてえ!!」
魔物は勿論人間を食べるのも初めてではない。この痛みには覚えがあった。新しい属性が自分の中に根ざそうとしている痛みだ。前は確か風属性の女を食べたのだった。だが痛みがそのときの比ではない。腹が属性を拒絶している。
「うああいてええ!! っだこれ、闇属性かああああああああああ!!!」
悲鳴を上げてリッペは力の溢れるままに何度も身体を変化させた。輪郭という境界を失った魔物の肉は単なる魔力の集合体として目一杯に空間に広がる。それはちょうど傘のよう魔界の空を覆い尽くした。
どろどろに溶け、崩れた肉塊がアラインたちの頭上にもぼたぼたと落ちていく。
敵も味方も関係なかった。この時点でリッペの自我は消し飛んでいた。
そうしてすべてが闇に飲み込まれた。




