勇者は対峙する
「……すげえな、マジで怒り狂ってる」
先程から尋常でない量の魔力を消費し古代魔法を駆使している主人を遠目に眺め、リッペは呆れた溜め息をついた。あんな感情任せに戦っていて大丈夫なのだろうか。だいぶ冷静になってはきているが、ハルムロースはまだ全然いつもの落ち着きを取り戻してない。
最初の即死魔法も、白刃の雨も、位相をずらした結界も、枷の魔法も、連続気弾も、そして今ベルクたちに浴びせている重力超過の魔法も、一介の魔導師なら一生に一度使えるかどうかの大魔法だ。あれだけやられてまだ立っている勇者たちにも驚きだが、汗ひとつ掻かず空に停止するハルムロースもハルムロースである。半分が人間とは思えない化物だ。
だがやはり遠くから観察していると、判断力や分析力の落ちているぶん主人のほうが分が悪いように見えて仕方なかった。あの男は気がついているのだろうか?さっきからひとりだけ異常にダメージの少ない人間がいる。わざとらしく攻撃を食らって、痛がる素振りをしているようにしか見えない者が。
(なんなんだあいつ?)
リッペは目を細め、クラウディアを凝視した。温泉街で見張っていたときと雰囲気がまったく異なる。いや、というよりあの頃抑え込んでいたものが力を増して表層に現れてきたようだ。
変化の術を操るリッペは日常的に演じ分けをする場面が多い。だから他人がそうしていればすぐわかる。
クラウディアはハルムロースの攻撃を意に介していない。
勘ではなく確信だった。さっさと主人に伝えてやるべきだろうかとリッペは悩む。アンザーツの身体を放置するわけにいかないので伝える術もないのだが。
(あいつこっちに来たらイヤだな……)
ハルムロースの作ってくれた結界があるし、魔王城で留守番する際に貰った護符もある。少しくらいなら我が身を守れると思うがどうだろう。
(ま、とりあえず様子見だ様子見)
クラウディアのことは引っ掛かるがハルムロースも用意周到な男だ。まさか勇者たちもリッペの鎮座するすぐ後ろに魔力と体力回復用の陣が準備されているとは夢にも思うまい。
そう、陣は己の真後ろに――。
「なんでゲシュタルトについたんだ? 今からでも遅くない、マハト、武器を捨てろ!」
強く迷いなく剣を振り、アラインは戦士に命じる。
既にゲシュタルトやハルムロースたちとは随分な距離が開いていた。他には誰の邪魔もない、正真正銘の一対一だ。
マハトは時折後方のゲシュタルトを気にする素振りを見せたけれど、そのたびに相手はこっちだと主張するべく打ち込んだ。あまり自分と戦いたくなさそうなのは気のせいではないだろう。その態度が操られているわけではないと言った彼の台詞に信憑性を持たせた。
「……百年前の出来事をムスケルは未だに後悔してるんすよ。あの子を守れなかったことも、アンザーツの口から何も聞けなかったことも。だから俺は!!」
経験していないはずの過去を叫ぶマハトはムスケルの記憶に振り回されているように見える。だがアラインを目の前にしてなおその呪縛が解けないことに違和感を覚えた。どうも前世の記憶だけが彼女になびいた原因ではない気がする。
「アライン様こそなんで勇者じゃないのに戻ってきたんです!? 俺、あんたに斧を向けなきゃいけないじゃないっすか!!!」
こちらに向かいマハトは猛然と突っ込んできた。自分に対する遠慮からなのか知らないが、攻撃は普通の物理攻撃だけで魔法石による追撃はない。アラインもヒルンヒルトから受け継いだ力は敢えて使わず戦った。剣術の稽古はずっと魔法なしでつけてもらっていたし、魔法を使えば敵と見なしたように思われる気がしたのだ。
「僕を切り捨ててでもゲシュタルトと行くのか!?」
ギリギリの間合いを見極め、後ろに飛び退き斧の一閃をかわす。かわして即座に踏み込めばマハトは篭手で剣の平らな面を弾いた。体勢が崩れ、剣は湿原に突き刺さる。反撃に備え盾を構えるが、戦士からの攻撃はなかった。彼は苦しげに動きを止めただけだった。
「俺が要らなくなったのはアライン様の方でしょう?」
見たことのない歪んだ顔でマハトはそう吐き捨てる。何を言われているのかわからずアラインは眉をしかめた。
「……置いて行かれるのもう嫌なんです。苦しいんです。平気な振りして笑うのも……! アライン様も俺には何も言ってくれませんでしたよね? もうひとりの勇者には何だって打ち明けてたくせに」
「――」
飛び出した台詞は、思ってもいなかった台詞だった。
確かに剣の塔を発ってから思い悩んでいたことは、河に落ちてベルクとふたりきりになるまで誰にも吐露などしなかったけれど。
(いや……ちょっと待て)
誰が誰を置いて行ったって?自分がマハトをか?そんな馬鹿な。
辺境の塔と都を別れて目指したことを言っているのかと思ったが、マハトのこの逼迫した様相を見るにもっと根が深いように感じた。
そもそも戦士を置き去りにした勇者は自分ではなく――。
「お前、誰の話をしてるんだ? もしかして僕とアンザーツが混ざってるのか?」
先代勇者の名を告げた途端、大斧の中心で魔法石が光った。
吼え猛りながら、しかし酷く辛そうに刃を振り回すマハトの攻撃をアラインは剣ひとつで受け止める。何度も刃の擦れ合う音が響いた。体格差もあり次第に力負けしそうになってくるが、今はどうあっても退くわけにいかない。
「……ッお前の勇者は僕かアンザーツどっちなんだ!!」
どうしようもない怒りともどかしさをこめて問う。戦士は一瞬身を竦ませた。見開かれた双眸を真っ直ぐ見つめ、アラインはもう一度声を張り上げる。斧に嵌められた魔法石に狙いを定めながら。
「答えろマハト! お前の勇者は誰だ!!」
蛇の尾をくねらせながらゲシュタルトは牙を出し笑う。彼女の両手にはまた暗い魔力の塊が具現化し始めていた。
戦士がアラインの方に取られてしまったので、もうアンザーツの肉体を奪いに行く気はなくなったようだ。これだけ両者が近くにあれば精神体から殺そうと肉体から殺そうと変わりないということだろうか。
迸るほどの殺意が辛い。そこまで彼女を追い詰めたのは己自身の選択だけれど。
「なかなか自分の身体まで辿り着けないわねえ?」
リッペのいる結界は湖の向こうの岩山である。近づくどころかじわじわ遠ざけられており、彼女の思惑に嵌まっているのは否めなかった。
「新しいお仲間たちも苦戦しているようだし、ふふ、ヒルンヒルトがいてくれれば良かったのにね」
ゲシュタルトの冷笑にアンザーツは唇を噛むことすらできない。激しい憎悪が声や眼差しの端々から伝わってくる。その度に己を責めるしかできなくなる。
ヒルンヒルトがいれば確かに叱ってはくれただろう。何を成すために時代を越えて生き延びたのかと。
目的を忘れたわけじゃない。魔王ファルシュとの約束を。だけど……。
「彼ってあなたのためなら何でもしてくれるんでしょう? あなたは私に何もしてくれなかったけど!」
ひとしきり笑った後、ゲシュタルトはすっと表情を戻して「嘘つき」と呟いた。
傷つく権利など持ち合わせていないのに心臓を抉られる。責めていいのは彼女だけで、責められるべきは自分だけだ。そんなことはわかっているのに。
放たれた瘴気の弾丸にアンザーツは剣を抜く。魔力を漲らせ両断すればゲシュタルトの魔法はそれ以上追ってこなかった。
アンザーツは彼女との距離を開き、迂回して逃げようとする。しつこく追い縋ってくる割にまだ本気の攻撃は仕掛けてこない。さっきからこの繰り返しだ。ゲシュタルトは何かを待っているようにも見えた。
「逃げてばかりいないで戦いなさいよ。私にもその刃を向ければいいでしょう?」
こちらが諦め反撃に転じるのを待っているのだろうか。そう思うと尚のことかわす以外の用途に剣は使えない。
「君を攻撃なんてできない」
アンザーツの返答がゲシュタルトはお気に召さなかったらしい。
あらそう、と声に怒気を滲ませ新しい魔法の生成を始める。
「優しいのね。攻撃なんてできないですって? ――愛してもいなかったくせに!!」
刃を剣で跳ね返すことはできなかった。鋭利に尖った鋼鉄のような氷塊が腹を貫いて、走った痛みに思わず呻く。
「……よくできた精神体だわ。血まで出るの」
イデアールと戦ったときですら見なかった流血が傷口を抑える掌を汚した。心の痛みが反映されているのだろうか?これがゲシュタルトからの攻撃だから、罪悪感と後悔まで実際的な苦痛に変換されているらしい。
眩暈に立ち眩みながらアンザーツは首を振った。掠れた声で「愛してたよ」と囁く。
「嘘つき」
嘘つき、嘘つき、とゲシュタルトは狂ったように繰り返した。自分が都へ帰らなかったことだけが彼女にとっては真実なのだ。もう何を呼びかけても言葉は屈折してしか伝わらない。それでも伝えずにはいられなかった。わかってほしかった。
「嘘じゃない。愛してる。今でも君を……!」
「これ以上そんな言葉聞きたくないわ!!!!」
悲憤の炎を撒き散らしながらゲシュタルトは破壊呪文の詠唱を始めた。
ああ、あれを食らったら死ぬだろうなと漠然と思う。けれどアンザーツは動けなかった。
強大な魔法であればあるほど構築には手間と時間を必要とする。逃げようと思えばいくらでも逃げる隙はあるのに。
(ごめんよヒルト……)
折角手伝ってくれたのに、自分にはあれを避けれそうもない。もう彼女の思いを無視したくない。
もし勇者が代替わりすることになっても、魔王が死ぬのでなければ天変地異は起こらないはずだ。勇者候補たちは勇者と魔王が魔法に囚われた存在だとわかってくれたし、自分が無理に生き延びようとしなくても後は何とかしてくれるだろう。せめてハルムロースをどうにかするところまでは責任を持ちたかったけれど。
「……」
宙に浮かんだ魔法陣が黒々とした力を溜め込んでいく様をアンザーツは静かに見つめていた。
膨れ上がっていくそれは、魔法なのか呪いなのか。
ゲシュタルトの足元で白い花が揺れる。揺れている。




