ディアマントの離反
地下空間の街を飛びながらバールはラウダの後に続く。
ついて来るなと言われるかもと思ったが、そんなことはなく揃って窓の桟に舞い降りた。
「……塔へ帰れと言ったのに」
「帰れ言われてホンマに帰るアホがおるかいな」
「天界へ戻れなくなっても私は知らないぞ」
ぶっきらぼうな物言いにバールはふう、と溜め息を吐く。彼は前より口が悪くなったのではなかろうか。
「ジブンはこのまま地上で暮らすんか? まあそれはそれでええかもしれんのう」
「そのつもりだがな。いつ消されるかはわからない」
誰にとは聞かずとも知れた。天界の者が神に逆らえばどうなるか――。
「……ま、十分長生きしたやろ。自分の好きなようにやって死ぬんやったらそれもええやん。ワシはこのまま旅を続けるで」
見守ってやりたい出来損ないの勇者もおることやしな、と笑うバールにラウダは小さく息をつく。
流れる空気に拒絶の色がないことを素直に嬉しく思った。やっと友人と再会できた気がする。
「それにしても、神と言うのはなんなのだろうな」
「ワシも思たわそれ。天界でも神殿に引き篭って出てこんかったやろ? 漠然と偉い方や偉い方や思てたけど、なんなんやろな?」
「元々人の世界にいたということは、あの少年の言っていたように本当に長寿の人間なのかもしれないな」
「……せやなあ……」
膨らむ謎に溜め息が出る。
天界における掟はたったふたつだった。
ひとつは地上を覗かないこと。
ひとつは神殿に立ち入らないこと。
特例的に側仕えを許された者も中にはいると聞いたことがあるが、それがオーバストなのだろうか?
どこかで外と繋がっているせいか、先程からずっと生温い風が吹いていた。
ついて来いと命ぜられるままオーバストはディアマントの後ろを黙って歩く。特に目的地があるわけではないらしい。
人のいない四角い丘までやって来ると、ディアマントはこちらを見もせず喋り出した。彼には珍しく淡々と。
「……オーバスト、私はあの女を殺さねばならんのか?」
魔王の血と肉が人間の女にも分け与えられていた事実に彼は衝撃を隠せないようだ。アンザーツの語る話に余計な茶々を入れなかったのは、そうする余裕もなかったためらしい。
「……魔王を滅ぼすにはその血も肉も魂も消滅させる必要があるのだろう? 私は父から魔王討伐を命ぜられた。父に背くという選択肢は私にはない。だったら……」
だったら、とディアマントは言葉を切る。隠しきれない彼の戸惑いにオーバストは唇を噛んだ。できればずっと何も知らないままでいてほしかったけれど。
「私に魔物殺しの話をしたとき、あの女が魔王の血を引いているかもしれないと知っていたのか?」
「……」
オーバストは答えられなかった。
知らなかったと言えば嘘になる。人間の少女で、素手で魔物と渡り合えるような者はまずいない。勇者でさえ武器を持って戦うのが普通なのに。
「……知っていたのだな? なら何故私にそう教えなかった?」
向けられた背中からディアマントの怒りが伝わってくる。かろうじて口に出せたのは「申し訳ありません」という謝罪だけだった。もっと何か言わなくてはとオーバストは焦って言葉を紡ごうとする。けれどディアマントに説明してやれることなど何もなかった。
ちらとだけオーバストを振り返り、苦い顔のままディアマントは飛び去ってしまう。
その姿が見えなくなるまで立ち尽くした。
(何故教えなかった……か)
本当にどうしてだろう。自分でも自分の心がぶれすぎていて呆れてしまう。
神の意に沿いたいのか、ディアマントに幸福であってほしいのか。
――本当の私はどちらなのだ。
自分の進むべき道がわからなくなったのは初めてだ。
こんなことは今までになかった。父である神を疑うようなことは。
地下の天井すれすれを飛びながらディアマントはエーデルを探した。見つけてどうするつもりかはわからなかった。ただ話がしたかった。
どこにあっても目立つ紅の髪は五分も飛べば見つかった。だが彼女の前に降りようとして、先客がいるのに気づく。クラウディアだった。
「……まさか自分が魔王の血縁だとは思わなかったわ」
初めから盗み聞きをするつもりだったわけではない。声が聞こえてきて動けなくなった、それだけだ。
エーデルはやや荒れていた。もう涙も枯れてしまったと自嘲気味に嘆いていた。
あれだけ強い力を有していながら何故悲嘆するのか不思議ではあるが、エーデルは普通の娘に戻りたいと考えているらしい。普通であってもそうでなくても彼女は彼女でしかないのに。
「……寧ろ良かったんですよエーデル。皆概ね魔王を生かす方向で考えているわけですし、イデアールが我々と敵対するならあなたは絶対に生き残らなくてはなりません。あなたを守りたい気持ちはわたしの中でいっそう強まりましたよ」
そんな彼女にクラウディアは優しく語りかける。
騙されるなと叫びたかった。人間は魔物を殺す。勇者のお告げを受けたならもっとそうだ。そいつはいつかお前に噛みつくぞと言いたかった。
だが声は喉奥に押し込められたまま、ディアマントの呼吸を苦しくするだけだ。
「魔王の血なのよ? 危険かもしれないわ。あたし、あなたに迷惑をかけることになるかもしれない。不幸にしてしまうかもしれない……」
不安そうな彼女をクラウディアがそっと抱きしめる。エーデルは目を瞠って、それからすぐ僧侶の肩に縋りついた。
雷に打たれたような衝撃が走った。ディアマントにはその光景を見下ろすことしかできなかった。
「クラウディア、あたし怖い。ほんの二年前までどこにでもいる平凡な人間だったのに、どうしてこんなことに巻き込まれてるの? あたし特別な人間なんかじゃないわ。魔王の血なんて言われてもわからない」
「エーデル」
「大それた望みなんて持ってないのよ。ただありきたりの、普通の幸せがあればそれでいいのに、どうしてなの。いつか魔物の血が誰かを、あなたを傷つけるかもしれない。なのに死ぬのも駄目なんて、あたし、あたしもう……!」
「エーデル!」
クラウディアは彼女の耳元で叫んだ。落ち着かせるよう華奢な背を撫で、僧侶は僅か身を離す。そうしてふたりで見つめ合った。
「わたしがあなたを守ります。あなたに与えられた魔の力を封印する方法も、必ず見つけます」
だから安心してくださいとクラウディアは笑った。エーデルの黄金の目から涙が溢れた。
一瞬の口づけがかわされるのを、どうしていいかわからないままディアマントはただ見ていた。
さっきまで胸の中を満たしていた靄はたちまちに消えてしまう。
代わりにもっと不可解な感情と、もうどうでもいいではないかという無気力が満ちた。
(思い出せ、何のために私は地上へ降りてきたのか……)
あんな娘のためではない。
決して。
精神体と言えど、力を使えば消耗はする。
ヒュドラとの戦い、ゲシュタルトとの邂逅で疲弊したアンザーツにヒルンヒルトは休めと言った。このうえアラインの心配までしてやる必要はないと。
偽の血統が続いてしまった責任を取らねばならぬとすれば、寧ろ自分の方だった。もう一度アンザーツに会うためだけに、正せたものを歪めたままにした。己の血にしか強い憑依の術はかけられなかったから。
「……ゲシュタルトはわかってくれるかな」
寝台に潜り込みながらアンザーツがぽつりと呟く。
彼のためにも勿論和解が望ましいけれど、ゲシュタルトがアンザーツを傷つけるなら自分は戦うことを厭わない。
だが敢えて何も口にせず、アンザーツには眠りの魔法をかけてやった。
この先で彼を待つものに穏やかで優しいものなど少なかろう。休めるときにゆっくり休んだ方がいい。
(……いや、恨まれているのは私かな)
自嘲の笑みを刻んでヒルンヒルトは寝室を後にした。これからラウダを探してどのルートで魔王城を目指すか相談しておきたかった。
魔王城にはイデアールの張った結界があるため転移魔法を使えない。企みが神に露見しているので聖獣ラウダトレスの翼も却下だ。通常ルートである岩山の洞窟は百年前に魔王ファルシュが勇者の到達を防ごうと埋め立ててしまった。何らかの手段を講じる必要があった。――だが。
ヒルンヒルトは廊下の途中で立ち止まると、くるりと踵を返して来た道を引き返した。今しがた離れたばかりの部屋に人の気配を感じたからだ。
「何のつもりだ?」
白いコートの背中に杖を突きつけながら問う。彼が天界人だということは元より、担いだ大剣に手をやっていることに警戒心が強まった。
ディアマントは眠るアンザーツの顔を眺めていた。窓は開いたままになっていて、そこから入ってきたのだとわかる。
「別に、この男の実力がどんなものか知りたかっただけだ。肉体が滅びぬ限り精神体は滅びんのだろう? そう目くじらを立てるな」
「だがダメージは負う」
笑った男にヒルンヒルトは静かに答えた。不快と怒りを滲ませた声で。
肩越しに睨み合ったディアマントの次の台詞は賢者を更に不愉快にした。
「……勇者を代替わりさせたくばこの男を殺せばいいわけか。その前に邪魔な腰巾着を始末する必要がありそうだが」
「所詮天の人間は天の言いなりということか。戦いたいなら表へ出ろ、相手になってやる」
バチバチバチ、と火花が散った。
ディアマントの剣とヒルンヒルトの稲妻がぶつかり合い、その余波で壁の一部が崩壊する。金髪を翻して彼はなおも突進してきたが、風を使ってひらりとかわした。近くの家に入っていた住人がなんだなんだと騒ぎ始める。
「街を傷つけるつもりはない。上へ行くぞ」
そう言って土魔法を構築するとヒルンヒルトは硬い天井に穴を開けた。ディアマントは魔法弾でヒルンヒルトを狙いながらついて来る。
瓦礫の山と成り果てている地上へ出ると、星も見えないほどの曇り空だった。月だけはかろうじて仄かな光を放っていたが、これならランプで照らされた地下街の方が明るそうである。
夜目の利きにくい中でディアマントの白いコートはよく目立った。的を探すのに印をつける必要もなかった。
あちらから向かってきたのだから遠慮は不要だ。氷の刃、炎の鞭、かまいたち、畳みかけるよう幾重にもディアマントを囲んで襲う。もっとスマートに戦うのかと思ったが、意外に彼はがむしゃらだった。投げやりとか八つ当たり的と言えたかもしれない。ただ暴れたいだけのようにも見えた。
「ちょこまかと鬱陶しい!!」
大剣はお飾りではなかったらしい。軽い魔法ならそれで易々凪ぎ払ってしまう。剣圧でこちらを両断しようと彼は高く剣を掲げた。
そこへ騒ぎを聞きつけた数名が地下から駆けつけた。
ヒルンヒルトによる業火の攻撃を、ディアマントを庇った男が竜巻で吹き飛ばす。オーバスト、彼も天界の人間だ。
「なに仲間割れしてんだよ!」
叫んだのはノーティッツという少年だった。それに対しディアマントは「仲間になった覚えなどないわ!!」と声を荒げる。
彼はじっと地上の一点を睨みつけていた。魔王の血を引く娘と、アンザーツを殺すよう頼まれた僧侶を。
「……今度会ったときは貴様らも敵だ」
行くぞオーバスト、と彼に呼ばれてオーバストはおろおろしながら結局は側に寄っていく。
飛び去ろうとした彼らめがけ特大の火球をぶつけてやろうとしたが、「やめてくださいまし!」とウェヌスに制されひとまず断念した。あまりやりすぎて折角得られた理解を失うのは惜しい。
「何があったの? あの失礼馬鹿男はどこへ行ったの?」
ふたりの姿が消えた夜空を見上げつつ、エーデルが動揺した素振りで尋ねた。
ヒルンヒルトが嘆息すると、濃い色の雲からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
良かったんですかとオーバストが尋ねてもディアマントは強がるだけで本音を話してくれない。
「そもそも天界人が人間と戯れている方がおかしいのだ。私は父の神託通り魔王を殺す。ついでに勇者も、勇者候補もな」
そんな風に話すだけで、エーデルへの思いからはわざと目を逸らしているようだ。
(……魔物殺しの話などしない方が良かったか)
彼にこんな選択をさせるくらいなら、何もしなかった方がずっと。
もっともあのときはそこまで深く考えていたわけではない。ただディアマントが毎日山のように魔物を殺しているのを見て、これ以上強くなってしまうのが怖いと思っただけだった。
魔物を狩れば狩るほど、それが強い魔物であればあるほど、倒した者の手に入れる力は大きい。
相手がディアマントより強く、ディアマントを殺さないなら誰でも良かった。
(成長をお止めしたいと思ったのが誤りだったか……)
「オーバスト、貴様アンザーツの身体がどこにあるか見当はつくか?」
雨に打たれながらディアマントは羽ばたき続ける。けっしてオーバストを振り返らずに。
「……多分わかると思いますが……」
「そこへ連れて行け。まずは勇者の身体から潰す」
泣いているのだろうかと心配だった。
天の国でトルム神にディアマントを預けられてから、傷つくことのないように誠心誠意尽くしてきたつもりだったのに。
(勇者も魔王も殺してしまえばあなたは――)
零れかけた言葉を飲み込み、オーバストは不安を打ち消すようかぶりを振った。
クラウディアの言う通り、見張られているのは自分なのだ。
何も伝えることなどできない。
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ディアマントとオーバストが出て行ったと聞いたときは、驚きとともにやっぱりかという気がした。ディアマントはウェヌスの兄だし、オーバストには随分世話になったので、剣を交えるような事態にならなければいいとは思うが。
ベルクは落ち込むウェヌスを見やって何とも言えぬ溜め息をついた。ともあれ天界人の離反により女神も微妙な位置に立たされてしまったのだ。なるべく目を離さないでやらねば。
(あちこち問題だらけだな……)
沈んでいるのはウェヌスだけではない。アラインもだ。ひとことも口をきかないレベルなので、もしかするとウェヌスより精神状態は危ういかもしれない。
辺境の都の正門だった場所で、群衆とウングリュクに見送られベルクたちは出発した。とてもじゃないが笑顔で手を振る気になどなれなかった。
今度の目的地は辺境の北部で唯一生き残っている山門の村だ。魔界へ続く道を塞ぐ神殿のある場所だった。
「新しい武器貰えて良かったね。その剣とか国宝級だろ絶対」
「ああ、そうだな」
いつもの調子で話してくれる幼馴染の存在が有り難い。
都の結界を張り直してなおノーティッツの魔力は有り余っているようだった。これからますます戦闘が厳しさを増すことを思うと本当に頼もしいレベルアップだ。伝説の勇者と大賢者が加わった大所帯のパーティなので、滅多なことはないだろうが。
「イヴォンヌさん、ただの女店主じゃねえとは思ってたけどスゲー人だったんだな。帰ったら逞しくなった息子の姿見て喜ぶんじゃねえ?」
「うーん、そうだねえ。国に帰るまで受け取った魔力が残ってればの話だけど」
ノーティッツ曰く、特殊な魔法を特殊な形で受け継いだので今回得た魔力は使い切ればなくなってしまうとのことだった。
「丸一日経過しても力が全部戻ってこないし、そうなると使いどころが悩ましいな」
「なんだ、シケてやがんな。まあお前がぶっちぎって俺より強くなるのも面白くねえけど」
「……そんな言い方するなよ。きっとこの方が良かったんだ。今まで通り地道な努力を積み重ねて強くなってく方がさ」
見上げた空は曇天。またひと雨来そうだな、と幼馴染も天を仰ぐ。
あの雲の上で自分たちを見下ろしている存在がいるのかと思うと鼻持ちならない気分だった。




