弱き王
勇者として生きれば生きるほど自我が失われるという話も、魔王を倒せば天変地異が引き起こされるという話も、俄かには信じ難かった。それを仕組んだのが神様だという話はもっと。
ベルクは別にトルム教信者ではない。それでもこうして「いくらなんでもそりゃ嘘だろ」という抵抗が起きるのだから、他の面々の心境は想像に難くなかった。
「……実際にファルシュと会って話したのはぼくらだけだから、信じろというのは難しいかもしれないね。君たち勇者候補は誰もぼくみたいに浸食を受けてはいないようだし」
アンザーツは至極あっさりしていた。信じてもらえずとも自分たちの目指すものは変わらない、そんな心が眼差しによく現れている。
「まあ突拍子もない話だなとは思ったけどねえ。古代魔法の方が今より発展してる理由づけとしては面白かったかな。百年周期でほぼズレのない天変地異も、確かに大掛かりな魔法だと考えられなくはない。……とすると神様っていうのは一般に考えられてるよりずっと人間に近い存在なのかもしれないね。超絶長生きの大魔導師とか」
ノーティッツはベルクよりよほど柔軟に考察しているようだ。そうか、神様だと思うから先入観が働くのかと隣のウェヌスを盗み見る。思えばこれが女神なのだから、トルム神がどんなおとぼけ野郎でも何ら不思議ではないのだ。
「どうなのでしょう? わたしも気になります。わたしはお声を聞いただけですが、オーバストさんやウェヌスさんたちはトルム神にお会いしたことがあるのですよね? やはり地上の宗教観とはギャップがあるのですか?」
クラウディアがにこりとオーバストに微笑んだ。一見普段と変わらぬ笑みに思えたが、冷やりとした空気が流れた気がしてベルクは「?」と首を傾げる。
「……」
黙り込むオーバストとは対照的に、ウェヌスは「神は神です」と言い切った。ディアマントも「そんな天変地異の魔法だの勇者と魔王の自我の話だの聞いておらん!」と不快感を露わにする。
「聞かされていなかっただけという可能性は?」
押し黙ったディアマントにクラウディアは真っ直ぐな目を向けた。笑顔は少しも崩さぬまま。
「……何が言いたい?」
低下していく室内の気温に比例して緊迫は高まる。
クラウディアはついと目線をアンザーツへ向け直ると「先に申しあげておきますが」と前置きした。
「わたしはあなたを殺すよう神に仰せ遣いました。天から来たというこの方たちがそれを知らなかったのは事実です」
「……随分あけすけに言うね」
やや目を瞠ったアンザーツにクラウディアはにこりと笑いかける。「殺意があるわけではありませんから」と。
「うん、クラウディアの言う通りかな。神様がそれぞれの人にそれぞれの役割だけ伝えてるなら、ぼくらに全容が見えてこないのも仕方がない。ウェヌスたちが反論できないならぼくらは一旦魔王側の話を信用することになると思うけど」
どうだろう、と幼馴染に問われてベルクは返答に窮した。
アンザーツが何を考えているかわかったと思ったら、今度は神様とやらが何を考えているかわからなくなってしまった。天変地異云々が事実か事実でないかによって選択はまったく異なってくる。
「本当に何も知らねえのか?」
改めてウェヌスに尋ねるも、女神は「申し訳ございませんわ……」としょんぼり項垂れるだけだった。
「他にも何か神の手によって隠されていることがあるかもしれませんね」
クラウディアの言にまたオーバストが顔を歪める。その態度が気になりベルクが声をかけようとしたときだった。彼は自ら「いえ、私が存じております」と口を開いた。
「……アンザーツの話したことは事実です。トルム神は古代魔法の秘術を使って何度も世界に災害をもたらしています。ですが、ですがそれはトルム神自身の生きたかつての大地が、人間同士の争いにより滅びてしまったからです。再び同じ過ちを犯さないよう一定の管理を行っているだけで……!」
オーバストの話したことに一番驚いたのは天界のふたりだった。神様というのはとかく秘密主義らしい。自分の身内にすら大事な話を共有できないような輩は、正直ベルクの信頼には値しなかった。
「んじゃ神様は俺らに魔王を退治させて、今度こそ天変地異を引き起こそうとしてたってことか?」
答えられないオーバストを皆が複雑そうに見守る。
矛盾するかもしれないが、今の話をウェヌスが知らなくて良かったと思った。知っていて今まで笑って側にいたのだったら、怒りも悲しみも通り越してどうかなりそうだ。
「ともかく我々の成すべき第一は魔王と勇者の血肉を保存することだ。アンザーツの肉体は既に私が封じたし、憂慮していた魔王側の血も今ここにある。――エーデルと言ったな?悪いがしばらく行動を共にしてもらうぞ。君が魔王の血を継いでいるのは明らかだからな」
イデアールとエーデルが似ていると思ったのは錯覚ではなかったようだ。次から次に新しい情報が入ってきてベルクの頭では処理が追いつかない。
「……そうやって魔王と勇者の血を守って、最終的にはどうなるの?」
エーデルがヒルンヒルトに問いかける。賢者は「生命体が増えれば一個体の魔力含有率が下がって、何百年後かには魔物と人間が共生できる環境になるはずだ」と答えた。
おお、とベルクは顔を上げた。ぐるぐる回っていた思考回路が今のひとことで実にスッキリ整理される。
「それいいじゃん。丸く収まってる感じだぜ」
争わなくていいようになるならそれが一番だ。単純明快な答えである。
「だから、トルム神の元々いらした世界はそうだったんです!」
声を荒げたのはオーバストだった。
「あなた方がどう決意されようと神の意志は変わりません。綻びた理なら修正するだけで……!」
俯いたまま自分の胸を引っ掻いているオーバスト。どう見ても彼は混乱していた。神様のことはわからないが、その混乱の原因がどこにあるのかはわかってやれる気がした。
「……お前は神様が何もかも正しいと思ってんの?」
ベルクの言葉にオーバストは息を飲み込む。
それがわからないから言えなかったんじゃないですか、と苦しげに彼は呻いた。
「目先のことだけを考えるなら天変地異などない方がいい。……でもあの方はこの大陸の滅びゆく様を今でも克明に覚えています。管理しなくてもいいなどと、私にはとても言えません」
室内には妙な空気が流れ出していた。
この地に生ける者としては天変地異などもってのほかなので、勇者と魔王の血は守る。これはもう決定事項だ。魔物たちは大人しい獣になるまであと何回も生まれ変わらなければならないらしいから、襲ってくる敵は倒す。これも決定である。
アンザーツたちはできればイデアールに父の意志を伝えて説得したいそうだったが、これについては誰もが「無理だろうな」と諦めていた。何も知らなかったとは言え、彼は都を襲撃し、甚大な被害をもたらした。こちらも派手に応戦しているし、和解は難しいだろう。
問題はパーティに混ざった天界人たちだった。神の意向を重視してこちらとは敵対するという可能性が少なくない。思い留まってくれれば有り難いが。
「ウェヌス、お前どうすんだ?」
耐え切れなくなりベルクから聞いた。異様な緊張が襲いかかってきて鼓動を早める。
女神は黙り込んだ。神の言いつけで地上へ降り立ったウェヌスの立場を思えばその沈黙は当然のものだった。
「私は……今はあなたの僧侶ですわ、ベルク」
ウェヌスの笑った顔を見て情けないくらい安心した。立っていたら膝が抜けていたかもしれない。
それはノーティッツも同じだったようで、ああ良かったと大げさに胸を撫で下ろしている。
妹の出した答えにディアマントは嘆息したが、否定するようなことは言わなかった。オーバストも「おふたりの考えを尊重します」と控えめだ。好戦的な態度で出られたらどうしようかと思っていたのでひとまずホッと息を吐く。
「てことは当面の問題はあの戦士の兄ちゃんだな」
ゲシュタルトにさらわれたアラインの従者マハト。早く彼を救い出したいし、アンザーツたちも昔の仲間とは因縁があるようだ。バールによればマハトは戦士ムスケルの生まれ変わりで、それゆえゲシュタルトに連れ去られたらしい。
「ああ、いずれにせよぼくらは魔王城を目指すことになる」
アンザーツの言にベルクはこくりと頷いた。そしてここまでまったく会話に入ってきていないアラインを振り返り眉間に皺を寄せた。落ち込む気持ちはよくわかるし、それについてとやかく言いたくはないけれど。
おい、と声をかけようとしたときコンコンとドアがノックされた。呼びに来たのはノルムだった。
「ベルクさま、頼まれていたものの準備が整いました。どうぞいらしてください」
「あ、おう、サンキュ。……悪い、俺ちょっとこいつと出てくるわ」
ベルクはアラインの腕をぐっと掴むと引き摺るように歩き出す。失意の勇者はどこへ行くのかとすら聞かない。こちらを見つめるアンザーツが心配そうな顔をしていた。
ウングリュクに頼んでいたのは勇者の国の王との通信だった。ベルクが父と話したあの鏡があれば、アラインに直接自国の王と話す機会を設けられると考えたのだ。幸い魔道具や貴重品は大半が地下に納められていたのでノーティッツの暴虐から逃れることができていた。
「失礼いたします。ベルクさまとアラインさまをお連れしました」
内密の話だと言ったからだろう、通されたのは人気のない通路の先にあるこじんまりした部屋だった。鏡の前にウングリュクが待っていて、こちらへ来いと手招きする。
「……一応私は席を外すが、何かあったら呼んでくれ」
「すんません陛下。ありがとうございます」
他国の事情に首を突っ込むなど後々ろくなことにならない。本来ならこんな通信を独断で行うべきではない。わかっていてもベルクはアラインを放っておけなかった。
だってこいつは国益のために騙され続けてきたのだ。辺境の国とは戦争したくないと思ったが、勇者の国はまったく逆だ。できるなら一発国王の顔をぶん殴ってやりたい。
「アライン、いいか? 今からお前んとこの王様呼び出すからな」
「……」
アラインが小さく頷いたのを見てベルクは鏡にかけられた布を取り去った。ぼんやり波打っていた表面が徐々にはっきりした輪郭を持ち始める。映ったのは疲れた顔をした老齢の男だった。
「……お初にお目にかかります。俺は兵士の国の第三王子ベルクです」
一応と思い挨拶するが、王はベルクの顔など見ていなかった。項垂れたアラインの姿に釘づけになり、しばらくすると玉座に深く座り直して俯いてしまう。
「単刀直入に聞きますけど、アラインがアンザーツの血筋じゃないってホントなんですか?」
王はぴくりとも動かなかった。ただ何かに耐えるようじっと静寂を貫いた。
アラインも似たようなものだ。目を瞠ったまま王を凝視し、微動だにしない。
嫌な空気だった。
誰も彼も傷つくしかないような。
『……知ってしまったのじゃな。わしの祖父……シャインバール二十一世がゲシュタルトを汚させたこと……』
隣国の王は両手で顔を覆った。その姿は酷く弱々しく見えた。
多分、たったひとりの勇者に頼って生きてきた結果がこれなのだろう。この国は間違っている。
『死に瀕した父からこの秘密を聞き、何度もそなたに打ち明けようと思った。……だができなかった。真実を伝えたそなたの両親は絶望し、偽りの重さに耐えきれず死を選んでしまった。もしそなたまでそんなことになったらと思うと、どうしても言えなかったんじゃ』
アラインが大きく目を見開く。震えることさえ忘れて彼は王の懺悔に呆然とした。
「父さんと母さんが?」
だって事故じゃと掠れた音は最後まで聞き取れなかった。
苦々しくベルクは眉をひそめる。嘘で塗り固められた勇者の名前に虫唾が走った。
『わしはずっと、そなたの旅立つ日が怖かった。辺境の都が襲われてもすぐにはそなたを見送ってやれなかった。……そなたが行ってしまってからは、そなたの訃報や帰還に怯えて』
軽蔑してくれと王は言う。そんなことで解決できる問題ではなかろうに。
答えられないアラインにシャインバール二十三世は鼻を啜りながら話した。
『すまなかった、本当に。辛ければもう旅などやめて、そのまま帰ってこずとも構わぬ。そなたの好きに生きてくれれば……』
「ふざッけんじゃねえぞ!!!!!」
我慢し切れずベルクは叫んだ。鏡の向こうの王に掴みかからん勢いで。
「こいつがどんな気持ちでここまで来たかわかってて言ってんのか!? 今までどこのどいつのために戦ってきたか!!! 全部あんたらのためじゃねえか!!!!」
王はやはりベルクを見ない。アラインに対しすまなかった、すまなかったと繰り返すだけ繰り返して勝手に向こうから通信を切ってしまった。
「おい!!! ふざけんなよ!!!! おい!!!!!!」
鏡面を真っ黒に染めた後、鏡は普通の鏡に戻ってしまう。どこにも苛立ちをぶつけられず、ベルクは思い切り壁を蹴った。
後ろでアラインが膝をつく。ぺたりとその場にへたり込んだまま、彼は動かなくなってしまった。
「おい、平気か?」
平気なわけがないのはわかっているのにそう聞いてしまう自分が歯痒い。もっと気の利いた言葉をかけてやれたらいいのに。
アラインは剣の柄をぎゅっと握り締めていた。目の焦点が合わないまま「大丈夫、大丈夫……」と呪文のように繰り返す。
「これくらいのことで……。マハトを助けに行ってやらないと……」
呼吸が浅くなり始めたのを見て思い切り肩を揺さぶる。
あのときみたいに泣けばいいのにと思ったが、アラインの目は虚ろに揺れるだけだった。




