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「勇者への道 三日月大陸冒険譚」  作者: けっき
第十話 アラインとベルク
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船も渡せば水に落ちる

 辺境の国と兵士の国を隔てる国境の河は、水門の閉鎖により一時その流水量を減少させた。だがごつごつした岩場が随所に潜み、渡河の難所であることに変わりはない。ベルクたちは船に詳しい人間を中心に据え、中型の三段櫂船で慎重に漕ぎ進んでいた。

 対岸はぼんやり見えているものの決して近くはない。岩に邪魔され穏やかに流れることのできない水が、時に激しく船体を打ちつけ手元を狂わせた。おまけにもうひとつ厄介なのは、水中にも魔物の気配があることだった。

「なんか嫌な感じだ。岸に着くまで何もなきゃいいんだけど」

「ああ。とりあえず戦闘の心づもりだけはしといた方が良さそうだな」

 ベルクは幼馴染と目を合わせ、小さく頷き合う。生まれ育った都を旅立ち数ヶ月、この手の勘は外さないようになっていた。初めての船旅に「まあ、これが波ですのね!?」とはしゃぐウェヌスは逆に女神としての威厳を衰えさせている気がするが、パーティ全体としてはなかなか成長していると思う。

「気をつけた方がいい。勇者の国から兵士の国へ来たときもそうだったけど、国境を越えた途端、急に来るはずだから」

 少し離れて水面を見つめていたアラインが忠告してきた。ひとり旅の経験を持つクラウディアもこくこく頷いている。

 魔物と言っても体格の小さいものは遠巻きにしているだけで襲ってはこなかった。周囲に数匹潜んでいるのは気づいていたが、あちらはあちらで戦いなどに気を取られては自分が流されてしまうとわかっているのだろう。そういう意味ではここ一帯は休戦区域にあたるのかもしれない。

 が、アラインの言う通り、辺境の岸辺が近づくにつれてどんよりとした雰囲気が濃くなってきた。明らかに空気が違う。同じ川の水なのに、向こう側は色まで濁っているように見える。

 船内の緊張が高まり出した頃だった。誰かの「魔物だーっ!!」と叫ぶ声が響き渡った。

「くっそ! やっぱ来たか!」

 ベルクが剣を掴むと、今にも船体を持ち上げ引っ繰り返そうとする巨大クラゲが姿を現した。なんで川にクラゲがいるんだと突っ込みたかったが、その前に敵の触手が船首に絡んで甲板が傾いた。透き通った涼しげな身体が忌々しい。バランスの悪くなった足場をベルクは跳躍した。

「でやっ!!!」

 船に絡んだ触手のひとつを切断すると薄青い血が辺りを汚す。臭いもきついし最悪だ。他の触手もねとねとした毒液を滴らせており、グロテスクだった。

「ベルク、そっち呪符いくぞ!」

 ノーティッツの声と同時、巨大クラゲから煙が噴き出す。的が大きいので焼いた方が無難ということだろう。血に引かれて他の魔物まで寄ってくると確かに面倒だ。効果の短い魔法なら船に燃え移る心配もない。

 だが思ったように事は運ばなかった。ぬるぬるしたクラゲの体液が魔法効果を軽減するらしく、何度撃ってもあまり堪えた様子がない。そればかりかその巨体を思い切り船体にぶつけてきて、船ごとバラバラにしようとしているのが見て取れた。

(やべえ!)

 直感的にベルクは駆けた。船は頑丈にできているが何度もあんな体当たりをされてはかなわない。さっさと息の根を止めてしまわねば。船上だからとお上品に戦っている場合ではなかったか。

 助走をつけ、船の縁を踏み台に大きくジャンプする。勢いのままクラゲの頭に剣を突き刺すと、超音波かと舌打ちしたくなる悲鳴が耳をつんざいた。

「ッッるせええ!!!!」

 先程までと比べ物にならぬ激しさでクラゲは暴れに暴れる。ベルクは振り落とされそうになりながら剣を引き抜き、もう一度深々と突き刺した。

「ベルク、後ろですわ!!」

 振り返る間もなかった。「ギョアー!」だの「キョアア!」だの叫んでクラゲは触手をベルクに叩きつけてくる。剣を手放すことはなかったが、川面へ向かって真っ逆さまだった。くそ、まだとどめを刺していなかったのに。

「ベルク!!!」

 ノーティッツが助けに飛び込もうとするのが見えた。クラゲの方にはアラインが斬りかかっていく。彼のひと振りで魔物の巨体が傾いて、それが水面に叩きつけられて、衝撃で発生した大波が船と視界を覆って――やがて全身、水に包まれた。




 ほんの四つか五つの頃から、ベルクはしょっちゅう視察という名目で城の訓練場に出入りしていた。大人に混じって素振りをさせてもらったり、手合わせに参加させてもらったり、身体を動かすのが好きだった。

 最初は王子だからと委縮していた兵たちも慣れれば面白がるようになって、飲み込みの良いベルクにあれこれ教えたがった。使える技術も使えない技術も、いつ使うんだそれはという技術も、兵士にできることならばベルクも大抵同じようにできる。なので自慢ではないが、鎧を着けたままでもすいすい泳げるし、溺れた人間の応急処置だって熟知していた。

 だがどうやら「うーん、この状況で無事に岸まで辿り着けた俺ってすごい」と自分に酔っている場合ではなさそうだ。水中に見覚えのある紅いマントが広がっていたので思わず掴んで引っ張りながら泳いできたのだが。

「……男にはやらねばならぬときが来る、とは兵士長も言ってたがな……」

 人口呼吸は果たしてファーストキスに入るのだろうか。思春期真っ只中の己としては、これは由々しき問題である。

 目の前には呼吸を放棄して横たわるアライン。しかし心臓はちゃんと動いている。こういうとき自分にも回復魔法が使えればと心底思うが、才能がないものは仕方がない。男らしく潔く思い切って人命救助に励むべきだということは重々わかっていた。

「くっそー! やってやらあ!!」

 半ば投げやりな気合を入れてベルクはアラインに被さった。とりあえず気道の確保は終わっている。後は二、三発息を吹き込んでやれば目を覚ますだろう。というか二、三発で目覚めてくれなかった場合、こっちが死にたい。

 よーしやんぞ。俺はやんぞ。すっげえ抵抗あるけどやってやんぞ。

「……ベルク?」

「うおおおお危ねえ!!!!」

 鼻先数センチの至近距離で瞼が開き、ベルクは脊髄反射で飛び退いた。そして聞かれてもいないのに必死で「これはお前が息をしていなくて! 他にウェヌスも誰もいなくて!」と言い訳を始める。いや、実際言い訳でもなんでもなく事実なのだが。

「魔物を倒して、それから河に落ちちゃったのか。……なんか思い出してきたよ、ありがとう」

 アラインはのそのそと半身を起こし、疲れ切った顔で俯いた。溺れた後ってしんどいよなあとベルクも幼少時の経験を思い出す。気の毒に。鼻の奥など激痛のはずだ。

「いや、俺の方こそ目を覚ましてくれて助かったぜ」

 まだ心臓が変な動きをしていたが、少し休めば普通に動き回れそうなアラインの様子を見てほっとする。ノーティッツが一生ネタにしてくれそうな壮大な黒歴史はこの世に生まれず済んだようだ。

「どれくらい流されちまったかわかんねえけど、とりあえず河に沿って上流へ向かえばどうにかなるだろ。しばらくよろしく頼むな」

「うん。マハトたちも無事に岸に着いてたら探しに来てくれると思う」

 なんか変わった組み合わせになったなと、装備品を確かめながらベルクは頭の中で呟く。特にアラインが苦手なわけでも気を遣うわけでもないが、いつもの仲間がいないせいか妙に慣れない感じだった。それは向こうも同じらしく、開いた距離からぎこちなさが伝わってくる。やはり伝説の勇者の子孫と言えど、不慣れな相手には緊張するのかもしれない。

(まいっか。どうせこの先も魔王城まで一緒だろうしな。さっさと打ち解けとこ)

 ベルクが笑うとアラインも微笑を返してくれた。その落ち着いた表情を見ていると、「ああ、勇者って普通こういう奴のことを言うんだろうなあ」と思えた。







 クラゲの体からずり落ちて、ベルクが落水したのが見えた。思わず助けに行こうとしたら、今度は大波が押し寄せてきてウェヌスが流されそうになった。

 どちらを守るべきかなど一目瞭然だったので、ノーティッツは迷わずウェヌスの腕を掴んだ。ある程度のことならベルクは放っておいても平気なのだ。平気だとわかっていても平然とはしていられないが。

 新手が襲って来ないうちにと船は猛スピードで岸へ向かった。マハトがアラインを見捨てて行くのかと憤ったが、そっちの勇者は金槌なのかと言うと黙った。既に飛行可能なオーバストが「緊急事態ですよね?」とオロオロしながらふたりを探しに行ってくれている。船を停めて待つまでの対応は必要ない。

 ノーティッツもベルクを心配してはいるが、どうもあの戦士はそれ以上に心配症だ。勇者の国で生まれ育った本物の勇者なら神様の守護もあるし、河に流されたくらいでは死なないだろうと思うのだが。

 マハトはアラインが子供の頃からずっと世話役として側にいるのだと聞いた。長く一緒にいすぎると逆に不安になるのかもしれない。その姿が側にないときは。

(……アホか。何を考えてるんだぼくは)

 旅に出る前は思いもしなかったことを、この頃は考えてしまう。

 女神はあんなにぞっこんだし、どんな魔物相手でも怯むことを知らなくて。

 決して自分を卑下するわけではないけれど、ベルクは自分とスケールが違う気がする。今はまだ相方役に収まっているが、このままではいつかどこかで置いて行かれてしまうんじゃないか。

 杞憂だと思うものの、何故か振り切ることができない。

 ああ、都合良くパワーアップイベントでも起きてくれればいいのに。




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