ふたりの勇者
アラインが水を飲んでしまっていたため、出発は小休憩を挟んでからとなった。上流に向かって歩く途中、すぐ横の森から河から幾度となく魔物たちが襲ってきたが、撃退はさほど難しくなかった。アラインとベルク、ふたりも勇者が揃っているのだから当然だ。……自分の方は勇者と名乗っていいものか、この頃わからなくなりつつあるが。
戦闘が終わるたびアラインは密かに嘆息した。ベルクの戦いぶりと迷いなさに。対クヴァドラート戦でも型破りだなと感じていたが、ともかく彼の剣技はアラインが習ってきたものと質が違いすぎる。ベルクにとって剣は切り裂く、叩きつける、突き刺すといった用途を持つだけの得物ではないらしい。槍投げの槍のように扱うこともあれば、突き刺した後その真上から踏みつけ楔の役目をさせることもあった。それを全部考えてやっているわけではないのが更にすごい。彼は天性の戦闘屋なのだ。しかも戦いの最中に自ら武器を手放すこともある。頭突き、体当たり、背負い投げは当たり前。どんな生態かも知れぬ相手を拳で叩きのめすのに抵抗がないのかと感心させられた。そしてその体術も非常に優れたものだった。
アラインとは身体のバネが違う。ベルクは戦士と武道家両方の長所を併せ持っていて、こんな少人数の戦闘においても魔法を使えないことがハンデになっていなかった。寧ろ最初から呪文に頼らず鍛えたからこそここまでの肉体を得ることができたのだろう。本当に頭が下がる。
焚き火の傍ら、赤く染まったベルクの腕に回復魔法をかけながら、アラインはめげそうになる気持ちをぐっと堪えた。何度同じ苦悩を繰り返せば気が済むのだろう。故郷を旅立ったときよりずっと強くなったはずなのに、今ひとつそれを実感できない、自信が持てない。
バールに勇者らしさが感じられないと言われたから。
クヴァドラートを自分の力で倒せなかったから。
ベルクの方が優れて見えるから。
水門の街でイックスと会えなくて却って良かった。あの完璧な剣士を見たら、今よりもっと落ち込んでいただろう。
「ありがとよ。あー、お前が魔法使えるおかげでマジ助かるわ。ほんと悪ィな」
「別にこれくらい大したことじゃないよ」
「呪文一切駄目な俺からすりゃ大したことだがなぁ。一度でいいからそんな台詞言ってみたいぜ」
お世辞でもなんでもなくベルクは本気でそう言っているようだった。確かに魔法は便利だけれど、回復ばかりしているのでは僧侶と変わらない。自分が目指しているのはそういうサポート要員ではないのだ。
「とりあえず腹減ったし飯にしねえ? だいぶ流されたみてえだしな。合流するまでしばらくかかりそうだ」
「うん……」
腰に提げていた袋から携帯食料を取り出すとベルクは食事の支度を始めた。沸かした湯に顆粒調味料を溶かしてスープにし、薄い干し肉を何枚か炙る。手際良く動くベルクを見ながらアラインは自分が川底に荷物を落としてきたことに気がついた。薬草や水筒が入っていただけで貴重品を紛失したわけではないが、更に気が塞ぐ。ベルクの逞しさと比べていかがなものだろう。
折角準備してくれた食事はあまり喉を通らなかった。腹は空いているはずなのに胃が受けつけない。スープの温かさに鼻の奥がツンと痛む。
「そんだけしか食わねえの?」
アラインの正面でもりもり肉を頬張るベルクに尋ねられ、曖昧な笑みを浮かべた。ベルクはアラインの体調が良くないと受け取ったのか、心配げな眼差しを向けてくる。
「まあ水飲んじまったしなあ。あの鎧剣士と戦ったときも心臓抑えて倒れてたし……」
「……」
単純な気遣いが鋭利なナイフとなって胸を刺す。ベルクが「食わねえともたねえだろ?」と言うので、せめてスープだけでも飲み切ろうとカップを持ち上げた。
「そうそう、腹いっぱいでねえと始まんねえからな! ……って何か俺カーチャンみてえなこと言ってんな」
ぶつぶつ自分に突っ込みながらベルクもズズッとスープを啜る。
「そういやあのときありがとうな」
と、唐突に礼を述べられアラインは「え?」と尋ね返した。
「俺が変な空間に閉じ込められてたとき、お前が神鳥の盾を持っててくれたから助かったってノーティッツに聞いたぜ」
「……ああ」
別に、どういたしまして。そう答えようとしたアラインの喉に言葉が詰まる。
あれは本来イックスが持っているべきものだった。自分が有していたのはたまたまだ。礼を言われることではない。いや、礼など言われてはいけないのだ。
アラインは俯ききつく眉根を寄せた。吐き気がして胃がムカムカする。我が物のように神具を持ち歩いているくせに、その輝きを取り戻すこともできていない。思えば思うほど劣等感に苛まれた。
曇りのないベルクの双眸が目の前にあると思うと何も答えられない。少なくとも嘘で取り繕うことはできなかった。
「あれは僕の力で手に入れたものじゃないから……」
血を吐くような思いで呟くと、ベルクは「ああ、そういやイックスが盾を取ったら黒く濁ったとか言ってたな。んじゃお前がイックスから盾を預かってたってことか」と独り合点する。
「別にこっちで紹介しなくても前から知り合いだったんだな」
「……うん。いきなりパーティからいなくなったからどこ行ったのかと思ってたけど、水門の街に来てたみたいだね」
「ああ、そんでまた急にいなくなったっぽいけどな」
ベルクは何やらイックスに対しグチグチと零していた。どうも彼が魔剣士との戦いを手伝わなかったことに憤慨しているらしい。あんな完璧な人間によく文句が思いつくなと逆に意外だった。それに、イックスがいたらきっと自分やベルクにはほとんど出番など回ってこなかったはずだ。
「ほんっとあんな強いくせして肝心なときにいやがらねえとは!」
「……イックスは強いよね。どうしたらあんなに強くなれるんだろう」
「ん?」
「彼のこと考えると自虐的な気分になるよ。僕なんか勇者に向いてないんじゃないかって――」
そこまで話すつもりはなかったのに、自分で抑え切れなかった。しまったと後悔してももう遅い。
ベルクは見ないふりをしてくれただろうか。
みっともなく俯いたままの自分を。土に滲んだまるい染みを。
「悪い、気にしないでくれ。なんでもないんだ」
格好悪さで頭がいっぱいになり、早く誤魔化さなければと焦った。アラインは目元を拭うと無理矢理笑って顔を上げる。そうしたら驚いた顔のベルクと目線がかち合った。
「向き不向きとかあんの?」
三白眼をきょとんと丸くして彼は聞いた。本当に不思議そうに。
「魔法が得意な勇者とか、剣術が得意な勇者とか、タイプが違うだけだろ? 俺とお前だって全然違うじゃん。目指してんならそのうちなれるって。腕磨くのにマイナス加算なんかねーんだからさ」
「……いや、でも」
「でも?」
「でも……勇者ってもっと……」
迷わなくて、揺らがなくて、利己心なんてなくて、自己犠牲をも厭わない、そんな存在じゃないのか。
かけ離れている。絶望的なほど今の自分と。
「でもなりたいんだろ?」
あんまりあっさりベルクが聞くのでアラインは黙って頷くほかなかった。そうだよと胸の内で叫ぶ。
なりたいよ。勇者になりたい。だけど全然上手くいかなくて苦しいんだ。苦しいのにやめられないんだ。不安しかないのに。希望なんて持てたって一瞬なのに。
「んじゃ平気だろ。辺境の国まで来たんだぜ? ちゃんと前に進んでるよ」
ベルクは対岸の景色を振り仰いで笑う。
薄らと張られた霧の膜の向こう側に、山や森、広大な大地が弓なりに続いていた。見えないくらいずっと先まで。
「あの一番遠いところから来たんだから」
黙ったままベルクの指差す方角を見つめるアラインに彼はニッと笑いかける。不意に左手が伸びてきて、アラインの右手からグローブを奪った。
「年季入ってんな? 剣ダコ何個あるんだ?」
何度も血豆になっては潰れた固い皮膚の表面が露わになり、アラインは戸惑いに声を失くす。
どうしてライバルに励まされているんだろうとか、やっぱりベルクの思う勇者と自分の思う勇者は違うとか、色々なことがまた頭をぐるぐる巡ったが、先程までの閉塞感は不思議と和らいでいた。
「っていうかあんま気にしすぎたらハゲちまうぞ?」
「は……ハゲ!?」
意表を突かれすぎて思わず叫ぶ。ベルクが真顔で「ハゲの勇者なんか決まらねえだろ」と言うのでぽかんとしていると、「そうやって素の顔してた方が気楽じゃね?」となんだかもっともらしいことを言われた。
「焦ったって魔王城は逃げねえんだし――」
台詞の途中でベルクが口を閉ざす。周囲の空気が一変し、魔物の近づいてくる気配に緊張が高まった。
投げ返されたグローブを嵌め直してアラインは背中の剣を握る。茂みの奥から現れたのはハルプシュランゲと呼ばれるミミズと蛇が合体した巨大生物だった。
ふしゅるると生温かい息を吐きながらハルプシュランゲがミミズ頭を左右に振る。蛇頭の方は下方でとぐろを巻いていた。既に何度か見た魔物だが、他の敵よりずば抜けて生命力が高いのが厄介だ。剣に身体を両断されてもミミズ側と蛇側で平然と動き続けるし、焼き払うか細かく切断するしかない。どちらにせよ頭がふたつあるという面倒な怪物なので、ふたりでそれぞれを相手にした方がいいだろうとアラインはベルクを見やった。
「僕が蛇を片付ける! ベルクは……」
ミミズをと続けようとしてアラインはベルクの異変に気がついた。何故か彼は目を丸くして敵のミミズを見つめている。一体どうしたと言うのだろう。さっきも倒した魔物なのに。
「ベルク?」
「うお、悪ィ! 俺がミミズか? そっちは任せたぜ!!」
呼びかけるといつもの彼に戻ったのでアラインはひとまず戦いに集中することにした。
うっかり蛇とミミズを分断してしまうと蛇側の動きが異様に速くなる。あまり剣は使いたくない。やはり魔法で焼き殺すかと炎を放つ準備をした。
アラインは詠唱よりも魔法陣を作る方が好きだ。声の出どころで居場所を悟られたくないし、魔法陣なら自分と離れた場所に描き残すこともできる。
剣で相手の注意を引きつつ魔法を発動させるタイミングを待った。表面のうろこが湿っているため外から焼いても大きな効果がないのだ。
ちろちろと赤い舌を覗かせる蛇は狡猾で、アラインが己の間合いに踏み込んでくるのをじっと待ち構えていた。速さがあるので迂闊に距離を詰めるのは危険だ。
ベルクはベルクでミミズの相手に難儀しているようだった。いつもの彼ならもう何発か叩き込んでいるはずなのに、そんな気配が微塵もない。蛇がミミズに気を取られた隙を狙おうと思ったのに当てが外れてしまった。
どうかしたのかとアラインはベルクが心配になった。敵が出るまではいつも通りの彼に見えたが。苦戦しているなら逆にこちらがベルクのために隙を作ってやらねばならない。
(……行けるか?)
自問しながらアラインは右足に力を籠めた。意を決し、剣を構えて前方に駆ける。ハルプシュランゲは鞭のよう身体をしならせ、空中を蛇行しながらアラインに襲いかかった。
(今だ!!)
蛇の口が大きく開かれた瞬間を狙い、その口内に幾つもの火球を放り込んでやる。まともに火の玉を飲み込んだハルプシュランゲは焼け焦げる肉の痛みに悶絶して暴れ狂った。アラインは剣を持ち直して蛇の喉を縦に切り裂く。鋭い牙がこちらを噛み砕こうと迫ったが、頭を切り落とす方が早かった。
「っよし!」
仕留めたことを確かめた後でアラインは頭を上げる。ベルクはまだミミズ部分と戦っているようだった。手こずるなんて珍しい。
支援のため再び火球の魔法陣を浮かべる。もしかして彼は自分を勇気づけるために、わざととどめを譲ろうとしているのだろうか。気を遣わせすぎたかな、となんだか悪い気がした。
炎はハルプシュランゲの縄状の体を舐め、めらめらと燃え上がらせた。肉体の水分が飛んで元気を失くしたミミズにベルクが飛びかかる。
「……」
魔物が倒れ、地に伏せて、絶命するのを見届けても彼はまだ力を抜かないままだった。声もなく悲痛な面持ちでハルプシュランゲを見つめているので、アラインの息まで詰まってしまう。
本当にどうしたのだろう。戦闘の前あんな話をしていたから、何か悪影響でも及ぼしたのだろうか。
張り詰めた空気にアラインはどきどきと心臓を跳ねさせた。
弱音なんか吐くんじゃなかった。ベルクにまでこんな思い詰めた顔をさせて。アンザーツの血を引いているくせに情けない――。
「びっくりした……。今の敵、カーチャンにそっくりだった……」
アラインは「ん?」とベルクの台詞を反芻した。「カーチャンってなんだ? どういうことだ?」と。
「み……身内に似てるって案外うろたえるんだな。うおおお二度と会いたくねえ! 今の! もう死んだけど!!」
振り返ったベルクと目が合って、時間が止まったような気がした。
隣国の勇者は己の体感したおぞましさを何とかアラインに伝えようと手足をばたつかせている。もう動かないハルプシュランゲのミミズ頭に目を落とし、どう見てもミミズだな、としっかり確認し直し、最後にアラインは掌で口元を覆った。駄目だ、これは堪え切れない。
「あははは、あは、あははははっ、べ、ベルク、あはははは!!!」
涙目で噴き出したアラインにベルクは「ああッ!? てめえ笑うんじゃねえよ!!!」と怒声を浴びせた。
「つーかお前ならノーティッツと違って笑わずに聞いてくれるかなってちょっと期待したのに!!! 言っとくけど俺、割と本気で悲しい気持ちになってんだからな!!?」
「か、悲しい気持ちなの? あははは、いや、ごめ、あはは、あはははは!!」
「だから笑うなっつってんだろうが!!!!!」
あまりにも想定外すぎて、これは兵士の国独自のネタか何かかと疑ったが、ベルクの反応を見るにどうやらジョークの類ではないらしかった。
「勇者のくせに他人を笑うとは……!」
などと言ってアラインの頬を抓ってくるので「だってミミズが母親に似てるとか言い出すから!」と噴き出しても仕方のないことを弁明する。
「ああ、お腹痛い……。久々にこんな笑った。今魔物に襲われたら僕戦えない」
手の甲で目尻を拭い、まだ痛む腹筋を擦る。そんなアラインを不機嫌そうな目で一瞥するとベルクはぽりぽり頭を掻いた。
「ったく、イメージ狂うぜ。俺は本場の勇者ってのはもっと人間味のないヤローかと思ってたのに」
「え?」
「ああ? だって絵本でしか見たことも聞いたこともなかったんだぞ? それが悩んだり笑ったりして、なんつーか……」
少しの間ベルクは唇を突き出し考え込んだ。続く言葉を探そうとしてああでもないこうでもないとうんうん唸る。そうしてやがて言いにくそうに、半ばこちらを睨みつけながら呟いた。
「俺は、お前みたいな奴が勇者で良かったって思ったよ」
胸に生まれたのは安堵か喜びか、それともそれ以外の何かだったのか。
アラインはベルクの言葉を心の奥にそっとしまった。誰の手垢もつけられぬほど深いところに。
自分でも知らないうちに笑っていた。僕もだと泣きそうになりながら口にする。
「僕も、ベルクが嫌な奴じゃなくて良かった」
憎めそうな相手ならきっと憎んでいたに違いない。認めない、排除してやると、渦巻く嫉妬と羨望に負けて。
そうならなくて良かった。自分から「勇者」を踏みにじるような真似をしなくて、本当に良かった。
すっきりした気分でアラインは剣を鞘に戻す。
十分も歩くと腹の虫が鳴り、早々に二度目の休憩を取ることになった。




