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「勇者への道 三日月大陸冒険譚」  作者: けっき
第七話 聖獣ハルピュイアの診断
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禁呪と小覚醒

 面白い。この自分を手にかけようとはイデアールも苛烈なことを考える。ハルムロースはクヴァドラートの切っ先をかわしつつほくそ笑んだ。

 仕掛けてくるならこのタイミングだと思っていたが、睨んだ通りだ。寄越してくるのも十中八九あの甲冑騎士だろうと読んでいた。

 三日月型のこの大陸は、国境にもなっている大きな河を挟んだあちらとこちらで相反する性質を持っている。魔界と辺境の国があるあちら側は魔力を放出し、兵士の国と勇者の国があるこちら側は魔力を吸収するようにできているのだ。そしてその性質は大陸の端に行くほど強くなる。

 神の加護と言われているのがまさにそれだった。勇者の国に弱い魔物しか出ないのは強い魔物もあの土地では力を奪われてしまうから。生命力に満ちた大地は当然作物を豊かに実らせる。そういうからくりなのだ。

 ハルムロースは半人半魔、力を奪われず好きな場所を行き来できる数少ない魔族である。イデアールではそうはいかない。だから彼はああいう特殊な魔物を送り込んできたのだ。有機生命ではない物質を。

「逃げるな」

 真っ黒な刃。古代魔法の力を帯びた呪いの剣が空を裂く。身体には当たらなかったが、周囲の空間が断絶されていくのがわかった。このままではものの数分で亜空間に閉じ込められてしまうだろう。

「何を企む?」

 クヴァドラートは短く尋ねた。企むなどと人聞きの悪い。自分はただこの世界に起きている異変がなんなのか知りたいだけだ。が、真正直に答えてやる義務もない。そんなことよりどうやって彼に反撃したものか、それが考えものだった。

(人に化けるのをやめればもう少しましな呪文を使えますが)

 その案は却下だ。自分はまだ人間ごっこを楽しんでいたい。しかし今扱える魔法の中で魔剣士の鎧を貫けるほど強力なものは思い当たらなかった。普通の魔法は彼には効かない。であれば物理攻撃を仕掛けねばならない。

「答えろ」

 怒気を孕んだ静かな声。イデアールへの忠誠心の高さに思わず嘆息する。命令ひとつでこうまで動いてくれるなら、主君冥利に尽きるだろう。もっとも自分にとっては細かな作業を請け負ってくれるリッペの方が重宝するけれど。

「……」

 いつの間にやら辺りは真っ黒に塗り潰されていた。ところどころの隙間から夕暮れ空が覗いているものの、ほとんど囚われかけていると言っていい。

「リヒト!」

 試しに光の呪文を唱えてみたが、まったく効果がなかった。どころか詠唱の間に剣圧で頬が切れてしまう。

「おやおや……」

 久々の血の臭いに興奮した。指先についた液体をペロリと舐め取ると、ハルムロースは魔剣士を涼やかに一瞥する。

 イデアールはこちらの性格をよくよく見抜いていると言えた。格下相手に自分が人のふりをやめるわけがないとわかっているのだ。

「答えろ」

 再三の催促にハルムロースは無視で返す。そもそも彼に勇者候補が複数いると説明したところでイデアールに報告できるとは思えなかった。せめて十文字以上喋れるようになってから出直してほしい。

 ざしゅ、と今度は肩を斬られて血が噴き出る。避けようにも閉じ込められつつある空間にスペースがないので避けようがない。回復をかける間にもう一撃食らいそうだったので、ハルムロースは癒しのまじないさえ口にしなかった。

(一気に勝負をかけようということでしょうかねえ)

 三つ巴状態に陥っている我々の一角を崩し、ゲシュタルトをも亡き者にしようと。だがそのためにはもっと手を打っておく必要があったのではないか?この程度のハンデでどうにかなるなど、甘く見てもらっては不愉快だ。

「イゾリーレン」

 ハルムロースは隔離の呪文を呟いた。古代魔法は同じ性質を有する亜空間と反発し合い、術を粉々に打ち砕く。

 魔剣士は反動でハルムロースと逆方向へ飛ばされた。かなり勢いがついていたし、舞い戻ってこちらを探すには少々時間を食うだろう。そう予測して細い裏道にトンと降り立つ。


「覗き見とはいいご趣味じゃないですか、ゲシュタルト?」


 にこりと笑むと黒のロングドレスにショールををまとったひとりの女が鬱陶しげにハルムロースを睨み返した。

「……骨まで肩が裂けてるわよ。そんななりでよく余裕ぶっていられるわね」

 冷たく彼女は言い放つ。その口ぶりが楽しくて、ハルムロースはまた笑った。

「痛いという感覚自体が久しぶりで、つい楽しく」

「傷より先にその頭を治した方がいいんじゃない?」

 これくらいなら慣れた軽口だ。今日のゲシュタルトはご機嫌斜めなように見えたが、対応はいつも通りだった。

 我々はイデアールと違って仲がいい。そう思っているのはもしかすると己だけかもしれないが、ハルムロースはこの元僧侶を憎からず思っていた。それはそうだろう、アラインが遠縁の子孫なら彼女は己の曾祖母に当たる。しかしハルムロースはゲシュタルトに血縁関係を伝えてはいなかった。人間時代のことを闇堕ちした彼女が取り合ってくれるとは思えなかったし、秘密は秘密のままにして自分ひとりでわけ知り顔をしていたかったのだ。

 そういうわけでこのときもハルムロースはただの魔王城仲間として会話を続けただけだった。

「今頃イデアールは泡を食ってるところでしょうねえ。クヴァドラートが私を始末した瞬間、あなたを襲撃しようと考えていたに違いありませんから」

「言っておくけど手伝うつもりなんかないわよ? 私もあのお坊ちゃんと同じで、あなたがこそこそ動き回っている理由が何か知りたいだけ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「おやおや、切ないですねえ。あなたが手を貸してくだされば百人力なんですが」

「馬鹿言わないで。巻き添え食らいたくないからそろそろ離れてくれる?」

「ええ勿論。ですがその前に、誰かこちらへ来るようです」

 ハルムロースが振り向いた先には必死で駆けてくるアラインの姿があった。こちらの傷の具合を見て血相を変えているのが面白い。少年というのはなんと純真な生き物であることか。

「私の同行者ですよ。なんでも伝説の勇者の子孫だとか」

「――……」

 瞬間、目に見えてゲシュタルトの表情が曇った。深く眉根に皺を寄せると「気分が悪いわ」と告げて彼女はその場から消えてしまう。

 あの憎しみの目!なんて素晴らしいのだろう。時を越えて衰えぬものはなんであれ美しい。いつか彼女の「理由」も解き明かしてみたいものだ。

「ハルムロースッ!! だ、大丈夫か!?」

 焦り顔で癒しの魔法を唱えてくれるアラインに短く礼を述べ、ハルムロースは眼鏡を上げ直した。

 人化の魔法を解く気分にはまだなれない。だがクヴァドラートを追い払うには少しばかり力が足りない。

 なら選択肢はひとつだろう。ゲシュタルトが手伝ってくれないのなら、彼にお願いすればいい。

「アライン君、少々荒っぽい真似をしますが、嫌わないでくださいね」

「え?」

 ハルムロースはアラインの腕を掴んで引き寄せた。真っ直ぐに彼の青い瞳を見つめ、その内に眠る力を探り当てる。

 選んだのは攻撃強化の呪文でもなく防御強化の呪文でもなく、潜在能力を無理矢理引き出す禁呪だった。勇者なら放っておいても強くなる。そのように宿命づけられている。だったらこれも遅いか早いかの違いしかないのだ。多少肉体に負担を伴うが、構うことはないだろう。

「アン・ヘーレン・アン・エアケーネン・アン・レーゲン・アン・ゼーエン・アン・トヴォルテン……」

 殺意がこちらに近づいてくる。どうやらクヴァドラートに見つかったらしい。

 だがこの距離なら十分だ。


「アオ・フブ・レヒン……!」


 まじないが終わる。ぐにゃりと歪んだ、まだ安定しない魔力がアラインを包んでいる。

 瞬きもできずにいる少年を揺さぶってハルムロースは剣を握らせた。


「さあ、勇者の力を見せて下さい」







 なんだろう、とアラインは夢心地で考えた。

 身体がものすごく軽い。まるで背中に羽でも生えたかのように。

 それにいつもは心許無い魔力が、今は身体の奥からどんどん湧き出てくるようだった。

(敵がいたはずだ)

 何かが迫ってくるのを感じて前を見る。すると先程の魔剣士が剣を振りかざしたところだった。

(受け止められるな)

 何故かそう確信して刃を差し出す。鋭い剣戟の音が響き渡ったが、剣も己も無傷であった。

「……何者だ?」

 騎士に問われたが答えるところまでいかなかった。

 意識は冴えているのに酷くぼうっとしている。ぼうっとしていると自覚したら、急に吐き気を催した。おまけに次は目眩まで襲ってくる。

「名乗れ」

 苛立った敵の声。それすら頭痛を引き起こすのでアラインは剣で薙いだ。

 だがかわされる。相手も家を切り崩すだけのことはある。

 頭の中は緩慢なのに動くスピードはいつもの倍近かった。アンバランスさに更に酔った。

 気分が悪い。早く横になりたい。そう思いながら何発も相手に打ち込む。敵は少し怯んだように見えた。


「彼の名を知りたくば、その手で打ち負かせばいいでしょう。まああなたにそれができるとは思えませんが」


 裏通りの死角からハルムロースの声が響いた。

 ふと見れば賢者は魔剣士の背後を取っている。ずっとこの隙を窺っていたに違いない。

 金属のぶつかり合う激しい音がして、騎士の兜が地に落ちた。どうやらそれはハルムロースの仕込み杖で砕かれたようだった。

(あっ!)

 顔がない。気づいてアラインは目を瞠る。

 鎧の中は空洞だった。濃い闇が内側に広がるだけで、そこにあるべき人の姿はない。今更ながらそういう魔物を相手にしているのだと理解する。

「立ち去りなさい」

 ハルムロースの詠唱の声、そして。

 爆風に煽られたと思ったら、アラインはいつの間にか気を失っていた。

 指先も動かせぬほどの疲労に意識は落ちていく。自分では自分の体にどれくらい負荷がかかっていたのか知りようもなかったが。







 倒壊した民家に気を取られ、振り返ったときにはハルムロースもアラインも見失っていた。崩壊音や聞こえてくる悲鳴で大体の方角なら見当はついたが、ふたりを探し出すには骨が折れそうだった。

 マハトは舌打ちして大通りを駆け抜ける。見知らぬ国の見知らぬ都で人探しなどするものではない。

 瓦礫の山が塞ぐ道を越え、何とかアラインたちのいそうな下町まで辿り着いた。けれどまだふたりの姿は見えない。

(無事でいてくださいよ、アライン様……!)

 そうして再び走り出そうとしたマハトの腕が突然後ろに引っ張られた。

 絡まっていたのはそれほど腕力があるようには見えない女の細腕。何の用だ、急いでるんだと怒鳴ろうとしてマハトは声を失った。見覚えのある女だった。


「ムスケル?」


 震える声で女は先祖の名を呼んだ。紅い瞳がマハトを射竦めその場に磔にさせる。

 試練の森で見た幻とそっくりだった。肌と目の色こそ違ったが、見紛うはずもない美貌が彼女との関連を示している。

 女はしばらくマハトを見つめた後、苦々しい嘲りを含んだ笑みを浮かべた。

「……そう、あなたは生まれ変われたの。未練がなくて羨ましいわ」

 皮肉を言われたらしいのはわかっても、それがどういう意味かまではわからない。あんたは誰だと尋ねようとしてマハトは口を開いた。

 そのときすぐ近くで爆発音がこだました。たちまち広がる煙に巻かれ、ゴホゴホ咳き込んでいるうちに女はいなくなってしまう。


「……」


 今のはなんだったのだろう。どうして自分は曽祖父の名で呼ばれたのだ?

 前にも似たようなことがあった。あれは祈りの街でイックスに呼び止められたときだ。


 ――あ、ごめん。知り合いにそっくりだったから驚いて……。


 落ち着かぬ心臓を宥めるように何度か撫で、マハトは爆発の起きた方へと駆け出した。少し走った通りの向こうに気絶したアラインと、勇者を背負うハルムロースの姿を見つける。

 心配事ばかり増えていく、本当に。




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