魔剣士クヴァドラート
初めて訪れた隣国――兵士の国で、アラインは祖国との違いに驚かされっぱなしだった。
勇者の国では余程の田舎でない限り街道は平らなものだが、こちらは道の真ん中に大きな岩が転がっていたり、池ほどの水溜まりができていたりする。途切れた道が少し先で復活するなんていうのもざらだ。出てくる魔物はひと回り以上身体が大きいし、国民すべてが日常的にこういう敵を相手にしているのなら「兵士の国」を名乗るのも納得だった。
旅の経験豊富なハルムロースが草花の生態から気候風土、文化について語るのを、アラインはいちいち感心しながら聞いた。無知な己を恥じる思いと物知りな賢者への羨望は隠したまま。
異国に足を踏み入れてからアラインの心はまた少しずつ上擦り始めていた。十六歳になる日を待ち焦がれ、やっと勇者としての旅を始めたのに、理想と現実は誤魔化しようもないほどかけ離れている。このままではご先祖様たちに申し訳がない。
今となっては馬鹿みたいだが、自分は旅に出さえすれば万事上手くいくと思い込んでいたようだ。何故ならアンザーツの伝説には勇者としての彼の苦悩など書かれていなかったからである。彼がいかに魔物を退け、いかに魔王を打ち倒したかという行動についてしか書物では触れられていなかった。
(アンザーツも僕みたいに悩んだのかな……)
彼のパーティにいたヒルンヒルトは博識で知られている。ゲシュタルトは神殿という名の温室育ちだし、ムスケルとアンザーツも冒険以前に祖国を出たことはなかったはずだ。最後に迎えた仲間には、やはり実際的な知識を期待していたのだろうか。
(アンザーツにも知らないことやできないことがあったのかな……)
仲間に頼るのは恥ずべきことではない。それはわかっているけれど、自分はちっとも役に立っていないのでないかという不安は拭い切れなかった。
国境を越えてからこっち、進路を決める話し合いでも戦闘でもアラインの影は薄くなっている。道をよく知る人間が先頭を歩いた方がいいに決まっているし、戦いは一番効率の良い方法でさっさと終わらせるべきだ。全体を思えば真っ当な旅をしている確信はあるのだが、いかんせんハルムロースが万能すぎた。三人のときに出来上がりかけていた連携がこの頃崩壊している。
(駄目だ駄目だ、他人のせいにするなんて!)
溜め息が出た。剣も魔法も心構えも未熟な自分。こんな人間、果たして勇者と言えるだろうか。
「浮かない顔っすねぇ」
ぽんと肩を叩かれて顔を上げるとマハトが心配そうにしていた。年上の余裕を感じるのも、憐憫の情を感じるのも悔しくて「そんなことないぞ」と虚勢を張る。
「仕方がありません。責任重大な立場ですから、我々よりずっと憂いも大きいのでしょう」
悩めることはいいことです、とはハルムロースの言。アイテム街でも彼は勇者を讃えてくれたが、今はもう思い返すのも恥ずかしい。どう考えたってアラインより彼の方が強いのに。
「経験を積んで戦いや地理に明るくなれば、不安もなくなりますよ。わたしもそうでしたから」
「ク、クラウディア……!」
僧侶は穏やかに彼のひとり旅時代について打ち明けてくれた。勝てないと見切りをつけて何度も敵前逃亡したこと、一時は逃げる技術しか学ばなかったこと、他人に路銀を分け与えすぎて後で困ったこと、教会を見つけては住み込みの短期バイトを申し込みなんとかやり繰りしたこと――。
「最初は周りの方に助けていただいてばかりでした。魔法や武器を本当に使いこなせるようになったのは、この国で旅を続ける最中でしたね。勇者の国は守られているぶん力が育ちにくいんです」
「それは言えますねえ。強い魔法、珍しい呪法を知りたいなら辺境へ行け、が魔法使いの間でも常識ですから」
「この先は否が応でも強くなるか、さもなくば死ぬだけです。わたしはいつアラインさんに追い抜かれるか戦々恐々としていますよ」
清らかなクラウディアの声でそんな激励を並べられると、少しずつ「そうだ。やらなければ」と浮上してくるから不思議だ。彼の言葉には荒んだ心を癒し、落ち着かせてくれる響きがあった。これも天性の才能なのかもしれない。
「ああ、都が見えてきましたねえ」
ハルムロースが見上げた先を同じように見上げると、平原に遠く霞んで王城のシルエットが浮かび上がっていた。荒く波打つ外海に面した砦。あれが兵士の都。見知らぬ土地に来たのだという実感がまた小さな胸を高鳴らせる。
「行きましょう、アライン様」
同郷の戦士に頷き返し、アラインは足を踏み出した。
あまりうじうじ考え込むのはよそう。心に決めてもすぐ小さなことで悩み出してしまうけれど。
セレモニーでもなければ静かで慎ましい人々が多かった祖国の都と比べ、兵士の都はわいわい騒がしく、民衆は活気に溢れていた。兵士と職人、商売人の多い国だと聞いたことがあるけれど、その気質が街中に染み渡っているようだ。
ごった返しの夕市には威勢の良い女たちが値切りの声を響かせ、少年たちは行儀悪く大股で闊歩する。大半の男が腰に剣を差しているのも見慣れぬ光景で、アラインはぽかんと口を開いた。都というのはもっと格調高く、貴族の馬車がカラカラと車輪を鳴らし、民は奥ゆかしく道の端を歩くものではなかったか。
「帯刀してる連中が多いけど、今日ってなんか特別な日なのか?」
同じように驚いたらしいマハトがクラウディアに尋ねる。僧侶は笑って首を振った。
「いいえ、ここはいつもこんな感じですよ」
いつもこんな感じ。その事実にまた驚き、そして感心する。この国はやはり国民総兵士なのだ。
元気だなあと率直に思った。大人も子供も男も女も活力漲るという言葉がこんなにしっくりくる街はない。アイテム街も商人たちがパワフルだったが、兵士の都の放つ雰囲気にはもっとどっしりした頼もしさを感じさせられた。単にマハト級の筋肉男たちがウヨウヨいたせいかもしれないが。
「あなたの国とはまるで違って新鮮でしょう」
「うん、びっくりした。うちの都は白って感じだけど、こっちは赤茶色って感じだな。なんていうか、こう……強そう?」
素直な感想にハルムロースは笑い声を上げる。雑踏を行き交う人々をかわしながら、アラインたちは宿を探してうろついた。
「お察しの通り、お人好しと心根の強い人間が多いところです。……が、ここでは迂闊に勇者を名乗らない方が賢明ですよ、アライン君」
「え? なんで?」
助言の意味がわからず尋ね返す。隣ではマハトも神妙な顔になっていた。
「この国の人間は勇者の国とアンザーツが好きでないんです」
「え……」
なんで、と。今度は声が喉に詰まった。
勇者の国が好かれない理由も、アンザーツが好かれない理由も、アラインにはさっぱりわからない。だって彼は世界を救った英雄だ。それに、勇者の国と兵士の国は隣同士なのに。
「人間心理というものです。すぐ横に何もしなくとも神様に守ってもらえる国があって、何も思わない人がいると思いますか? 否ですよ。放っておいても畑の作物が育つような国はこの土地の者からすればただただ異常です。たったひとりの勇者がいるだけで、飢えも凍えも知らずにいられるなんて」
ハルムロースの言葉はぐっさり胸を突き刺した。心臓が凍てつき、何を言われているのかわからなくなってくる。混乱しかけた自分を認識することもできなかった。
「あなたが国を出なければ一生知らずにいたことです。良いことですよ、あなたは今勇者に関する別の視点を得たんですから」
賢者らしい物の見方だ。物事には必ず表と裏があり、ひとつの目では真実に到達できぬのだと教えられた気がした。
衝撃は重かった。勇者を受け入れない人間もいるのだと、そんな考えは一度も抱いたことがなかった。生まれ育った国では絶対に有り得ない。
「つまりですね、アラインさん。勇者の国の民がアンザーツを誇りとするのと同様に、この国の方々は神の力に頼らず生きていることを誇りとしているんですよ。国によって尊いとされるものは違って当たり前でしょう?けれどそれが両者を隔ててしまうかと言えば、決してそうではありません。祖国は違っても人は愛し合うことができる、わたしはそう思います」
アラインの動揺を和らげるようクラウディアが付け足した。一瞬瞼を閉じた彼の脳裏に誰の顔があったのか、まだアラインには知る由もなかったが。
「あんまりうちのアライン様をビビらせないでくれよ、先生」
「おやぁ? 私としては親切心で申し上げたつもりでしたが」
「そいつはありがてえけど、ただでさえ余所へ来て緊張してんだから」
「ふふふ、マハトさんは些か過保護気味ですねえ」
場に和やかな空気が流れ始め、アラインは無意識にホッと息を吐いた。疎外されることには慣れていない。あまりおかしな事態にならなければいいのだが。
そう思っていたら見透かした風にハルムロースが笑いかけてきた。
「大丈夫ですよ。ここの人たちはアンザーツを嫌っちゃいますが、その根底にあるのは憎悪ではなく対抗心ですからね。何故か張り合うのが大好きなんです、兵士の国の人間は」
「……そうなのか?」
「ええ、そうなんです」
ハルムロースはもしかして、こちらの気持ちが右往左往する様を見て楽しんでいただけではないだろうか。ふと疑問が湧いてきたが、それは気づかなかったことにした。からかわれただけだなんて面白くない。
「――」
と、往来のど真ん中で急に賢者が立ち止まった。マハトが彼の細い背にぶつかり跳ね返る。何故ハルムロースの方がびくともしないんだと突っ込もうとして空気が変わったのに気がついた。
ピリピリしている。皮膚の表面が痛いくらいに。
(なんだ……?)
周囲を見渡しても先程と変わったところは見受けられない。相変わらず街の人々は明るく楽しげで、日の陰り出した帰り道を皆急ぎ歩いていた。
「まったく一直線な行動しか取れない輩には困ったものです。よくぞこんな街中に現れたものですよ」
ぶつくさとぼやくハルムロースの視線の先には何か黒い影があった。
ぞわ、と背筋が一気に粟立つ。一瞬前にはなかったものが、今はアラインの目にもはっきり映っていた。
誰だあれは。甲冑の騎士?さっきまであんな人間は――。
「殺す」
低く重い囁きの直後、それはこちらへ真っ直ぐ飛んできた。全身を黒鋼の防具で固めた顔もわからぬ大男。振り上げられた長剣は凄まじい速さでハルムロースの心臓を狙う。
「ツィリュク」
聞いたことのない呪文で黒騎士を撥ね退けると賢者は銀の杖を持ち直した。
異常に気づいた人々が甲高い悲鳴を上げる。逃げ出す者もあれば、己の武器を抜き身構える者もいた。
「イデアールの命令ですか。たったひとりの刺客とは、私も案外見くびられたものですねえ」
ドオンという轟音と共にアラインの間近で民家の壁が吹き飛んだ。突如現れた謎の魔剣士の一振りで、瞬く間に家屋がひとつ瓦礫と化す。
いくつもの怒声と絶叫が重なった。崩落に巻き込まれた人を助けるため周囲の男手は一斉に崩れた家へ飛び込んで行く。その中にマハトやクラウディアの姿も見えた。
アラインも手伝おうと身を翻したが、その直後第二波が別の一軒家を襲った。
魔剣士は辺り構わず豪剣を振り回しているらしい。凄まじい剣圧が破壊の風と化しており、このままでは深刻な被害が出るのは明らかだった。
「ハルムロース!」
賢者の名を呼べばちらりと彼が振り返る。
「あれの狙いは私だけです。というわけで私は少しパーティを離れますね」
飄々と告げたかと思うと次の瞬間にはもう賢者は屋根の上だった。
常人とは思えない軽やかなステップでハルムロースは街の中心から遠ざかって行く。魔剣士も彼にぴったりくっついて行った。
(ま、まさかひとりで応戦する気か!?)
アラインは慌ててハルムロースの後を追った。いくら彼が飛び抜けて強い賢者とは言え、あれをひとりで相手するには骨が折れるに決まっている。
がむしゃらにアラインは走った。土地勘もない入り組んだ下町ではハルムロースを見失わないようにするだけで精一杯だった。




