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「勇者への道 三日月大陸冒険譚」  作者: けっき
第三話 旅は道連れ
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押しつけ詐欺に困ったら

 街の外縁をなぞる形で実戦訓練ついでの魔獣駆除を終わらせると、ノーティッツの言っていた通り結構な額の報酬になった。初日の稼ぎだけでウェヌス用の錫杖が買えたので、もう何日か奮闘すれば魔法耐性のある上等なローブなども買ってやれるのでないかと思う。

 そんなわけでベルクは幼馴染とともにウェヌスの装備品を抱えて宿に帰ってきた。十六年生きてきたが、女に何かくれてやるというのは初めてだ。柄にもなく緊張している。

(別にこんなもん普通に渡しゃいいんだけどよ……)

 あの女はなんとなくこちらの調子を狂わせる。いちいち寝ぼけた発言に付き合っているつもりはないのだが。その点はノーティッツも同意見らしく、「やっぱり可愛いからかなあ」などとのたまっていた。女神までストライクゾーンに入るとは恐いもの知らずな男だ。

(まあこの先も一緒に旅するわけだしなー。こっちの調子に合わさせるぐらいの気持ちでいねーとなー)

 ――とかなんとか考えていたら、なんとウェヌスが男連れで戻ってきた。

(だ……っ誰だ!?)

 ベルクとノーティッツは戦慄した。ウェヌスが男を、という時点で面倒事の予感しかしなかったからだ。

 背中まで伸びた銀髪、知識層であることを匂わせる縁なし眼鏡、落ち着いた黒の長衣と文様の編まれた腰布を身にまとい、男はにこやかな微笑を浮かべている。

「初めまして、ハルムロースと申します」

 友好的に握手を求められ、ベルクはハッと白い手を握り返した。おそらくウェヌスがどこかで引っ掛けてきてしまったのだろう。男あしらいができる女では決してない。おまけにすこぶる鈍いのだから。

「あ、ベルクっす」

「どうも、ノーティッツと言います」

 とりあえずごく簡単な挨拶だけ済ませる。一瞬値踏みするような目で見られた気がしたが、それはすぐ笑顔のベールに包み隠された。

 あれか、ウェヌスにひと目惚れしたとかで、俺たちのどちらかを恋人と勘違いしているのか。だとしたらどう誤解を解いてやるべきだろう。

「いやあ、お会いできて光栄です。ベルクさんは勇者としてあちこち巡られる予定と伺いまして」

「へ? ああ、そうすね。まあそのつもりっすけど」

「さぞお強いのでしょうねえ。いやあ、良い筋肉をお持ちです」

「あー、まあ、一応ガキの頃から鍛えてあるんで……」

 ハルムロースは愛想を振り撒いて話しかけてくる。ちらとウェヌスに目をやれば「あなたの勇者としての活動に心打たれたそうですわ!」とこちらは更にご機嫌の様子だった。

「勇者たる者、常に臣民のハートをグッとキャッチしていなければ……! これはあなたの勇者としての資質が花開いてきた確たる証拠で」

「あー、いい、いい。そういうのうぜーからちょっと黙ってろお前」

「う、うざい……!? そ、そうですか。私は良かれと思って言ったのですが……またあなたの迷惑になってしまったのですね……」

「んな落ち込むこたねーだろうが! ほれ、また辛気臭え負のオーラ漂ってんぞ」

「し、辛気臭いっ!? わ、私はただ自らを顧みて反省を」

「いや、今は客の前だから。反省とかは後ですりゃいーから」

 げんなりしながらベルクはハルムロースに向き直る。学者風の男だが所作に隙らしい隙はなかった。手合わせをしたら結構いい勝負ができそうだ。

「ウェヌスさんはご身分のある方とお見受けしておりましたが、随分気さくにお付き合いされているのですねえ」

「んん? いっつもこんな感じだよなあ、ノーティッツ」

「そうだな。こっちもだいぶ慣れちゃったしな」

 身分で言うとベルクもやんごとなき身分であるのだが、こんな城外では初見で王族と見抜いてくれる者などいない。やっぱり俺って王族オーラ皆無なのかと少し落ち込む。

「……なかなか面白いご関係でいらっしゃる」

 ハルムロースは意味ありげに微笑んだ。その表情がなんとなく引っ掛かり、ベルクは瞳を鋭くする。

(なんか油断ならねぇな)

 理由もわからないが本能的にそう感じた。戦う者の勘とでも言うのか、この男を見ていると蛇の蒲焼を鰻だと騙られ担がされかけた子供時代の思い出が甦る。

「で、旅の話を聞きに来たのか? それとも俺らになんか頼みごとでも?」

 銀髪の青年は中指で眼鏡を上げ直した。形の良い唇が「実は……」と低い音を刻む。

「ある魔道書を預かっていただける方を探しているのです」




 ハルムロースが置いていったのは呪われているという曰くつきの「死霊の書」だった。持っているだけで生命力が削り取られるため、誰かに譲渡したいと考えていたそうだ。「活力溢れる勇者に癒しの僧侶ともなれば、易々呪いに傷つけられることもないでしょう!」とはた迷惑な太鼓判を押すと、ベルクでもノーティッツでもなく男は書物をウェヌスに押しつけた。

 人選についてはまず間違いなく確信があったのだと思う。一番断らなさそうな人間が誰か、あの腹黒はしっかり見抜いていたに違いない。人助けをして少しでもベルクに勇者としての箔をつけてもらいたいと願う女神の思いは、あの馬鹿の発する言葉の端々に滲み出ていたのだから。

「ではよろしく頼みますね!」

 楽しげな声でそう言うや否や、ハルムロースは疾風のごとく引き揚げていった。ベルクは「ちょっ待て! こんなもんいるか!」と投げ返してやろうとしたが、ウェヌスは頼りにされたのが余程嬉しかったと見えて「あの方は困っておられたのですよ!!」と決して魔道書を離そうとしなかった。

「うっわ、足はや~! もうあんなとこまで逃げてるよ」

 部屋の窓から身を乗り出しつつノーティッツがぼやく。黒い衣が夕暮れの道を歩み去って行くのがベルクの視界にも映った。金品を掠め取られたわけではないが、これも立派な詐欺行為ではなかろうか。

「ったく……どうすんだよこれ?」

 生命力を吸い取る、などと言われると触れる気にもなれない。ベルクが無理矢理捨ててしまうと思っているのか、ウェヌスは書物を抱え込んだまま涙目になっていた。

「天界の力で呪いを解除できたりしないの?」

 ノーティッツが真面目に尋ねる。成程とベルクは手を打った。そうか、そういう抜け道があったのか。

「そ……それはできますが……」

「あ? なーんだ、そんじゃそうすりゃいいじゃねえか。びびって損したぜ」

 そうだ、腐ってもこの女は女神なのだった。流石に地上の呪いで苦しめられることなどないのだろう。

 ベルクはほっと一息ついたがそれは束の間のことだった。続いてウェヌスが告げたのは、かなり頭の悪い言葉だった。

「ですが私は、あなたと女神としての力は使わないと約束したのです。たとえ呪いに身を削られようとも反故にするわけにはまいりません!」

「――」

 暫し声を失った後、ベルクは久々に、数週間ぶりに、思い切りウェヌスを怒鳴り飛ばした。

「あ、阿呆かーーーー!!!! 命とどっちが大事だあああーーーーーー!!!!!!!」

 ぜえぜえと肩で荒い息を整える。耳を塞いでいたらしいノーティッツは涼しい顔をしていたが、ウェヌスはもう本気で泣きそうになっていた。

「し、仕方がないではないですか! 天界の者は父であるトルム神により強大な力を与えられる代わりに、己の言葉に強く戒められるのです。一度約束したことを破れば、それこそ私は泡と消えてなくなりますわ……!!」

「……は?」

 愕然と、今度こそベルクは言葉を忘れて立ち尽くした。

 女神の力を使うなと、ただの仲間として一緒に来いと、確かに自分はそう言った。だが約束すると誓ったとき、そっちだって何も言わなかったではないか。

「……んだよそれ」

 あれ、と思った。なんだか物凄くショックを受けている。

 どうしてそんな大事なことを黙っていたのだ。女神の力は自由に出し入れできるものではなかったのか。

「ベ、ベルク? 私また何かあなたに不愉快なことを……」

 叱り飛ばしたいくらいだったが、まともな台詞を吐ける自信はなかった。ノーティッツも目を瞠り呆然としている。空気を読めていないのは相変わらずウェヌスだけだった。

「じゃあお前、今は普通の女ってことかよ……」

 後悔?罪悪感?よくわからない感情が喉までせり上がってきて気持ち悪い。

 ベルクは無言でウェヌスの手から魔道書を奪い取った。大馬鹿女神に何と言えばいいのかわからず、そのまま部屋を後にする。

 お気楽そうにしているから大したことじゃないと思っていた。人間で言えば酒や煙草を我慢する程度のことなのだと、勝手に。

(泡と消えるって、なんだそれ……)

 ウェヌスはこの旅が終わるまで女神に戻れないのだろうか。魔王を倒すまでずっと?

(くそ。先に言っとけよ、あの馬鹿……!)







 翌日のベルクはここ数年で一番元気がなかった。きっとまだ衝撃が抜け切っていないのだろう。ノーティッツでさえ落ち込んだのだから、幼馴染はもっと傷ついたはずだ。……まさか呪いのせいで消耗しているのではないと思うが。

「ウェヌスの装備渡しておいたよ。お前のこと気にしてた」

「……んなこと聞いてねえ。今日も魔物退治行くんだろ、さっさと用意しろ」

 ぶすくれていてもノーティッツにはわかってしまう。ベルクの顔は、限度を知らぬ悪戯で誰かに怪我を負わせてしまったときと同じだった。

 昨夜はあれから「ベルクを怒らせてしまいました」と嘆くウェヌスをつきっきりで慰めていた。別に怒ったわけではないと言い聞かせたが、人間の心理に疎い彼女に理解してもらえたかはわからない。

 あいつは責任を感じたんだ。だから後ろめたくて君に顔を向けられなくなったんだよ、と。そう説明しながらノーティッツ自身悲しかった。こんな展開にするつもりではなかったのに。

「今日は教会の手伝いも休んで、なんとか呪いを解く方法がないか考えてみるってさ」

「……」

 ベルクはだんまりを決め込んだ。普段自分の殻に籠るなんて滅多にしない男なので、余程うろたえているのだろう。

(……なんか変な感じだな。こいつが女の子のことで悩むとか)

 こんなときにそんなことを思う自分もきっと十分おかしい。だがそれだけ動転しているのだろう。思考を別のことで埋めていれば少しは冷静になれる。

 精神状態とは裏腹に魔物退治は大いにはかどった。無駄話など一切せず戦闘に明け暮れていれば当然かもしれない。

 懐は温まったがベルクは何の装備も買わなかった。安全な街にウェヌスを残して行くべきかどうか、悩んでいるのかもしれなかった。

「ただいまウェヌス、今戻っ……」

 夕刻、帰り着いた銀柳亭の部屋に入ると、そこには非常に見覚えのある光景が広がっていた。

 きらきらふわふわした浮遊物体。過剰な光沢に侵された床と壁と調度品。

「こ、これは……!?」

 一体何があったのだ、と光の中にウェヌスを探せば彼女は備え付けの椅子にお行儀良く腰掛けていた。その女神の正面には昨日とはまた別の男が坐している。

 ノーティッツが踏み出すより早くベルクが室内へ駆け込んだ。ウェヌスの身を案じているのは間違いなかった。

「おま、女神の力を戻したら泡にって……!!」

「ベルク! 紹介いたしますわ。彼は天界で私と兄に仕えている、世話係のオーバストです!」

「……は?」

 うわぁ……とノーティッツは額を押さえた。冗談ではなく眩暈がした。本当に、この女神のおつむは残念でならない。どうすればそんな斬新な解決方法を見出せるのだろう。

「よくよく考えてみれば呪いを浄化するのは私でなくても良かったんですわ。それに、オーバストもお父様から私の護衛につくよう仰せつかったのですって!」

「勇者ベルク殿、魔導師ノーティッツ殿! お初にお目にかかります。天界の使者、オーバストにございます。どうぞお見知りおきを!」

 オーバストは生真面目かつ実直そうな青年だった。性格も明るそうだし、きっと魔力も強いのだろう。――だが今はそんな美徳、いくつ積み上がっていようが関係ない。ノーティッツはそっと両手で耳を塞いだ。


「帰れええええええーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」


 後日聞いたところによれば、幼馴染の絶叫は街外れまで届いたらしい。

 ウェヌスにはわからなかったのだろう。「天界の力はなしだ」と言われた意味が、本当に本気で。

「帰れと言われましても、私の受けた命令は絶対でして……」

 困り顔でそう主張するオーバストは半ば済し崩し的にベルクのパーティに参入することとなった。力を封じて普通の仲間としてついてきてほしいとは、幼馴染にもノーティッツにももう言えなかった。

 一日分の鬱屈を晴らすべく、ベルクは死霊の書をウェヌスに投げつけたり、きらきらふわふわを蹴散らしたり、半刻ほど暴れていたが、その顔はそれほど怒っているようには見えなかった。事実翌日には、彼は防具屋に立ち寄り、女神のための装備を選んでいたのだ。




 ******




 ――祈りの街からの使者が去り誰もいなくなった謁見の間で、シャインバール二十三世は玉座に凭れ重苦しい溜め息を吐いた。

「はぁ……」

 大僧正ゲシュテーエンは勇者アラインに何も与えず帰したという。あの老婆は気がついているのかもしれない。勇者の家に隠された忌まわしい秘密に。

 何も知らないままアラインを送り出したかった。真っ直ぐに勇者を信じられた子供の頃と同じ気持ちで。

 秘め事は先代国王から伝えられた。ひとりでは到底抱えきれず、何年も悩み抜いて、そうしてアラインの両親を呼び出し打ち明けた。だが結局は何の解決にもならなかった。彼らは絶望に打ちひしがれ、幼いアラインを残し命を絶ったのだ。

「アラインは盾の塔に向かうのだろうな……」

 力なく目を細め、天井を見上げる。描かれた一幕は初代勇者の凱旋だった。

 王国は常に勇者と共にあった。内政も、国防も、勇者ありきで成り立つものだった。

 アラインは志半ばで殺されるかもしれない。あの誠実な若者は。

「そなたが死んだらわしはどうしたらいいんじゃろうな……」

 独白に答える者はいなかった。王宮は無情な沈黙を保っていた。




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