9-8 暗闇の囚人
鈍色の手錠を掛けられ、セラフィムたちの先導で大聖堂へと向かう。近づけば、連なる塔の高さを実感する。陽光を背にしてそびえ立ち、足元へと長い影を伸ばしている。中央に飾られた、教会の象徴であるプレカリオが、まるでこちらを見下ろすかのようにそこにあった。
教徒たちは他のセラフィムたちによって聖域の外に出された。連れられていくタケルたちをちらちらと振り返る者もあったが、それだけだ。傷ついた聖域に背を向け、静かに街に戻っていった。
大聖堂の大扉が開かれる。頂が霞むほどの吹き抜けからは、どういう仕組みなのか、光の筋が差し込んでいる。中央には大階段が真っ直ぐ伸び、上階へと続いている。白と金の装飾で統一された大広間は暖かく、入った者の靴音を幾重にも反響させた。
セラフィムは大広間を抜けず、角にある細い廊下へとタケルたちを誘導した。しばらく進み、最奥にある鉄扉の先へ通される。薄暗く細い階段を下りきると、重苦しい灰色の石煉瓦に囲まれた部屋へと通される。奥には廊下が続き、タケルたちはそちらの方へ追いやられる。
「一人ずつ収容しろ」
「……了解」
先頭のセラフィムが、部屋にいたセラフィムに指示を投げる。懐から鍵束を取り出すと、廊下の小部屋をひとつひとつ解錠した。──地下牢だ。
「くそ、なぜカレン様がこのような場所に──」
物々しい雰囲気に緊張するタケルの背後で、ヴァルターが小さく悪態をつく。だがセラフィムたちはお構いなしにひとりずつ牢へ押し込み、手錠を外し、鉄格子の鍵をかける。鉄格子からは廊下の壁しか見ることができない。湿った石煉瓦に囲まれた牢の中で、タケルはまるで空気を求めるように鉄格子を握った。
「──貴方は、こちらへ」
「……え?」
部屋の方からそんな声が響く。戸惑いの声はカレンのものだ。別の牢から声が上がる。
「おい! どういうことだ⁈ カレン様をどこかへ連れていく気か⁈」
鉄格子を乱暴に扱う音とともに、ヴァルターが叫ぶ。だが、答える者はない。やがて複数の足音が遠くなり、扉が閉じる音が届く。鍵束の金属音と見張りの溜息が響くと、地下牢はしん、と静まり返った。
「何故カレン様だけが連れて行かれるのだ! いや、カレン様が投獄されるのはもってのほかではあるが!」
「黙ってくれないか? 君の声、この場所だと必要以上に響くからさ」
「黙っていられるか! そもそも何故捕まらねばならんのだ! 早くここから出せ!」
「まったく……アルト、ガウリー、いるよね?」
「いるぞ」
「フン」
姿は見えないが、言葉のやり取りは聞こえてくる。どうやらカレンだけは、どこか別の場所へ連れて行かれたようだ。アルトやガウリーも、ひとまずは大人しく従ったらしい。タケルは鉄格子を掴んだまま、牢の中を振り返った。
濡れた石には苔が生え、時折水が滴り落ちる音がする。奥にある錆びた寝台の骨組みには薄いマットが乗っているが、腰を下ろすことさえ抵抗を覚えるほど薄汚い。まるで、聖域という天上から地の底へと突き落とされたようだった。
タケルは恐らく、最奥の牢へと入れられた。廊下は角を曲がる形で続いていたが、暗すぎて細かいことまでは分からない。ヴァルターの声が最も近いので、隣は彼だろう。恐らくその隣はハロディだ。ハロディの隣がアルトとガウリーのどちらかまではわからない。
「──騒ぐな! 沙汰があるまでは拘留だ。大人しくしていろ」
続いていた言い合いを、見張りの声が止める。さすがのヴァルターも黙るほかないと思ったのか、口惜しげな舌打ちとともに騒ぐのを止めた。
「……俺ら、いつまで閉じ込められるんだ?」
「知るか! くそ、大人しく待つだけなど……」
タケルは隣の牢側へ近づき、小さく声を掛ける。壁越しにヴァルターが近づく気配がしたかと思うと、彼は器用に声を潜めながら、再び悪態をつく。タケルは鉄格子を掴んだまま肩を落とし、深い溜息を吐いた。
どれほど時間が経ったか分からない。乏しい明かりしか灯されていない地下牢では、時間の感覚が失われる。ずっと閉じ込められているが故に、とてつもなく長い時間を過ごしたような感覚もあるが、実際のところはそうでもないかもしれない。
とにかく、狭い地下牢でしゃがみ込んだり、うろうろと歩き回っていたタケルの耳に、扉の開閉音が届いた。慌てて鉄格子へと近づき、耳をそばだてる。
「──交代だ」
「了解」
どうやら見張り役が交代するらしい。カレンかと少し期待していたタケルは、首を垂れて落胆する。廊下の向こうから椅子を引く音や身動ぎする音が響き、やがてまた、扉の開閉音が届く。これでまた無限のような時間が続くのかという思いもあるが、カレンのことも心配だ。
歯痒い時間に、募った焦燥が増していく。溜息にも苛立ちが混じる。タケルは壁を探り、どうにか抜け道がないかと視線を走らせた。弱そうな箇所は蹴り付けるが、壁は硬いままだった。
その時、足音がこちらに近づくのが聞こえた。タケルはぴたりと動きを止め、息を潜める。やがて、交代で来たであろうセラフィムがタケルの牢の前に現れた。
深く冠った丈の長いシャペルと、顔周りを覆う鎖布のせいで相貌までは分からない。だが目の前の人物は不思議と、武器を携えていなかった。
「な、何だよ?」
じっとこちらを見据えたまま立つセラフィムに、タケルが思わず声をかける。表情と声音には、戸惑いと緊張が滲んでいた。
「プッ」
突然、セラフィムが小さく吹き出した。その声は、先ほど聞こえて来た声と違って高い。タケルは怪訝そうに眉間の皺を深める。
「嫌だわ。アタシよ」
セラフィムがシャペルを取り外す。顔を覆っていた鎖布の下から、レトロブラウンの巻き髪が現れた。露わになった瞳はカーマイン。覚えのありすぎる顔だったが、にわかに信じることが出来ない。
「リ、リリー……⁈」
「正解」
「何だと⁈」
タケルが恐る恐る問いかけると、セラフィムに扮したリリーはウインクを返してみせた。やりとりを聞いていたであろうヴァルターから驚きの声が上がる。リリーは肩を揺らして笑った。
「揃いも揃って情けないわねぇ。こんな湿っぽいところに閉じ込められちゃって」
「……一体君、どうやってここに?」
正体を現したリリーは、サーコートや外套を脱ぎ捨てた。細々とした籠手などもぞんざいに地面に放っていく。そうして中に着ていたシャツとホーズ、ブーツ姿になると、見慣れたリリーの姿となる。
「ああ息苦しかった。お告げを聴いてたら急にモルが現れるわ、倒したアナタたちは捕まるわ……これってどういうことなわけ?」
「それはこっちが聞きたいよ。……ていうか、質問に答えてないぞ」
ハロディの疲れ切った声が聞こえてくる。どうやらリリーは、お告げの時、教徒たちに紛れていたらしい。
「セラフィムをひとり捕まえて、眠ってもらって装備を拝借したまでよ」
リリーはそう言って得意げに顎を持ち上げる。その手には鍵束があり、彼女は指先でそれを弄んだ。金属音が壁に反響する。
「怪しい……」
「あら、そんなこと言うのね。せっかく助けてあげようと思ったのに」
「待て、さっさとここから出せ! カレン様がどこかへ連れて行かれたのだ!」
タケルが目を細めて思わず呟くと、リリーはあからさまに眉尻を下げて残念そうな顔をした。すかさずヴァルターが口調を強めて訴える。
実際リリーの登場は不可解だった。もともとどんな用事でアルビオンに来ていたのかも知らない。そして、警備の厳しそうな大聖堂にすんなりと忍び込めている。彼女は情報屋の仕事だと言っていたが、それにしては芸達者過ぎる。
リリーは試すような笑みを浮かべ、タケルの目前で鍵束を揺らして見せた。すると、隣の牢からヴァルターが切羽詰まった声を上げる。リリーは廊下をゆっくりと歩きながら、全ての牢が見渡せる位置まで移動した。
「まさか……金取る気じゃ……」
ハロディが呆れたように呟く。リリーは腕を組んで眉根を寄せた。
「そんな意地悪しないわよ。アナタたちがこうしてあっちの気を引いてくれたおかげで、こっちも動きやすかったしね」
「なら何でもいいからさっさと開けろ! 誰か来るかもしれないだろう」
「リリー、頼むよ。疑ってごめん、助かった」
とにかく焦燥が隠せないヴァルターに続き、タケルが鉄格子を掴みながら下手に出る。リリーは満足そうな笑みを浮かべ、タケルの牢へと近づいた。
「はいはい。まったくせっかちなんだから」
リリーはタケルの牢から順に解錠した。廊下に出ても湿気と空気の淀みは変わらないが、ようやく呼吸が戻ったような開放感に襲われる。ガウリーの牢を開ける際に少しの問答があったようだが、ひとまず五人は解放された。
「ああ、息苦しかった。──ガウリー、魔法使うの堪えてくれて助かった」
「暴れまわっても悪評が重なるだけだからな」
「ほんとに、君は意外と冷静だよね」
ハロディがガウリーを労うと、ガウリーはぶっきらぼうに答えて外方を向く。そんな会話を交わしながら待機所へと向かう。確かに武器を奪われてしまった手前、抵抗出来るのは魔法を使えるガウリーくらいだった。彼は空気を読み、黙って成り行きに身を任せていたらしい。
果たして、タケルたちの武器は待機所の隅にまとめられていた。近場にあったことに安堵しながらそれぞれ装備し直す。だが、問題はここからだ。
「さて、ここからどうする? 素直に脱出したとて、大聖堂内だ。セラフィムの警備があるだろうし、あんな開放的な空間で身を潜めるのは難しいよ。リリーのような手が使えるわけでもないし、いつ別のセラフィムがここに来るかも分からない」
「おい! 脱出もそうだが、まずはカレン様だろう! 一体どこへ連れて行かれてしまわれたのか……何とかして探し出し、救出して差し上げなければ」
ハロディを中心に、脱出の糸口を話し合う。しかし妙案は浮かばない。大聖堂内に詳しいものはおらず、五人が揃って隠密に行動するのは至難の業。単独のリリーと違って難易度は跳ね上がる。
「カレンちゃんがどこへ連れて行かれたのか、心当たりは全く無いの?」
「皆目見当もつかないよ。先に僕らが牢に入れられて、その間にセラフィムに連れて行かれたようだから」
「……一度ここまでは通したのね? それって妙じゃなくて?」
部屋の隅で壁に寄りかかり、タケルたちの話し合いを聞いていたリリーが疑問を呈した。確かにそうだ。五人は顔を見合わせた。
「カレン様の正体に気づいた何者かが、後から指示を出したのか?」
「──そうとも考えられるし、一度ここまでは通す必要があったのかもしれない。何にしても不可解ではあるね」
ヴァルターとハロディが頭を捻る。アルトとガウリーは、武器を取り戻すとリリーから距離を取り、部屋の隅で壁に背を預けたまま話し合いを任せている。女性が苦手なアルトはわずかに居心地が悪そうで、ガウリーは眉間に苛立ちを乗せていた。
「指示があったってことは、命令できるような人間が、カレンを連れて行ったってことか?」
タケルが疑問を投げかけると、ヴァルターとハロディはかすかに目を瞠る。
「……そうだね。つまり、位の高い人間のもとに連れて行かれた可能性は高い」
「大聖堂には確か……白冠大司教と、その上に五芒聖とかいう存在がいるんだったな」
「うん。恐らく五芒聖は、お告げの時にルーメルを囲んでた五人だと思う」
推察は進むが、肝心な脱出方法の案は浮かばない。出来れば長居もしたくない。迅速に次の行動に出て、カレンを見つけて脱出したい。だが逃亡者となれば、道標に関する情報を得る機会も失われてしまう。湿った地下で、話し合いは平行線を辿った。
「──セラフィムを直接束ねているのは、五芒聖のひとり……ルーファス・ヴァレンティンという人物よ。セラフィムには他国の騎士や兵士と違って、位による上下関係は無いの。つまり、騎士団長とか兵長とか、セラフィム全体を束ねる立場にあるセラフィムがいないってこと。その人物に当たってみたら?」
リリーがおもむろに情報を開示した。すんなりと情報を明け渡す彼女に驚いた五人の瞳が、微笑みを湛える相貌に集中する。リリーは肩を竦め、小さく笑った。
「ま、当たってみたら? と言っても……まずはここから出ないとだけどね」
話が振り出しに戻り、それぞれが落胆に肩を落とす。もう強行突破しかないかとタケルが発言しようとした時、ふと、閃くことがあった。
「あ!」
タケルは牢が並ぶ廊下の奥を振り返った。視線の先は洞穴のように暗く、わずかな灯火が石煉瓦の輪郭を照らすだけ。だが、タケルはその先があるのを思い出したのだ。
「あのさ、廊下の奥が続いてるみたいなんだけど……もしかしたら、あそこから抜け出せないか?」
廊下の奥を指差し、仲間たちを振り返る。だがその表情は芳しくない。意外な反応にタケルは首を傾げたが、次の言葉で納得した。
「大聖堂とか城みたいな場所では、地下牢に通じる出入り口は普通ひとつしか設けない。例外はあるけど……例えばアルマの地下牢には、実は秘密の水路に続く隠し通路があるらしい。でもその行き先はロワーサイドだ。つまり、どこかに繋がっているとしても大聖堂内ってことはないだろう。大聖堂から出てしまったら、改めて侵入するのは難しくなる。カレン様を探すなら、悪手になりかねないよ」
ハロディの意見にヴァルターが頷く。今侵入できてしまっている状況を利用してカレンを探すなら、確かに街へ脱出するのは悪手だ。
「──見るだけ見てみたら? 後悔するかもしれないけれど」
会話が途切れると、リリーが廊下の奥を横目に意味深な提案をする。五人は顔を見合わせ、奥を覗き込む。
奥からは流れる風もなく、音もない。ただ、廊下が突き当たりで折れているだけだ。深淵を思わせる未知の先に、タケルは固唾を呑む。
見てみるだけ。どう繋がっているのか確認するだけだ。そうすればもしかしたら、いくらかの希望があるかもしれない。タケルはひとつ深呼吸をすると、暗がりに一歩踏み出した。
期待はしていない。それでも、足音を鳴らさぬよう爪先だけで廊下を進む。少し距離を置き、ハロディたちもタケルに続く。
タケルは目を凝らしながら慎重に足を進めた。廊下の半ばまで進んだ時、視界に変化が起こる。思わず足が止まると、後続の仲間たちもそれに倣う。
微かな足音が奥から近づいてくるのが聞こえた。同時に、ぼんやりとした灯火が揺れながらこちらにやって来る。タケルが思わず故郷に伝わる「人魂」を連想して身震いした時、灯火が声を発した。
「あの……あなたたちは……もしかして、先ほど捕まった方ですか?」
声が近づくにつれ、姿がぼんやりと浮かび上がっていく。タケルはその正体に目を見開いた。
「え、あんたもしかして……」
「ル、ルーメル⁈」
タケルの背後でハロディが素っ頓狂な声を上げ、タケルの肩が反射的に跳ねる。胸を撫で下ろしながら改めて前方を見ると、確かにそれは、ランタンを携えたルーメルその人だった。
仰々しい服装や装飾を取り外した姿は、一見すると普通の少年だった。白に近い金髪と青白い肌──近づいて初めて分かる、琥珀色の瞳。白いローブを纏っているが、いくらか動きやすそうな簡易的な服装だ。少年は静かに頷くと、ランタンを持ち上げた。
「確かに、僕はルーメルです。──先ほどは、異形から街の人々を守っていただき……ありがとうございました」
ルーメルはそう言って頭を下げた。タケルたちは視線を交わす。誰もが、突然の事態に困惑の表情を浮かべていた。
「なんで、こんなところに……?」
無知なタケルでも、教会の象徴である人物がこんな地下にいることの不可解さは分かる。呆けたように尋ねると、ルーメルは小さく笑みを浮かべ、タケルを見上げた。
「先日、夢を見たのです。僕は夢の中で、暗い場所に閉じ込められた光の粒を、空に放って逃しました。何の夢か……その時は分かりませんでした。でもあなたたちが捕まってしまった時、このことかと気づいたのです」
その声はお告げをもたらした時と同様に、唄うようだった。暗い地下牢には不似合いな、灯火のような声だ。
「僕はあなたたちが、異端者とは思えません。このような事態となってしまったことをどうかお許しください。僕からあなたたちの弁明をしたいと思うのですが……きっと聞き入れてもらえません。ですからこうして、暗い場所から放すためにやってまいりました。しかし……」
ルーメルはタケルたちを見渡し、小さく首を傾げる。
「……牢に入れられていたわけではなかったのですね?」
「あっ、いや……それは、その……」
タケルは思わず背後のリリーを振り返った。しかし彼女は腕を組み、目を伏せて視線を逸らしている。我関せずといった様子に、言葉が詰まる。
「その話はいったん置いといて……君はどこからここまでやって来たんだい? もしかして、この奥って大聖堂のどこかと繋がってたりするのかな?」
ハロディが強引に誤魔化すと、ルーメルは訝しむ素振りもなく微笑み、小さく頷く。
「この先を降りた廊下の先に、秘密の地下道があるのです。大聖堂の中庭と、エルディア教会を繋いでいて──僕はたまに、先生たちの目を盗んで街の教会で教徒のみなさまのお声を聞いていたのです。……ですから今回のお詫びに、僕が街までお送りいたします」
ルーメルが背後にランタンを照らしながら説明する。秘密の地下道なる存在の意外性に面食らいつつ、タケルはつい先刻、ハロディが話していた「アルマの地下水路」のことを思い浮かべる。どういうわけか知らないが、地下道の存在はそんなにも当然のように存在するものなのかと、ほんの少し動揺する。我に返って首を振ると、タケルは先導しようと足を踏み出したルーメルを引き止めた。
「ま、待ってくれ。カレンだけ、どこかへ連れて行かれちまったんだ。多分大聖堂の中にいて、だから、探さないと」
「──そうなのですか? 誰に連れて行かれたんだろう……僕には見当もつきません」
足を止めたルーメルは眉尻を下げ、顎に手を添えて俯く。彼の言動からして、アルビオンの象徴という立場にありながら、何も知らない子供のような印象を受ける。抜け道を使って街の教会へ行くというのも、大人の目を盗んで遊びに出かける子供そのものだ。”神の器”からはかけ離れていて、それが何とも不自然だった。
一方で、彼は不思議な夢の話をした。自分の見た夢を信じ、タケルたちを助けるために行動を起こしている。お告げの言葉を紡いだ口上も神秘的で、特別な力を持っているようにも見える。
「五芒聖という存在の誰かの指示かもしれないんだ。特にルーファスっていう、セラフィムを束ねてる人? だから、街じゃなくて大聖堂の方の入り口へ案内してくれないかな? もし五芒聖の居場所に心当たりがあったら教えて欲しい」
「五芒聖……ルーファス先生ですか? ──先生たちのお部屋なら、それぞれの塔のてっぺんにありますよ。でも、そこまで案内出来るかなぁ?」
タケルは違和感を覚える。お告げの時の祭壇では、教徒たちはもちろん、ルーメルを囲む五人の人物たちも彼を敬う仕草を見せていた。あの五人が五芒聖なのだとしたら、ルーメルが彼らを「先生」と呼ぶのは妙に思う。だがそれを聞いている場合ではない。まずはカレンを探すのが先だ。
「君が我々を最後まで案内してしまったら、君に迷惑がかかるかもしれない。大聖堂の中庭とやらに繋がる入り口まで案内してくれればそれでいい。──後のことは、こちらで何とかする」
ヴァルターがそう言いながら、難しい表情を浮かべている。後のことは何とかする、という希望が叶うかどうかは全くの未知だ。だが、背に腹は代えられない。
「──わかりました。それがあなたたちの助けになるのですね。……では、こちらへ」
今度こそルーメルは踵を返した。タケルたちは一列に並んで彼の後に続く。先頭のタケルが振り返れば、列の中央にはちゃっかり、リリーの姿があった。目が合うと、気づいたリリーはウィンクを飛ばす。思わず躓いたタケルに向けて、ヴァルターから小言が飛んだ。
狭い階段をしばらく降りると、左手に見える通路に出る。通路は数歩進むと左に折れており、その先は分からない。
ルーメルが曲がり角に差し掛かろうとした時、見えない先から物音が鳴った。激しい鉄格子の音と足音、金属音が連続する。誰かが向こう側から入って来たようだ。一人ではない。
「シッ! すみません、ここを曲がった先が地下道なのですが……僕はこちら側へ来たのが初めてなんです。捕まった人を閉じ込めておく場所だとしか聞いてなくて……いろいろ探したんですが、先ほど来た時は誰もいませんでした。誰が来たんだろう?」
ルーメルは人差し指を口元に当てて振り返り、声を潜めてそう言った。タケルたちは暗がりの中で息を呑み、視線を交わす。もしこちらに向かって来るようなら、密かに牢まで戻り、元の状態を再現しなければならない。最悪、新たな見張りが来れば挟み撃ちだ。
だが足音は近づいてくる様子がなかった。代わりに怒声が反響し、肩を跳ねさせたタケルは、漏れそうになった声を、咄嗟に口を押さえて堪える。
「──誰が勝手な真似をしていいと言った⁈ 自分の能力を傲った結果か⁈ お前は私の指示に従っていればいいのだと、あの時散々思い知らせてやったはずだ!」
タケルたちは壁に張り付き、耳を澄ませて様子を窺う。怒声とともに激しい音が鳴り、暗い地下の不気味さがいっそう深まる。
「……お前の沙汰は後だ。ただし──覚悟しておくことだな」
鉄格子の音が響き、足音が遠ざかっていく。扉の開閉音とともにそれが消えると、今度は誰かが咳き込む音がした。
「あの声は……グレゴール先生?」
「グレゴール先生って……」
ルーメルの呟きに、タケルが思わず声を漏らす。”グレゴール”──ジューから出て来た名前だ。その人物からの紹介という名目で、タケルとカレン、ヴァルターは秘密の夜会に参加した。
「とにかく、行ったみたいなら様子を見ながら移動しよう。牢が空になってるのがいつ見つかるかもわからないし」
背後からハロディに急かされ、再びルーメルを先頭にして角を曲がる。その先は、真っ直ぐ伸びた通路だった。突き当たりはまた曲がり角になっているらしい。通路の右手には鉄格子がいくつか並んでいたが、通りがかりに中を覗くと、牢とは違って妙な器具が並んでいる。タケルには何のためのものかは分からない。だが器具のいくつかには鋭利な棘があり、壁には何本か鎖が垂れている。尋常な用途の部屋ではないことは確かだった。
忍び足で通路を進み、四つめの鉄格子にたどり着いたところでルーメルの足が止まった。彼は格子の中をそっと覗き込む。タケルがその頭の上から同じように中を窺うと、明かり一つ置かれていない内部で、蠢く影を見た。
ランタンの明かりか、人の気配か。蠢く影はタケルたちの存在に気づき、億劫そうに顔を持ち上げた。
「…………ハッ、何だ、あんたらかよ」
その声には覚えがあった。ルーメルがランタンを照らせば、その正体が浮かび上がる。白いシャツに濃いブラウンのベスト、細身のホーズに革靴、緩く巻いた黒い短髪──青い瞳。
「──……ジュー」
壁の鎖に片手を繋がれ、その場に座り込んだその人物は──あの、妙な店の店主、ジューだった。




