6-5 問いの行方
硬化した鬣のようなものを首に纏わり付かせた、馬に似た異形が野を駆ける。小川の水に首を落とすのは、角や耳が伸びた鹿のような異形。小動物の兎ですら、何枚もの耳を立たせて周囲を警戒している。他にも、タケル以外のノヴァの人間でさえ初めて見る形状の生物が、広大な大地で日差しを浴びている。
確かに、通常の野生動物とは異なった姿をした”異形”だった。だがこれまで見てきた突然変異的なものとは違い、あたかも初めからそのような生命であるかのように、野に出て”生活”しているようにも見える。異形である筈なのに違和感の置き場が見当たらない。まるで、どこかに眠っていた古代の生き物が一斉に蘇ったと錯覚するほど、そこに在ることが自然に感じられるのだ。
先刻対峙した火を吐く狼のように、冷気を漂わせる個体や風を纏って舞うように移動する個体も確認出来る。だがタケルたちには、呆気に取られながらもそれらを観察する余裕は無かった。
「ドーブツ、たくさん」
「普通のドーブツじゃないんだよネリ! だから頭引っ込めてどっか掴まって!」
御者台の脇から顔を出して感嘆の声を漏らすネリに、手綱を握ったハロディの声が飛ぶ。彼らは今、森を抜けた時同様に馬を走らせ、街道を逃げるように駆けていた。
アルトが先頭を走り、襲い掛かろうとする異形を刀で弾く。いつもはアルトが座している幌の上ではタケルが弓を構え、あからさまに馬車に向かって突進する異形を射る。まるで理由もなく馬車に追いすがる異形には、荷台の後部で後方を牽制するガウリーの魔法が飛ぶ。街道を塞ぐものは無かったが、獲物と見れば突進する──そのような習性があるのか、馬車に向かってくる個体が絶えないのだ。
「ずっと馬を走らせるのも不可能だ! どこか休めるような場所があればいいが」
「こうなっちゃうと、一度通った道だってどうなってるか分からないよ。安全そうな場所があったら、とりあえずそこで足を休めて警戒体制とるしかない!」
ヴァルターとハロディが、荒々しい車輪の音に紛れて叫ぶように意見を出し合う。それを聞いたタケルは、弓を構えながら安全地帯を探そうと、周囲に目を走らせる。
街道の先、遠い丘の麓あたりで馬車を引き返す行商の集団らしき姿が小さく見える。ここまでの道のりですれ違う者が無かったのは、この光景が原因だったのかもしれない。いつから”こう”だったのか──? まさかあの大穴から吹き出した靄が原因なのでは? タケルの鼓動が重く鳴り、頭を振って誤魔化しながら矢を放つ。放つ度に胸の重みが少しずつ減るような気さえした。
馬車が小さな丘を一つ越え、馬の息が荒くなった頃。行く手の先で行商たちが身を寄せる姿が目に入る。向こうはタケルたちの馬車を見つけると、揃って大きく手招きをし始めた。近づくにつれて呼び声も届く。
「ようし、ハヤテ! あとちょっと頑張ってくれよ」
ハロディが励ますと、馬は応えるように嘶く。程なくして飛び込んだのは、往路でも馬を休めるのに使った防衛壁跡だ。折れた石柱、ほとんど崩れたアーチ、かろうじて残された壁の跡──その陰に荷車を停め、昼食を摂った。あの時は馬車もなく、ヴァルターが荷車を引いていた。道すがら行商人たちを異形から助け、その報酬を受け取りながら進んでいた時だった。
疎らに残された石畳に上がった瞬間、ガウリーが後方に向かって杖を振る。横凪の動作に呼応し、後方で足止めをするように大地が連続的に隆起し、驚いた異形が踵を返して逃げていく。辺りに気配が無くなると、その隆起は砂となって空気中に消え去った。
「あんたら、ひとまずここなら安全だ!」
手招きしていた年嵩の男が、柱の陰にタケルたちを誘導する。その付近にある壁沿いには、同じく行商姿の男が数名と、彼らが使っていただろう馬車が待機していた。
「ありがとう。──ここなら安全っていうのは?」
馬車をそちらに寄せながら、ハロディが行商に問いかける。行商は石柱を軽く叩き、ゆっくりと撫でた。
「アルシオン王のお達しでな。もし道中に危険があれば、要塞跡に身を寄せろってのがあったんだ。かつての建築過程が本当なら、各要塞には魔除けの効果が仕掛けられている筈だ、ってな。──眉唾だとは思ったんだが、実際、ここに近づく奴らはいない」
「……ああ──なるほど、そういえば」
ハロディに倣い、タケルたちも周囲を見渡す。確かにあれだけ興味深そうに馬車に近づいて来た異形たちは、離れたきりこちらに見向きもしていない。
「だが、関所では──」
ヴァルターが口を開くが、ハロディが手を翳して制止した。そして行商に聞こえないよう、振り返って声を潜める。
「あの巨大モルが規格外だったのかも知れないし、あっちの関所はアンスール製。こっちのとは造りが違うのかも」
「……そ、そうか」
どうやら、現状以上のことは行商に伝えたくはないらしい。それを察したヴァルターは短く応え、咳払いをした。
「俺ら行商や旅人もそうだが、今、街から出る者には集団行動が推奨されてんだ。……でもこの分だと、義務付けられそうな気もするな。ここまで酷い状態の場所は見たことがねぇ」
「まるで別世界だ……アンスールの方なら多少は安全かと思ったんだが、まさかこんなことになってるなんて思いもしなかったぜ」
行商は口々に言い合う。ハロディやヴァルターは上手くその会話に混じり、アルマ方面の情報を聞き出す。しかし二人が小細工を交えずとも、行商たちは寧ろ話し足りないとでもいうように饒舌に見聞きしたことを語った。
彼らの話を聞くと、エレヴァン周辺の状況が最も深刻そうであった。海には見たこともない海洋生物が現れ、それによって船が襲撃を受ける被害が相次いでいるらしい。輸送船や移動船の類を襲う海賊も形を潜め、港の賑わいは静まり返っているという。他大陸との貿易も滞っている状況で、喫緊で求められているのは南大陸への陸路だということだった。
「船を出そうにも沖には行けねぇから、元々陸伝いの海路がさらに狭まって、大型船の移動が難しいんだってよ。護衛兵を乗せたところで、海から襲ってくる怪物には無力ってなもんでさ。今更ながら、キャスターの力が求められてる。魔道具なんかもバカ売れだよ」
「アーミル家は早速、キャスターに募集かけてるよ。報酬もたんまりかけて、新事業立ち上げに乗り出そうとしてる。まったくあそこのお坊ちゃんは、親父さんと違って商売人さ」
「陸でも変な化物に襲われる被害が多発してるんだ。エレヴァンからアルマの街道付近にはアルシオン王が騎士を派遣して対処してくれてるみてぇだが、医者や教会は大忙しよ。俺らはオーカーンの需要が増えると見て、比較的安全そうな北の採掘場に行こうって話をしてたんだ」
次々に開示される状況に、眉尻を下げたカレンがヴァルターと顔を見合わせる。海の混乱は彼らにとっては死活問題だ。そんな二人の背後でアルトやガウリーが静かに耳をそば立て、ネリが訳もわからず馬車内から顔を覗かせる。タケルは幌の上で、知らず弓を握る手に力を込めていた。
「──これは……しばらく各国で混乱が続きそうだな。クラルス地方はまだ平和そうだったけど、それも時間の問題なのかも」
ハロディが顎を摘んで眉根を寄せる。ヴァルターは端に設けられた水屋に馬を引き連れ、ひとまず水を飲ませて休ませた。
「各国協議も止むを得ないと思うけど、僕の知る限り……ここ最近は協力してるところなんか見聞きしたことないからなぁ」
「そんな事を言っている場合か。大元がアンスール王国ならば、あのオルヴェイン王が指揮を執るのでは?」
「そりゃそうなんだろうけど……」
手綱を握りながら眉を顰めるヴァルターだったが、ハロディはそれでも思案顔だった。北国出身のヴァルターには知り得ない事情がありそうだったが、思い返せばオルヴェイン王はアルマのアルシオン王を若輩と言っていた。元はアンスール王国のみだったこの西大陸が複数の国に分かれている現状も鑑みると、根深いものがありそうだ。
「あんたら、アンスールの方から来たのか? どうなんだ、あっちもやばいのか?」
「国周辺はそんな事なかったけど、ここら辺の丘陵地帯を抜けられないなら君らは引き返すべきだと思うよ。僕らもアルマを目指してるところだし、リューデまでなら同行できる。人数は多い方がいいだろう?」
「そ、そうなのか……こりゃ、商売の方法をごっそり改めなきゃならねぇな」
「しかし一体、なんでこんなことになっちまったんだ? これは、他大陸でも起こってることなのか?」
こんな時でも商売の事を考えるのは流石というべきだが、彼らにも生活がかかっている。しかし図太く策を練る一方では、困惑と戸惑いを隠せないようだった。
”何故こうなったのか”──その言葉が出る度に、タケルは自分の鼓動が乱れる音を聞く。”自分には関係の無いこと”と、そう思いたくとも叶わない。誰よりも自分自身が”異変の原因が自分にある”と、脳の奥底で思ってしまっている。何故ならタケル自身、このノヴァという大地に降り立ってしまった理由が分からないからだ。
そして、行商の問いに答えられるものはこの場に誰も居なかった。行商も答えを求めてはおらず、会話は先に進んでいく。取り残されたタケルはのろのろと幌から降り、カレンとネリの居る馬車の中へと潜り込んだ。
「──大丈夫? 具合、悪い?」
蒼白とも言えるタケルの顔色を見て、ネリが控えめに声を掛ける。片隅に背を押しつけるようにして座ったタケルは、その翠の瞳を見上げ、視線を落とした。
ネリがリムで自らと葛藤していた時、タケルは彼女をどうにか励まそうとした。そして彼女が楽になるならばと、リムから逃げる選択肢に賛同した。それはひとえに、自分にも逃げ出したいと思った過去があり、助けられた経験があるからだった。
だが、実際に彼女の意思を引き出したのはガウリーで、手を差し伸べたのはカレンだった。自分はネリの苦しみに共感していたかのように見せて、本当の意味で寄り添っていなかったのかもしれないと唐突に思う。
気遣わしげなネリの眼差しは、タケルの置かれている状況を知らないものだ。タケルは目の前の彼女が少し前の自分を見るようで、心苦しさに胸を押さえた。
「……ごめん、俺──」
「大丈夫?」
身を窄めるタケルに、ネリが四つん這いで近寄る。その声には、タケルの体調を本気で案じている色が見える。それが暖かくも辛いことに気づき、頭を振って視線を上げる。
「こないだは”自分で考える”って言ったのに。……なあ、あの化物だらけの状態がさ、俺のせいだって言ったら、あんた……どう思う?」
「タケル様……」
タケルは答えを聞くのを恐れながらも、ネリにそう問いかけた。様子を窺っていたカレンが思わず声を漏らす。ネリは奇しくも、規模は違うがタケルと同じ状況にあった女性だ。理由も分からず狙われ、そんな彼女を守ろうとするパゴニや、リムの人間を守ろうとするシャイネンへ被害が向くことに──そして何より、そんな状況で何も出来ない自分に苦しんでいた。
苦渋に耐えるようなタケルの眼差しに、ネリは軽く目を瞠った。そして、瞼をそっと緩める。ネリは静かな声で、一言だけ応えた。
「”逃げる”──悪いコト?」
相変わらず彼女の言葉は少なく、途切れている。そこから本心を掬うのは困難だ。だがあの時カレンやタケルが言った言葉を借りて、励まそうとしているのだけは確かだった。
「──タケル様、例えこの異変が、あなたの影響で起こったことだとしても……”それはそれ”、というものですわ。だってあなたは否応なしにこの地にやって来られたのですから。あなたがご自身と異変を切り離して考えたとしても、それは逃げではありません」
ネリがどういうつもりで”逃げ”という言葉を使ったのかは分からない。カレンの代弁が、ネリの真意を拾ったのかどうかも不明だ。だがタケルは、先日森で「弱音を吐きたくない」と自ら宣言したことが、単なる強がりから出たものだということを思い知った。──そして、今まさにその強がりが、良い意味で上書きされていくことも。
「”戦略的撤退”、という言葉もあることですしね」
悪戯そうに笑うカレンにも、何度こうして励まされたことか。タケルは肩を竦め、今度こそ力を抜いて笑いを漏らした。
「おーい、君たち。野営の場所を逆算すると、今日はこの場に留まって、明日の早朝から出発した方が良さそうだ。禄に進めてないけど、ひとまず眺めの休養としよう」
御者台から降りながらハロディが馬車内に呼びかける。彼が行商たちと話しながらこちらの会話にも耳を傾けていたかどうかは謎だが、ひとまずいつも通りののんびりとした口調と振る舞いだ。
「……分かった」
タケルは吹っ切れたように応え、馬車を飛び出した。ハロディが小首を傾げて目を瞠る。そんな彼を見なかったことにして、行商たちの輪に加わる。
タケルの世界はこれまで、閉じた山の中だった。考えるのは毎日の生活と、自身の弓の腕。師匠である轍と二人、日がな長閑な暮らしを繰り返すだけだった。──こうして全く知らない世界に放り出され、否応なしに何かに巻き込まれるまでは。
「おっさんたち、ここまでどんな化物見てきたか、もっと教えてくれよ」
国の事情などは分からないタケルにできることは、戦うことくらいだ。それを確かなものとするために、まずは情報を取り入れる。
これまで多少のことはあれど根は大人しかったタケルが、カレンたちの輪から率先して外れていくのは初めてのことだった。カレンは馬車の中から小さく微笑み、ヴァルターとハロディは思わず顔を見合わせる。
腕を組んで外方を向いていたガウリーでさえ横目でそんな彼を一瞥するが、アルトは相変わらずの恬澹とした無表情で、タケルが退いた幌の上に飛び乗った。
「なんか知らないけど、吹っ切れたようで何より」
ハロディのそんな呟きは、異変の丘に響く遠い異形の鳴き声とともに空中へと消え去った。




