6-4 異形の楽園
森を出ると空は一段と重く垂れ込み、関所に到着する頃には空からポツポツと雫が溢れ始めた。森の関所付近には騎士たちによってキャンプが追加され、タケルたちが訪れた時よりも立派な野営の施設が整えられ始めていた。
早々と報告に発ったのか、既にグレディエルの姿は無かった。しかし残った騎士たちを横目に関所で作業をしていた兵士や職人たちは、どこか肩身狭そうに黙々と手を動かしている。タケルたちはそっと縫うように、彼らの間に馬車を進ませた。
「無理言っちゃってすみませんでした。僕ら、このまま行きますね」
関所を抜ける際、ハロディが愛想良く騎士や兵士たちに笑いかける。素っ気ない騎士たちはちらりと彼らの馬車を一瞥するだけだったが、門番兵は違っていた。彼らは馬車が関所のあった場所を通り抜けた後、控えめに声を掛けてきた。
「──森の様子はどうだった? 何やら黒煙のようなものが空に立ち上っていたように見えたが」
「あれ、あっちの騎士の皆様から報告受けてない?」
目を丸くしたハロディが門番に倣って声を潜める。門番は喉の奥で短く唸ると、眉根を寄せて咳払いをひとつ漏らす。
「現段階で異常なし、軍務卿の結界で守られているため、常備兵団は手出し無用とのお達しだった。大穴についても無闇に他言するなと」
「……ま、あっちもそんな指示を下されてたね。ちなみに僕らから見ても、その黒煙みたいなもの以外の特別な異変は無かったよ。だからまぁ…… ひとまず騎士”様”の言う通りって感じかな」
「そうか……」
ほっと安堵の息を吐く門番の様子に含みを感じ、ハロディは微かに目を細める。アンスールでは常備兵団長のシャイネンも同様の反応を見せる時があった。情報の精査を外部の人間で行う様子からしても、どうも一枚岩ではないらしい。
「……ふと思ったんだが、オレたちは特別、口止めを命じられはしなかったな?」
御者台のヴァルターが眉を顰める。そんな彼を見上げたハロディは疲労の滲む溜息を吐き、肩を竦めて首を横に降った。
「僕らが言う分には瑣末なこと、とでも思ったんじゃない? それにあのフォンタナ卿って参謀、分厚い面の皮何枚も被ってそうだったし──敢えて僕らを泳がせて何か企んでるのかも」
「……」
「……アルトを嗜めていた者の発言とは思えんな。──恐らくお前の方があの軍務卿よりも年上だろう?」
珍しく嫌悪感を隠さず、歯に衣着せぬ物言いをするハロディ。そんな彼に対し苦言を呈したのはヴァルターのみで、門番は嗜めることなく、ただ口を結んで視線を逸らしただけだった。ハロディは、うっすらと居心地の悪そうな表情を浮かべる門番を垣間見て苦笑した。
「あのさ、今は大丈夫かもしれないけど……いつまた変な事が起こるかわからねぇんだ。だから、くれぐれも気をつけてくれよな」
御者台の背後から顔を覗かせたタケルが門番にそう告げる。巨躯の異形と対峙した際、兵士の一人が命を落とした事を人一倍悔やんでいたタケルの様子を知っていた門番は、真摯な眼差しで忠告する彼の言葉に深く頷いた。
「分かっている。あの時よりも守りは硬いが、用心だけは怠らないよ」
「気をつけてな」と見送る門番を背に、馬車が関所を離れていく。タケルたちは、拭いきれない小さな懸念を残したまま、アルマへの旅路を再開させた。
次第に陽は暮れ、雲の向こうで空が茜色に染まっていく。いつの間にか雨も止み、タケルたちは馬具や荷車、手持ちのランタンを灯し、夜になるまでは歩を進めることにした。
途中通り過ぎたクラルス領の関所では、馬車の件の経緯を説明して礼を告げた。その際に聞いた話によれば、馬車の提供は門番兵の独断であったものの、事情を知ったクラルス公国の大公から正式に支援の申し出もあったようだ。しかしそれについてはアンスール側より”保留”との返事があったらしい。
「ハルディオ公が視察に来るって話も止められてさ。──そしたら公が、”なら行商人にでも変装してしれっと見に行くか”とか言い始めたらしくて、それは流石に兵士長が止めたんだと」
門番はあくまで笑い話として、豪快に笑いながら語っていた。アルマやアンスールで王と緊張の対面を経験してきたタケルたちは顔を見合わせ、揃って首を傾げたものだった。
「そういえば、カラ様もとても気さくなお方でしたわね。クラルス公国の国民性、ということなのでしょうか?」
「まあ僕も……聞いた話しか知らないけど、結構奇抜な人らしいね。基本的に国から出ないアンスールやアルマの王と違って、何かあったらすぐ自分が動く質みたいだよ」
「一国の主が国交を無視して勝手な行動を企むなど……部下からしたら肝の冷える話だな」
カレンとハロディ、ヴァルターの会話を聞きながら、タケルは通りがかりに助けたカラの事を思い出す。今頃はエレヴァンに到着し、あの気やすさで上手くやっているのだろうかと。
やがて陽は沈み、夜が来る前に水場を探し、小川の辺りで野営の準備を進める。食事の支度となるとネリが率先するようになり、日に日に彼女の手料理は増えている。とにかく何かできる事が嬉しいようで、そんなネリを見ていると、タケルの心は少なからず綻んだ。
そして、焚き火の音が心地よく耳を刺激する夜。見張りの順番が回ってきたタケルは、ぼんやりと薪の奥で火種となっているルビライトを枝で突いていた。
馬車の中で眠っているのはカレンとヴァルター、ハロディにネリだ。当初は「カレン様と同じ空間で眠るなど」と外で眠っていたヴァルターも、長旅を経て荷台で眠るのにすっかり慣れたようだ。変わらないのは、車輪に寄りかかって眠るガウリーと、幌の上のアルトだ。アルトに関しては相変わらず座禅を組んで目を閉じているだけで、眠っているかどうか怪しい態勢だ。
タケルが暗闇に浮かぶ幌の上の背中を眺めていると、それが唐突に動きを見せた。思わずタケルの肩が跳ね、手に握られた枝がルビライトを弾く。焚き火の火の粉が増し、慌てて枝から手を離して再び幌の上を見上げると、アルトが遠くに見える森の方を睨むように見つめていた。
声をかけようとして口を押さえ、タケルは立ち上がって幌の上に移動した。アルトはじっと森の方から視線を外さなかったが、タケルの気配は把握しているようだった。
「どうしたんだ?」
声を潜めて尋ねれば、アルトは静かに答えた。
「──森が騒がしいな」
「……森が?」
タケルは耳を澄ましてみるが、風が近場の草を揺らす音や、川の水が流れる音しか拾えない。しかしアルトはじっと森の方を見据え、集中するように瞼を下ろした。
「気配が煩いのだ。何かが蠢いている」
「……野生動物とかじゃないのか?」
「──……だと、よいのだが」
アルトは再び瞳に遠い森を映した後、側で四つん這いになって森の方に目を凝らすタケルに視線を移す。そして小さく吐息のような笑いを漏らした。
「いや、すまぬ。得体の知れぬ気配があると気になってな。──こちらに近づくものは無い。いいから休め」
「いや俺、今見張り番だから……」
「……そうであったな。では某が休む。お主も楽にしていろ」
言ったきり目を閉じてしまう。タケルはチラチラと森の方向を盗み見るようにしながら幌から降り、焚き火へと戻る。気配に聡いアルトがいるのでは意味がないのでは、と見張りの必要性に疑念が生まれるも、頭を振って無かったことにする。何も起こることなく夜明けが訪れることを祈りながら、タケルは再び枝を手に取った。
翌朝は、見事な快晴だった。雨の気配は微塵もなく、降り注ぐ陽光が湿った土に照りつけている。ほどよく冷えた風が頬を撫で、太陽の熱を攫い、心地よい陽気となっていた。
「いやあ、今日は気持ちよく足を進められそうだ。馬も心なしか昨日より元気な気がするね」
「馬、名前、なに?」
「そういえば、決めていませんでしたわね。皆様で案を出し合いながら進みませんか?」
「お、いいねぇカレン様。じゃあまず言い出しっぺの案を出してもらおうかな」
御者台で手綱を握るハロディの背後から身を乗り出したカレンとネリ。三人の会話も空と同じく軽い。馬の側を歩くタケルも例に漏れず、指名された時の事を考えて頭の中に候補を浮かべていく。
「今日はとても心地いい陽気ですから、太陽にちなんで”ソレイユ”などはいかがですか?」
「お、ちょっと神話的な古い言葉だ。──でも、こういうのはシンプルな方が良い。例えば”ナビ”とかさ」
「却下だ。”ソレイユ”の方が良いだろう」
「即答? ──ねえタケル君、このカタブツ従者君に良い案ぶつけてやってよ」
「馬は速いから……”ハヤテ”とか?」
「アカツキの言葉? いいじゃんいいじゃん! カレン様喜ぶよ」
足取りは軽く、会話も弾む。幌の上のアルトと殿のガウリーは参加する気が無いらしく、ガウリーなどは欠伸を漏らしながら大股に馬車に続いている。
「”パン”は、ダメ?」
「え、パン?」
ネリが控えめに挙手をした。ハロディは発言の意図を汲めずに首を傾げ、タケルとカレンもネリに視線を向ける。周囲の時間が止まるなか、ネリはさらに続けた。
「パン、食べてた。たぶん、好き」
「…………いやいや、そのまま”パン”って呼ぶのは流石にややこしいよ。響きは可愛いんだけどね」
逡巡した後、ハロディがそう言ってネリに向かって微笑みかける。そして人差し指を立てて小さく振ってみせた。
「こういうのは、”そのものの名称”を付けない方がそれっぽいんだ。この場は”ハヤテ”の勝利としよう。耳慣れない響きだしね」
「…………ハヤテ。わかった」
少々腑に落ちない表情を見せたネリだったが、耳慣れない音を呟いて頷くと、何度かその名を繰り返し口に出して微笑んだ。その反応を見ていたカレンが手を叩き、「馬の名前は”ハヤテ”にしましょう」と宣言する。自分の案が採用されて少々照れ臭くなったタケルは、誤魔化すように”ハヤテ”の胴を撫でた。
するとその手が触れた瞬間、ハヤテが嘶いて突然足を止めた。思わずタケルが馬に触れていた手を引く。荷台が揺れ、驚いたハロディが手綱を揺らしてハヤテを促すも、蹈鞴を踏むばかりでなかなか進もうとしない。街道はちょうど森に差し掛かるところで、前方を見据えたタケルは夜の一幕を思い出し、固唾を飲む。思わず幌を見上げると、”気配が蠢いている”と言っていたアルトは、じっと森の方を睨んでいた。
「どうしたんだ、ハヤテ? もしかして、”ハヤテ”は嫌だった? ……なんてことは、ないよね」
ハロディがそんなことを言っていると、幌の上のアルトが飛び降り、馬の前に躍り出た。
「何だ? 敵か?」
御者台の脇から顔を出すカレンとネリの背後から、ヴァルターも顔を出す。”敵”という言葉に反応したガウリーも前方にやって来る。その手には鎖鉄球が握られていた。
「いや、やはり野生動物なのかもしれぬが……この辺りは形を変えて凶暴化した異形がよく出現した場所でもある。それほど長くないとはいえ、森を抜ける道は用心せねば」
発言に反して過剰にも感じる警戒態勢を見せるアルト。タケルがハヤテを落ち着かせるように撫で、ゆっくりと歩を進めるアルトに追随させる。確かに往路、リューデを出た後の道のりでは、モルに襲われて逃げる行商人たちを助け、依頼として報酬を受け取っていた。クラルスの関所付近からここまで穏やかな旅路となっていたが、本来はいつ襲われてもおかしくなかったのかもしれない。タケルはハヤテを撫でながら、一方で弓を手に取った。
基本的には穏やかな丘陵地帯が続くが、アンスール大陸は山も多い。遠く霞がかって見える山の稜線と、その麓に見える森が点在している。街道はうまく難所を縫うように設けられているが、それでも時折森の間を抜けるような箇所がある。視界が狭まる場所は要警戒──それは往路でも同じだったはずだが、今のアルトの様子は明らかに違っていた。
ゆっくりと木々の間に差し掛かる。そこまで来ればタケルも、得体の知れない”圧”を肌で感じた。確かに何かしらの気配が、空気に刺激を与えている。──否、何かしらの気配が空気を不自然に振動させているのかもしれない。
ざわざわと風が鳴く。先頭をアルトが進み、馬車の両脇をタケルとガウリーが固め、ハロディが手綱を握る。カレンたち三人は馬車内に待機し、息を潜める。状況を飲み込めないネリは戸惑いに瞳を彷徨わせたが、カレンに倣って息を殺した。
「来るぞ!!」
唐突にアルトが叫ぶ。同時に刀の弾ける音が鋭く響き、唸り声が轟く。木々の合間から飛び出してきたものが地を滑るも、即座に起き上がる。──それは明らかに異形であったが、そう呼ぶには不釣り合いなほど、”整って”いたのだ。
これまで目にしてきたモルは、タケルの目から見ても複数の動物を乱暴に掛け合わせたような姿形をしていた。それはまさしく歪で、動作も洗練されたものではなく、苦しみから逃れるためにのたうち回るようなものだった。
だが今目の前に現れたのは、一見すれば狼だった。唸る声も、ただこちらを威嚇するように低い。異様なのは毛色だった。黒や灰、白い毛を持つ狼ならタケルも見たことがある。しかし、赤みがかった毛を逆立てる狼など見たことがない。
おまけにタケルは、剥き出しになった歯の間から火の揺らめきが漏れているのを見た。そしてそれが何を意味するのかは、すぐに判明した。
狼が咆哮をあげると同時に、その口から炎が吐き出されたのだ。牙を受け止めようとしたアルトが瞬間的な高熱に歯を食いしばる。真っ向から受け止め鍔迫り合いになるのを避け、アルトは反射的に衝撃を弾いて距離を取った。
「ひ、火を噴く狼だって⁈」
御者台のハロディが驚愕の声を上げ、鎖鉄球を構えていたガウリーが後方に走って荷台にそれを放り込み、代わりに杖を取る。彼が杖を構えると、先端の魔石が青く発光した。
狼が息を吐くたびに炎が牙の間から漏れ、吠えるたびに噴出する。逆立つ赤い毛は淡く発光しているようにも見え、まるで熱を帯びているかのようだった。
タケルは慌てて矢をつがえ、弓を引く準備をした。懐に入られれば身を守る術はないが、距離を取って狙う必要があるならばアルトよりもタケルの方が長けている。アルトが上手くいなしている間に、自分が仕留めれば良い。
タケルは息を整え、弓を持ち上げた。アルトは狼に触れぬよう、風の如く飛びすさりながら攻撃を加え、それと同時に狼の熱が上がっていく。その火が森に移れば大惨事だ。むしろ森から出てきた炎の狼が、森を焼かなかったのが奇跡なほど。
ハヤテが嘶きながら後ずさる。馬車が大きく揺れながら徐々に後退し、中からネリの悲鳴が上がる。タケルは眉間を寄せて敵の動きに集中するが、敵もアルトも動きが速く、弓を引くてが何度も緩んでは握られる。
すると、足元から冷気が漂った。受け止めた足首から鳥肌が立ち、思わずタケルはそちらへ視線を落とす。馬車の車輪から垣間見えたのは、白く凍りつき、冷気の靄が漂う地面の一部だった。その中心にはガウリーの大振りなブーツ。十中八九、冷気は彼によるものだ。
「ソレガシ、避けろよ!」
ガウリーはそう言い放ち、容赦無く杖を振るう。すると、彼の足元から走った氷が前方の一帯に瞬時に広がり、ひび割れのような硬質で繊細な音が連続する。それは道の両脇に生えた草や木の一部まで一瞬にして凍り付かせ、辺りに冷気が立ち込める。
アルトはそれを読み、タイミングよく飛び上がった。不意の一撃はその場に残された狼の足だけを凍り付かせ、動かない足に踠きながら吠える口から断続的に炎が吐き出される。あの場にいれば狼同様足が凍りつき、動きを封じられていたことだろう。
「オイ!」
ガウリーが叫ぶ。目を合わせた訳ではないが、タケルはそれが自分に向けられたものだと反射的に理解した。弓を引き、もがく首元に狙いを定める。そして狼が天に向かって首を上げ、ひときわ大きく吠えた時、タケルは弓を引く手を離した。
高い音とともに疾る矢が狼の首に突き刺さる。衝撃で頭部が弾み、のたうつように狼は何度も首を振る。しかしその四つ足は全て氷に固められ、地に縫い付けられたまま動けない。もがこうとする度にひび割れのような音が鳴るも、重ねるように氷が厚みを増し、さらに動きを奪っていく。
風が氷の粒を掠め、塵のように舞ったそれが日差しを反射して輝く。それはまるで、あの黒い靄の中に混じった小さな煌めきにも似ていた。
やがて、狼の動きが鈍くなっていく。矢を受けた傷からは血の代わりに、奇しくも黒い靄が漏れている。それが全身に広がると、狼は空間に解けるようにしてその姿を跡形もなく消した。
「い、今の……」
タケルはいつの間にか肩で呼吸をしていた。溶けていく冷気が空気に混じって喉に入り込む。それに咽せて咳き込みながらも、動揺の声が漏れた。
静けさが戻ったと思った矢先、再び森の奥から唸り声が鳴る。しかも今度は複数で、それを聞き取ったガウリーの舌打ちが響く。
「いったん森の道を突破しよう! アルト、走れるか?」
「無論!」
「よし、じゃあタケル君とガウリーはひとまず乗って!」
ハロディの言葉でガウリーが素早く馬車に飛び乗る。タケルがそれに続くと、ハロディはハヤテを鞭で打った。
ハヤテが嘶き、走り出す。アルトはハヤテを先導するようにその側を走る。
「みんな、掴まってないと怪我するよ!」
「ハヤテ、はやい!」
「ネリ様、顔を出しては危険ですよ!」
「カレン様もですよ! 二人とも伏せて衝撃に備えて」
枠を掴みながら御者台から前方を覗こうとするネリ、それを止めようと身を乗り出したカレンを嗜め、二人の肩を掴んで伏せさせるヴァルター。ガウリーは後方に片膝をついて背後を睨む。タケルもその向かい側で同じように、遠のいていく木々の合間を次々に見送る。
森の中で草を分けて走る音が鳴るも、馬の蹄と車輪の音にかき消されていく。そうして森を抜けた時、その先に広がるのは広大で平穏な丘陵地帯──の筈だった。
「こ、これは──……」
ハロディがしばらく進んで森から距離を取り、手綱を引いた。ハヤテが徐々に足を止め、鼻を鳴らしながら何度も低く首を振る。
一行の目の前には、一見するとまるで動物の楽園のような光景が広がっていた。短い草を蹴って走り、小川に踏み入って水を弾き、花を嗅ぐ。共に足並みを揃える群もいれば、威嚇し合って距離を取るものもいる──だがそのどれも、真っ当な姿をしていない。”異形”と呼ぶにふさわしい歪さの残る見てくれをしたものから、複数の動物の特徴を持ちながらも完成されたような姿をしたものまで様々だ。普段は森や草陰に隠れている臆病そうな部類のものさえ、何の隔たりもない場所でのうのうと歩き回っている。
時折、大きな異形が小さな異形を無造作に蹴り上げる。しかしそれは、弱肉強食の摂理からは外れたものだった。何故なら命を落とした異形は、等しく黒い靄となって霧散するからだ。食うための行為でないことは明らかだった。
「全部、モルだっていうのか……?」
目前の異様な光景に、ハロディですら動揺が隠せない。馬車の中から顔を覗かせたカレンやヴァルターも、ネリも、一様に瞠目していた。
アルトは静かに眉間を寄せ、刀の柄に手を掛ける。後部から外を眺めるガウリーも、杖を握る手に力を込める。その傍で、タケルは呆然と外の有様を見渡した。
馬車の存在に気づいた四つ足のモルが、ぐるりと一行に向けて首を回す。その目は確かに動物のそれだ。だが、何か明確な意思を持っているかのように一行を睨み、歯を剥いて唸り声を上げ始める。
肌を粟立たせるのは、確かな”敵意”だった。食うためなのか、はたまた別の理由か──”獲物”として、馬車を睨み付けている。
タケルの心臓が早鐘を打つ。それが目の前の異形によるものなのか分からない。海の大穴、そこから生える異形、多眼の巨躯、森の大穴──そんな光景が脳裏に連続しては消える。
瞬きを忘れて目を見開き、乾く瞳をそのままに忙しなく彷徨わせる。荒くなっていく息を抑えるように胸元を強く握り締めるが、どこかで得体の知れない咆哮が響き、それがタケルの喉を引きつらせる。
何度も空気を飲み込んでこみ上げる吐き気を打ち消し、意識がそれに集中する。だがその瞳だけは、目前の光景から離せなかった。
──まるで災厄を具現化したかのような、光景から。




